月〜金曜日 21時48分〜21時54分


京都の世界文化遺産 

 京都市、宇治市、大津市の「古都京都の文化財」から賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)、教王護国寺(東寺)、清水寺、延暦寺、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺(苔寺)、天竜寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、竜安寺、本願寺(西本願寺)、二条城の17の社寺や城が、平成6年(1994)世界文化遺産に登録された。今回はこの中から5社寺を紹介する。


 
上賀茂神社  放送 1月15日(月)
楼門(重文) 上賀茂神社の正式名は賀茂別雷(かもわけいかづち)神社で、下鴨神社と合わせて賀茂神社と呼び、京都では最古の神社。祭神は下鴨神社の祭神のひとり、玉依姫命(たまよりひめのみこと)の子・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)。雷の威力で災厄を払い除けてくれるご利益を授かるという。
 朱塗りの二層の楼門をくぐるとその奥の右に本殿、左に権殿があり、いずれも国宝に指定されている。神社の創建は下鴨神社と同じ、天武天皇の時代と伝えられている。本殿、権殿は創建以来、たびたび建て替えられており、平安時代後期からは20年ごとの式年造営が行われた。現在の建物は江戸時代の文久3年(1863)に造営されたもので、三間社流造の建築様式が引き継がれている。その他の社殿34棟は国の重要文化財に指定されている。
(写真は 楼門(重文))

立砂 細殿前の円錐形の美しい一対の立砂は「清めのお砂」と呼ばれる。この立砂は神が降臨した神社の後ろにある神山(こうやま)を形取ったもので、神が宿る所とされ立砂信仰の起源となっている。約75万平方mの広大な境内は古木の緑があふれ、小川が流れる静かな雰囲気に包まれている。一の鳥居から二の鳥居までの両側は開放的な芝生におおわれている。
 上賀茂神社の年中行事には下鴨神社と合同で行われる葵祭が有名で、他にも五穀豊穰を願う競馬(くらべうま)神事や、珍しい烏相撲がある。烏相撲は祭神の賀茂別雷命の祖父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が、神武天皇東征の時、八咫烏(やたがらす)となって先導したことに由来したもので、子供たちが相撲をとる前に神官が烏のように横飛びをして鳴き声をあげるユーモラスな神事。
(写真は 立砂)


 
高山寺  放送 1月16日(火)
石水院(国宝) 福井・小浜に通じる国道162号・周山街道沿いの清滝川に沿って高雄(尾)、槇尾、栂尾の「三尾(さんび)の山里」がある。高雄山神護寺、槇尾山西明寺、栂尾山高山寺の三古刹の山号を総称して「三尾」と呼ぶようになった。
 高山寺は奈良時代の宝亀5年(774)に光仁天皇の勅願によって創建され、神願寺都賀尾坊と号した。その後、栂尾十無尽院と改めたが衰退し荒廃していた。鎌倉時代の建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽上皇の院宣を受けて再興し「日出先照高山之寺」の勅額を賜り高山寺と改称した。
 当時の堂塔はほとんど焼失し、後鳥羽上皇から学問所として賜った石水院だけが残っている。国宝の石水院は当初は金堂の右側にあったが、明治22年(1889)に現在地に移築された。柿(こけら)ぶき、入母屋造の簡素な中にも優雅さを保つ建物で「日出先照高山之寺」の勅額や鉄斎の「石水院」の額が架かっている。
(写真は 石水院(国宝))

明恵上人樹下坐禅像(国宝) 高山寺は文化財の宝庫ともいわれ国宝や重要文化財の建物、仏像、書画などを多数所蔵している。その中で国宝の「鳥獣人物戯画4巻」は有名だ。鳥羽僧正の筆によるものと伝えられているが、3、4巻は作成の時代が下がり別人の筆によるものとの説もある。同じく国宝の明恵上人樹上座禅像は上人の容貌や周囲の自然が生き生きと描かれた写実的な絵として知られている。
 境内の参道脇にある茶園は、わが国で初めて茶の栽培を始めた明恵上人の偉業をしのぶもので、栂尾は日本の茶栽培の発祥地といわれている。鎌倉時代初め栄西禅師が、中国・宋から持ち帰った茶の種を明恵上人に贈り、栂尾にまいて栽培を始め、この茶が宇治にも広がり現在の宇治茶となった。今も宇治の茶業者が毎年、新茶を上人の御廟に献茶している。
(写真は 明恵上人樹下坐禅像(国宝))


 
西芳寺(苔寺)  放送 1月17日(水)
心字池(特別名勝) 一般の観光客らから「苔寺(こけでら)」の呼び名で親しまれているのが西芳寺。洛西・嵐山から南へ約2.5km歩いたところにあり、今から1300年前の奈良時代の天平3年(731)聖武天皇の勅願で、行基が創建した畿内49院のひとつの西方寺が起こり。その後、荒廃していた寺を夢想国師が、南北朝時代の暦応2年(1339)に伽藍(がらん)を再興し、寺名も西芳寺と改めた。
 夢想国師は伽藍再興とともに境内に庭園も作った。京都市内でも有数の名園として知られており、120種の苔が緑のじゅうたんを敷き詰めたように庭園をおおい、その美しさから苔寺の名で呼ばれるようになった。
(写真は 心字池(特別名勝))

