月〜金曜日 18時54分〜19時00分


岸和田市 

 だんじり祭に明け、だんじり祭に暮れると言われるほど、岸和田っ子にとってだんじり祭は、年間で最大のイベントである。庶民の祭として子供のころから親しみ、参加してきただんじり祭は、岸和田っ子でなければわからない縁で結ばれている。今年も9月14、15日にだんじりが市内を駆け回る。9月の声を聞くとともに身体の血を騒がせ、わき立たせている市民が多い。


 
300余年の伝統・だんじり祭  放送 9月13日(月)
 泉州路に秋の訪れを告げる岸和田だんじり祭は300余年の伝統を誇る。今や日本三大祭の京都・祇園祭、大阪・天神祭、東京・神田祭に匹敵するほど全国的人気が出て、遠方からの見物客も訪れる祭になってきた。だんじり祭にすべてのエネルギーをぶつける岸和田っ子たちは、遠来の人たちに20km近いスピードで疾走したり、直角の曲がり角を一気に曲がるやり回しの姿を披露し、岸和田自慢の勇壮なだんじり祭の真髄を堪能してもらおうと気合いがはいっている。
 以前は「けんか祭」「血まつり」などと異名を取るほどの荒っぽい祭だったが、最近は安全を第一に考え、見物者のための観覧席も設けられるようになった。

岸和田城

(写真は 岸和田城)

三代城主 岡部長泰

 だんじり祭の起源は江戸時代の元禄年間に遡る。元禄16年(1703)秋、岸和田藩3代藩主・岡部長泰は、城内三の丸に京都・伏見稲荷大社から稲荷大神を勧請して祀り、五穀豊穣を感謝する稲荷大社祭を行った。
 この時、領民が長持に車をつけただけの素朴なだんじりに太鼓を乗せて打ち鳴らし、神楽を舞いながら町々を練り歩いた。さらに城内に練り込み、殿様の前でいろいろなにわか芸を披露したのが、このだんじり祭の始まりとされる。城内へ多数の領民を入れることは当時としては考えられないことだったが、殿様の粋な計らいが今日の岸和田だんじり祭を生むきっかけになった。岸和田城内にひっそりとたたずむ三の丸神社はだんじり祭発祥の地である。

(写真は 三代城主 岡部長泰)

 今はだんじり祭と言えば岸和田、岸和田と言えばだんじり祭と言われるほど、だんじり祭を象徴する知名度の高いの祭になった。当初はごく素朴なだんじりが3台だけであったが、次第に各町が豪華、勇壮ぶりを競いあって、今日の全国的人気を得る盛大な祭となった。
 商店街のアーケード入り口の看板や店先の看板、商品の陳列にもだんじりの絵やデザインがあふれている。市内を走る巡回100円バスの愛称も「だんじりくん」。岸和田のカレンダーはだんじり祭のある9月に始まると言われるほど、岸和田っ子にはだんじりが毎日の生活に密着し、肌にしみついている。

三の丸神社

(写真は 三の丸神社)


 
だんじりの美  放送 9月14日(火)
 だんじり祭に城下町だった旧市街地を疾走し、曲がり角で豪快なやり回しを見せるだんじりは34台。勢い余って家屋や電柱に衝突したり、転倒したりすることもあるので、さぞかし頑丈でごつい造りのものと思われがちだが、近くでじっくり見れば大違い。
 総ケヤキ造りで総重量は約4トン。釘や金具は一切使わずに組み立てられた本体の各部には、緻密な彫刻が施されている。大屋根、小屋根の軒下の部分にはおびただしい数の獅子や龍の彫り物が連なり、土呂幕、見送りと言った周囲には「三国志」「源平合戦」「大坂夏の陣」と言った、有名な戦記のさまざまなエピソードが立体的に彫り出されている。まさに"走る美術品"と言える。

沼町のだんじり

(写真は 沼町のだんじり)

源平一の谷の合戦

 寛永11年(1634)徳川幕府3代将軍・家光の時、日光東照宮が造営され、岸和田藩からも宮大工集団約100人が幕府の要請で動員された。これら宮大工の匠集団はその技を生かし、東照宮の陽明門(国宝)に施されていた彫刻を模して、だんじりを飾る彫り物の製作に深くかかわった。
 だんじり会館に展示されている江戸時代の文化・文政年間(1804〜30)に製作された旧五軒家町のだんじりは、現存する岸和田型最古のだんじり。このだんじりの周りには青龍、白虎、朱雀、玄武の四神などの素晴らしい彫刻が施されている。これらの豪華な造りは、匠の技を凝縮した芸術品と言える。このだんじりの製作にも宮大工が深くかかわっており、見事な彫り物の技はその当時の技術水準の高さを示している。

