月〜金曜日 21時54分〜22時00分


松阪 三雲

 松阪は津と伊勢のほぼ中間にあり、参宮、和歌山、熊野の3街道が合流し、各街道に沿って宿場町を形成した。伊勢参りの参拝者らの往来で町はにぎわい、江戸時代から宿場町として大いに栄えた。また、城下町であると同時に、松阪木綿の産地としての商業の町、江戸で羽振りをきかせた伊勢商人の本拠地でもある。
 三雲町は松阪市の北に隣接する町。


 
松坂城跡御城番(ごじょうばん)屋敷 放送 1月10日(月)
松阪城跡の石垣 松坂城は戦国時代の名将・蒲生氏郷が天正16年(1588)に四五百(よいほ)の森と呼ばれる丘陵地に築城した。当時は天守閣がそびえ、二丸、三の丸には高い石垣を築き、周囲には櫓(やぐら)を配した威容を誇る城郭だった。その後、天守閣は強風で倒壊し、他の建物も火災で焼失した。現在は石垣が残っているだけだが、公園として市民の憩いの場になっている。
 氏郷は城下町を作るのに出身地の近江や各地から商人を呼び寄せ、商業の自由を保証し、商都・松阪の基礎を築いた。また、海岸沿いにあった参宮道を町の中心に移し、宿場町の発展を図った。
(写真 松阪城跡の石垣)

御城番屋敷 松坂城を築いた蒲生氏郷は3年後に会津へ42万石で移封された。江戸時代に入り松阪は紀州徳川家の領地となり、松坂城には紀州藩の城代が置かれるようになった。
 御城番屋敷は松坂城の警備に当たっていた紀州藩士とその家族の住宅として、文久3年(1863)に建てられた。周囲に垣根をめぐらした約1ha の屋敷に、住宅20戸の主屋2棟と前庭、畑地、土蔵、南龍神社がある。明治維新後、政府は士族の生活を保証するため、公債の支給、官有地の払い下げを行った。御城番の士族たちはこれらの財産を運用するため合資会社「苗秀社」を設立した。
 屋敷には現在も藩士の子孫が住み、12戸は借家として利用されている。「苗秀社」も子孫が運営し、屋敷の維持管理にあたっている。松阪市は西棟北端の1戸を借り受け、当時の住宅に復元し一般公開している。
(写真 御城番屋敷)


 
松坂商人の館 放送 1月11日(火)
松阪商人の家外観 松阪城を築いた蒲生氏郷は、城下町に楽市楽座を設け商業の町としての繁栄をはかってきた。江戸時代前期には三井、小津、長谷川、長井、殿村らの豪商が誕生、江戸や京、大阪に店を構えるようになった。
 その中で筆頭格の小津清左衛門の旧邸が、伊勢参宮街道沿いにある。江戸・日本橋を中心に紙問屋を大々的に営んでいた小津家の松阪の邸宅で、松阪市がこの邸宅を購入、内部を当時の姿に復元し「松阪商人の館」として一般公開した。
(写真 松阪商人の家外観)

松阪商人の庭 「松阪商人の館」は外観は質素に見えるが、内部は広く豪商の邸宅にふさわしい豪壮な造りになっている。20余りの部屋、2つの蔵、4つの庭があり、最盛期には約60人もの人が住んでいた。邸内の重厚な蔵を利用した展示室には、小津家と松阪商人の資料が展示されている。展示物の中には千両箱や千両箱を入れる万両箱などがあり、松阪商人の豪勢ぶりがうかがえる。
 当時の松阪商人は、江戸などにあった店は使用人の手代などに任せ、自分は松阪で人生を楽しむと言う風流な人たちが多かったようだ。こうした気質から手にした富を生かしきれず、近代化の波の中で姿を消していった商人が多かった。松阪商人で日本の財界を支配するまでになったのが三井高利が家祖の三井家。呉服商「越後屋」が「三越」に発展したほか、後の三井財閥を形成するまでになった。
(写真 松阪商人の庭)


 
伊勢山上・飯福田寺(いぶたじ) 放送 1月12日(水)
飯福田寺岩屋本堂 松阪市の中心地から西に外れた嬉野町に近い丘陵地にあるのが飯福田寺。藤原時代の大宝元年(701)に修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が、修験場として開いたと伝えられている。平安時代は国司の北畠氏が代々の住職を出していたが、北畠氏滅亡後はその勢いが衰えた。
 飯福田寺がある伊勢山上と言われる山は、奇岩や巨岩が点在し、うっそうとした古木におおわれた山。この山中に修験者たちが巡礼参拝する表行場、裏行場がある。
(写真 飯福田寺岩屋本堂)

