高校野球100年の真実 ~心揺さぶる真夏のストーリー~

2015年8月1日(土)午後3時30分~5時25分放送

司会:ビートたけし,谷原章介,喜多ゆかり,ナレーション:香川照之

高校野球100年の歴史に刻まれた驚愕のドラマを朝日放送が持つ膨大な秘蔵映像で紐解く!あの一瞬のプレーが人生を大きく変えた…その裏側にあった真実とは!?

2015年は、高校野球の全国大会が始まってちょうど100年という節目の年となります。『高校野球』というと…“元気ハツラツな全力プレー”をまず連想されるかもしれません。勝敗を分けるその一瞬に全てを賭けるひたむきなプレーは見る者に感動と勇気を与えます。そんな彼らのプレー一つ一つの裏には、球児たちの血の滲むような努力…チームメイトへの信頼…仲間同士の衝突…監督の想い…かげで支える周囲の人々の想い…など、隠されたドラマが存在します。

100年という歳月が過ぎ、その歴史の裏に蓄積された「極上のドラマ」。それらの幾つかは、未だ多くの人に知られず、歴史の中に埋もれているものも有ります。是非多くの視聴者に伝えたい!
時に、ひとの人生をも大きく変えてしまう…そんな凄まじい力が、スポーツにはあります。番組では綿密な取材を行い、100年の間に甲子園とその裏に刻まれた人間ドラマに迫ります。

心揺さぶるドラマを積み上げていく先に高校野球の100年の真実が見えてくる!

SCENE.1

SCENE.2

SCENE.3

「横浜-PL 延長17回の激闘」に交差し輝いた男たち

1998

2014年12月。ソフトバンクホークスの入団会見。そこに、アメリカ・メジャーリーグから日本に帰って来た1人の男の姿があった。松坂大輔・34歳。高校時代には“平成の怪物”と称され、同世代のすべての野球選手に目標とされた、日本野球史上最高の投手の1人である。

16年前の1998年8月。松坂 大輔 投手を擁する横浜高校は、史上5校目の春夏連覇の偉業に挑んでいた。夏の選手権準々決勝の相手は、大阪の強豪・PL学園。春の選抜大会の準決勝でも対戦し、接戦を演じた最大のライバルである。
8月20日。ファンの間では“事実上の決勝戦”とも謳われた注目の一戦がプレーボールの時を迎える。

果たして、試合はまたも追いつ追われつの大熱戦に。先制するPL、追いつく横浜。再び突き放すPLに、またも追いつく横浜…
すべての観客を虜にしながら、いつしか闘いは延長戦へと突入していく。延長に入ってからも両者の力は拮抗。決着がつかない。今度は先に突き放す横浜に、2度も追いすがるPL。
場内には「再試合」の予定を告げるアナウンスが流れ始める…

この試合でももちろん、太陽のごとく強力な光を放つ存在として、松坂投手の一挙手一投足に注目が集まったが、その裏では実に多彩な男たちが勝負の“あや”を織り成していた。
怪物・松坂を本気にさせたPLの4番打者は、名門のプライドにかけて、すべての力で松坂に立ち向かった…
そして、横浜高校の 勝利を決定づけるホームランを放った男と、一度も試合に出場することなかったものの最強のチームを陰で支えた男。試合前に2人が交わしていた約束とは…

“伝説の試合”とも評される「横浜‐PL 世紀の激闘」。勝者と敗者の垣根を超え、真夏の大舞台で激しく交差し、ともに伝説を作り上げた男たちの、それぞれのストーリーに迫りながら、ファンが愛してやまない名勝負を鮮やかに再現する。

天才打者イチローの「運命を変えた雨」

1991

1991年7月29日。第73回全国高校野球選手権・愛知大会準々決勝。『中京 VS 愛工大名電』のライバル対決は、2対1と中京が1点リードの6回表、ランナー1塁で打席に愛工大名電の4番・鈴木一朗が立つ。のちの『イチロー』である。
カウント1-1からの3球目、鈴木選手が振りぬいた打球は、外野席の向こうに立ち並ぶ木々を超える特大のツーランホームラン。3対2と逆転に成功した名電は、そのまま逃げ切り、勝利を収める。鈴木選手の一振りがチームを勝利に導いた…と同時に、この場外ホームランでプロ野球のスカウトの評価が高まり、オリックスのイチローが誕生することとなった。

後に、イチローはこう語っている。「私の野球人生で、ベストゲームを挙げるとすれば…最後の夏、愛知大会準々決勝の中京戦です。あの試合で放った逆転ツーランでプロに行けたようなものです」と…

だが、イチローの華やかな未来を決定づけた“その試合”の裏には、もうひとつのドラマがあった。愛知県高野連に、あるスコアブックが残っている。
『1991年7月28日 愛知大会準々決勝 “中京 VS 愛工大名電”』
そう、鈴木選手の運命を決定づけたあの試合の前日に、公式記録には残っていない試合があったのだ。

7月28日、29日。二つの試合が存在するという、この意味とは?
希代の天才バッター・イチローが生まれた理由が今こそ解き明かされる。
番組は「貴重な映像」を入手。他では見ることのできない「イチローの映像」だ。

戦時下の高校野球“特攻前夜”幻の紅白戦

1944

1980年代、『やまびこ打線』と呼ばれる強力打線が甲子園を席巻した。夏1回・春2回の全国制覇を果たした徳島・池田高校である。高校野球ファンはもちろん、あまり知らない人でも一度はその名を耳にしたことのある強豪校である。
チームを率いたのは蔦文也監督。ずんぐりとした体に、人懐っこい笑顔。そのチームカラーと重ねられて“攻めダルマ”との愛称が付けられた。しかし、圧倒的な打撃力で栄光を極めた池田高校…その裏側には知られざる蔦監督の激動のドラマがあった…

時は、1944年。蔦は静岡の海軍飛行場にいた。当時は、戦争の影響で甲子園の全国大会は中止されるようになっていた。
21歳の蔦は、同志社大学から学徒出陣し、いつ特攻隊員に召集されてもおかしくない状況だった。死を前に、恐怖する日々。

そんなある日、飛行場で野球の紅白戦をすることになる。ピッチャーは蔦。300人近い隊員らが声援を送る。道具もユニフォームもボロボロ。けど、満面の笑みでボールを追いかける兵士たち。蔦の球を受けたキャッチャーの稲岡正隆は「カーブのサインを出すと、彼がうれしそうに笑うんですよ。声援はすごいし、とても戦争中の雰囲気じゃなかったですよ」
蔦も後年振りかえる。「軍隊で唯一の楽しい思い出だった」

この紅白戦こそ、彼のその後の運命を変えてしまうことになる…?『やまびこ打線』誕生の裏にあった知られざるドラマとは?

他にも、

“史上初の決勝再試合”
松山商-三沢(1969年)
“史上最高試合”
箕島-星稜(1979年)
“松井秀喜5打席連続敬遠”
星稜-明徳義塾(1992年)
“奇跡のバックホーム”
松山商-熊本工(1996年)

など、高校野球100年の歴史を彩った名試合の数々も紹介します。

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