診察室
診察日2005年9月20日
テーマ: 芸能人症例スペシャル 本人が警告!私はこれで病気になりました…
『症例 脳梗塞 坂上二郎さんの場合』
『症例 関節リウマチ 叶和貴子さんの場合』
『症例 糖尿病 アントニオ猪木さんの場合』
『症例 多重癌 大空眞弓さんの場合』

『症例 脳梗塞 坂上二郎さんの場合』

坂上二郎さん/69歳(当時) コメディアン
2003年9月、突如、脳梗塞に見舞われ入院、死の淵をさまよった坂上二郎さん。しかし、彼は病に倒れる2年前頃から毎日2時間の散歩をはじめるなど、体には人一倍気を遣い、3年に一度の人間ドックでも異常が出たことがありませんでした。ところが、翌年、健康診断で「不整脈」が出ていることを指摘されます。(「不整脈」とは、高血圧、過労、ストレスなどが原因で心臓の鼓動に乱れが生じる病。)しかし不整脈の自覚症状がなかったため、処方された薬も飲む必要はないと勝手に判断してしまった坂上さん。さらに彼は散歩の際に喉が渇いても、太るからという理由で水分を摂ることを我慢していました。そんな坂上さんの体に、やがて小さな異変が襲いかかります。
(1)不整脈
(2)眠気
(3)手の震え
(4)左腕の麻痺
脳梗塞
<なぜ、坂上二郎さんは脳梗塞に?>
自覚症状がないことから不整脈の薬を飲まず、散歩で喉が渇いても太るからという理由で、水分を摂ることを我慢していた坂上さん。彼の血は水を飲まず運動をしたため濃縮型血液になり、さらに不整脈を治療しなかったことで心臓の内部は血栓ができやすい状態になっていました。3ヵ月後、十分睡眠をとっているのになぜか昼間無性に眠くなり、昼寝をするようになった坂上さん。実は、これが不整脈の症状。不整脈は心臓に負担をかけ、全身に疲労をもたらすため眠くなってしまうのです。そしてついに坂上さんの心臓には小さな血栓ができてしまいました。カラオケの最中にグラスを持つ手が突然震えだした坂上さん。実はこの時、心臓にあったあの血栓が脳へと運ばれ詰まってしまったのです。そして脳が虚血状態になったため、神経の指令系統が乱れ、手に震えが起きました。ところが、幸いこの時は脳の血管が完全に詰まることはなく、血流が戻ったため、最悪の事態は免れていました。実はこれが一過性脳虚血発作(いっかせい のう きょけつほっさ)と呼ばれる脳梗塞の前兆症状なのです。2003年9月26日、仲間とゴルフに出かけた坂上さんは、寒さでトイレが近くなることを嫌がり、水分をほとんど摂らないでいました。そして運命の6番ホール。アイアンショットを打とうとした時、左腕が完全に麻痺してしまった坂上さん。このとき、彼の心臓では出来ていた血栓が一気に脳へ。そして脳の動脈に詰まり、ついに脳梗塞を発症してしまったのです。しかし友人が異変に気づき坂上さんをその場に座らせた時、彼は自分の体の異変に全く気づいていませんでした。坂上さんにとって不幸中の幸いだったのは、一緒にゴルフをしていたこの友人が近所に住むかかりつけの医師だったこと。すぐさま、これまでのカルテが揃っている病院に運ばれる坂上さん。病院に着くなり昏睡状態に陥ったものの、1週間後、意識を取り戻しました。その後、懸命のリハビリと水分補給などの健康管理を徹底し、見事、舞台に復帰したのです。
『症例 関節リウマチ 叶和貴子さんの場合』
叶和貴子さん(女性)/35歳(当時) 女優
1991年12月、舞台のプレッシャーと年末のディナーショーなどが重なり、疲れがピークに達していた叶和貴子さん。しかも彼女は1週間前から風邪をひき、高熱と扁桃腺の腫れに悩まされていました。まさにそんな時、体の節々が痛くてしょうがなくなってきた叶さん。自分では風邪のせいと思い込んでいましたが、その後も様々な異変が続きます。
(1)節々の痛み
(2)異常な寒気
(3)指がこわばる
(4)膝の関節の痛み
(5)肩の関節の痛み
(6)顎の関節の痛み
関節リウマチ
