月〜金曜日 18時54分〜19時00分


京都市

 京都御所近くの西国三十三所観音霊場の行願寺(革堂)を参詣し、その足で京都の伝統工芸や味などを守り続けている老舗などを訪ね、京都ならではの匠の技や味を探訪した。


西国三十三所第19番札所・
行願寺(革堂)
放送 3月23日(月)
 京都御所から南東へすぐの寺町通に西国三十三所第19番札所・行願寺(ぎょうがんじ)、別名革堂(こうどう)がある。平安時代中期の寛弘元年(1004)一条天皇の勅願によって、一条通に行円(ぎょうえん)上人が創建した天台宗の寺で、今も門前には「一条こうどう」と刻まれた石柱が立っている。

 戦火や火災などでたびたび焼け、場所を替えながら再建されて現在地に移った。西国三十三所霊場の寺の中では境内が最も狭いが、千年を超える歴史を誇っている。
行円上人像

(写真は 行円上人像)

鹿革衣


 開祖の行円上人は、若いころは非常に激しい気性で狩猟が好きだった。ある日、身ごもっていた雌鹿を射止めたが、雌鹿は矢傷の苦しみの中で子鹿を出産し、生まれたばかりの子鹿をなめながら息絶えた。この光景を目のあたりにした上人は母鹿にわび、今までの殺生を悔いて出家、仏門に入った。

 上人は母鹿の毛皮を衣にして身にまとい、行脚していたので革聖(かわひじり)と呼ばれ、寺も革堂と呼ばれた。秘仏の本尊・十一面千手千眼観世音菩薩像は、上人が賀茂の社の霊木をもらい彫ったと伝えられている。

(写真は 鹿革衣)


 宝物館には上人が身にまとっていた皮の衣や「幽霊の絵馬」が伝わっている。「幽霊の絵馬」は江戸時代に革堂近くの質屋に子守として奉公していた娘が、革堂の御詠歌や観音経を子守歌代わりに歌っていたのを、法華経信者の主人に見つかり、納屋に閉じ込められて凍死した。

 両親が娘の行方を案じ革堂に祈願したところ、娘が亡霊となって現れ愛用の手鏡を渡した。両親は娘の供養に手鏡をはめ込んだ絵馬を奉納したのが幽霊の絵馬。
 御詠歌は「はなをみて いまはのそみも こうどうの にはのちくさも さかりなるらん」。

本尊十一面千手千眼観世音菩薩(お前立ち)

(写真は 本尊十一面千手千眼観世音菩薩
(お前立ち))


大原口・出町商店街 放送 3月24日(火)
 京都御所の北東、賀茂川にかかる出町橋のあたりは、福井県小浜の若狭の海で捕れた鯖などの魚を、洛中へ運んだ「鯖街道」の通っていた所。この出町橋から西へ進むと庶民の台所・出町商店街の桝形通があり、アーケードには鯖街道にちなんだ作り物の大きな鯖が吊るされている。

 商店街には安くておいしい食料品や手ごろな値段の衣料品などの店が並び、京阪電鉄、叡山電鉄の出町柳駅からも河合橋、出町橋を渡ればすぐの所にあるので、近隣からの買い物客も多い近隣型商店街。
出町商店街

(写真は 出町商店街)

京つけもの出町なかにし


 京漬物の「出町なかにし」は、地元でも評判の糠漬と浅漬の店。同じ壬生菜漬でも浅漬と保存が利き味わいが増す古壬生菜漬を作るなど、客筋の好みに合わせている。ほかに千枚漬、大根漬、白菜漬、胡瓜漬、芽生姜漬、菜の花漬、赤かぶら漬、日野菜漬など、さまざまな漬物が旬に合わせて店頭に並ぶ。

 漬物はぬかに含まれているビタミンBなど、ビタミンやミネラルが豊富で健康保持によいと言われている。旬の季節野菜の漬物と一緒にご飯をいただくと、食欲が進みいくらでも食べられメタボ症候群が心配になりそうだ。

(写真は 京つけもの出町なかにし)


