月〜金曜日 18時54分〜19時00分


たつの市 

 瀬戸内海でも屈指の天然の良港・室の津として知られた旧御津町室津は、古代から港町として開けた。平成17年(2005)10月に龍野市、新宮町、揖保川町と市町村合併してたつの市となったが、合併後も室津は何ら変わることなく、豪商の町家や旅籠(はたご)などの町家が建ち並び、江戸時代の面影を色濃く残している。


 
室の津  放送 9月17日(月)
 たつの市御津町の東端の新舞子海岸は遠浅で西日本一の干潟と言われ、春先から潮干狩り客でごった返す。夏は遠浅の海岸が子供たちに安全な海水浴場を提供し、家族連れでにぎわう。この新舞子海岸を左に見ながら西へ進み、曲がりくねった七曲がり呼ばれるところを過ぎると、深く切れ込んだ入り江の室津の港が見える。
 室津は神武天皇が東征の折、臣下らがおおい茂った藤やかずらを断ち切って天皇の上陸地として開いた港と伝えられ、播磨国風土記に「此の泊(とまり)風を防ぐこと室の如し」と記されたことが、室津の名の由来となった瀬戸内海有数の天然の良港。

新舞子

(写真は 新舞子)

室津港

 奈良時代には僧・行基が河尻(大阪)、大輪田(神戸)、魚住(明石)、韓泊(姫路)と共に「摂播五泊」として定めたのが室の津。四国や西国を結ぶ瀬戸内海航路の港として整備され、海上交通の要として栄えた。
 古くは中国や朝鮮の使節が立ち寄ったり、室津で上陸して江戸まで向かった。平安時代には高倉天皇と共に厳島神社に参拝した平清盛の船も室津に寄港しているほか、多くの貴人、武将、歌人、僧侶らがこの港に立ち寄っている。江戸時代の参勤交代の大名たちの上陸地でもあり、6軒の本陣のほか脇本陣を兼ねた豪商の邸や旅籠(はたご)が軒を連ね、いつしか「室津千軒」と言われるほどのにぎわいを見せた。

(写真は 室津港)

 室津の入り江に突き出た岬の突端のうっそうとした森に包まれた明神山の賀茂神社は、京都の上賀茂神社から賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を勧請し、平安時代中期に上賀茂神社の別宮として建立され、海路の安全を見守り、室津発展の礎となった神社である。
 本殿や権殿、唐門、摂社など8棟が国の重要文化財に指定されている。神武天皇が上陸地とした時、同行していた賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)が、藤やかずらのつるを切り払い港にしたとの神話が残っている。賀茂建角身命は京都・下鴨神社の祭神で、賀茂別雷命の祖父にあたる。

賀茂神社

(写真は 賀茂神社)


 
室津海駅館  放送 9月18日(火)
 天然の良港・室津は古代から船による商いでますます繁昌し、大名に金を貸し付けるほどの豪商も誕生した。参勤交代の大名や朝鮮通信使らは、室津で船をおりて陸路江戸へ向かい、町には本陣や脇本陣、旅籠(はたご)、料理屋などが軒を連ね「室津千軒」と言われるほどのにぎわいとなった。
 廻船問屋として活躍した豪商「嶋屋」の建物は、当時としては珍しい木造2階建てで、室津の町家の特徴をよく残している。保存をかねて旧御津町が買い取り、平成9年(1997)に資料館「室津海駅館」としてオープンした。建物は江戸時代の面影を残しており、船底天井の部屋など座敷回りには優れた意匠が見られる。

室津海駅館

(写真は 室津海駅館)

船底天井

 「室津海駅館」は江戸時代後期の建物自体が文化財であり、館内には「廻船」「参勤交代」「江戸参府」「朝鮮通信使」の4テーマで、室津と外部世界が海を通じてつながりを広げていった資料を展示している。
 「廻船」のコーナでは、商品輸送で北海道まで活動の範囲を広げた室津の船頭の活躍ぶりを紹介。「江戸参府」コーナは、長崎のオランダ商館長が毎年、江戸の徳川将軍に拝礼して土産物を献上する時に室津に立ち寄った時に、オランダ人の見た室津の資料などを展示。「朝鮮通信使」コーナーは、朝鮮国王の親書を徳川将軍に手渡す使節の一行が室津に上陸、使節の接待を姫路藩が担当した資料などから、その苦労と費用が大きな負担だったことがわかる。