<なぜ、叶和貴子さんは関節リウマチに?>
「関節リウマチ」とは、手や足など複数の関節が炎症を起こし、痛みや腫れをもたらす病。放っておくと手や足の関節が曲がったり、激痛のため歩けなくなることもあります。免疫の異常によって発症すると言われる関節リウマチ。その原因の一つは、肉体的、心理的ストレスにあると言われています。叶さんの場合、年末の疲労のピーク時に風邪をひいてしまったことがリウマチを発症させたと考えられるのです。ところが、リウマチと聞いて年配者がかかる軽い病気だと考えてしまった叶さんは、治療をはじめることなく再び、ストレスの多い女優生活へと戻ってしまいました。また、風邪薬を飲むと痛みが消えたのも関節リウマチの落とし穴でした。風邪薬には鎮痛剤が含まれているため、服用すると一時的に関節の痛みが消えてしまうのです。こうして叶さんの関節はゆっくりと蝕まれていきました。2年後、朝、歯ブラシを手にした時、指がこわばって力が入らなくなった叶さん。これこそ進行した関節リウマチの典型的な症状。この時、彼女の指の関節では、異常を起こした免疫機能が関節を激しく攻撃。そのため関節が滑らかに動かなくなり、こわばってしまったのです。それなのに、症状を見過ごしてしまった叶さん。やがて、膝、肩、アゴと全身の関節が悲鳴を上げ、日常生活すら送れないほど悪化していました。ここに至っても「治療に専念しては…」という医師の忠告を無視し、舞台のリハーサルを続けた叶さん。4ヵ月に及んだ公演を終え、病院に駆け込んだ時は、身体を支えるものがないと歩けないほどに症状が悪化していました。しかし叶さんはその後、全てのスケジュールをキャンセルし、治療に専念しました。そして3年後、リハビリを続けながら見事、芸能界に復帰。現在はテレビの情報番組にまで活躍の場を広げています。現在、関節リウマチで悩む人は、全国に70万人。毎年1万5千人もの新たな患者が増え続けていると言われています。特に30代から40代の女性の発症が多く、健康な女性こそ気をつけなければならない病なのです。
『症例 糖尿病 アントニオ猪木さんの場合』
アントニオ猪木さん/39歳(当時) プロレスラー
1982年、新日本プロレスを旗揚げして10年、レスラーとして脂が乗り切っていたアントニオ猪木さん。誰にも負けない強い肉体を作るため、ハードなトレーニングをこなす一方、とんでもない食生活を送っていました。ご飯はラーメンの丼で最高記録なんと11杯。肉も2,8kgものステーキを平らげたこともあったほど食べまくっていたのです。しかし、この頃から猪木さんの体内では、恐ろしい病が目覚める兆候が起きていました。
(1)喉の渇き
(2)眠気
(3)疲労感
(4)風邪が治らない
(5)頻尿
(6)尿の泡立ち
(7)歩くことさえおぼつかない
糖尿病
<なぜ、アントニオ猪木さんが糖尿病に?>
強い肉体を作るため、とんでもない量の食事をとっていた猪木さん。この頃から、彼のすい臓は大量の食事による糖分を体に取り込むため、インスリンを出し過ぎ、その機能を低下させ始めていました。そして彼を襲った喉の渇きや眠気、疲労感。これらの症状こそ、糖尿病を発症した証拠でした。この時、彼のすい臓は疲れ果て、インスリンの分泌が激減。そのため血糖値が急激に上がり、ついに糖尿病を発症してしまったのです。しかしなぜ、猪木さんが糖尿病になってしまったのでしょうか?すべての原因は、あの食生活と運動量のバランスにありました。当時、猪木さんがハードなトレーニングや試合で消費していたのは、1日約4500キロカロリー。これに対し、1日の食事では、なんと1万5千キロカロリー。つまり1日1万キロカロリー以上を余分に摂取。このとんでもない食習慣が猪木さんの糖尿病を発症させていたのです。しかし、トレーニングを続け、栄養のあるものを食べれば、ほどなく治るに違いない。そう信じていた猪木さんを、さらなる異変が襲います。