月〜金曜日 18時54分〜19時00分


酒蔵のある町・伊丹と西宮 

 灘五郷と京都伏見に代表されるように関西は銘酒の主産地である。白壁の酒蔵が建ち並ぶ造り酒屋の町並みには独特の雰囲気がある。今回は関西でも古くから酒造りを企業化し、江戸へ銘酒を出荷していた伊丹と灘五郷のひとつ西宮を訪ね、酒造りの今昔を見てみた。


 
酒造りの町(伊丹市)  放送 1月20日(月)
 鎌倉時代から戦国時代にかけて城下町だった伊丹は、酒造りの町でもあった。戦国時代の武将・山中鹿之介の孫・幸元(新六)が伊丹で酒造りを始め、これが後の鴻池家になる。
 慶長5年(1600)鴻池家発祥の地・鴻池村で澄んだ酒が発明された。それまでの日本の酒はにごり酒だった。伝承によると鴻池家を解雇された使用人が腹いせに酒桶の中へ灰を投げ入れた。灰のアクでにごり酒は一夜で透明な清酒になっていたという。当時の鴻池村、現在の伊丹市鴻池には「清酒発祥の地」を示す石碑「鴻池稲荷詞碑(こうのいけいなりしひ)」が立っている。清酒誕生にはほかにいろいろな説があるが、清酒の製法が見つかってから伊丹の酒造業は急速に栄えた。天文19年(1550)薬種商であった小西家(小西酒造の前身)の初代・新右衛門も伊丹で酒造りを始めた。鴻池家と同じ頃に小西家でも清酒の製造を始めた。

長寿蔵

(写真は 長寿蔵)

室(麹をつくる場所)

 小西酒造の「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」では、昔ながらの手法で酒をしぼり、白雪のように淡く濁った江戸時代の酒・諸白(もろはく)づくりの「伊丹諸白長寿蔵淡にごり」が味わえる。また館内には酒造りの道具や映像などで酒造りを紹介したり、レストランや酒の売店もある。
 酒造りが最盛期の江戸時代中期には、72軒の造り酒屋が建ち並んでいたこのあたりを伊丹郷町(ごうちょう)と呼んでいた。江戸時代中期に発刊された日本山海名産図会に「伊丹は日本上酒の初めとも言うべし」と記されており、銘酒の産地として知られていた。伊丹の酒は菱垣廻船(ひがきかいせん)、後には酒を専門に運ぶ樽廻船によって、72リットル入りの樽で年間100万樽以上も江戸に運ばれた。船に積み込まれた酒は酒樽の中で波に揺られ、樽の杉の香が移り江戸に着くころには芳純な味になった。辛口で淡泊な伊丹の酒は江戸の人たちの人気を呼び、徳川将軍の御膳酒にもなった銘柄もあったほどだ。

(写真は 室(麹をつくる場所))


 
みやのまえ文化の郷(伊丹市)  放送 1月21日(火)
 酒造業で栄えた経済力を背景に江戸時代、伊丹では俳諧を始めとする豊かな文化が花開いた。「みやのまえ文化の郷(さと)」は、伊丹市宮ノ前地区にある伊丹市立美術館、伊丹市立工芸センター、伊丹郷町(いたみごうちょう)館(旧岡田家住宅、旧石橋家住宅、新町家)、柿衛(かきもり)文庫で構成された伊丹の歴史と文化を紹介する文化ゾーンの愛称である。
 旧岡田家住宅は江戸時代初期の延宝2年(1674)に建てられた町家で酒造業を営んでいた。明治33年(1900)岡田家の所有となったが、店舗は兵庫県内で現存する最古の町家(国・重文)で貴重な存在である。酒蔵(国・重文)は現存する日本最古の酒蔵で、内部には伊丹の酒造業の歴史が展示されている。
 工芸センターは国内外の工芸作品の展覧会、工芸講座、講演会などを行う全国的にも珍しい公立の工芸振興施設である。

旧岡田家

(写真は 旧岡田家)

