月〜金曜日 21時54分〜22時00分


 奈良は都がこの地に移る以前から春日氏(和珥氏)の本拠地で、春日神社の後方にある三角錐型の御蓋山(みかさやま、現在は春日原生林と呼ばれることもある)が土地の神奈備(雨を降らせる農耕神のご神体)として、崇拝されていたようだ。春日神社の土地が756年の東大寺堺四至図に神地と記録されている。この時若宮が今の本殿の地にあったと思われる。717年に遣唐使が御蓋山の南で神祇を行ったという記録もある。
 藤原氏によって768年、御蓋山の麓に春日神社が営まれ、四柱の神(鹿島、香取、天児屋根命、少し遅れて比売神(ひめがみ)が祀られた。春日大社の神紋は藤である。昔は春日神社と称されていたが、昭和21年に春日大社と改称した。
 
 春日大社の本殿前の南門(楼門、南北朝1385年、重文)から南へ、御間道(おあいみち)を2−3分も行くと、春日若宮の神前に出る。春日若宮の最初の社殿造営は平安時代後期の1135年であるといわれる。旱魃に悩んでいた年であったといわれるが、降雨祈願という表向きの理由よりも、興福寺の衆徒(僧兵)が春日神社を掌握することで、大和7大寺の間で主導権をにぎり、大和一国の支配を望んだ。これが真の若宮創建の理由であると思われる。若宮には天児屋根の命の子、天押雲根神を祀るというが、雨を降らせる古い土地の農耕神、御蓋山信仰の復活が図られたともいえる。この頃盛んになってきた神仏習合の思想と相まって、興福寺が神宮寺としての春日神社支配を次第に強めて行く。翌年の1136年には「おん祭り」が始まり、催しには興福寺の衆徒が主導権をもって当たった。


 
奈良春日大社・若宮神社 放送 12月13日(月)
春日大社・若宮社殿 藤原氏によって768年に造営された春日大社の神殿は、4つの本殿があり、春日造りといわれる造りである。妻側を正面にして下屋庇には向拝(こうはい)を張り出し、正面に階段を設ける。柱などを朱塗りで彩色する造りで、若宮の社殿もこれに習っている。本殿には鹿島の神(常陸)、香取の神(下総)、天児屋根命(河内枚岡)、比売神(ひめがみ、渡来系の神であるといわれる)の4柱が祀られ、若宮には天児屋根命の子、天押雲命(あめのおしくものみこと)を祀っている。元の若宮は奈良に都が移る以前からのこの地の先住の神である。本来の若宮の神体は後方にある御蓋山(三笠山とも書く、若草山のことではない)で、和珥(わに)氏が祀ったこの土地の古くからの農耕の神であったと考えられる。現在も御蓋山原生林の頂上の浮雲嶽に春日本宮神社が祀られている。若宮に社殿が創建されたのは平安後期の1135年である。現在の春日大社の社殿は江戸時代末の1863年に建て替えられたもので国宝。若宮の社殿も江戸時代の再建で重文。
 
 

若宮社殿の絵図 平安時代に藤原氏の隆盛と共に春日神社は栄えたが、神仏習合の思想が起こって仏寺の勢力が強くなり、興福寺の支配する処となった。興福寺の僧兵は度々都に春日の神木を奉じて強訴したといわれている。
 春日大社に参詣する人も、若宮まで足をのばす人は少ないので、境内は静かである。春日大社本殿から若宮までの道中を御間道(おあいみち)と呼んでいるが、1800基ある春日大社の燈篭のうち、一番古い平安時代の関白、藤原忠通の寄進になるという「柚の木(ゆのき)灯篭」(平安後期1137年、重文)が御間道にある。傷みが激しいので現在は複製に代わっているが一見の価値ありである。もう一つの古い灯篭は四角い竿をもつ御間型(おあいがた)石燈篭(1323年、重文)で、木製の格子状火袋をもつ。御間道には御間型石燈籠が多い。
 春日大社の参道には、併せて1800基の石灯篭と1000基の釣燈籠があるといわれているが、これら全部に灯が入るのは節分の日と8月15日の年2回で、万灯会(まんとうえ)といわれ、参道や境内一帯に幽玄な趣を醸し出す。