ドバイ遠征から帰国して1ヶ月後、珍しく風邪を長引かせてしまったのです。さらに、この頃から、猪木さんは一日に20回以上もトイレに行き、しかも尿の異様な泡立ちが消えなくなります。これも糖尿病の典型的な症状でした。そして1982年6月、上昇し続けた血糖値は猪木さんの身体を蝕み、ついに歩くことさえおぼつかなくなってきました。この期に及んでようやくドクターに相談した猪木さん。検査の結果、緊急入院。さらに医師からはプロレスを引退しないと生死にかかわると迫られたのです。猪木さんはリングへの復帰を誓い、徹底した治療を開始しました。あの1万5千キロカロリーの食事は、一気に2000キロカロリーへと変更。絶えず襲う空腹はキャベツの千切りを食べてまぎらわせ、さらに病院の階段を使った有酸素運動を身体の動く限り続けたのです。3週間後、596もあった血糖値が180にまで好転。それは医師も驚くほどの奇跡の回復でした。そして入院からわずか44日、猪木さんの勇姿はリングに戻ってきたのです。
『症例 多重癌 大空眞弓さんの場合』
大空眞弓さん/55歳(当時) 女優
15歳にデビューして以来、半世紀もの間、映画、テレビ、舞台と、幅広く第一線で活躍してきた大空眞弓さん。芸能界一の酒豪とも言われた彼女は、おいしく酒が飲めるのは健康の証と、ブランデーを一日一本というペースで夜ごと飲み干していました。そんな大空さんが自分の身体に小さな異変を見つけたのは、今から10年前のことでした。
(1)左胸のしこり(乳癌)
乳癌・胃癌(2回)・食道癌[多重癌(たじゅうがん)]
<なぜ、大空眞弓さんが多重癌に?>
今から10年前、左の乳房に柔らかいしこりのようなものを発見した大空さん。早速,胸のエコー検査を受けますが、乳腺炎みたいなものだから心配いらないと言われました。その後は仕事に忙殺され、胸のシコリのことなどすっかり忘れていました。ところが3年後、定期検診を受けたところ、良性のシコリが悪性に変わっている可能性があるため再検査を受けるように言われます。そこで知人に紹介され、当時東京女子医科大学付属成人医学センターの所長をつとめていた横山泉医師のもとを訪ねた大空さん。この出会いこそ、彼女の運命を大きく変えることになりました。横山医師は開口一番、大空さんに乳癌を宣告しました。乳癌とは、乳房の中にある乳腺に発生する癌のこと。患者数は年々増加を続け、発症のピークは40代から50代の初めと言われています。当初は仕事が休めないため、手術を遅らせないかと依頼した大空さん。しかし、命の重さを説く横山医師の言葉に打たれ、乳房の切除を決断します。1998年12月、大空さんは左の乳房をすべて切除。手術は無事成功し、わずか10日後には大空さんは舞台に立っていました。そして、この後、大空さんは癌を早期発見するための徹底した検診を受け始めます。半年に一回、胃や腸を内視鏡で検診。特に乳癌に関しては、3ヵ月に一回検診をし、完璧な癌対策が施されました。そして2001年1月、検診を受けた大空さんは2度目の癌宣告を受けます。しかもその癌は乳癌から転移したものではありませんでした。多重癌。1人の人間に複数の癌が発生する癌の総称。患者数は年々増加を続け、今や多重癌の時代とも言われています。幸いにも、大空さんの胃癌はごく初期に発見されたため、開腹手術は必要なく、内視鏡を使った癌細胞の摘出で済ませることが出来ました。でも、これが終わりではなかったのです。2002年3月には、舞台の最中に再び胃に癌細胞が見つかり、さらにそれから1年4ヶ月後には食道でも癌細胞が発見されてしまったのです。しかし大空さんの場合、定期的な癌検診を受けていたお陰で、いずれの癌も早期に発見され、簡単な手術で取り除くことが出来ました。早期に発見すれば、癌は決して恐ろしい病ではないのです。4度の癌を克服した大空さんは、今も徹底した検査を受け、ガンとの闘いに備えています。
ガンの危険度問診