行場 表行場は約1時間半のコースで、油こぼし、屏風岩、行者越え、東ののぞき、岩屋本堂、鐘掛け。裏行場は約40分のコースで達磨(だるま)岩、獅子が鼻、西ののぞき、胎内くぐりなどの難所の霊場がある。これらの修業の霊場は修験道の本場、奈良・吉野の大峰山以上のスリルがあるとも言われている。
 この付近一帯は、三重県立自然公園に指定されており、今は修験道の行者より眺望と自然を楽しむハイカーの姿が目立つ。表、裏行場も危険な所は避けて安全なコースを選べば、家族連れでスリルを楽しみながら初夏の新緑、秋の紅葉などが楽しめ、人気を集めている。
(写真 行場)


 
朝田寺(ちょうでんじ) 放送 1月13日(木)
地蔵菩薩「平安初期・重文」 「朝田の地藏さん」として親しまれているの朝田寺。松阪市内で「朝田寺はどこですか」と聞くより「朝田の地藏さんはどう行けばよいか」とたずねた方がわかりやすいと言う。
 朝田寺は奈良時代の神護景雲4年(770)にこの地の豪族が、川に浮かんでいた大木を地蔵菩薩が授けた霊木と感得し、家に持ち運んだ。37年後の大同2年(807)に、伊勢参りの途中の弘法大師・空海が、豪族宅を訪れ、この霊木で地蔵菩薩像を彫ったと伝えられている。この地蔵菩薩立像が朝田寺の本尊で国の重要文化財。寺はこのころに開かれた見られている。朝田寺には平安時代作の仏像15体があり、歴史の古さを物語っている。
(写真 地蔵菩薩「平安初期・重文」)

獏図(曽我蕭白・重文) 朝田寺が伊勢参宮街道沿いにあるため、江戸時代中期の画家・曽我蕭白(そがしょうはく)が、30歳代に2度立ち寄り、数点の作品を残している。その代表的なものが国の重要文化財で、雄、雌の獅子を力強い筆致で描いた2幅の獅子図のほかに貘(ばく)図、鳳凰図などがある。
 この地方では人が亡くなると葬儀の後、故人が愛用していた衣類を地蔵菩薩像が安置されている朝田寺本堂につるす「道あけ供養」とか「おとどけ参り」と呼ばれる風習がある。これを「掛衣(かけえ)」と言い、お盆の時にその衣類の下で故人を霊を慰め、お地蔵さんに故人を極楽浄土へ導いてもらう。
(写真 獏図「曽我蕭白・重文」)


 
北海道の名付け親・松浦武四郎 放送 1月14日(金)
松浦武四郎肖像 江戸時代の探検家・松浦武四郎は松阪の北隣・三雲町の生まれで「北海道の名付け
親」として知られている。生家の松浦家に保存されていた松浦武四郎に関する遺品や資料が平成5年(1993)、三雲町に寄贈された。町は「松浦武四郎記念館」を建設し、翌年7月にオープンした。
 記念館では探検家、旅行家、作家など多方面で活躍した松浦を紹介している。展示室には松浦の日誌、地図類などの資料を展示、ビデオシアターでは生涯を追った「武四郎の見たもの」を上映している。また、テレビ画面を見ながらクイズに挑戦する「松浦武四郎日本全国なんでもクイズ」のコーナーもある。
(写真 松浦武四郎肖像)

蝦夷地南部地図 松浦は28歳の時、初めて蝦夷地に渡り、以後、計6回におよぶ調査、探検を行っている。この間に「蝦夷大概図」や28冊の「東西蝦夷山川地理取調図」など、多くの調査報告書を出している。明治維新後、政府の蝦夷地開拓御用掛となり、北海道の道名、国名、郡名の選定の作業に携わった。北海道名選定上申書では、道名として「日高見道」「北加伊道」「海北道」など6案を上申した。政府はその中から「北加伊道」を採用し「加伊」を「海」に改め「北海道」とした。
 松浦は詩歌、書、絵画、篆刻(てんこく)など、学問、趣味の幅も広く、優れた人物だった。また、圧政に苦しむアイヌ人のよき理解者で、人間性豊かなヒューマニストだった。
 小銭、古仏像の収集では全国で1、2を争うと言われるほどで、後に収集した小銭は大蔵省へ寄贈された。
(写真 蝦夷地南部地図)


あ    し
松阪城跡・御城番屋敷  JR・近鉄松阪駅から徒歩15分、バス市民病院下車。
松阪商人の館 JR・近鉄松阪駅から徒歩10分。
飯福田寺  JR・近鉄松阪駅から柚原行きバスで約40分、終点柚原下車、徒歩約40分。
朝田寺   JR・近鉄松阪駅からタクシーで10分。
松浦武四郎記念館 JR・近鉄津又は松阪駅からバスで25分、小野江下車徒歩15分。近鉄伊勢中川駅からタクシー7分。
問い合わせ先
松阪市商工観光課 0598−53−4406
御城番屋敷 0598−26−5174
松阪商人の館  0598−21−4331
飯福田寺 0598−35−0004
朝田寺  0598−51−8661
松浦武四郎記念館 0598−56−6847

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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