 
春日若宮おん祭 放送 12月14日(火)
御まつりで使われる大太鼓(だだいこ) 春日大社若宮のおん祭は大和最大の祭りであり、4日にわたって繰り広げられるページェントである。1136年に始まり900年近い歴史をもつ祭りである。1975年に重要無形民俗文化財に指定された。主な祭りの行事は元は旧暦9月17日に行われたが、明治になってからは新暦の、12月17日に行われる。この日の午後1時頃に三条通りから「一の鳥居」に向かって祭りの行列が進む。先頭には束帯姿の奉祝会長が馬に乗って先駆けする。ややあって、藤原忠通の代理に扮する日使(ひのつかい)が黒の束帯、冠に藤の造花をつけて関白の姿でやはり馬でゆく。これに侍者や白丁、沓持ちが護り、風流笠を挿し掛ける。行列は進んで芸能団体の順番となる。細男(せいのお)が馬上で笛、鼓を奏する。次に猿楽の一座。金春座の3人が翁の装束で囃し方を従えて連なる。つづいて田楽座が五色幣を先頭にびんささら、太鼓、笛吹きが続く。笛吹きは大花笠に鳥居や高砂の尉(じょう)と姥の人形を付けたものをかぶる。その他珍しいのは、野太刀(約5.4m)、中太刀、長刀などの武器を担いだ行列で、大和侍(鎌倉時代の武士)を従えて大名行列の様を呈する。金棒、先箱、弓、長刀、駕籠、長柄傘、後箱などの江戸時代の武家の風俗は、郡山・高取藩の警護の状態を表現したものであろう。槍持ちが奴姿で毛槍や大鳥毛を持ち上げて投げ、手を持ち替えるのが楽しめる。

御まつりで用いられる舞楽衣装 行列は一の鳥居をくぐった右にある影向の松(ようごうのまつ)の前で、「松の下式」の行事をとり行う。奏楽、細男、田楽、能の翁が演ずる「弓矢の立会い」などが演じられ、松の下式を終えた行列は、奈良国立博物館の南にある「お旅所」に向い、3時頃には、お旅所前の広場、行宮斎庭(あんぐういつきのにわ)に入る。お旅所前にある、相撲の土俵に似た芝生張りの舞台で祝詞、奉幣、神楽、倭舞、東遊(あずまあそび)などの神事を皮切に田楽、細男、猿楽、舞楽などの芸能が次々に奉納され、夜半に及ぶ。様様な芸能とその装束を見ることが出来、さながら芸能史を見る思いがする。
 お旅所の建物は毎年建て替えられる。皮の付いた黒木の柱に杉の葉で屋根を葺いた仮殿で、10月1日の縄棟の儀に始まり、12月11日の釿始めの儀にかけて造営される。
 12月15日は大宿所(餅飯殿通りにある)で春日講に奉仕する人たちが参篭し、大和士関係の装束などを飾り、雉や兎などの奉納物が竿に掛けて並べられる。懸鳥の儀といわれている。
 若宮の神の霊代は、お旅所に12月16日の夜半零時に神官達によって送り込まれ、17日はお旅所に鎮座し、夜半の零時頃には再び霊代が神官達によって護られながら若宮の本殿に送り返される。お旅所24時間を越えてはいけないことになっている。
 明くる18日には、お旅所に神は不在で、後の宴は純粋に芸能を人々に見てもらうためのもので、金春座の能3番と狂言2番が催される。 


 
のっぺ 放送 12月15日(水)
春日大社参道の石燈篭 おん祭りの行列などに奉仕する春日講の人たちが参篭する大宿所(餅飯殿通りにある)には、献菓子や昔の流鏑馬の衣装などが飾り付けられている。なかでも大型の餃子のような揚げ菓子「ぶと」は米粉を油で揚げた菓子である。これに餡をいれて食べ易くした「ぶと饅頭」が神社周辺の菓子舗で売っている。
    

舞楽に使われる面 また、奈良の町の人たちがおん祭りの日に食べる習慣をもつのが、「のっぺ汁」である。油揚げや根菜類などの野菜を煮込んだ汁で、これを食べて1年も終わることを実感する。「祭りしまいはおん祭」といわれる所以である。


