月〜金曜日 21時48分〜21時54分


奈良・吉野 

 一目千本の桜や南北朝時代に南朝の皇居がおかれた吉野山、文人墨客が名所や旧 蹟を訪ねて足を運び、歌や俳句、小説の題材にするなど、その名が全国的に知られ、 歴史の足跡がいたるところに残っている奈良・吉野。2000年は修験道の開 祖・役行者(えんのぎょうじゃ)1300年忌に当たり、数々のイベントが計画さ れ、山伏姿の行者たちでにぎわっている。


 
金峯山寺(きんぷせんじ)  放送 6月5日(月)
金峯山寺蔵王堂 吉野山のシンボルの一つ、金峯山寺は飛鳥時代の天武天皇のころ、修験道の開祖 ・役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたと伝えられる金峯山修験本宗の総本山。役行 者1300年忌を迎えた今も、修験道の根本道場として修行する修験僧や信者たちが 多い。
 金峯山寺の本堂・蔵王堂は、わが国の木造建築としては奈良・東大寺の大仏殿に次 ぐ大きさ。度重なる火災で焼失し、現在の建物は天正16年(1588)に再建され たもので、入母屋造、桧皮ぶきで高さ34m。堂内には大小68本の自然木を使った 柱があるが、中でもツツジの巨木の柱が目を引く。
(写真は 金峯山寺蔵王堂)

金剛蔵王権現像(重文) 蔵王堂内にはわが国で最大と言われる厨子に、役行者が修行中に感得したと言わ れる巨大な3体の金剛蔵王権現像(重文)が安置されている。3体の金剛蔵王権 現像は中央の最も高い像が7.3mで、脇の像も約6mある。3体の金剛蔵王権現像 は過去、現在、未来の救済を象徴し秘仏になっている。役行者1300年忌に当たる 2000年は、6月7日まで公開され拝観することができる。
 吉野山から大峰山・山上ヶ岳にかけての山を金峯山と言い、そこに散在していた寺 を総称して金峯山寺と呼んでいた。奈良時代に山上ヶ岳の本堂とは別に、参詣に便利 なようにと吉野山に金剛蔵王権現を祭ったのが吉野蔵王堂。
(写真は 金剛蔵王権現像(重文))


 
吉水(よしみず)神社  放送 6月6日(火)
書院・後醍醐天皇王座(重文) 吉野は古代から近世まで歴史上の人物が多く足跡を残している。古くは壬申の乱 を起こした大海人皇子、源頼朝に追われた義経、南朝を建てた後醍醐天皇らが、山深 い地の利と修験道の吉野衆徒を頼りに難を逃れ、隠れ住んだ所でもある。
 吉水神社は延元元年(1336)、京を逃れた後醍醐天皇が最初に南朝の行宮を定 めた所で、ここから南北朝時代57年の歴史が始まる。今も吉水神社には「後醍醐天 皇玉座の間」があり、後醍醐天皇や南朝にゆかりの遺品などが神社に伝わっている。
(写真は 書院・後醍醐天皇王座(重文))

書院・義経潜居の間(重文) 鎌倉幕府設立の時の文治元年(1185)、兄・源頼朝に追われた義経は、静御 前と弁慶らを伴い吉野に潜入し、吉水神社にしばらく潜伏していた。神社には「義経 潜居の間」「弁慶思案の間」や義経らの遺品が残っている。義経が静御前と別れ、奥 州へ落ち延びる悲恋の舞台になった。文禄3年(1594)には豊臣秀吉が吉 水神社を本陣として盛大な花見の宴を開き、歌やお茶、能の会などを開いて豪遊、そ の権勢を示した。
 吉水神社は初めは役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた吉水院(きっすいいん)と 言う修験道の寺だった。明治維新後の神仏分離令で神社に変わった。正平3年(13 48)の兵火をまぬがれたため、国の重要文化財の書院を始め多くの文化財が残って いる。
(写真は 書院・義経潜居の間(重文))


 
吉野和紙  放送 6月7日(水)
吉野和紙の板張り乾燥 真っ白な和紙が干し板に張られ陽光を受けて光り輝いている。和紙の天日干しは 「紙すきの里」と呼ばれている奈良・吉野町国栖の風物詩となっている。谷崎潤一郎 も小説「吉野葛」でこの風景を描写している。
 吉野で壬申の乱で兵をあげた大海人皇子が、耕地の乏しい国栖の人たちの収入の道 として、紙すきの技術を教えたのが始まりと伝えられているが定かでない。吉野川の 清流と気候などが紙すきに適していた吉野に、紙作りの技術を持って大陸から渡って きた渡来人が定着しても不思議ではない。古くからの紙すきの技術は代々伝えられ、 江戸時代に最盛期を迎え100軒を超す家々で紙すきが行われていた。明治以後、洋 紙に押され、第二次世界大戦中はコウゾ畑がイモや麦畑に変わり紙すきはすたれた。 最近、和紙の良さが見直され需要も増え、伝統産業として10数軒が和紙作りをして いる。
(写真は 吉野和紙の板張り乾燥)

