月〜金曜日 21時54分〜22時00分


 世界遺産の法隆寺をもつ斑鳩地方は,かつては、のどかな里であったが、近年は大ぶん様変わりをしている。それでも聖徳太子の時代をしのぶことが出来るとっておきの場所である事に変わりはない。
 聖徳太子の時代に建てられた法隆寺伽藍は670年に一度焼けたといわれるが、すぐに再建され、整った伽藍配置が見られる飛鳥時代寺院で唯一のものである。飛鳥時代建築と共に、寺は各時代にわたる多数の寺宝を抱え、正倉院と並んで文化財の飛び切り多い寺である。中世から聖徳太子信仰が盛んになり、その本拠地として法隆寺は守られてきた。
 法隆寺の五重塔(国宝)は飛鳥時代の特徴で軒の出が深く、各層の軒高が上の階ほど低くなる、逓減比がまことに心地よいバランスを保っている。これと並んでかつては斑鳩の三塔と呼ばれる法輪寺の三重の塔、法起寺の三重の塔(706年建立、国宝)の3つの飛鳥時代の塔が見られたが、昭和19年の雷火で法輪寺の塔が炎上して、一時は2つの塔しか見られなかった。作家の幸田 文さんなど関係者の大変な努力で、法輪寺の三重の塔は再建され、再び斑鳩で三塔が見られるようになった。
 また、斑鳩には近年発掘調査され、すばらしい馬具などが出土した未盗掘の藤ノ木古墳、なんともいえない優美な如意輪観音のある中宮寺、厄除けで有名な松尾寺、石州流の茶道本家で、雄大な大和平野を借景にとりいれた慈光院庭園などバラエティーに富んだ観光の楽しめる地である。


 
法輪寺 放送 11月29日(月)
法輪寺境内 法輪寺は法琳寺とも書き、またの名を三井寺という。寺の北方、旧境内であった処に古井戸があり、[赤染めの井」といわれ、聖徳太子が子の産湯をつかわせる為に掘った、3つの井戸の一であると伝えられている。村の地名も三井となっている。井戸は下方が乱石積み、上部が磚(せん)積み(れんがのような平たい石)」で出来ている。井戸の上には屋根がかけられている。
 法輪寺の創建は聖徳太子の子、山背大兄王(やましろのおおえのおう)が推古30年(622年)に太子の病気平癒を祈って建てたといわれている。創建に関してはもう1つの説があり、670年に百済の僧、円明法師などが建てたという。いずれにしても平安時代が最盛期であったと思われる。
 発掘調査の結果によると、この寺は法隆寺西院伽藍の2/3の規模であったし、瓦の文様も法隆寺によく似た模様であったといわれる。
 

法輪寺・三重の塔 寺の中門を入ると左に昭和19年雷火で焼け、その後昭和50年に飛鳥様式で再建された三重の塔があり、右に金堂(江戸時代)、正面に鉄筋コンクリートの宝物館がある。宝物館内には法隆寺の百済観音によく似た姿の虚空蔵菩薩立像(こくぞうぼさつ、飛鳥時代、重文)、薬師如来坐像(飛鳥時代後期、重文)十一面観音立像(平安時代後期、重文)などがずらりと並んでいる。虚空蔵菩薩は愛すべき飛鳥仏で、それ程整った像容ではないが、愛くるしい姿で人気のある仏像である。また、十一面観音は特別目が大きいので、眼病に霊験ありと信仰する人が多い。


 
西里(にっさと) 放送 11月30日(火)
西里の村のたたずまい 法隆寺の西院から西大門を出ると、そこは西里の集落である。かつては法隆寺に所属する宮大工たちの住む村であったが、先年亡くなられた西岡常一棟梁を最後に、この村に宮大工はいなくなってしまった。
 

西里の村 村は築地塀と大和棟の家並みが続く60戸ほどの落ち着いた村で、このような村を構成するほど多くの宮大工が法隆寺等の建築を修理し支えて来たことを偲ばせてくれる。


 
在原業平 放送 12月1日(水)
在原業平画像 在原業平は、平城天皇の子、阿保親王の五男で平安時代初期の古今集時代の有名な歌人であり、6歌仙・36歌仙の一人である。伊勢物語の中に歌われている歌は業平の作で、これに物語をつけ加えたものであるといわれている。女性関係の話題が多い人で、天理市の櫟本(いちのもと)から河内の高安の河内姫のもとへ通ったとされる業平道が法隆寺近辺にある。詳しい経路は法務局出張所前に説明板に書かれている。
 
 
  

在原業平姿見の井戸・五百井戸 伝説によると河内の姫のもとを訪ねた業平が、姫の家の中をのぞくと、姫は御飯の残りをしゃもじで掬い、そのまま口に入れていた。これを見た業平は逃げ帰ったが、気づいた姫が追いかけてきた。業平は五百井戸の傍の木にのぼって隠れていたが、追いついた姫は井戸の底に映る業平を見て井戸に飛び込んでしまった。業平道と伝える道は、法隆寺前を横断して東西に走るのがそれだと伝えられる。