(写真は 源平一の谷の合戦)

 当時、宮大工は職人の中でも高い地位を占めていた。その表れとしてだんじり祭の時、だんじりの屋根の上で、踊るように跳ねることができるのは大工職たちに限られた。これを「大工方」「屋根方」と呼び、だんじり祭の花形であった。現在は経験を積んだ人であれば屋根に乗ることができ、必ずしも大工職の人たちばかりとは限らない。
 現在、岸和田市内には155の町会があり、82町がだんじりを所有、近畿一円で最大の数を誇っている。だんじりを持っていない町でも、青少年を中心にだんじりを所有しようという気運が高まっている。今後、だんじりの台数は増える可能性があるが、豪華なものは製作費が1台約3億円もかかると言われるだけに、簡単には所有できないのが実情のようである。

筒井工房

(写真は 筒井工房)


 
人の和・町の輪・だんじり祭  放送 9月15日(水)
 岸和田だんじり祭は主催者のない祭。この祭を運営するのはだんじりを所有する各町会と各町から選ばれた代表によって構成され、その年の祭の運営の実際面を取り仕切る年番組織の両者が、両輪となって熱気あふれる中にも秩序だった祭がとり行われている。
 年番組織の年番長をはじめ、その年の年番者には祭の絶対的な権限が与えられ、その指示に服従しなければならない。祭の輪の中でのいい意味の上下関係、また各家庭の横とつながりを強め、祭以外の日常生活でもお互いに助け合い、思いやりのある町づくり精神の基礎になっている。

町会

(写真は 町会)

渡りガニ

 日本各地で古来から繰り広げられてきたさまざまな祭には、それぞれいわれがあるが"農事に関するもの" "悪疫退散を祈願するもの" "先祖の霊を回向するもの"に大きく分けられる。一方では幕藩体制の圧政下、1年に1度は領民のうっぷんや不満、現代ならストレスをはらす「ガス抜き」の働きを祭に求め、無礼講で身分に関係なく誰でも気軽に参加させ、不満を発散させていいたと見る向きもある。
 江戸時代に高い年貢に苦しむ農民を見かね、沼村の庄屋が藩主に年貢軽減の直訴をし、斬首された。この直訴がきっかけで重い年貢が軽減されのを喜び、だんじり祭の時にこの庄屋への感謝の気持ちを表す行事を今も行っている町がある。

(写真は 渡りガニ)

 ほかにもかつての城下町で庶民がこぞって参加し、熱狂的にパワーを爆発させるような祭には「ガス抜き」的な一面を垣間見ることができる。
 岸和田だんじり祭は荒っぽい祭で、元気な人でないとだんじりを引くことができないように思われるが、昭和56年(1981)の国際障害者年を契機に、障害者たちもだんじり祭に参加できるように工夫された。比較的静かにだんじりを曳行する宮入りの時などに、車イスの人たちがだんじりを引いて祭を楽しむ。このように岸和田だんじり祭も時代と共に変化し、誰もが気軽に参加できる祭へと近づける努力がなされている。

岸和田夕景

(写真は 岸和田夕景)


 
だんじり会館  放送 9月16日(木)
 岸和田っ子がその日の来るのを首を長くして待ちわびるだんじり祭本番はたったの2日間。だんじり祭が終わった翌日から来年のだんじり祭が、頭の中を支配している岸和田っ子にとっては、この2日間はアッと言う間に過ぎてしまう。岸和田市はもとより岸和田市の周辺地域には"祭大好き人間"が大勢いる。このような祭好きな人たちが、年中祭気分を味わうために訪れるのが土蔵風の市立のだんじり会館。
 だんじり祭の人気が盛り上がるにつれだんじりの魅力、その伝統と楽しさ、歴史、民俗文化としてのだんじりなどの資料収集、展示をするため、平成5年(1993)岸和田城の堀のほとりに市制70周年記念事業としてだんじり会館が建設されオープンした。

だんじり会館

(写真は だんじり会館)

岸和田最古のだんじり(文化・文政年間製作)

