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雑感・戦後日本の世相と流行歌(47) |
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第47回(とりあえず最終回) 平成2〜16(1990〜2004)年、日本的流行歌終焉の時代、時代や社会と離れたミーイズムの世界が恨歌と援歌を不必要とし、表面的な優しさと愛の疑似恋愛の時代が演歌を駆逐した
この勝手な連載に長らくつきあっていただいた方なら、「そろそろ終わりだな」とお察しいただいていたことだろうと思うのだが、昨今の若い歌手やグループの歌、90年代以降のものは、私の耳にも心にも入らなくなってきたので、年末でもあり、このあたりでとりあえず一つの区切りととさせていただくことにする。
この15年間を十把一絡げにすることはできないのであるが、流行した歌を挙げろと言われても、90年の『おどるポンポコリン』(BBクイーンズ)、『少年時代』(井上陽水)、またいまオリコンヒットチャートの 上位にある『CAROLS』(浜崎あゆみ)、『思いがかさなるその前に』(平井堅)、 『浪花いろは節』(関ジャニ∞エイト)、『かたちあるもの』(柴咲コウ)、『マツケンサンバII』(松平健)などは思い浮かぶが、他のものは資料を読んで、ようやくそう言えばこういう歌もヒットしていたなくらいの 記憶しかない。私にとっての流行歌は、90年までに終わってしまっている。
いま挙げた、現在ヒットしているとされている曲も、デジカメや自動車のCMソングとして流されたものであったり、話題映画やテレビドラマの主題歌であったりして、それだけでは多くの人が買ってまで聴こうというインパクトに欠けるものであるから余計で、とても論じることはできないのである。
さて、この15年は日本にとっても世界にとってもたいへんな時代であった。「歌は世に連れ、世は歌に連れる」のならば、この状況にみあった、たいへんな歌が生まれてもいいはずなのだが、そうしたものとは無縁のものがヒットした。あえて世の流れ、時代に背を向けたものが流行っている。流行歌というものは、そんなものであっていいのか、いやそうではないはずである、というのが私の日本の流行歌に対する思いなのである。
この15年のことを思い出していただきたい。国際競争力がついて、欧米に洪水のような輸出をするようになって後、バブル経済に沸いたが、ほどなく破綻し、長期かつ深刻な、まさにたいへんな不況に陥ってしまった。戦後日本の高度経済成長の枠組みの前提条件が崩れるとともに、過去の体制が桎梏と化し、構造転換を余儀なくされたのだが、なかなか改革の道筋に乗せることができず、今日もなお苦悶が続いている。 政治では、いつまでたっても汚いカネとの関係を断ち切ることができず、国民の信頼を確保することができず、戦後日本政治の構造といってもよかった、いわゆる55年体制が崩壊した。自民党は政権の座から追われ、日本新党などによる細川連立内閣が誕生、以降、自民党がまた政権の座についたものの単独では政権は維持できず、連立政権という流れが定着した。
既成政党の無力化はいかんともしがたく、支持政党なしのいわゆる無党派層が増大、日本の政治はまさに漂流という表現がぴったりのものとなった。そんな中で、雰囲気政治・大衆迎合が横行、進むべき方向を定める座標軸すら失ってしまった。「純ちゃんブーム」などというものは、その一つのあらわれである。政治の漂流は、単に政治がおかしくなったというだけではなく、実は日本の根っこがおかしくなってきたからそうなったのである。人々の心が揺れているからである。
物質的豊かさと技術万能主義が心の空洞化をもたらし、何かにすがらずにはおれないという人たちもでてきた。しかし、既成宗教はもちろん、新興宗教もこういう人たちを救うことはできず、カルト宗教に走らせてしまった。それが松本サリン事件など一連のオウム事件、また白装束集団騒動であったりしたわけであるし、超能力や心霊現象を信じたり、占いブームが起きたりするのである。いまも無数の宗教が活動しているわけだが、阪神淡路大震災をはじめ、この15年、日本は地震、火山噴火、台風、集中豪雨、山崩れなどなど、まさに災害列島日本となった。ますます不安は高まっている。
