月〜金曜日 20時54分〜21時00分


西国三十三カ所巡り 

 関西の人々にとって西国三十三カ所巡礼は、四国八十八カ所巡礼と共に仏様を近くに感じながらお参りする旅。三十三の姿に身を変え、悩める人々を救う観音様を本尊とする関西の三十三カ所の観音霊場を巡礼するが西国三十三カ所巡礼。今回から歴史街道で三十三カ所観音霊場巡りをシリーズとしてスタートさせ、逐次、霊場とその周辺の史跡や名勝を紹介する。


 
第一番札所・青岸渡寺
(和歌山・那智勝浦町) 
放送 1月28日(月)
花山法皇 西国三十三カ所巡礼が始まったのは奈良時代前期とする伝説があるが、盛んになったのは平安時代中期以降と言える。平安時代中期に花山法皇が自ら主な霊場を巡ってから、多くの天皇や朝廷貴族らが霊場巡りをするようになったと伝えられる。青岸渡寺は神仏習合の熊野三山の本地仏をまつる地として崇敬を集めると共に、一大修験道場となり参詣者の列が後を絶たなかった。
 観音巡礼を発願した花山法皇は正暦年間(990〜995)那智山に3年間とどまって修行、青岸渡寺を第一番札所としたという。後に、西国三十三カ所第一番札所として隆盛を極めた。
 本堂付近から三重塔を近景にした那智の滝の眺めも良いが、三重塔からの那智の滝の眺めは眼前にさえぎるものがなく、那智原始林をバックにした那智の滝の随一の眺めと言われている。
(写真は 花山法皇)

如意輪観世音菩薩(御前立ち) 青岸渡寺は仁徳天皇の時代に熊野浦に漂着したインドの僧・裸形(らぎょう)上人が、那智の滝から感得した8寸(約26cm)の金像・如意輪観音像を安置して、草堂を開いたのが起源と伝えられている。現本尊の如意輪観音像は、飛鳥時代に推古天皇の勅願で大和の僧・生仏(しょうぶつ)上人が現在地に堂塔を造営した時に刻み、その胎内に裸形上人感得の観音像を納めたと言われている。
 戦国時代、織田信長の兵火で本堂は焼失したが、天正15年(1587)豊臣秀吉が弟の秀長に本堂の再建を命じ、3年後に完成した。以後、明治維新の神仏分離令まで7寺36坊の伽藍(がらん)を誇っていた。本堂と那智の滝のほぼ中間に建つ三重塔は昭和47年(1972)に300年ぶりに再建されたもので、高さ25mの朱塗りの塔。 御詠歌は「ふだらくや きしうつなみは みくまのの なちのおやまに ひびくたきつせ」(写真は 如意輪観世音菩薩(御前立ち))


 
那智の大滝(和歌山・那智勝浦町)  放送 1月29日(火)
那智の瀧 苔むした石畳が続く大門坂は熊野詣の旧参道。参道の両脇には樹齢600年を超す夫婦杉をはじめ、樹齢400〜500年のうっそうとした杉木立が広がっている。かつては蟻の熊野詣と言われたほど、大勢の人々がこの参道に行列をなして熊野三山の一つ、熊野那智大社や西国三十三カ所第一番札所・青岸渡寺を目指した。
 那智山のシンボルである日本一の大滝・那智の滝は熊野那智大社の別宮・飛滝(ひろう)神社の御神体。高さ133m、幅13m、滝つぼの深さ10m、毎秒1トンもの水が天から溢れるように落ちてくる。この壮大な眺めは自然の神秘、厳かさを感じさせる。
(写真は 那智の瀧)

熊野那智大社 那智の滝は那智四十八滝の中の「一の滝」で日本三大名瀑のひとつ。那智の滝の上流には高さ13mの「二の滝」、高さ10mの「三の滝」など、数多くの滝が連なっており、それぞれの滝で修験道の行者たちが修行した。平家物語に文覚上人がこの地で修行、寒さのために凍死する寸前を不動明王に助けられて修行を成就したとあり、那智の滝の下流にその文覚の滝がある。
 文豪・佐藤春夫は「美麗は恐らく天下の如何なる滝も那智の敵ではあるまい」と豪語し、故郷の名瀑を自慢している。昔、徒歩で熊野詣の旅を続け、那智山にたどり着きこの日本一の那智の滝を見上げた参詣者たちは、その美しさに心を打たれ、滝を神とあがめ神秘な感銘を受けたであろう。電車、バス、マイカーで来る現代の参詣者もその気持ちには変わりはなく、滝のしぶきが体にふれると延命長寿の霊験があると信じている人も多い。
(写真は 熊野那智大社)


 
南紀の恵み(和歌山・那智勝浦町)  放送 1月30日(水)
勝浦漁港 海岸線の長い和歌山県ははかり知れない海の恩恵を受けている。その中でも海の幸・魚介類のうまさは誰もが認める。徒歩で熊野詣をした旅人たちが疲れをいやした温泉も海岸線沿いに多い。こうした南紀の自然の恵みを受けているのが那智山の麓にある那智勝浦町。
 勝浦漁港は近畿最大の遠洋漁業基地で、生鮮マグロの水揚げ量は日本一。特に12月から4月ごろは近海でマグロが捕れるため、早朝の市場には並べきれないほどのマグロが水揚げされる。尾の身の切り口を見てそのマグロの善し悪しを判断して競り落とす。競り落とされたマグロは京阪神や東京方面へトラックで運ばれ、料亭や料理店、家庭の食卓にのぼる。
(写真は 勝浦漁港)

