新・企業史博物館

6月5日(火)放送

ヒガシマル醤油株式会社
【 第2夜 】 関西の食文化を守りぬけ!〜復活の決断

太平洋戦争が始まると、原料不足が深刻化。「米」が配給制になり、国の統制下でしか手に入らなくなった。
「米」は淡口醤油造りには欠かせない材料。しかし、食べる米にも困窮する中、米を醤油造りに使う余裕はない。代替原料では造れない淡口醤油は、昭和19年、ついに姿を消すことになる。

昭和20年に終戦を迎え、ようやく淡口醤油の生産再開にめどがついたのが昭和24年、途絶えてから5年以上がたっていた。「濃口醤油に慣れてしまった消費者を取り戻すことができるのか」と多くの同業者は復活に否定的だった。しかし、淡口醤油を守ることは、関西の食文化を守ること。「ヒガシマル醤油がやらなければどこがやる!」
こうして、社運をかけた一大プロジェクトとして 復活への道を歩むことに。

長いブランクで失ったものは大きかった。原料となる種麹、製造できる職人・・・。それを何とか探し出し、秋には仕込みを開始。ついに昭和25年8月、みごと「淡口醤油」は復活を遂げたのであった。

そして さらに あのベストセラー商品が誕生することに・・・

ヒガシマル醤油株式会社