不安が高まると、人々はまるでメダカが群れるようになる。知ったものどうしだけではなく、まったく知らないものでもきっかけさえあれば百年の友達のようになって、いっしょに死んだりする。ケータイとパソコンの普及は、そんな人間ネットを可能にすると同時に、出会い系殺人、昨今のオレオレ詐欺、振り込め詐欺などIT犯罪時代も生み出した。デフレが長期化する中で、犯罪は増加し、日本の治安はいいという神話は完全に崩れさった。社会のあらゆる分野で、勝組・負組がはっきりするようになり、生活水準も学力も2極分解してしまった。少年による凶悪犯罪も増えたが、善悪の分別を失った大人も増えてきた。 「冬ソナ」を追っかけている中高年の女性たちの熱狂ぶりは、どう考えてもまともではない。
日本が大きく転換しただけではない。というより戦後世界を規定した枠組みが根底から変わったがために、日本のこれまでの政治や経済も転換を余儀なくされ、その動きの中で社会の枠組みも変わってきたと言っていい。誰もが想像し得なかったことだが、市民の運動によってベルリンの壁が倒され、東西ドイツが統一し、東欧が揺れ動く中で、ソ連が消滅してしまった。東欧もソ連社会主義の呪縛から解放され、中国も改革・開放の道を歩むようになった。東西冷戦の時代は終わり、いっぽうの軍事大国が消え去るとともに、唯一の超大国アメリカは世界の覇権をめざすようになり、新たな戦争、紛争、テロの時代に入った。自衛隊の海外派兵は当然であるかのようになり、憲法を変えようという動きはいよいよ勢いを増すようになった。
このような流れ、動きは、これまでの日本ではなかった大きな変化であるが、最近、日本で流行している歌はこれらとはまったく無関係なものである。あえて関わりを避けようとしている。まさに非時代的であること、非社会的であることがもっとも大きな特徴である。あえて政治や経済、時代の流れや社会・事件とは無縁のところでつくられ、歌い、歌われている。それこそ非日常的なものこそが歌であると言いたげである。実際に、歌っている歌手やグループも、ファンもそうである。戦争が始まろうが、テロが起きようが、政治が大きく変ろうが、まったく関心を持とうともしない。もちろんのこと、ダイレクトにこんな流れや動きを歌にすべきであると言いたいわけではない。時代・世相の中で泣き、笑う人の心を歌え、と言いたいのである。それこそが大衆に愛される歌ではないか。
昔、作家の五木寛之氏が演歌の源流を探る作品(芦田伸介が主役でテレビドラマにもなったことがある)を発表したことがある。その主人公であるレコードプロデューサーは、演歌というものは、みんなの目をさまさせるようなだいそれたものではない。が、心にそっと添い寝するものでなければならない。 でないと、みんなの心に入ってはいかない。もちろんヒットしない。という意味のことを若い制作者に語っていた。演歌・流行歌の本質はここにある。人々はなぜ歌を聴き、歌うのか。それは心の何かに共鳴するからであり、心の何かを表現したいからである。みんなの心の何かとは、毎日を生きている中で直面するさまざまなものが余儀なくする喜怒哀楽である。
この意味において、こんな大変な時代、人々の心の中には表現したいこと、確かめたいことが山ほどあるはずである。いまほど歌が生み出され、ヒットする条件が整っているときはないと思う。 ヒット曲が出ないのは、みんなの気持ちを代弁していないからである。もっと時代と社会にコミットして、 喜怒哀楽を歌にすべきではないか。残念ながら今日の歌はそうではない。そうしたものを無視することが歌であり、そんなものに関わるのはうっとおしいと考えているところがある。これはぜひ改めてほしい。
しかし、いまの歌が非時代的、非社会的であるようにみえるのは、実は反語である。「あえて無関係を装うことによって、今日の時代と社会に抗っているのである」という説もある。確かに、一億円もらっても「記憶にない」と言い張り、動かぬ証拠を出されると「そうだろう」と言ってはばからない、こんな馬鹿馬鹿しい政治家たちに真正面からモノを言う気がしない。いっそのこと無視してしまえ、と言っているのだというのである。そう思えないこともないが、私としては「歌は世につれ、世は歌に連れ」であってほしい。 真正面からと言うつもりはないが、反語でもいい、斜めからでもいい、笑い飛ばしてもいいし、皮肉であってもいい、みんなの心の中に何か表現してほしいのである。
