月〜金曜日 21時48分〜21時54分


奈良・天川村 

 平均標高620mの天川村の夏は涼しく、関西の軽井沢とも言われており、避暑 を兼ねた観光客やハイカーたちが多い。天川村洞川(どろがわ)は修験道の根本道場 ・大峯山寺への登山口として古くから知られ、山伏姿の行者たちや大峰山系への登山 者でにぎわう。村内には修験道に関わる文化財や社寺も多い。


 
大峯山寺  放送 10月2日(月)
大峯山寺 大峰山系の山を総称して大峰山と呼んでおり、その主峰・大峰山(1719m)は正式には山上ヶ岳と言い、修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた修験道発祥の地で、以来1300年間、修験道・根本道場の霊場として今も女人禁制を守り続けているが、一部には女性差別との批判も出ている。
 頂上には大峯山寺があり、毎年5月3日の戸開式から9月23日の戸閉式までの間、山伏姿の行者たちが山頂の大峯山寺を目指して登る。数百メートルの谷底へ身を乗り出す西ののぞきや険しい岩場を歩く表行場、裏行場などで行に励んでいる。
(写真は 大峯山寺)

九重守 大峯山寺本堂(国・重文)は、わが国で最も高い所にあり、しかも最大の木造建築である。7世紀末の天武天皇の時代に役行者が苦行の末、金剛蔵王大権現を感得して蔵王堂を建て、修験道を開いたのが始まりと言われている。
 奈良時代の天平年間に行基(668〜749)が大改築を行った。また、行基は参詣困難な山頂の蔵王堂に代わって、山下にも蔵王堂を建てたのが吉野蔵王堂。(行基・奈良時代の僧。社会事業に従事し、奈良大仏の建立に貢献) 
  戦国時代の天文年間(1532〜1555)に一向宗と争って山上の本堂や36の宿坊は焼失してしまった。現在の本堂は江戸時代の元禄4年(1691)に再建されたもので、その後、増改築が行われ現在の規模になった。本堂内陣には本尊の蔵王権現像と役行者像がまつられている。昭和58年(1983)から本堂の解体修理が行われ、その時、内陣地下から純金製の阿弥陀如来座像(2.85cm)と菩薩座像(3.13cm)の2体の仏像が出土した。
(写真は 九重守)


 
龍泉寺  放送 10月3日(火)
竜王の滝 大峯山の麓、天川村洞川(どろがわ)温泉は湧水群に恵まれた名水の里でもある。大峯山寺の護持院のひとつ龍泉寺は、大峯山で修行中の役行者(えんのぎょうじゃ)が洞川に下り泉を見つけ、そのほとりに八大龍王尊をまつって修行をしたのが寺の始まりと伝えられ、龍王と泉から龍泉寺の寺名が生まれた。
 その後、修験道の中興の祖と言われる理源大師が寺を再興し、真言宗醍醐派の別格本山となり大峯山寺への登山口の修験道・根本道場として、行者たちの修行の場となっている。
(写真は 竜王の滝)

水行場 境内には役行者が発見した泉が竜ノ口からわき出ており、霊水をたたえた池の水行場で大峯山へ入る行者たちは水行をして心身を清め、気持ちを新たにして入山する。
 境内には本堂、八大龍王堂、彦根城の大正天皇行在所を移築した便殿などが建ち並んでいる。本堂には本尊の蔵王権現の本地仏弥勒菩薩像と修験道の開祖・役行者像、中興の祖・理源大師像、この寺で修行した弘法大師像がまつられている。
 境内裏の龍泉寺山は樹齢数百年の大木が茂る原生林で、吉野熊野国立公園洞川自然 研究路が通じており、天然の高山植物園とも言える。また、境内は春はサクラ、初夏 はシャクナゲ、秋は紅葉に彩られ、龍泉寺を訪れる参詣者の目を楽しませている。
(写真は 水行場)


 
陀羅尼助  放送 10月4日(水)
陀羅尼助 大峯山へ参詣する行者や大峰山系への登山者らの登山基地の町として栄えたのが天川村洞川温泉。その通りを歩くと旅館や土産物店と並んで「陀羅尼助(だらにすけ)」の看板を掲げた店が目につく。電柱にも陀羅尼助の看板がかかっている。昔から洞川で作られてきた和漢胃腸薬の陀羅尼助で、根強い人気がある。
 役行者(えんのぎょうじゃ)が疫病で苦しむ人を助けるため、山中に自生していた黄柏(おうばく)の木の皮を煎じて飲ませたのが始まり。その製法を洞川の村人に教えたのが今に伝わっていると言われている。以前は洞川の各家で、家内工業的な手法で製造、販売していた。薬事法の改正で製薬場を一本化するため、昭和56年(1981)から13軒が集まって大峯山陀羅尼助製薬有限会社を作り、近代的な設備による製薬を始めた。
(写真は 陀羅尼助)