旧石橋家

 旧石橋家住宅は江戸時代後期に建てられた商家で、虫籠(むしこ)窓、出格子窓、摺(す)り揚げ大戸の出入り口、ばったり床几(しょうぎ)、揚見世(あがみせ)など、建築当時の店構えをそのまま残している。石橋家は18世紀に猪名野神社の門前通りで商売を始め、明治時代以降、紙と金物の小売り業のかたわら酒造業を始めていた。旧石橋家住宅内では工芸センターに集う作家の作品を紹介、販売している郷町ショップ、金、土、日曜日のみ一日50席分の予約制弁当が用意され、日本庭園を眺めながら味わうことができる。
 酒造りで豊になった伊丹で江戸時代に俳諧文化が花開き、故・岡田利兵衞氏が(俳号・柿衞)が収集した俳諧文化に関する書籍や軸物、短冊などの資料約9500点を所有、展示しているのが柿衛文庫。東京大学図書館の「洒竹・竹冷文庫」、天理大学図書館の「綿屋文庫」と並ぶ日本3大俳諧コレクションのひとつにあげられている。

(写真は 旧石橋家)


 
西宮郷(西宮市)  放送 1月22日(水)
 全国に知れ渡っている「灘の生一本」は、灘五郷で造られる酒の総称。灘五郷は西宮市の西宮郷、今津郷、神戸市の魚崎郷、御影郷、西郷の酒造地域を言う。灘五郷のひとつである西宮にはいくつもの酒造会社の工場、酒蔵が建ち並び、古い酒蔵を活用したレストランやショップ、ミュージアムが酒蔵通りを形作り、ほのかに甘い酒の香を漂わせている。
 西宮郷で酒造りが盛んになったのは江戸時代後期からだが、その大きな要因に酒造りに適した六甲山からの伏流水「宮水」の発見がある。酒は暑い夏を過ぎると秋落ちと言われて味が変わった。ところが西宮の酒だけはむしろ秋を迎えて一段と味がさえ、芳醇(ほうじゅん)になり秋晴れと称賛された。この決め手は、天保11年(1840に桜正宗の山邑太郎左衛門が発見した硬水の宮水だった。宮水は麹(こうじ)菌や酵母が増殖するための栄養源となり、酒の醸造に必要なカルシウムやリン、カリウムなどが豊富で、酒を変色させる鉄分が少ない純度の高い硬水である。山邑が見つけた宮水の井戸のそばには「宮水発祥之地」の石碑を立てて保存している。

酒ミュージアム

(写真は 酒ミュージアム)

蒸し

 酒蔵通りを落ち着いた雰囲気にさせるのが白壁の酒蔵である。白鹿の辰馬本家酒造が創業320年を記念して昭和57年(1982)にオープンしたのが白鹿記念酒造博物館である。この博物館は酒蔵、喜十郎邸、記念館で構成され、近代化された酒造工場では見られなくなった昔の酒造りの作業風景や工程、酒造の歴史などをわかりやすく展示している。杜氏と蔵人たちがわが子を慈しむような愛情で酒造りの作業をする様子が模型を使って再現されている。今では姿を消した酒造りの樽や桶などの酒造用具が並べられ、古いものへの郷愁を感じさせる。
 博物館の北側にあるのがレストラン&カフェとショップの白鹿クラシックス。酒蔵の雰囲気を生かした高い天井の豪壮な梁や棟木に調和させたシックな赤レンガ壁、真っ白な漆喰(しっくい)壁のレストラン&カフェでは白鹿の銘酒、和と洋をミックスさせた独創的な料理や石釜焙煎のコーヒーが味わえる。ショップでは蔵元でしか味わえないきき酒もでき、酒の量り売りもある。

(写真は 蒸し)


 
酒どころの洋館(西宮市)  放送 1月23日(木)
 酒造会社や酒蔵、酒の博物館、酒のショップなどが建ち並ぶ酒蔵通りのあたりには、歴史的価値のある洋館もかいま見られる。
 辰馬本家酒造の元社長宅であった「喜十郎邸」は、明治21年(1888)に日本人が初めて建造して住んだ洋館と言われている。神戸の英国領事館を模して建築したとも伝えられており、随所にモダンなデザインが取り入れられている。洋館ながらやはり日本人が住み生活する住宅なので、和室もある和洋折衷様式が特徴になっている。保存のため内部は公開されていないが、白鹿記念酒造博物館内に展示されているパネルで、内部の様子を知ることができる。