(写真は 船底天井)

 海駅館の喫茶室では体験展示として、朝鮮通信使や参勤交代の大名らに出された料理を再現、訪れた人に提供し、国賓、大名気分を味わってもらっている。朝鮮通信使供応料理が3000円、大名献立が1500円で、いずれも3日前までに予約が必要。
 たつの市の文化財に指定されている江戸時代の建物を見学してもらうだけでなく、実際に使ってもらおうと日本間(半日3000円)と茶室(半日1500円)を一般に開放しており、誰でも豪商の建物を研修会や茶席に利用することができる。

朝鮮通信使饗応料理

(写真は 朝鮮通信使饗応料理)


 
室津の八朔のひな祭り  放送 9月19日(水)
 江戸時代に名字帯刀を許された豪商「魚屋」の建物は、海駅館と同じように保存をかねて旧御津町が買い取り、昭和60年(1985)に「室津民俗館」としてオープン、代表的な大型町家を保存しながら室津の歴史や民俗関連の資料を展示している。
 この建物は兵庫県の文化財に指定されており、江戸時代には大名の参勤交代の脇本陣として使われていた。23もの部屋がある豪壮な建物で、1階奥座敷、2階上段の間、箱階段、隠し階段、貴人専用の御成門、玄関の吊り上げ式二重戸、登城かごなど、建築物としても見どころが多い。

室津民俗館

(写真は 室津民俗館)

八朔のひな祭り(8月下旬)

 館内には江戸時代の古地図、本陣の見取り図、賀茂神社祭礼の小五月(こさつき)祭に奉納される舞の衣装、海産物問屋魚屋の資料などが展示されている。小五月祭は平安時代に室の長者の娘・花漆が室君として賀茂神社に舞を奉納したことに始まり、今は少女32人が萌黄の袴、裃をつけて練り歩く方式に変わった。
 この民俗館や室津の民家で真夏にひな飾りをする珍しい行事が八朔のひな祭り。八朔とは旧暦8月1日のこと。戦国時代の永禄9年(1566)1月、室山城主・浦上政宗の弟の婚礼の夜に、対立していた龍野城主・赤松政秀の夜襲を受けた。婚礼の式を挙げたばかりの花嫁が、長刀を取って敵に向かって奮戦したが討死にをした。

(写真は 八朔のひな祭り(8月下旬))

 城下の人びとはこれを悲しみ、非業の死をとげた花嫁の鎮魂のために3月のひな祭りを取りやめ、半年遅れの八朔の8月1日に行うようになった。近年になってこの慣わしは途絶えていたが、平成15年(2003)に復活し、旧家や商店で再び夏にひな飾りをするようになった。
 室山城は鎌倉時代初め源頼朝が室小四郎に命じて、室津の入り江を望む山に城を築かせた。その後、足利尊氏に攻められて城は一時断絶していたが、室町時代初期に再び城が築かれ、応仁の乱後、浦上政宗が城主となっていたが赤松政秀の夜襲で落城して廃城となった。

明神道

(写真は 明神道)


 
室津歴史ロマン  放送 9月20日(木)
 瀬戸内海の天然の良港として栄えた室津には、古くから天皇、貴族、武将、歌人、俳人、僧侶らさまざまな人物が訪れ足跡を留めている。
 奈良時代には万葉歌人の山部赤人が港から沖合いの唐荷(からに)島を眺めて「玉藻刈る 辛荷の島に 島廻(しまみ)する 鵜にしもあれや 家思はざらむ」と詠み、万葉集に収められている。唐荷島は室津沖に浮かぶ3つの島の総称で、眺めの美しいことで知られる。昔、唐の船が難破して、その積み荷がこの島に流れ着いたことからこの名がついたと言われている。

法然上人座像

(写真は 法然上人座像)

友君座像

 鎌倉時代には後鳥羽上皇によって讃岐へ流された法然上人が、風待のためにこの室津の港に寄った。この時、木曽義仲の側室で生き別れの子供の養育費のため、この地で遊女になっていた友君が、小舟で上人の船を訪れ「罪深い身ですが、どうすれば助かるでしょうか」とたずねた。上人は「遊女をやめ、卑下することなく念仏を唱えるならば往生する」と諭した。
 友君は上人のこの説法を涙を流しながら聞き、得度して尼となった。庵を結んで念仏一筋の信仰の人生を送り往生した。後に上人が流罪を許されて京に戻る途中、室津に立ち寄ったが友君はすでに亡くなっていた。

