月〜金曜日 21時48分〜21時54分


伊 勢

 伊勢と言えば「お伊勢さん」「伊勢参り」で知られ、伊勢神宮へ通じる各地の伊勢街道筋の宿場町、門前町の伊勢市は外宮、内宮への参詣者で栄えた。古い歴史を持つ典型的な門前町・伊勢市は、21世紀幕開けの新年も大勢の伊勢参り客でにぎわった。伊勢街道沿いの市町村にも伊勢神宮はあらゆる面で大きな影響力を持っており、伊勢神宮にかかわりのある神社や史跡、伝説などが多い。


 
伊勢神宮・外宮 放送 1月8日(月)
外宮 伊勢神宮は正式には「神宮」と言い、外宮と内宮の両正宮からなっている。伊勢神宮の神域には両宮のほかに別宮、摂社、末社合わせて123社の社殿があり、神さまのビッグファミリーである。伊勢参りは先に外宮に参拝するのが昔からの習わしになっている。
 伊勢神宮・外宮は豊受大神宮(とようけだいじんぐう)と言い、米作りをはじめ、衣、食、住や広く産業の守り神の豊受大御神(とようけおおみかみ)を祭っている。 この神は約1500年前に内宮に祭られている天照大神(あまてらすおおみかみ)の食事を司る御饌津神(みけつかみ)として、京都・丹波国から迎えられ伊勢・高倉山の麓に祭られた。
(写真は 外宮)

日別朝夕大御饌殿祭 外宮では毎日、朝と夕方に天照大神をはじめ、神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうのおおみけさい)が行われている。参拝した時、運が良ければ白装束の神官が、白木の箱に納められた神饌(しんせん)をうやうやしくかついで運ぶ姿を見られる。この神饌を準備するところが御饌殿(みけでん)で、外宮にだけある社殿。
 外宮正殿は内宮と同じ茅ぶき、日本最古の建築様式の唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)で、屋根の両端に千木(ちぎ)、棟に鰹木(かつおぎ)が乗っているが、外宮の千木は先端の切り口が垂直切り(内宮は水平切り)、鰹木は9本(内宮は10本)と内宮とは異なる。
 外宮は伊勢市駅前の市街地のそばにあり、内宮とはやや違い明るく開放的な雰囲気だが、正殿付近はうっそうとした杉木立につつまれ厳かさが漂っている。
(写真は 日別朝夕大御饌殿祭)


 
伊勢神宮・内宮 放送 1月9日(火)
皇大神宮正宮 伊勢神宮・内宮は神路山(かみじやま)の麓、五十鈴川のほとりに皇室の祖神・天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭っている。
 当初、天照大神は皇居内に祭られていたが、天照大神と御殿をひとつにするのはおそれ多いと、第10代崇神天皇の代に大和国・笠縫村に祭られた。その後、第11代垂仁天皇の時代に天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大神を奉じて各地を巡幸の後、今から約2000年前、伊勢の地が天照大神を祭るにふさわしい地と定め鎮座した。内宮正殿は茅ぶき、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)で、神体は三種の神器のひとつ八咫鏡(やたのかがみ)。
(写真は 皇大神宮正宮)

御稲御倉 五十鈴川に架けられた宇治橋を渡ると内宮の神域に入る。五十鈴川の御手洗場(みたらしば)で手を清めて正殿へ向かう。玉砂利を踏みしめ、巨木の杉木立の中を進むと気も引き締まってくる。
 伊勢神宮の内宮、外宮とも正殿は20年に1回、建て替えられ遷宮が行われる。これを式年遷宮と言う。伊勢神宮の社殿は茅ぶきで柱は地面に直接建てる堀立柱様式で傷みが早いため、この方式が天武天皇の時代に定められ、持統天皇の時に第1回遷宮が行われた。最近は平成5年(1993)に61回目の遷宮があった。
 内宮の入り口の宇治橋もこの式年遷宮の時に架け替えられる。宇治橋の両側に建っている鳥居の柱は、遷宮の後、旧殿の棟持ち柱がそれぞれ使われ建て替えられる。橋の内側の鳥居は内宮、外側は外宮の棟持ち柱。冬至のころ、この両方の鳥居の間から太陽が昇り、伊勢神宮にふさわしい神々しさをかもし出す。
(写真は 御稲御倉)


 
おかげ参り(伊勢市) 放送 1月10日(水)
おはらい町 「せめて一生に一度はお伊勢参りを」というのが、江戸時代から庶民の願望だった。江戸時代に入って各地の街道が整備され伊勢参りがブームになった。と言っても江戸から片道約15日、京、大阪から4、5日もかかり、道中に関所も多く旅費もかなりかかる大旅行だった。
 伊勢参りを盛んにしたひとつに「おかげ参り」と呼ばれたブームがある。「人さまのおかげや神さまのおかげで、つつがなく生活ができたので、お伊勢さんに感謝したい」と思った人たちが、仲間を集めて伊勢参りをするようになった。おかげ参りのブームは最初、江戸時代の寛永15年(1638)に起こり、慶安、宝永、明和、文政の各時代に大流行を繰り返した。宝永2年(1705)4月から5月にかけての50 日間に、362万人が伊勢参りをしたとの記録がある。1日平均、実に7万2000人にものぼる人が伊勢神宮へ参った。また文政12年(1830)には500万人が伊勢参りをしており、当時の日本の総人口のうち6人に1人がこの年に伊勢参りをしたことになる。
(写真は おはらい町)