山灯り 和紙は48工程の手作業を経て生まれる。12月から5月ごろまでが和紙作りに 適した時期で、その中でも寒さの厳しい冬が、良質な和紙ができる最適期とされ、寒 さの中でつらい作業が続く。
 黒い表皮を取った白いコウゾの皮を、厳冬の吉野川の清流で何度も洗い、さらす作 業は大変だ。しかし、この作業を怠ると高級な和紙はできない。このようにつらくて 根気のいる48の作業工程を経て生まれた吉野和紙は、掛け軸、びょうぶ、ふすまな どの裏打ち紙などに使われる。国宝などの文化財の修理には。吉野和紙は欠かせない 存在。
 最近、吉野和紙は照明器具やインテリアの一部に使われたり、草木染めの上品な便せんやペーパークラフト用品としても人気を集めている。
(写真は 山灯り)


 
吉野葛(くず)  放送 6月8日(木)
吉野葛 葛は昔から葛湯にして病人や幼児の栄養食として与えたり、葛菓子や高級菓子の 原料として用いられ、日本の食文化と深いかかわりを持ってきた。谷崎潤一郎も小説 「吉野葛」のなかで取り上げている。
 吉野葛は山岳修行の山伏たちが、葛粉を携帯用の食料として持ち歩き、葛の根の皮 は薬用として用いていた。この修験者らが吉野葛をそれぞれ故郷へ持ち帰ったため吉 野葛の名が全国に広まり、葛といえば吉野葛と言われるほどになった。今でも奈良県 産の吉野葛は全国の生産量の半分を占めている。
(写真は 吉野葛)

くず菓子 吉野葛は葛の根を秋から冬にかけて掘り取り、水洗いした後、細かく砕き水中で でんぷんをもみ出す。このでんぷん交じりの水を大きな桶に入れてでんぷんを沈殿さ せ上水を流す。新たに水を加え混ぜ合わせ、沈殿させるという作業を8、9回繰り返 し、でんぷんの純度を高める。最後に沈殿したでんぷんを取り出し、日陰で2ヵ月ほ ど乾燥させたのが吉野葛。
 葛粉は高級菓子の原料や葛菓子として大半が使用されるが、一般家庭用としてはな べ物などに入れても煮崩れしない葛きりが代表的。ほかに葛もちや葛きりの水菓子な ど、懐かしい菓子が今も残っている。最近はコーヒーなどをアレンジした葛湯なども ある。
(写真は くず菓子)


 
吉野の秘湯  放送 6月9日(金)
吉野温泉元湯 近鉄吉野駅から瀬古川沿いに徒歩20分、又は吉野山の吉水神社から急な十三曲 坂を谷間に下ったところに「吉野の隠し湯」とか「内緒風呂」などと呼ばれていた吉 野温泉元湯の一軒宿がある。
 吉野温泉は今から300年前の江戸時代中ごろに発見された。吉野山の桜見物や史 跡探訪の客、大峰山修験道の修験者らでにぎわった。ところが肉食妻帯が禁じられて いた修験者たちが、湯治と偽って温泉で酒色にふけったため、修験道の役僧が閉鎖命 令を出したため、一時廃絶になった。しかし、密かに仮設浴場を設けて湯治客を迎え ていたので「隠し湯」とか「内緒風呂」などと呼ばれた。
(写真は 吉野温泉元湯)

吉野温泉元湯・客室 吉野温泉には文人墨客も多く訪れていた。島崎藤村が22歳の明治26年(18 93)の春、この温泉を訪れ、約1ヵ月余り滞在して「訪西行庵記」などの作品を執 筆している。旅館には今も藤村が滞在していた部屋や調度品が当時のままで残ってい る。
 人里離れた瀬古川沿いの樹林の中に、ひっそりと1軒だけたたずむ吉野温泉には秘 湯の雰囲気が漂っている。観光客でにぎわう吉野山の目と鼻の先に、このような静か な温泉があるのを知らない人が多い。吉野山の桜見物や観光、ハイキング、山歩きな どの拠点にしたり、都会の騒音から逃れて野鳥のさえずりを聞きながら静かに温泉に つかるには格好の場所とも言える。
(写真は 吉野温泉元湯・客室)


◇あ    し◇
金峯山寺近鉄吉野駅から吉野ロープウエイ吉野山下車徒歩10分。
吉水神社近鉄吉野駅から吉野ロープウエイ吉野山下車徒歩15分。
紙すきの里近鉄大和上市駅からバス窪垣内下車。 
吉野葛「八十吉本店」近鉄吉野駅から吉野ロープウエイ吉野山下車徒歩15分。
吉野温泉元湯近鉄吉野駅下車徒歩20分。 
◇問い合わせ先◇
吉野町役場経済観光課07463−2−3081 代
金峯山寺07463−2−8371 
吉水神社07463−2−3024 
吉野手すき和紙組合事務局07463−6−6958 
吉野葛店「八十吉本店07463−2−8739 
吉野温泉元湯07463−2−3061 


◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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