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アイコン 2017年7月16日(日)放送

田中美佐子

「人生で大事なことは隠岐諸島から学んだ」
かつてゲストが生まれ育ったり生活をしたりしながら、人生に大きな影響を与えたという街を紹介していくコーナー『あの街シリーズ』がスタート! ゲストがその街から学んだ意外なエピソードに加えて、街の魅力も再発見できる新企画だ。
ゲストは女優・田中美佐子。生まれてから14歳まで暮した島根県・隠岐諸島に「今の私をつくった全てがあるんです!」と語り、田中が当時の地図で思い出の場所を振り返りながら、現在の様子を捉えた現地取材を交えながら紹介していく。
田中が生まれ育った島根県・隠岐島は、西ノ島、中ノ島、知夫里島のある「島前(どうぜん)」と、最も大きな島である「島後(とうご)」を中心に、大小およそ180の小島からなる諸島だ。壮大な断崖絶壁のある迫力満点の景勝地・摩天崖や、夕日が火を美しく灯すように沈んでいくロウソク島など大自然の宝庫としても知られている。そんな島の中で田中が生まれ育ったのは中ノ島という小さな田舎町。生まれてから9歳まで暮したその中ノ島で、生家のあった場所や、通っていた保育園、友達とよく遊んだ海岸などを、現在の様子とともに紹介していく。
「中ノ島は、自分の原点で、宝物のような場所です」とは田中。田舎で何もなかったからこそ、自然豊かな海岸や神社の境内が遊び場所になったといい、現在の西ノ島の様子をVTRで見ながら「“生きていくこと”と“遊ぶこと”が直結していたように感じますね」と当時を懐かしむ。

勝俣州和

「人生で大事なことは祖師ヶ谷大蔵から学んだ」
もう一人のゲストは勝俣州和。大学に通うために上京した街であり、芸能界デビュー後もしばらく暮らしていたという東京・祖師ヶ谷大蔵の魅力を当時の思い出とともに振り返っていく。
勝俣にとっては「僕のほうが街に育ててもらいました」と、かなり思い入れが深い街だという。住み始めた経緯は「当時、(木梨憲武さんの)木梨サイクルがある街と聞いて、“その街に住みたい”と思ったんです」とミーハーさがゆえに引っ越しを決めたのだとか。
勝俣は当時暮らしていたアパートの跡地や、1年のうちに100日は通ったという料理店など、馴染みの場所を思い入れタップリに振り返りながら、当時のエピソードを存分に語っていく。また、勝俣がよく通ったというお惣菜屋や飲食店の店主などお世話になった地元の人たちへのインタビューからまったく飾らない勝俣の人柄も明らかに。
勝俣は「お惣菜屋さんのおばちゃんとよく飲みにいってました」、「大家さんは当時払えなかった家賃を1年も待ってくれたんです」など、人情に厚い町の人たちに支えられたエピソードを振り返りながら、「一人ぼっちで上京してきたんですが、みなさんが家族のように付き合ってくれたんです。恩返ししたい人がたくさんいる街ですね」としみじみ。
そんな一方で、大学在学中は青年実業家を目指しており、“バイトをしていたお弁当屋さんで、売上を激増させたアイデア”や、“ひまし油を飲みすぎて死にかけた(!)”という若かりし日の仰天エピソードを披露する。