湘南亭(重文) 境内の大部分を占める庭園は上下2段にわかれ、上段は背後の山腹を利用した枯山水庭園、下段は黄金池を中心にした池泉回遊式庭園となっている。下段の黄金池は心の字の形になっており心字池とも呼ばれている。池のほとりには千利休の次男・少庵が建立した茶室・湘南亭(国・重文)があり、北に張り出した月見台が特徴的である。
 上下の庭園の境にある向上関は禅の修行の第一関門を表し、この門を通り抜けて禅の修行の厳しさを表している石段を登ると枯山水庭園に出る。この庭の石組は日本最古の枯山水石組といわれ、三段構えの石組は水が三段の滝になって流れ落ちる景色を表している。近くには夢想国師が断食修行をしたとされる座禅石がある。
 拝観は事前の申し込みが必要。往復はがきに拝観希望日、人数、代表者住所、氏名を記入して2週間前までに〒615−8286京都市西京区松尾神ケ谷町56 西芳寺へ。
(写真は 湘南亭(重文))


 
下鴨神社  放送 1月18日(木)
幣殿(重文) 下鴨神社の呼び名で親しまれているが、正式な神社名は賀茂御祖(かもみおや)神社と言い、上賀茂神社の上社に対して下社と呼んで両社合わせて賀茂神社と言う。 祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)。創建は上賀茂神社と同じ天武天皇の時代と伝えられており、この地の豪族・賀茂氏の氏神だった。桓武天皇の平安遷都以後、平安京の鎮守神として朝廷の崇敬を受け、伊勢神宮に次ぐ大社になり、歴代天皇の賀茂神社行幸は平安時代の恒例となった。
 両祭神を祭る国宝の東本殿、西本殿は、室町時代中期までは上賀茂神社と合わせて20年ごとに造営する式年造営が行われた。現在の社殿は文久3年(1863)に造営された桧皮ぶき、三間社流造。その他の社殿、摂社、末社のほとんどが国の重要文化財、境内は国の史跡に指定されている。
(写真は 幣殿(重文))

みたらしの池 下鴨神社の社地は、加茂川と高野川の合流地点の糺(ただす)の森の一角にあり、広大な境内は約13万平方m。境内には泉川、御手洗川などと呼ばれる小川も流れている。平安時代以来の潔斎の場と知られ、原生林の面影を残す糺の森と相まって静かで荘厳な雰囲気をかもし出している。
 境内にある多くの摂社、末社のうち十二支のえとを祭った言社(ことしゃ)は、それぞれのえとの守り神して信仰されており、自分のえとやその年のえとの神に祈る人が多い。
 上賀茂神社と合同で行われる5月15日の葵祭は京都三大祭のひとつとして有名。葵祭の起源は古く、6世紀中ごろの欽明天皇の時代、農作物の凶作は賀茂の神のたたりだとして馬に鈴をつけて走らせたところ豊作になったので、以来、賀茂神社の祭礼として行われるようになった。葵祭の名は祭の当日、社殿をはじめ牛車、民家の軒、参列者、供奉者の衣冠などを葵の葉で飾ったことから起こった。祭は勅使、検非違使、山城使、内蔵使、斎王代や牛車などが約1kmにわたり続く。総勢600人近い行列が京都御所を出発、丸太町通、川端通を経て下鴨神社から上賀茂神社に着くまで約5時間にわたる王朝絵巻を繰り広げる。
(写真は みたらしの池)


 
宇治上神社  放送 1月19日(金)
本殿(国宝) 宇治川右岸の仏徳山の麓にある宇治上神社は旧宇治神社の上社だった。国宝の本殿は平安時代の11世紀の建立と推定され、現存する神社建築では最古のものとされている。この本殿は非常に特徴的で一間社流造の社殿3棟が、大きな建物の覆屋(おおいや)の中に祭られている。3棟とも覆屋で保護されているので保存状態はよく、平安時代の神社建築の特色をよく表している。対岸の平等院鳳凰堂と同じ時期の建立と見られており、奇しくも平等院と同時に世界文化遺産に登録された。
 祭神は3社殿の左が宇治の地名の由来となった菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、中央がその父・応神天皇、右が兄・仁徳天皇となっている。左右の社殿が大きく、中央が小さいのは、菟道稚郎子を祭る社殿だけだったのが、右の社殿が加わり、更に中央の社殿が加わったためと推定されている。
(写真は 本殿(国宝))

拝殿(国宝) 本殿の一段下の拝殿も国宝で切妻造桧皮葺きで、左右にひさしを出し、中央には板唐戸、左右に蔀戸(しとみど)があり、周囲に縁をめぐらした特徴的な建物。宇治離宮の遺構を伝えている寝殿造形式の住宅建築となっており、鎌倉時代前期の建立と推定されるが、当時の優れた匠の手によることがうかがえる。
 宇治上神社付近は、古くは応神天皇の離宮、菟道稚郎子の桐原日桁宮(きりはらのひけたのみや)があったとされている。宇治は紫式部の源氏物語宇治十帖の舞台となったところで、源氏物語では宇治上神社付近に政争に敗れた光源氏の異母弟・八宮の住まいが描写されている。また宇治十帖の「総角(あげまき)」や「早蕨(さわらび)」などの古跡が付近にある。
(写真は 拝殿(国宝))


◇あ    し◇
上賀茂神社京都市バス、京都バス上賀茂神社前下車。 
高山寺JRバス栂尾下車徒歩5分。 
西芳寺 京都バス苔寺下車。京都市バス苔寺道下車徒歩10分。 
下鴨神社京都市バス下鴨神社前下車。京阪電鉄出町柳駅下車徒歩15分。 
宇治上神社京阪電鉄宇治線宇治駅下車徒歩10分。JR奈良線宇治駅下車徒歩20分。 
◇問い合わせ先◇
上賀茂神社075−781−0011 
高山寺075−861−4204 
西芳寺075−391−3631 
下鴨神社075−781−0010 
宇治上神社0774−21−4634 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

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  「新しい余暇ゾーンづくり」
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