 この会館を訪れればだんじりについてのすべての知識が得られる。マルチ映像や立体映像、だんじりの屋根の上で飛び跳ねる大工方体験コーナーなど、実際にだんじりに乗った気分が満喫できるのが大きな魅力。
 この中でも、だんじりの車輪の振動が身体に伝わってくる振動体感装置に座り、実際にだんじりに乗って撮影した立体映像を見ると、自分がだんじりに乗っている臨場感あふれる感覚がわいてくる。だんじりに乗れない女性はここでだんじりに乗った快感と醍醐味を味わうと、岸和田の男たちがだんじりに惚れ込む訳がわかる。また、岸和田っ子でなくてもこの快感を体験すると、身体の血が騒ぎだんじり祭に参加したくなる人もいるようだ。

(写真は 岸和田最古のだんじり
(文化・文政年間製作))

 館内には文化・文政年間(1804〜30)に製作された、旧五軒家町の岸和田型最古のだんじりが展示されている。この芸術品とも言える最古のだんじりを飾る手の込んだ彫り物には、当時の岸和田の宮大工を中心とした匠の技の素晴らしさを見せてくれる。このほか、祭の時に使われるはっぴやまとい、古文書などだんじり祭のさまざまな資料が展示されている。
 模型のだんじりの屋根の上では、将来、屋根で飛び跳ねる大工方を夢見て、飛び跳ねる稽古をしたり、鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らし、だんじり囃子の稽古に励む子供たちのかわいい姿が絶たない。こうして300年の伝統を誇る岸和田だんじり祭の後継者、さらには"祭好き市民"が知らず知らずのうちに育っている。

法被

(写真は 法被)


 
山の手・秋近し…  放送 9月17日(金)
 岸和田の市域は非常に広く、海に近い旧城下町に風情ある町並みが見られるのと同様、静かな山手地区にも昔をしのばせるたたずまいの家並みや街道が多い。由緒ある寺社がいくつもあり、奈良時代の名僧・行基ゆかりの久米田寺、そして寺のそばにある久米田池は広く市民に親しまれている。
 久米田寺は久米田池竣工の際に、橘諸兄が施主となって行基が開創した寺で、行基開創49院のひとつとして知られている古刹。創建当時から朝廷の崇敬も篤く栄えた寺だったが、戦国時代の戦火で堂宇はことごとく焼失、江戸時代に再建された建物が現在に伝わっている。寺宝として国の重要文化財に指定されている絵画、古文書などが多い。

久米田寺

(写真は 久米田寺)

積川神社

 久米田池は干ばつに悩む農民を救うため聖武天皇が橘諸兄と行基に命じ、神亀2年(725)から天平10年(738)まで14年の歳月をかけて築造させた大阪府下最大のため池。行基は住民を組織して工事に当たらせ、この大工事を完成させた。
池の完成時には聖武天皇は光明皇后とともに百官を率いて行幸したと伝えられている。  この池は周囲2.7km、甲子園球場の約31倍、45.6haの面積がある。渡り鳥の国際空港とも言われ、秋には冬鳥が、春には夏鳥が渡ってきて羽根を休めており、年間120種以上の鳥が確認されている。春は池のほとりの桜が咲き乱れ、花見客でにぎわう。

(写真は 積川神社)

 積川(つがわ)神社の創建は明らかでないが、社伝によれば平安時代初期の弘仁14年(823)に嵯峨天皇が、雨乞いの祈祷をしたと記されている。和泉国五社のひとつで、本殿(国・重文)は慶長7年(1602)豊臣秀頼が、片桐且元に命じて修理を加えたものと伝えられ、古社らしい雰囲気をかもし出している。
 岸和田市にはだんじり祭として9月祭礼と10月祭礼がある。9月祭礼は岸和田城周辺の旧市街地を中心としただんじり祭を言う。一方、市街地がどんどん拡大し、JR阪和線沿線に住宅地が広がった山手地域で10月に行われる秋祭を10月祭礼と言う。山手の10月祭礼では7地区46台のだんじり、3基の御輿(みこし)が田園風景の中を練り歩き、旧市街地の9月祭礼のだんじり祭とは異なった趣がある祭となっている。

本殿

(写真は 本殿)


◇あ    し◇
岸和田城、だんじり会館南海電鉄本線岸和田駅下車徒歩15分。 
久米田寺JR阪和線久米田駅下車徒歩15分。 
積川神社JR阪和線久米田駅からバス積川神社前下車。 
◇問い合わせ先◇
岸和田市役所商工観光課0724−23−2121 
岸和田市観光振興協会、
岸和田だんじり会館
0724−36−0914
岸和田城0724−31−3251 
久米田寺0724−45−0316 
積川神社0724−79−0134 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
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