白鷹酒造 現代の伊勢参りは、観光バスツアーの団体客やマイカー利用者が多くなっているが、相変わらず根強い人気を保っている。昔から伊勢は「美(うま)し国」、すなわち美しくて美味しい食べ物がある国といわれていた。
 伊勢参りの楽しみは、江戸時代の川柳に「伊勢参り大神宮へもちょっと寄り」とあるように、遊廓のあった歓楽街へ行くのが楽しみな人もいた。現代もその心理状態は同じで、旅の途中で美味しいものを食するのが楽しみな人が多い。そんなグルメには伊勢エビ、サザエなど豊富な海の幸を使った料理が待っている。また伊勢神宮の神さまが召し上がる美味しい地酒もあり左党(辛党・酒好き)には堪えられないかもしれない。そんな伊勢参り客を迎えるのが内宮の入り口付近にある門前町。ここにはこれらの食通を満足させる料理店や土産物店が軒を連ねており、おかげ参りにあやかった「おかげ横丁」の名称の通りもある。
 伊勢の町を歩いて不思議に思うことがある。正月松の内を過ぎてもしめ飾りがかかっていることだ。伊勢のしめ飾りは「笑門(しょうもん)」とか「蘇民将来子孫門(そみんしょうらいしそんもん)」と書かれた門符(かどふだ)が付けられ、魔除けの役目を果たしているのでしめ飾りは1年中かけられている。
 この門符は遠い昔、みすぼらしい身なりの旅人が、村の長者の巨旦(きょたん)将来の家に一夜の宿を求めたがすげなく断られた。仕方なく貧乏暮らしの弟の蘇民将来宅を訪ねたら快く泊めてくれた。旅人はお礼に「蘇民将来子孫門」と書いた魔除けの門符を置いていった。この旅人は天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)だったとの伝説から、しめ飾りに門符をつける習わしが始まった。
(写真は 白鷹酒造)


 
天の岩戸(磯部町) 放送 1月11日(木)
天の岩戸の湧水 天照大神(あまてらすおおみかみ)が弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)の悪事に腹を立て、これをいさめるため天の岩戸に隠れてしまった神話は古事記などで有名。その天の岩戸と言われる洞窟は各地にあり、伊勢神宮の南の磯部町にも天の岩戸がある。
 磯部町の天の岩戸は伊勢神宮に通じる伊勢街道の途中、伊勢市との町境の逢坂峠に近い神路ダムのほとりの山中にある。天の岩戸に通じる石道はうっそうと茂る杉木立におおわれている。人がやっとくぐれるほどの天の岩戸の洞窟からは清水がわき出ており、付近は夏でも冷気に包まれ、神話の世界をほうふつとさせる神秘的な雰囲気が感じられる。
(写真は 天の岩戸の湧水)

石窟幽居の図 この鍾乳洞は地元では「恵利原の水穴」とも呼ばれており、この洞窟の最奥部まで行った人はいないと言う。この洞窟からわき出る水は日本名水百選に選ばれており、ウイスキーの水割り用とかお茶がおいしいとかで人気を集め、遠くからマイカーにポリタンクを積んでくみに来る人が多い。このわき水が流れ込んでいる神路川は別名“裏の五十鈴川”とも言われており、伊勢神宮との関わりが深い。
 天の岩戸の前には鳥羽の真珠王・御木本幸吉が植樹したクスノキの巨木がある。御木本もこの天の岩戸付近の雰囲気を好み、わき水を愛用していたのだろうか。
(写真は 石窟幽居の図)


 
伊雑宮(いざわのみや)(磯部町) 放送 1月12日(金)
伊雑宮 伊雑宮は伊勢神宮・内宮の別宮の中でも最も格式の高い神社で「いぞうぐう」とか「いそべさん」とも呼ばれている。天照大神 (あまてらすおおみかみ)を伊勢に鎮座した倭姫命(やまとひめのみこと)が、内宮への供物を採る御贄地(みにえち)を探して志摩の地を巡っていた時、この地を御贄地と定め社を創建したといわれている。今も毎年10月25日に山の幸、海の幸を伊勢神宮へ奉献する調献祭が行われている。また伊勢神宮の遥拝所でもあり、漁師や海女たちの信仰の篤い神社でもある。
(写真は 伊雑宮)

磯部太鼓 6月24日の伊雑宮の御田植祭は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、大阪・住吉大社、千葉・香取神宮の御田植祭とともに日本三大田植祭のひとつとして知られている。当日は御田植祭に奉仕する早乙女、立人たちが伊雑宮でお祓いを受けた後、神田で早苗取りや竹取りなどのパフォーマンスが繰り広げられた後、笛、太鼓のはやしに合わせて早乙女たちが田植えを行う。最後に「千秋楽の舞」を奉納して約6時間におよぶ御田植祭は終わる。
 御田植祭には、志摩の九鬼水軍の出陣太鼓が起源といわれる磯部太鼓が奉納される。 磯部太鼓は大きな太鼓を横置きにして5人が大ばち、小ばちで巧みに打ち鳴らす磯部の楽打ちと呼ばれる勇壮な太鼓。古くから盆踊り、雨乞いの時などに打ち鳴らされていたもので、今は近隣市町村のイベントや観光旅館の観光客に郷土芸能として披露されている。
(写真は 磯部太鼓)


◇あ    し◇
伊勢神宮外宮JR参宮線、近鉄山田線伊勢市駅下車徒歩10分。
伊勢神宮内宮、おかげ横丁JR参宮線、近鉄山田線伊勢市駅からバスで内宮前下車。
天の岩戸近鉄志摩線志摩磯部駅下車、磯部バスセンターからバスで天の岩戸口下車徒歩10分。
伊雑宮近鉄志摩線上之郷駅下車徒歩5分。
◇問い合わせ先◇
伊勢神宮司庁弘報課0596−24−1111
おかげ横丁(伊勢福広報室)0596−23−8811
磯部町役場企画観光課0599−55−3607

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会