 
御まつりの楽の音(南都樂所) 放送 12月16日(木)
春日大社回廊の釣燈篭 おん祭には様様な芸能が登場するが、芸能には御楽がつきものである。明治以前は南都樂所(なんとがくそ)が受け持っていたが、明治維新で廃止された。

御まつりで使われる稚児衣装 その後明治中期になって奈良樂会によって雅楽が復活、大正に入って田楽や細男などが春日古楽保存会によって整備保存され、昭和42年になってやっと、関係者の大変な努力で南都樂所(なんとがくそ)が復興し、保存体制が整った。


 
東遊び・稚児の舞 放送 12月17日(金)
 ぶと(揚げ菓子) 若宮は天児屋根命の子である故か、おん祭りで十列(とおつら)の稚児(ちご)によって舞われる東遊(あずまあそび)が奉納される。

のっぺ 山鳥の尾をたてた笠と金襴の狩衣(かりぎぬ)で背中に牡丹の花を背負った馬長児、綾藺笠に赤の狩衣で弓を使う稚児流鏑馬(やぶさめ)が馬で参列し、お旅所で東遊びを舞う。


あ   し


 春日神社へは近鉄奈良駅もしくはJR奈良駅から奈良交通バスで春日大社本殿下車、すぐ
 春日若宮へは春日大社本殿より南へ3分
 春日大社宝物殿へは春日大社本殿からすぐ
 東大寺大仏殿へは近鉄奈良駅もしくはJR奈良駅から奈良交通バスで東大寺大仏殿下車徒歩5分
 東大寺二月堂、三月堂へは大仏殿から徒歩10分
 手向山八幡(たむけやまはちまん)へは東大寺三月堂の南すぐ
 東大寺戒壇院へは大仏殿から西へ5分
 興福寺へは近鉄奈良駅から徒歩5分、もしくはJR奈良駅から奈良交通バスで県庁前下車徒歩2分
 新薬師寺へは近鉄奈良駅もしくはJR奈良駅から奈良交通バスで破石(わりいし)町下車徒歩15分
 白豪寺へは新薬師寺から徒歩10分
 奈良国立博物館へは近鉄奈良駅もしくはJR奈良駅から奈良交通バスで博物館前下車徒歩2分
 奈良県立美術館へは近鉄奈良駅から徒歩5分(県庁裏)
 奈良市写真美術館へは新薬師寺から徒歩3分
 依水園・寧楽美術館へは近鉄奈良駅から徒歩7分
 興福寺宝物館へは近鉄奈良駅から徒歩7分(県庁東方、知事官舎裏)
 奈良町へは近鉄奈良駅から徒歩10分猿沢池の南方

  
みどころ


 春日大社、春日若宮、春日大社宝物殿、万葉植物園
 東大寺、戒壇院(かいだんいん、天平時代の四天王)、転害門(てがいもん、国宝、天平時代の遺構)、三月堂(不空羂索観音、日光月光菩薩ほか)二月堂、正倉院の建物、手向山八幡、
 般若寺、北山十八間戸、元興寺(がんごうじ)、元興寺極楽坊、十輪院、依水園、寧楽美術館
 奈良国立博物館、奈良県立美術館、奈良市写真美術館、興福寺国宝館、奈良歴史教室
 志賀直哉旧邸


味・土産


 茶粥、依水園・三秀の麦飯とろろ、レストラン菊水のフランス料理、菊水楼の懐石、奈良茶、奈良漬け、あられ酒、ジャンボ三笠饅頭、筆、墨、一刀彫り、奈良漆器、赤膚焼、鹿角細工、奈良うちわ


問い合わせ先


 奈良市猿沢観光案内所        0742−26−1991
 奈良市観光課              0742−34−1111
 奈良市観光協会             0742−26−5200
 奈良市観光センター           0742−22−3900
 近鉄奈良駅総合観光案内所     0742−24−4858
 春日大社(宝物殿)           0742−22−7788
 万葉植物園                0742−22−7788
 興福寺国宝館              0742−22−5370
 東大寺                   0742−22−5511
 
 奈良国立博物館             0742−22−7771
 奈良県立美術館             0742−23−3968
 奈良市写真美術館           0742−22−9811
 奈良歴史教室              0742−24−3901
 依水園・寧楽美術館          0742−25−0781
 奈良県商工観光館           0742−22−4661


◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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歴史街道推進協議会