月〜金曜日 21時48分〜21時54分


福井・今庄町 

 今庄町は福井県のほぼ中央に位置し、周囲を峠に囲まれた町。南西部が滋賀県と接しており、古くから都と北陸を三つの峠で結ぶ交通の要衝の地であった。今もJR北陸線、国道365号、北陸自動車道が通過する交通の拠点になっている。こうした地理的な面から戦の舞台にもなり、古い山城跡や史跡が数多く残っている。今回は交通の要衝の町にふさわしい峠と宿場に焦点を当ててみた。


 
栃ノ木峠  放送 8月27日(月)
甲造り型民家(板取宿) 今庄町内に多くある峠のひとつが栃ノ木峠。栃の木が群生していることからこの名がついた。栃の木は町の木でもあり、峠には福井県の天然記念物に指定されている樹高25m、幹回り7mの栃の木の大木が大きな枝をはっている。天正6年(1578)福井・北の庄の城主だった柴田勝家が、主君・織田信長のいる安土へ直行できるよう道幅を広げ改修した。
 栃ノ木峠の麓の板取宿は、越前国の最南端の北国街道の入り口にあり、初代福井藩主・結城秀康以来、関所を設けて旅人を取り締まった所で、いまも当時のままの宿場のたたずまいが残っている。板取宿の民家は甲(かぶと)造りで、屋根を急勾配にした雪国に適した建て方である。二階を甲型にして通風、採光に適するように工夫した珍しい建物。
(写真は 甲造り型民家(板取宿))

今庄蕎麦(今庄そば道場) グルメには名物の今庄そばの味はまた格別。町内には町直営のそば道場があり、地元のおばちゃんたちの指導を受けながらそば打ちが体験できる。そば粉をこね、めん棒でのばし、包丁で切ってゆであげたそばには、作る人によってそれぞれオリジナルな味になる。
そば打ち体験には予約が必要で、費用は6食分の材料費を含め2000円。
(写真は 今庄蕎麦(今庄そば道場))


 
木ノ芽峠  放送 8月28日(火)
茶屋番前川家 標高628mの木ノ芽峠は、平安時代初期の天長7年(830)に開かれた官道である。木ノ芽峠付近には数多くの史跡が残っており、天然の要塞が活用され戦の舞台にもなった。周辺には城塞群が今も残っている。
 この峠を紫式部や道元、親鸞が通り、戦国時代には周辺の山々にいくつもの城が築かれた軍事的な拠点となり、新田義貞、織田信長、羽柴秀吉らの武将が大軍を率いて通り過ぎた。江戸時代は俳聖・芭蕉が峠の石畳を踏みしめながら峠を越えた。
(写真は 茶屋番前川家)

木の芽団子 つづら折りの急な道をあえぎながら峠にたどり着いた人々は、ここで送り送られ別れを惜しんだ。永平寺から京へ向かう道元禅師が弟子と別れを惜しんだのもこの峠で、道元禅師碑や弟子との別れを詠んだ歌碑が立っている。
 木ノ芽峠には茅ぶき屋根の峠の茶屋がある。平安時代中期の武将・平貞盛を祖先とする茶屋の主人・前川永運さんは43代目。前川家には天正元年(1573)羽柴秀吉が浅倉討伐の時に立ち寄り、この茶屋で兵を休めた。その時、秀吉から拝領した重さ40kg、高さ39cm、直径44cm、口径23cmの陣中釜は、明治天皇もご覧になり“金の茶釜”と呼ばれる逸品である。
 前川家の祖先は戦国武将として各地に転戦したが、26代義次の時、木ノ芽峠に定住した。越前藩主が仕官を勧めたが辞退し、茶屋番・山回り役として峠に残った。単なる峠の休憩所の茶屋ではなく、通行人の監視や吟味、福井藩所有の山林の管理、監視役の山回り役も務めた。
(写真は 木の芽団子)


 
山中峠  放送 8月29日(水)
往還一里塚 都と北陸を結ぶ三つの峠のうち、一番北側の山中峠は奈良時代の旅人たちが利用した最古の北陸道であり、万葉集の歌にも詠まれている。鹿蒜(かひる)川に沿って登り、幾重にも連なる南条山地を越えるのは、当時の旅人にとっては最大の難所であった。まして雪深い冬の峠道は旅人を悩ませ、厳しい自然との戦いの旅であった。平安時代初めの天長7年(830)木ノ芽峠が開かれてからは、旅人たちの通行はそちらへ移った。今も山中峠には古代の旅人の苦労をしのばせる古道が、樹林の中に残っている。
 明治26年(1893)から北陸本線の敷設工事が進められ、山中峠の直下に大変な難工事の末に山中トンネルが掘削された。山中トンネル付近では蒸気機関車が急勾配を登る光景が見られた。今や新しい北陸トンネルが開通し、旧北陸線は廃線になり、道路として使われている。
(写真は 往還一里塚)