 
中宮寺(ちゅうぐうじ) 放送 12月2日(木)
如意輪観音菩薩半跏思惟像(弥勒菩薩) 法隆寺の東院夢殿の東側に沿うように中宮寺がある。簡素な尼門跡寺院で、元は斑鳩尼寺と呼ばれた。聖徳太子が母の穴穂部間人(あなほべはしひと)皇后の為に建立したと伝えられる。元の寺地は現在の寺の東500mにあったが、発掘によって塔、講堂、金堂が縦一列に並ぶ四天王寺式伽藍配置であったことが確認された。その後寺は長らく衰退していたが、桃山時代末の1602年に門跡寺院として再興された。
 現在の本堂は昭和43年に吉田五十八氏の設計によって建てられたもので、鉄筋コンクリートの耐震建築になっている。
 寺には掛け替えのない寺宝が2つある。1つは飛鳥時代の弥勒菩薩半跏像(国宝、飛鳥時代)である。寺では如意輪観音と伝えられているが、一般には弥勒菩薩であるといわれている。真っ黒な肌になっているが、かすかな笑みをもらす尊顔は真に硬さのない、優美な線で彫られ、ほんわかと我々を包み込んでくれる仏像である。もとは金属透かし彫りの宝冠や胸飾りによって荘厳されていた。広隆寺の弥勒と時代もほぼ同じで、双璧を為す仏である。
 

天寿国繍帳残闕 もう1つの寺宝は天寿国繍帳残闕(てんじゅこくしゅうちょうざんけつ、飛鳥時代、国宝)である。絹地に色糸で人物や草木を刺繍したもので、聖徳太子の死後、妃の橘大女郎(たちばなのおおいらつめ)が太子の往った天寿国を偲んで渡来系の人たちに画かせ、織らせたものであるといわれる。刺繍の作品が飛鳥時代から今に伝えられていることは稀有のことであり、もとは4m×2mのものが2枚あったが、残ったものを現在は1m四方にまとめられている。元は、法隆寺の宝蔵にあったのを鎌倉時代に見つけ出して修理し、中宮寺に収まったという経緯がある。
 中宮寺にはこの他、紙製の文殊菩薩像(鎌倉時代中期、重文)がある。ほかには例のない珍しい仏像である。


 
松尾山(補陀落山)・松尾寺 放送 12月3日(金)
松尾山三重の塔 法隆寺の裏山、矢田丘陵の南端中腹に厄除けの寺として有名な松尾寺がある。矢田寺から南へ縦走してもいいが、法隆寺から裏のゴルフ場の中を抜けて行く松尾道が近い。表の参道は大和小泉の方から西に向ってついている。
 

松尾山の紅葉 この寺は古く奈良時代の養老2年(718年)に舎人親王(とねりしんのう)が自身の42歳の厄除けと編纂中の日本書紀の完成を祈願して建てられた寺であるといわれている。寺では日本最古の厄除け寺として千手観音(秘仏、県文)を祀り、また、松尾山神社と併せて神仏習合、修験道の寺でもある。
 寺の境内には、本堂(1334年南北朝初、重文)、三重の塔、大黒堂、宝物館などがあり、他に石造十三重塔(鎌倉時代)、バラ園などがあり、寺宝には大黒天像(鎌倉時代、重文)、虚空蔵菩薩像(重文)、十一面観音像(重文)などがある。
 境内の一部にバラ園が設けられ、5月10日ー6月10日に一般公開される。また、3000株のさつきも群生しており、初夏の頃に訪れると楽しみが多い。また、3月の初午の日には厄除け大祭が実施され、近在からの人々でにぎわう。


あ  し


 法輪寺へはJR大和路線法隆寺駅から徒歩35分、または近鉄橿原線大和郡山から奈良交通バス中宮寺前下車徒歩10分
 法起寺へは、JR大和路線法隆寺駅から徒歩40分、または近鉄橿原線大和郡山から奈良交通バス法起寺口下車徒歩10分
 法隆寺へはJR大和路線法隆寺駅から徒歩25分、または近鉄橿原線大和郡山から奈良交通バス法隆寺前下車徒歩10分
 中宮寺へは法隆寺夢殿から東方すぐ
 松尾寺へは、近鉄橿原線大和郡山または、JR大和小泉駅から
奈良交通バス松尾寺口下車徒歩40分
 慈光院へはJR大和小泉駅から徒歩15分
 藤ノ木古墳へは、法隆寺から西へ徒歩5分
 五百井戸(業平姿見の井戸)へは、法隆寺の西南へ徒歩15分の斑鳩町役場前から国道25号を渡ったところにある
 吉田寺(きちでんじ、通称ぽっくり寺)へはJR王寺駅または近鉄橿原線大和郡山駅から奈良交通バス龍田神社前下車南へ徒歩5分
 龍田川へはJR王寺駅から奈良交通バス龍田大橋下車すぐ北
 
見どころ


 法隆寺、(百済観音堂が新築された)
 中宮寺、(弥勒菩薩、天寿国繍帳)
 慈光院(庭園)
 法起寺(三重の塔)
 法輪寺(虚空蔵菩薩、三重の塔)
 松尾寺(本堂、三重の塔、十三重の石塔)
 西里の村
 藤ノ木古墳(非公開)
 五百井戸(業平姿身の井戸)
 吉田寺(ぽっくり寺)
 富本憲吉記念館(安堵町)
 竜田川の紅葉


味・土産
 
 大和郡山・菊屋の城の口餅
 東の里(夢殿の北にあるおふくろ弁当、茶がゆの店)
 慈光院(精進料理、茶そば、精進料理は要予約)


問い合わせ先


 斑鳩町観光協会(法隆寺
i センター)     0745−74−6800
 斑鳩町役場観光課               0745−74−1001
 法隆寺                      0745−75−21555
 中宮寺                      0745−75−2106
 法起寺                      0745−75−5559
 法輪寺                      0745−75−2686
 松尾寺                      0743−53−5023
 慈光院                                             07435−3−3004

 吉田寺                      07457−4−2651

 富本憲吉記念館                07435−7−3300


◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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