ホテル浦島 忘帰洞 マグロ漁業の町だけに町内にはおいしいマグロ料理が食べられる店が多い。刺し身やすしのほかに「マグロ汁」やマグロの頭をそのまま焼く「かぶと焼」などがある。マグロ料理だけではなくサンマ寿司や大きな握り飯を高菜でくるんだめはり寿司も味わえる。勝浦漁港はかつてはサンマ漁が盛んでサンマの水揚げで活況を呈していた時もあった。サンマ寿司は南紀地方の名物で各家庭でも作られる。JR紀伊勝浦駅前には佐藤春夫の「秋刀魚(さんま)の歌」の詩碑もある。めはり寿司はあまりの大きさに大きく口を開いて目を見張って食べることからその名がついたとか。
 那智勝浦町のもう一つの自慢は温泉。200以上もの源泉があり、その中でも紀ノ松島と言われる海岸美を眺めながら湯につかれる露天風呂が名物。温泉につかっていた紀州藩主が帰ることを忘れたと伝えられる洞窟温泉の「忘帰洞」のほか、渡し舟で渡る小島の「らくだの湯」など、それぞれ趣の違った露天風呂が数多くある。
(写真は ホテル浦島 忘帰洞)


 
第二番札所・紀三井寺(和歌山市)  放送 1月31日(木)
本堂 和歌山市南部、名草山の中腹に威容を誇る西国三十三カ所第二番札所・紀三井寺の正式名称は金剛宝寺護国院。紀三井寺の名は境内に湧く清浄水(しょうじょうすい)、吉祥水(きっしょうすい)、揚柳水(ようりゅうすい)の三つの霊泉に由来し、近江の三井寺と混同しないように紀伊国の紀の字がつけられたと言う。
 開創は仏教を広める地を探し求めていた唐僧・為光(いこう)が、宝亀元年(770)名草山に一条の光を見て頂上に登り金色の千手観音像を見つけ、この地に一宇を建てた時にさかのぼるという。為光が自ら十一面観音像を刻み、金色の千手観音像を胎内に納めて安置したのが本尊の十一面観音像と伝えれている。
(写真は 本堂)

十一面千手観世音菩薩 楼門から231段の急な石段を巡礼たちは汗をかきながら登り、本堂の本尊・十一面観音像に願いをかけて祈る。若いころの紀伊国屋文左衛門が母を背負ってこの坂を登り、母親に観音参詣をさせたとのエピソードが伝わっている。
 紀三井寺には文化財も多く、本尊の十一観音立像のほかにもう1体の十一面観音立像、千手観音立像、梵天、帝釈天立像や楼門、鐘楼、多宝塔などが国の重要文化財に指定されている。また境内には約千本の彼岸サクラがあり、近畿地方にサクラ前線の到来を告げる早咲きのサクラの名所として有名。境内からは万葉歌人の山部赤人が「和歌の浦 潮満ちくれば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たず)鳴き渡る」と詠んだ和歌の浦の景観が望める。
 御詠歌は「ふるさとを はるばるここに きみいでら はなのみやこも ちかくなるらん」(写真は 十一面千手観世音菩薩)


 
養翠園(和歌山市)  放送 2月1日(金)
汐入の池 和歌山市西南部の海浜にほど近い養翠園は、紀州徳川家第10代藩主・治宝(はるとみ)が、文政元年(1818)から8年かけ、西浜御殿の別邸として造営させた3万3千平方mの大庭園。大小の池泉の周囲を黒松の老樹が茂る池泉回遊、舟遊式の庭で、池は海水を引き入れた汐入の池。池の中心に島を作り、太鼓橋、三ツ橋で結んでおり、三ツ橋は中国・西湖を模したとされ、曲線と直線をうまく配した庭である。
(写真は 汐入の池)

左斜め登り御廊下 園内の養翠亭は文政4年(1821)に建てられた簡素な数寄屋造り建築で、庭園を見下ろす高い所に建っている。この養翠亭は御座の間をはじめ十数室の部屋があり、御座の間に通じる廊下は、左斜め登り廊下と言う特殊な構造になっている。建物は原形のままよく保存されており、徳川御三家・55万5千石の紀州藩主の別荘建築を今に見ることができる。
 ほかに園内には裏千家了々斎作の茶室・実際庵のほか、御長屋、御門、高灯篭、鴨寄せ、駒つなぎ松などの見どころも多い。入園は有料で、養翠亭は事前予約者のみ見学できる。
(写真は 左斜め登り御廊下)


◇あ    し◇
青岸渡寺JR紀勢線那智駅からバス那智山下車徒歩10分。 
那智の滝JR紀勢線那智駅からバスお滝前下車。 
勝浦漁港JR紀勢線那智勝浦駅下車徒歩10分。 
紀三井寺JR紀勢線紀三井寺駅下車徒歩10分。 
養翠園南海電鉄水軒駅下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
那智勝浦町役場観光経済課0735−52−0555 
那智勝浦町観光協会0735−52−5311 
青岸渡寺0735−55−0404 
勝浦漁業協同組合0735−52−0951 
和歌山市観光協会0734−32−0001 
紀三井寺0734−44−1002 
養翠園保存協会0734−44−1430 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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