(写真は 友君座像)

 浄運寺は法然上人の25霊場のひとつで、鎌倉時代初めの文治年間(1185〜90)に、法然上人の弟子・信寂上人が開基したと伝えられている。石垣を配した山門は城門風で寺の門としては珍しい形式である。境内から海側へ降りた所にある井戸は、法然上人貝掘り井戸と言われ、飲み水に困っていた人びとのために海辺の貝で掘ったところ淡水が湧き出たとの伝えが残っている。
 本堂には法然上人の座像が安置されているほか、友君座像やお夏清十郎悲恋のヒロインお夏像などがある。境内には友君の墓もあり、上人の袈裟も寺に伝わっている。

浄運寺

(写真は 浄運寺)


 
室津の海の滋味  放送 9月21日(金)
 夜明けにはまだ遠い暗い室津漁港を次々に出てゆく漁船は、タイ、アジ、サバ、スズキ、ハモ、メバル、エビ、シャコ、ワタリガニなど、瀬戸内海の新鮮な海の幸をいっぱい積んで帰ってくる。
 そんな中で夏場が旬で最高の美味がアナゴ。獲れたてのアナゴを開いて串に刺して焼き、秘伝のタレをからませてさらにじっくりと焼きあげた「焼きアナゴ」は、室津の名物になっている。この焼きアナゴは箱寿司、お茶漬け、そして酒の肴にといろいろな食べ方があるが、その中でも絶品と評判なのがアナゴ丼。

室津漁港

(写真は 室津漁港)

きむらや 別館

 室津の割烹料理旅館「きむらや」では、室津の港が一望できる落ち着いた和室で、食通の作家・池波正太郎も絶賛したと言うアナゴ丼をいただいてみてはいかがでしょうか。今年の酷暑でバテ気味となっている体にもたちまち元気が戻ってくるかもしれませんよ。
  「きむらや」ではこのほかにランチメニューとして刺し身定食、にぎり寿司盛り合わせ、会席料理、季節料理として鯛しゃぶ、ハモ料理(夏)、カキ料理(冬)など、海の幸をふんだんに使った料理がいっぱい用意されている。

(写真は きむらや 別館)

 こうした海の幸を水揚げしてくるのが室津漁業協同組合の漁師さんたち。組合員数は少ない小さな漁協だが、水揚げされる魚介類の種類が豊富と言うのが自慢。
 室津漁協直売所の「室津魚魚(とと)市」がなかなかの人気。毎週土、日曜日の午前10時から午後2時まで開いているが、売り切れ次第閉店する。この直売所は平成14年(2002)に漁師さんの奥さんたちが始めたもので、並んでいる魚介類はどれもその日の朝に水揚げされた「とれとれ、ピチピチ」のものばかり。地元の食材を使って作られたおふくろの味の「魚魚市弁当」もなかなかの人気で、遠方からの常連客も多い。

穴子丼

(写真は 穴子丼)


◇あ    し◇
賀茂神社山陽電鉄網干駅からバスで室津下車徒歩15分。 
たつの市立室津海駅館山陽電鉄網干駅からバスで室津下車徒歩5分。 
たつの市立室津民俗館山陽電鉄網干駅からバスで室津下車徒歩7分。 
浄運寺山陽電鉄網干駅からバスで室津下車徒歩10分。 
割烹料理旅館・きむらや(焼き穴子)山陽電鉄網干駅からバスで室津西口下車徒歩2分。 
室津漁業協同組合魚魚市山陽電鉄網干駅からバスで室津下車徒歩5分。
◇問い合わせ先◇
御津町観光協会079−322−1004 
御津町商工会079−322−0666 
賀茂神社079−324−0034 
たつの市立室津海駅館079−324−0595 
たつの市立室津民俗館079−324−0650 
浄運寺079−324−0030 
割烹料理旅館・きむらや(焼き穴子)079−324−0007
室津漁業協同組合079−324−0231 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会