旧辰馬喜十郎邸

(写真は 旧辰馬喜十郎邸)

六角堂

 今津小学校の敷地内にモダンな木造2階建ての「六角堂」と呼ばれる建物がある。小学校教育重視の気運が高まっていた明治15年(1882)今津小学校の校舎としてに建てられたもので、当時はモダンな校舎として話題になった。その後、移築されて今津公民館となったが、名神高速道路インターチェンジの建設に伴い、取り壊される運命に遭遇した。しかし、地域住民の強い愛着心による保存運動が実り、現在の場所に移築され今津のシンボルとして保存されている。洋式の小学校建築としては松本市の開智小学校についで古い建物と言われ、学校建築の貴重な資料とされている。
 第2次世界大戦の空襲もまぬがれ、阪神淡路大震災でも倒壊しなかった六角堂は、1階が展示室、2階が視聴覚室として一般公開されている。

(写真は 六角堂)


 
今津郷(西宮市)  放送 1月24日(金)
 灘五郷の東端が今津郷。かつては酒の積み出しでにぎわった港に建つ和風灯籠形灯台は、江戸時代に当時の酒造家・長部家(現大関)の5代目当主・長兵衛が、船の出入りの安全を願い文化7年(1810)私費を投じて建造した。現在の灯台は6代目当主・文治郎が再建したものを基本に復元されたもので、正式名称は「大関酒造今津灯台」と言い立派な現役灯台である。
 木造の袴腰付灯籠形行灯式灯台で、建設当時は油を燃料にしていた。大正年間に電化されるまでは、長部家の奉公人が毎夕、さみしい酒蔵の並ぶ小路を2合(360cc)の油を持って点灯に通っていた。現在の今津港あたりはヨットハーバーのような景観になってしまったが、今津灯台だけは昔ながらの姿で電灯に代わった今も港の安全を見守っている。

灯台

(写真は 灯台)

酒饅頭

 清酒業界は一時、消費者の日本酒離れがあって以来、女性や若者向けのニーズに応えようと懸命に工夫を凝らしてきた。女性の口に合うさっぱりとした酒、酒を入れる瓶や紙パックにも工夫を凝らした。
 酒をアレンジした商品の開発にも力を入れてきた。酒造メーカーの大関は地域に密着した酒文化の向上を目指し、酒菓子作りにも取り組んでいる。関寿庵には酒を使った菓子がいっぱい並んでいる。酒まんじゅう、酒せんべい、酒カステラ、酒ようかん、酒ゼリーなど、どれを買おうかと迷ってしまうほどの品揃えである。
 また、大関ではミネラル、ビタミンを豊富に含んだ酒粕に酵母を加えて再発酵させ、抽出した美肌効果のある酒粕発酵エキスを入れた化粧水、パック液、クリームなどを作り売り出している。日本酒は人びとを心地よい気分にさせ、菓子にうま味を加え、女性を美しくするなど、まさに百薬の長である。

(写真は 酒饅頭)


◇あ    し◇
鴻池稲荷詞碑JR福知山線伊丹駅、阪急電鉄伊丹線伊丹駅から
バス北センター前下車徒歩3分。 
白雪ブルワリービレッジ長寿蔵 JR福知山線伊丹駅、阪急電鉄伊丹線伊丹駅下車
徒歩5分。 
みやのまえ文化の郷JR福知山線伊丹駅、阪急電鉄伊丹線伊丹駅下車
徒歩10分。 
宮水発祥之地阪神電鉄西宮駅下車徒歩10分。 
白鹿記念酒造博物館、喜十郎邸阪神電鉄西宮駅下車徒歩15分。 
六角堂阪神電鉄久寿川駅下車徒歩8分。 
今津灯台阪神電鉄久寿川駅下車徒歩15分。 
関寿庵阪神電鉄久寿川駅下車徒歩10分。 
◇問い合わせ先◇
伊丹市役所都市住宅部
都市景観担当
072−784−8125  
白雪ブルワリービレッジ長寿蔵 072−773−1111 
みやのまえ文化の郷072−772−5959 
白鹿記念酒造博物館、喜十郎邸0798−33−0008 
六角堂0798−33−0923 
関寿庵0798−22−3300 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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