黄柏 陀羅尼助は黄柏の木の皮を主原料にガジュツ、ゲンノショウコを混ぜ合わせ、あめ状になるまで煮詰めたエキスを直径4ミリほどの丸薬にした胃腸薬。苦い黄柏の皮を主原料にしているのですごく苦い薬だが、食欲不振や胃もたれ、胸やけ、吐き気、二日酔いなどに効くと修験道の行者らに愛用されている。
 陀羅尼助の名前の由来は2説ある。ひとつは役行者が陀羅尼経を唱えながら人々の病を治したと言う説。もうひとつは長い陀羅尼経を唱える時、お坊さんが居眠り防止のため苦い黄柏の木の皮を口に含んだとの説。いずれにしても陀羅尼経に関わりを持ち、人の病を治すことにあるようだ。
(写真は 黄柏)


 
大峯本宮天河大弁財天社  放送 10月5日(木)
能舞台 修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が、大峯山で修行中、修験道の本尊・金剛蔵王大権現に先立ち、最初に感得した弁財天を大峯山の鎮守として弥山にまつった。天武天皇が弥山の弁財天を現在の地に移したのが天河大弁財天社の始まりと伝えられている。
 空海は中国・唐から帰国後、高野山を開く前に大峯山で修行しており、主な修行の場が天河大弁財天社だった。空海が唐から持ち帰った密教の法具「五鈷鈴(ごこれい)」など、空海の遺品が伝わっている。
(写真は 能舞台)

能面 天河大弁財天社は芸能の神としても知られており、芸能関係者の参拝も多い。特に能楽との関わりが深く、本殿前には立派な能舞台がある。室町時代中ごろ能楽の世阿弥(観世元清)の長男元雅(十郎)が、祈願成就の能楽を奉納、能面も寄進している。その後、桃山、江戸時代にかけて能面や能装束の寄進が続いた。
 神社には室町時代から桃山、江戸時代にかけての能面31面、能装束30点のほか、能の小道具、能楽謡本など能楽関係の資料が数多く保存されている。毎年7月17日の例大祭には観世座が能を奉納している。
(写真は 能面)


 
鍾乳洞  放送 10月6日(金)
鍾乳洞内部 天川村洞川(どろがわ)温泉は代表的なカルスト地形(石灰岩台地)で洞穴が多い。その代表的なものが面不動鍾乳洞と五代松鍾乳洞。いずれも奈良県の天然記念物に指定されており、洞穴の中は夏でも肌寒く、気の遠くなるような年月をかけてできた鍾乳石や炭酸カルシウムを含んだ水が滴り落ちてタケノコのようになった石筍(せきじゅん)が、幻想的な光景を作りだしている。
 面不動鍾乳洞は長さが約150mあり、洞内から千年以上たったニホンザル、テン、カワウソなどの骨が発見されている。五代松鍾乳洞は洞口が2ヵ所あり、長さは約80mで洞内の一部が2段になっており、変化に富んだ鍾乳洞である。
(写真は 鍾乳洞内部)

名水とうふ作り 洞川はこの石灰岩の地層から水がいたる所からわき出ており、名水の里としても知られている。「ごろごろ水」「神泉洞」「泉の森」の3つは、神の水として大切にされてきており日本名水百選にも選ばれている。これらの名水の愛用者が、車にポリタンクを積んで遠方からくみにきている。
 山からわき出た水が集まって流れる山上川の流れを庭園の池に取り込んでいる旅館もある。清流にはイワナ、アマゴなどの渓流魚が多く生息しており、洞川の温泉旅館で出るこれらの川魚料理が宿泊者らから人気を集めている。水の善し悪しで味が決まると言われるとうふ作りも洞川の名物になり、名水を使った「名水とうふ」が観光客らの人気を集め、発泡スチロール入りの土産用とうふも登場している。
(写真は 名水とうふ作り)


◇あ    し◇
大峯山寺近鉄吉野線下市口駅からバス洞川温泉(1時間20分)下車徒歩約4時間。 
龍泉寺、面不動鍾乳洞近鉄吉野線下市口駅からバス洞川温泉(1時間20分)下車徒歩5分。 
五大松鍾乳洞近鉄吉野線下市口駅からバス洞川温泉(1時間20分)下車徒歩20分。 
大峯本宮天河大弁財天社近鉄吉野線下市口駅からバス坪内(1時間30分)下車、徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
天川村総合案内所0747−63−0999 
大峯山洞川温泉観光協会0747−64−0333 
龍泉寺、大峯山龍泉寺宿坊0747−64ー0001 
陀羅尼助製薬有限会社0747−64ー0848 
大峯本宮天河大弁財天社0747−63ー0558 
面不動鍾乳洞0747−64ー0352 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

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     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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