月〜金曜日 21時48分〜21時54分


丹波、但馬 

 京都府から兵庫県にかけての日本海側の丹波、但馬地方は、古代には朝鮮半島や中国からの文化の流入もあり、独自の文化圏を形成していた。また強大な勢力を持つ豪族の存在を示す古墳も多い。近代では日本海の荒波に侵食された海岸美を売り物に観光化が進んでいる。冬は日本海の海の幸の王様・カニ料理をメインにしたグルメ観光客の誘致をはかっている。


 
天橋立(宮津市)  放送 1月29日(月)
天橋立 日本三景のひとつ天橋立は、宮津湾を二分する長さ3.6kmの砂洲。幅は広いところで170m、狭いところで20mほどあり、約8000本の黒松が砂洲全体をおおっている。丹後半島を回って南に流れる対馬海流と湾内にそそぐ野田川が運んできた砂が、数千年という歳月をかけて形成した砂洲による自然の橋。伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冉命(いざなみのみこと)が、逢瀬のために架けた浮橋が倒れてできたのが天橋立との伝説も残っている。
 陸上からの天橋立の眺めは西の大内峠からの「天橋立一字観」、北の笠松公園からの「股(また)のぞき」、東の栗田峠からの「橋立観」と獅子崎の天橋立展望休憩所からの「雪舟観」、南の天橋立ビューランドからの「飛竜観」が最高だと言われている。
(写真は 天橋立)

智恩寺山門 天橋立に渡る廻旋橋のたもとにある智恩寺は「智恵の文珠さん」と呼び親しまれ、本尊の文殊菩薩像は奈良・桜井市の安倍の文殊、山形県高畠町の亀岡の文殊とともに日本三文殊のひとつ。境内の海岸べりの「知恵の輪灯ろう」を3度くぐると頭がよくなると言われており、受験シーズンの今、合格祈願の学生たちでにぎわっている。この灯ろうは昔、航海安全の輪灯ろうだった。
 智恩寺は平安時代初めの大同3年(808)、霊夢によって天橋立に行幸した言われる平城天皇が創建したと伝えれている。広い境内の二層の山門や鎌倉時代に建立された多宝塔(国・重文)、桧皮ぶきの本堂・文殊堂が建ち並んでいる。
(写真は 智恩寺山門)


 
三上家住宅(宮津市)  放送 1月30日(火)
三上家住宅 宮津で酒造業、廻船業、糸問屋などを手広く営んでいた豪商・三上家の豪壮な白壁の住宅が宮津市内に残っている。江戸時代の天明3年(1783)に町内の大火で住宅を焼失した教訓を生かし、外面の柱まで白壁で塗り込んでしまう土蔵のような耐火構造になっているのがこの住宅の大きな特徴。
 主屋棟は焼失した年に完成しており、ニワと呼ばれる土間の部分から上部の豪壮な太い梁や柱が見える。家業の発展と家の格が上がるにつれ増改築が行われ、文政3年(1820)に主屋棟の南側に新座敷棟、天保8年(1837)に庭座敷棟が建てられている。特に庭座敷は金粉の入った金砂子を使った床障子や波間に踊るコイを彫った欄間など贅(ぜい)を尽くした建物で、宮津城下屈指の豪商ぶりがうかがえる。
 庭座敷の南隅の庭は限られた空間を利用して、多数の石を配した築山と池がうまく調和しており、座敷に座って眺める座視観賞を意識して作った庭になっている。三上家には徳川幕府の巡見使や西園寺公望、有栖川宮熾仁(たるひと)親王らが宿泊し、この庭の眺めを楽しんでいる。
(写真は 三上家住宅)

三上家住宅・床の間 三上家の出自は明らかではないが、但馬国を支配していた守護大名・山名氏に仕えていたのではないかと見られている。山名氏の内紛で丹後に逃れ宮津藩主・永井氏に召し抱えられた後に町人になり、元結屋(もっといや)を創業した。元結屋は髪のもとどりを結わえるこよりを作り販売する商売で、商品名がそのまま屋号になった。 創業は元結屋の元祖清兵衛が元禄2年(1689)に没しているのでその少し前と見られる。
 その後、酒造業、廻船業などにも手を広げ、宮津藩では町名主になり、藩財政にも深く関わっていた。明治以降は蒸気船の登場で北前船が衰退し、酒造業を中心にした経営に転換している。昭和初めには宮津町長も務めるなど近代に入っても宮津の政財界の中枢の位置を占めていた。
 三上家住宅は平成8年(1996)に宮津市が購入、調査、修復をして平成12年(2000)春から一般公開している。三上家住宅は主屋棟をはじめ6棟が京都府指定有形文化財、庭園が京都府指定名勝になっている。
(写真は 三上家住宅・床の間)


 
木津温泉(京都・網野町)  放送 1月31日(水)
丹後ちりめん 網野町は丹後ちりめんの主産地で京都府下一の生産を誇っていた。今は最盛期の勢いはなくなり、織元ではアイデアを生かした織物やちりめんを使った小物などを作っている。この町の織元のひとつ、田勇機業では工場のかたわらのギャラリーでブックカバー、巾着などちりめんを使った小物を丹後土産として販売している。また観光客向けに体験工房を設け、ちりめん織りやハンカチ染めの体験がで楽しめる(有料)。
(写真は 丹後ちりめん)