この10年あるいは15年の間に記憶に残っているヒット曲を挙げてくれと言われても、ほんとうに答に窮してしまう。心に残っていないのである。とはいえ、『おどるポンポコリン』が90年に大流行して、夏の盆踊りのシーズンにあちこちから聞こえてきたことはいまも強烈に記憶に残っている。 幕末、いよいよ徳川幕藩体制がどうしようもなくなり、飢饉が何度も起きて人々が飢えに追い込まれた時、人々は「えじゃないか」「えじゃないか」と踊り狂いながらお伊勢参りをした。一部では一揆に立ち上がったが、ほとんどの農民や町人は真正面から政治闘争する力も方策も持ち合わせていなかったから、こんなふうにサボタージュし、ドロップアウトするよりなかったのである。しかしこれが歴史を変えたのである。坂本竜馬や桂小五郎だけが維新の主役だったのではないことを思い出した。『おどるポンポコリン』は現代の「えじゃないか」ではないかと思ったのだった。
それから、若い少年や少女のグループがステージやスタジオで歌い踊っている姿をみると、すべて 「えじゃないか」と重なるのである。プロ野球のどこかのチームが優勝すると、あるいは優勝を逃すと、たくさんの若者が汚い川に飛び込んでいく。学校に行くわけでもなければ、就職するわけでもない若者が 増えていることが大きな問題になりつつあり、いまやフリーターは400万人をこえたというような事実は、完全に幕末現象と言っていいのだろうと思う。「えじゃないか」の列に加わって故郷を捨てたものは、何も若い男だけにかぎらなかった。農家や商家の女房連中も多かったそうである。亭主も子どもも捨てて踊り狂ったのである。いま「○○さま」と叫んで走り回っている中高年の女性の姿を重ねずにはおれない。
こうした流行現象を見ていると、時代の流れや社会の動きなどとは一見無縁であるように見えながら、非常にビビッドにリンクしていることがわかる。前号で、作詞家阿久悠氏が「90年代に入って、歌謡曲はやせ細ってきた」という趣旨の発言をしていることを紹介したが、いまふれたことに関連して、同氏が『歌謡曲の時代』の中でどう語っているか、さらに引用させていただくことにする。
氏は「俗説では、歌謡曲という言葉は、昭和の終わりとともに、平成の始まりと同時に消えたことになっている」と書いたうえで、「ぼくは、その俗説を半分認めながら、半分は、その程度の理由でくたばってたまるかという思いを抱いているている」とも記している。さすがに60年代から70年代、すなわち日本的流行歌の代表である歌謡曲全盛の時代に6000をこえる詞を書いてきた人物だけに、そうは簡単に日本的流行歌=歌謡曲の終焉を認めようとはしていない。
その最大の理由と根拠は、「昭和と平成の間に歌の違いがあるとするならば、昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っているということ」にあるといい、歌謡曲というものは自分のことだけを歌っているよりも、時代や社会を歌っているほうが大きく面白いものになって人々の共感を得る。それが昭和流行歌がすごかった理由であるというのである。時代が平成に変わってというよりも、人々及びその社会が大きく変わって、社会や時代、またみんなのことをテーマにするより、自分のことだけに埋没してしまった結果、歌が面白くなくなって、元気を失ってきたと分析するのである。
氏は「歌謡曲が活動するための餌はというと、時代である。歌謡曲は時代を食って色づき、育つ。時代を腹に入れて巨大化し、妖怪化する。…時代は美味しかった」と書き、歌謡曲が甦るとすれば、時代を食うことだといい、自分もまた再びそんな歌を書き、甦らせたいという意味のことを記している。私もそのとおりだと思う。ぜひ、そんな歌が出てきてほしいものである。
昔の演歌は、社会と時代の中で日々苦闘し、喜怒哀楽する人々の思いがこもっていた。高橋掬太郎の詞に、古賀政男が曲をつけ、藤山一郎が歌った『酒は涙か溜息か』は日本流行歌の代表作であるが、冒頭の「酒は涙か、溜息か、こころのうさの 捨てどころ…」の一節は流行歌の本質を表現している。「酒」を「歌」に言い換える、すなわち歌はみんなの心の苦しさ、辛さ、悲しさ、切なさなどを代弁するものなのである。昨今流行の歌には、そうしたペーソスや苦悶がない。だから、オッサンたちには歌えない。
いまの若いグループや歌手の歌は、ヒット曲であったとしても若い子どもだけ、その世代だけのものになっていて、オッサンはまずリズムに乗れない。それよりも何よりも心情的に入り込めない。だから歌えないのである。でも、若者もオッサンも、苦しいことは苦しいし、哀しいことは哀しいのである。時代と社会に真正面から向きあい、みんなの喜怒哀楽、苦悶、苦闘、挫折、悲哀、忍耐、そしてその果てに手にした喜び、希望を歌えば、若者の歌といえども、まちがいなく世代をこえて共感を得ることができる歌になるだろう。仮に若者だけの、あるいは世代限定のヒット曲であったとしても、それはそれで独りよがりではない、他の世代にも受け入れられるものとなるだろう。