梅肉(高野由平商店) 今庄宿の南端に「文政の道しるべ」があり、右が山中峠を越える古代の北陸道に通じ、左が栃ノ木峠を越えて近江国・木之本へ通じる近世の北陸道(北国街道)である。この道しるべの近くにあるコツラの清水は、今も年中冷たい水がこんこんとわき出ている。この泉の水を飲み、泉に祭られいる不動明王に祈れば安産すると言われていた。山中峠を越えてきた旅人たちもこの清水で一息ついたことであろう。
 今庄町内にある往還一里塚は、江戸時代初めの慶長9年(1604)徳川2代将軍秀忠が、各街道に一里(4km)ごとに目印として塚を作ったうちのひとつ。塚は約5間(約9m)四方の古山のような形をしており、頂上にエノキ、マツ、ケヤキなどの木を植え遠くからでもよく見えるようにした。
  宿場町の情緒が漂う今庄町内には古い民家の町並みが残り、ゆっくり散策するのも面白い。赤レンガを使った酒蔵を持つ造り酒屋など酒造業も盛んで、左党にはうまい地酒が楽しめる。茶釜でわかした湯で茶を入れ名物の梅肉をお茶請けに出す店もある。
(写真は 梅肉(高野由平商店))


 
今庄宿  放送 8月30日(木)
京藤甚五郎家 今庄宿は昔から福井から京、江戸へ向かう旅人が最初に宿泊した宿場だった。また越前各藩が江戸参勤の折に利用するのに本陣を置き、江戸時代には最も繁栄した宿場であった。今も今庄町内には、先を見通しにくくした道や、昔風の家屋が数多く残っており、繁栄していた江戸時代の宿場町の面影をうかがうことができる。その中の京藤家は天保年間(1830〜44)に建てられた脇本陣格の建物で、幕末、攘夷をとなえ京へ向かった水戸天狗党が乱闘の時に柱につけた刀傷が、今も生々しく残っている。
(写真は 京藤甚五郎家)

鮎鮨 今庄町の古い民家で目立つのが「卯建(うだつ)」。建物の両側に「卯」字形に張り出した小屋根付きの袖壁を卯建と言い、装飾と防火を兼ねている。商売が繁盛、繁栄している家はこの卯建をあげる。卯建があげられない家は景気のよくない家とされた。現代でもいまいちパッとしない場合に「ウダツがあがらない」と言う。
(写真は 鮎鮨)


 
湯尾峠  放送 8月31日(金)
孫嫡子守り札 今庄町から福井方面に通じるのが湯尾(ゆのお)峠。木曽義仲が陣を張って以来、鎌倉時代から戦国時代にかけて数々の戦の舞台となり、近くに湯尾城跡が残っている。湯尾城は尾根の上に主要な郭を連ねた山城で、城の規模は東西約300m、南北50m、面積は約1万5000平方mもあった。
(写真は 孫嫡子守り札)

茶飯 湯尾城跡がある湯尾峠には飛鳥時代からの古い伝説がある。子供がいないのを嘆いていた峠の茶屋の老夫婦が、旅の途中の修験道の祖・役小角(えんのおずぬ)に「子が授かるように」と頼んだ。その法力によって15歳ぐらいの少女が道に迷って茶屋にやってきた。老夫婦は娘として育て、少女がご飯が自然に出てくる鍋を携えていたので鍋倉と呼んだ。さらにその年の暮れ、17歳くらいの少年が茶屋に来た。鍋倉と夫婦になりひとりの子が生まれ、この子を孫嫡子(まごちゃくし)と呼んだ。この子は奈良・東大寺で出家、この地に戻って仏教を広めたと言うのがこの地に伝わる伝説。
 湯尾峠には小さな祠(ほこら)の孫嫡子神社がある。孫嫡子が両親を祭った神社と言われ、昔は峠の茶屋では疱瘡(ほうそう)封じの孫嫡子守り札を売っていた。今は茶屋もなくなりこの守り札も姿を消し、今庄町内の古い家にわずかに残っている。
(写真は 茶飯)


◇あ    し◇
栃ノ木峠、木ノ芽峠JR北陸線今庄駅からバスでやすらき温泉下車
 徒歩1時間。 
山中峠JR北陸線今庄駅から住民利用バスで大桐下車
 徒歩1時間。 
湯尾峠JR北陸線今庄駅から
住民利用バスで湯尾小学校前下車 徒歩40分。
今庄宿町並みJR北陸線今庄駅下車。 
そば道場JR北陸線今庄駅から住民利用バスで大門下車
 徒歩3分。 
いずれもバスの便が少なく、日曜、祝日は運休の路線もあるので、
事前の確認が必要。
◇問い合わせ先◇
今庄町商工観光課0778−45−1111 
今庄町観光協会0778−45−0074 
今庄そば道場0778−45−1385  

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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