2022年3月31日まで開催されたドバイ万博が幕を閉じ、2025年大阪・関西万博開催まで3年を切りました。(2022年4月現在)
遡ること50年。大阪は万博を一度経験しています。
1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された日本万国博覧会(通称:大阪万博・EXPO'70)です。
多くの国や企業が出展し、入場者数は6421万8770人という当時史上最大の規模を誇りました。
そしてABCは、EXPO'70を取材した膨大な映像をライブラリーに保管しています。
ABCテレビには約1200件ものEXPO'70映像が保管されています。
これらの映像を2025年大阪・関西万博への機運醸成に繋げたいと考え、ABCグループで活用の方向性を検討し、当時のパビリオンやイベントが閲覧できるアーカイブサイトを開設しました。
このアーカイブサイトをキッカケに1970年万博の素晴らしさを伝えられればと思います。
来場者約6000万人が見た未来は私たちが生きている今です。
開催から約半世紀が経過しても当時のパビリオンや展示は引けをとりません。
EXPO'70で登場した「動く歩道」やスマホの祖先ともいうべき「ワイヤレステレホン」、会場内を走った「電気自動車」など、映像を通して、未来予想の”答え合わせ”をすることも可能です。
「EXPO'70映像アーカイブ~6000万人が見た未来~」では半世紀前の映像をなるべく画質を落とさず公開しています。
当時を知っている世代だけではなく、知らない世代にも、当時の雰囲気を含めてリアルに感じて、楽しんでいただければ幸いです。
はたして2025年大阪・関西万博で、私たちはどんな未来を見ることが出来るのでしょうか。
今回のプロジェクトでは、弊社の取材映像約1200件を取材時期・種類でも検索できるように以下のカテゴリーに分類しております。
【取材時期】開幕前/開幕日/会期前半/会期後半/開幕後/(時期不明)
【種類】パビリオン外観/パビリオン館内/会場雑観/ナショナルデー/イベント/出来事/空撮/インタビュー など
映像クリップは、おおよその取材場所を、万博公園内の地図上に表示しています。
国名などについては、1970年万博の記録として当時の公式資料のまま掲載しています。
ご覧になったご感想、ご意見などを、メールフォームでお聞かせいただければ幸いです。
本サイトの改善など、今後の活動の参考にさせていただきます。
上記以外、
など希望される場合は、下記のフォームに必要事項をご記入の上、事前にお知らせください。
事前のご連絡なく映像を使用されますと、著作権侵害となる場合があります。
本映像公開に対する、皆さまのご理解とご協力をいただきますようお願いいたします。
ご感想、ご意見、ポルトガル館 末広真樹子リポート(音あり)
正面の広場には種子島の「鉄砲伝来記功碑」の複製が建てられ、ポルトガル船が種子島に漂着した16世紀の1543年から始まった、日本とポルトガルとの関係を強調していた。
展示は1階の「ポルトガルの過去」、2階の「ポルトガルの今日」に大別されていた。
1階の導入部には「日本とポルトガルの接触」が、板金彫刻やカラー写真、パネルなどを活用して説明され、伝道者フランシスコ・ザビエルの業績、医学の日本伝来の模様が展示され、さらに美術、科学、印刷技術を通じて、ポルトガルが日本の近代化のために果たした役割りが興味深く紹介されていた。
フラスコ、ボタン、カンテラ、カルタといったポルトガル語を語源にした慣用語の例示は、日本人観客にわかりやすく両国の関係を理解させるものであった。
北側の壁ぎわには海図、天体図、17点の古い地図などが展示され、その前のフロアに、ガラスケースに入れて展示された南蛮びょうぶと種子島銃は、ことに観客の関心をひいていた。三双六曲の南蛮びょうぶは、交易船到来図を描いたもので、種子島銃は一丁が長さ1m20㎝の伝来当時のポルトガル製、もう一丁が種子島の島民がポルトガル製の銃を手本にして製作したものであった。
このほか、特産品の大理石、コルクなどの展示、新大陸発見者フェルナウン・デマガリャンエス(マゼラン)らの画像があり、2階への階段ではポルトガルの子供たちの姿がスライドで映し出され、「ポルトガルの今日」の展示へのつなぎになっていた。この部門では観光・風物の写真や農具、木製食器、木ぐつなどの生活用品、アンゴラの原住民の祭りに使われる面などが展示され、スライドその他で結婚式やスポーツ、教育、生活など現代のポルトガルが紹介されていた。