もともと「歌(うた)」とは、感情を込めて心の中のものを表現することをいうものである。大槻文彦の『大言海』によると 「詞を、声を長くし、節をつけて唱え言う」ことであるとし 「切なる情より煥発するもの」としている。また、「うったう(訴える)」も同じだとしている。ただ個人の惚れた、はれた、といった気持ちを表現するだけではなく、時代や社会に切り込んだメッセージを情感を込めてこそ歌である。イケメンであるとかないとか、きれいな顔であるとかないとか、おっぱいが大きいとか小さいとかよりも、もっと大事なものを忘れているのである。外見だけで売れる売れない、人気のあるなしが決まるようなことにしてしまったから、中身がおろそかになってしまったのである。
もう一つ興味深い変化がある。それは人気のありようである。雑誌「明星」の編集部が編集し、橋本治氏が解題を書いている『「明星」50年 601枚の表紙』という新書が書店に並んでいたので買って読んでみたところ、面白いことが書かれていた。昔は、1人のビッグスターが表紙を飾ったのだが、70年代に入るとそれが2人になり、80年代になると3人だとか4人とかになり、90年代になるとグループになり、それも1グループだけでダメで、2・3のグループを並べないと売れなくなったというのである。
たとえば2002年9月号の表紙には、オトコのコ3グループ、大小15人のスター歌手の顔写真がデザインされている。よく知っているものにはすぐわかるのだろうが、我々オッサンには誰が誰だかさっぱりわからない。なぜ、こんなことになったか、それぞれにたいへんな人気のスターやグループなのだけれど、それはそれぞれの話であって、それぞれの人気が横断したり、世代を縦断したりしないものになってしまっているからだというのである。「マス(大衆)の時代」から「ミー(自分)の時代」に変わったと言われてきたが、まさにそのとおりになり、スターや歌手の人気も個別的なものになったからなのだった。
以前に、高度成長の時代は大量生産大量販売で、みんなが一つのものを求めて買い、大量消費する時代だったが、そういう時代は終わって、それぞれがほしいものを買い求め、味わい楽しむ多品種少量生産の時代に変わったと書いたが、いまふれたことは歌謡曲やスターの流行もそうなったことを示す現象なのである。こうなると、それぞれのスターやグループはそれぞれの層にだけ受け入れられればいいということになって、いっそう絞り込んだ歌を歌い、踊りを踊るようになるので、いっそうセグメンテーションが進み、わかったものしかわからないということになるのである。
かつて「紅白歌合戦」は家族みんながコタツに入って、同じように感情移入して楽しむものだったが、いまやそういうものではなくなった。自分が見たい聴きたい歌手やグループの時だけテレビに向かうというものになり、番組全体を通して視聴するものではなくなった。だからいろいろやっても視聴率は低迷するようになったのである。大量生産大量消費の時代の終焉は歌の流行でも同じで、一つの曲が全世代をこえてヒットするということは希になった。また時代と社会への関わりを避け、個人の世界に入り込み、おたがいに共通する心情が持てなくなって、「個」歌の時代となった。戦後復興、高度成長と大量生産大量消費の時代に寄り添ってきた紅白歌合戦の時代も終わったのだった。
それに歌手が男女に別れて歌合戦をし、それを視聴者が応援するというような発想はどう考えても時代遅れであって、紅白歌合戦が終わりを迎えても何の不思議でもないし、また当然のことでもある。紅白歌合戦が終わってもいっこうにかまわないが、歌謡曲が終わってもらっては困る。阿久悠氏が言うように、ぜひ時代と社会を餌にして甦ってもらいたいものである。でないと、おっさんが歌う歌がないのである。 (とりあえず終わり)
今回をもって、とりあえず流行歌と世相についての勝手な連載を終わらせていただきます。長らくおつきあいくださったみなさんに心からお礼を申し上げます。90年代以降の日本流行歌と世相については、これはこれで興味深いものがあるので、若い歌手やグループのヒット曲をしっかり聴いたうえで、いつか書きたいと思っています。新年からは、以前から興味を持っている「地名」について勝手なエッセイを書かせてもらおうと思っています。最近は「地名」ブームと言ってもいいような状況が生まれてきて、書店には何冊もの本が並んでいます。そこにいっちょかみしようと思っているのです。
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