 和菓子の店「出町ふたば」は明治32年(1899)の創業以来、昔ながらの手法を守り続け、そのおいしさは京都っ子には定評がある。看板商品の「名代豆餅」は、店の前にお客の行列ができるほどの人気ぶり。あんをあずきの入った餅でくるんだこの餅は、誰もが満足する得も言われぬ味と言える。

 ほかに豆大福、かしわ餅、さくら餅、きんつば、葵もなか、各種だんご、おはぎ、赤飯など、いずれも昔ながらの伝統の製法で、その日に作り、その日に食べてもらうことを心がけている。

名代豆餅(出町ふたば)

(写真は 名代豆餅(出町ふたば))


華麗・平安の装い 放送 3月25日(水)
 京都御苑南側の堺町御門の向かいの古い町家のたたずまいの黒田装束店は、江戸時代初期の創業と伝わる装束司。平安時代以降、天皇以下の文官、武官が公の儀式に着用した男子の正式の装束の束帯(そくたい)や直衣(のうし)などの宮廷装束を、古来の儀式、礼法に則り仕立てから着付けまでを手がけてきた。

 当主は代々「丹波屋平七」を襲名していたが、明治維新以後は「黒田」姓を名乗るようになり、現在の当主・黒田勝也氏は18代目。
御装束調進所 黒田装束店

(写真は 御装束調進所 黒田装束店)

有織織物の小物


 宮廷装束のほかに各地の神職の狩衣や白衣、烏帽子、履き物、さらに巫女装束や神宝、神器、調度類の製作も請け負っており、伊勢神宮の式年遷宮の際には神宝作りにも携わってきた。神宝を作る時には精進潔斎をしてから仕事に取りかかると言う。

 綿密な時代考証に基づいて葵祭や時代祭の装束、都をどりの衣装作りを担うなど、京都の伝統行事も支えている。大学や博物館から服装史や風俗史などの資料として、宮廷衣装や調度品の製作依頼がくることもある。

(写真は 有織織物の小物)


 体験装束に使われる十二単(じゅうにひとえ)や小袿(こうちき)など、宮廷女性が身につけた装束も手がけており、平安時代の女房の十二単を着付けしてもらい、雅な美しい宮廷装束を美意識の高さを再認識した。

 平安時代から室内を自由に仕切る移動可能な障屏具(しょうへいぐ)として使用されてきたのが几帳(きちょう)。季節や行事に合わせ几帳の色や模様を変え、その豪華さや優美さを楽しんでいた。今では床の間の飾りやインテリアとしての几帳を製作し、宮廷の伝統用具を現代生活に活用しようと試みている。

女房装束(十二単)

(写真は 女房装束(十二単))


パンと珈琲と名曲と 放送 3月26日(木)
 賀茂川と高野川が合流して鴨川となる左岸、京阪電鉄と叡山電鉄の出町柳駅前の柳月堂(りゅうげつどう)ビル1階に店を構えるのは、昭和28年(1953)創業の老舗ベーカリー「柳月堂」。

 この店の名物は安くておいしいクルミパン。クルミパンの種類はリンゴ、粒あん、ラムレーズン、プレーン入りなど8種と豊富で、約20年前にオーナーが考案した。クルミパンに入れる素材は変わってきたが、断固として変えないのがクルミ。しかも薄皮をすべてはぎ取らずわずかに残して生地に練り込む製法も守り続けている。

ベーカリー柳月堂

(写真は ベーカリー柳月堂)

リスニングルーム(名曲喫茶柳月堂)


 柳月堂ビルを2階へ上ると高い天井、重厚なスピーカー、ステージにはグランドピアノが置かれた静かな空間が、京都を代表する名曲喫茶「柳月堂」。

 昭和29年(1954)にクラシック好きの初代店主・陳芳福さん創業した。学生の町とあってオープン当時から京大、同志社大、立命館大などの学生や教授らが名曲を聴きながら、それぞれ好みのひと時を過ごした。しかしラジカセやウオークマンの普及で音楽喫茶は衰退し、昭和56年(1981)に閉店せざるを得なかった。

(写真は リスニングルーム(名曲喫茶柳月堂))


 2年後に父の後を継いで、陳壮一さんが営業を再開したのが現在の名曲喫茶・柳月堂。名曲観賞の邪魔になるような音や私語は一切禁物。収蔵しているLPレコードは約6000枚にも及ぶ。

 名曲の鑑賞室は椅子がすべて前向きに並んだホールの客席のようだ。コーヒー1杯1050円とやや高いが、アンダーな照明やステンドグラス、キャビネットなどアンティークな雰囲気の中で、ゆっくりと名曲に耳を傾けながら過ごす贅沢な時間が堪能できる。おしゃべりをしながら名曲を聴きたい人は談話室が用意されている。

談話室(名曲喫茶柳月堂)

(写真は 談話室(名曲喫茶柳月堂))


鞍馬口で普茶料理・閑臥庵 放送 3月27日(金)
 京都市北区の鞍馬口通の閑臥庵(かんがあん)は黄檗宗の禅寺で、梶井常修院の宮の院邸が江戸時代前期に後水尾法皇に献上され、法皇が御所の祈願所としたのが始まり。法皇自ら「閑臥庵」と命名し、宸筆の額を寄せて勅号とするほど閑臥庵を愛していた。

 鎮宅堂に祀られている鎮宅霊符神像は、王城鎮護のために貴船神社奥の院からこの地に勧進された。鎮宅霊符神は十干十二支九星を司る総守護神で、陰陽道最高の神とされている。

鎮宅堂

(写真は 鎮宅堂)

後水尾法皇宸筆


 閑臥庵では静寂に包まれた美しい庭を愛でながら、個室で黄檗宗特有の中国の精進料理「普茶料理」がいただける。普茶料理はごま油をたくさん使う個性の強い料理だが、閑臥庵では日本人の口に合わせ、京風の食べやすい味に仕上げられている。

 普茶料理は薬膳料理と相通じるところがあり、材料も身体によい健康的なもので、普茶料理を食していた黄檗宗の僧侶は長生きした。この料理を好んだ後水尾法皇も84歳の長寿をまっとうしている。

(写真は 後水尾法皇宸筆)


 繊細で可憐な普茶料理の数々は、刺し身やかまぼこ、卵焼きの形をしていながら、すべてが野菜、豆腐、麩、コンニャク、揚げなどで作られている。籠に盛られた豆の籠は昆布で作られ、この籠も食べられる。

 「ウナギの蒲焼」は豆腐で作られ、蒲焼の味がするから不思議。「いが栗」の栗は、栗とサツマイモのキントンで作られ、細いそばを揚げたものを1本1本刺してイガにしている。箸をつけるのも躊躇するような手の込んだ料理に感動しながらいただくと、いつのまにか満腹に…。

いがぐりもどき

(写真は いがぐりもどき)


◇あ    し◇
行願寺(革堂)  京阪電鉄丸太町駅下車徒歩5分。
地下鉄烏丸線丸太町駅下車徒歩10分。
京都市バス河原町丸太町下車すぐ。

黒田装束店地下鉄烏丸線丸太町駅下車徒歩5分。 
京都市バス裁判所前下車すぐ。

出町なかにし、出町ふたば京阪電鉄、叡山電鉄出町柳駅下車徒歩5分。
京都市バス河原町今出川又は葵橋西詰下車すぐ。

柳月堂京阪電鉄、叡山電鉄出町柳駅下車すぐ。 
京都市バス、京都バス出町柳駅前下車すぐ。

閑臥庵地下鉄烏丸線鞍馬口下車徒歩3分。 
京都バス烏丸鞍馬口下車徒歩3分。

◇問い合わせ先◇

行願寺(革堂)075-211-2770

黒田装束店075-211-8008 

出町なかにし075-231-7758 

出町ふたば075-231-1658 

柳月堂075-781-5161 

閑臥庵075-256-2480 


◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

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  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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