カニすき鍋(ホテルえびすや) 網野町の日本海沿いには温泉が点在している。そのひとつが木津温泉。この温泉は奈良時代の天平15年(743)奈良の大仏造りに貢献した行基が発見したと伝えられる丹後最古の温泉。海岸にほど近い田園と丘陵に囲まれた静かな温泉場で、温泉旅館5軒がある。冬場は日本海の海の幸、カニ料理で最高の温泉情緒が楽しめる。近くには足で砂を擦ると琴の音がする掛津海岸の琴引浜や春には桃、チュウリップ、梨の花が砂丘いっぱいに咲き桃源郷となる花の砂丘などがある。
(写真は カニすき鍋(ホテルえびすや))


 
食の神・散策(豊岡市) 放送日 2月1日〔木〕  放送 2月1日(木)
中嶋神社 豊岡市内に菓子の神、酒の神をそれぞれ祭っている神社がある。
 菓子の神・田道間守命(たじまもりのみこと)を祭っているのが中嶋神社。田道間守は伝説上の人物で、垂仁天皇の命で不老長寿の妙薬を求めて常世(とこよ)の国へ渡った。苦労の末、不老長寿の妙薬と言われる非時香菓(ときじくのかぐのみ)と言う橘の実を見つけて日本に帰ってきたところ、垂仁天皇はすでに死去していた。落胆のあまり天皇の墓前に橘の実を供え自害したと伝えられている。当時、橘は最上の菓子とされ珍重されたそうだ。その田道間守が菓子の神として業者の信仰を集めており、中島神社の4月の菓子祭には全国から菓子業者が集まり参詣する。本殿(国・重文)は室町時代中期の正長元年(1428)に建てられたもの。和歌山・下津町には田道間守をミカンの始祖として祭っている橘本(きつもと)神社がある。
(写真は 中嶋神社)

酒垂神社本殿(重文) 酒の神・酒美津男命(さけみつおのみこと)と酒美津女命(さけみつめのみこと)を祭っているのが酒垂(さかたる)神社で、但馬地方で酒の神を祭っている神社は珍しい。本殿脇には酒造業者から奉納された酒樽が並んでいる。本殿(国・重文)は室町時代中期の文安元年(1444)に建てられたもので、建築様式や絵様彫刻にこの時代の特徴が伝えれている。
 酒の神にあやかってうまい但馬の地酒に名物但馬牛のすき焼きとなれば、食通でなくてもこたえられなくなり、杯を運ぶピッチも速くなりそうだ。
(写真は 酒垂神社本殿(重文))


 
正福寺(豊岡市)  放送 2月2日(金)
大石りく像 豊岡は忠臣蔵の大石内蔵助の妻・りく(理玖)の生まれ故郷。りくは豊岡藩家老・石束源五兵衛の長女として寛文9年(1669)に生まれた。18歳で播州赤穂藩浅野家の家老・大石良雄に嫁いだ。元禄14年(1701)藩主・浅野内匠頭長矩がが江戸城松の廊下で吉良上野介に対し刃傷におよび即日切腹となり、お家断絶となった刃傷事件がりくの生涯を左右した。吉良上野介を討つため江戸へ上る夫と長男主税と京都・山科で別れ、長女クウと次男吉之進をつれて豊岡の実家へ帰り、赤穂浪士の討ち入り、全員切腹の報を豊岡で受けた。その後、祖父が隠居所として建て後に正福寺となった家で12年間過ごした。
(写真は 大石りく像)

大石りく遺髪碑 りくは正徳3年(1713)、三男大三郎が広島・浅野家本家に1500石で召し抱えられた時、一緒に広島に移り住んだ。広島に移るまで本懐を遂げ切腹した夫や長男主税、若くして没した長女クウと次男吉之進の菩提を正福寺で弔っていたと言う。りくは広島で68歳で亡くなり、墓は広島市の国泰寺にあり、三回忌を迎えたときに正福寺にもりくの遺髪碑が建てられた。その後、りくの遺髪碑は荒廃していたが、明治43年(1910)地元有志によって再建され、両脇にはクウと吉之進の墓碑も建てられた。また正福寺にはりくや内蔵助、主税の肖像画やりくの座像などゆかりの品が保存されている。
(写真は 大石りく遺髪碑)


◇あ    し◇
天橋立北近畿タンゴ鉄道天橋立駅下車徒歩5分。 
智恩寺北近畿タンゴ鉄道天橋立駅下車徒歩3分。
三宅家住宅北近畿タンゴ鉄道宮津駅下車徒歩15分。  
北近畿タンゴ鉄道宮津駅からバス西堀川下車徒歩3分。
木津温泉北近畿タンゴ鉄道木津温泉駅下車徒歩5分。 
田勇機業北近畿タンゴ鉄道網野駅からバス浅茂川下車。 
中嶋神社山陰線豊岡駅からバス中嶋神社前下車。 
酒垂神社山陰線豊岡駅からバス法花寺下車。 
正福寺山陰線豊岡駅からバス六地蔵下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
宮津市商工観光課0772−22−2121 
天橋立観光協会0772−22ー0670 
天橋立ビューランド0772−22ー5304 
智恩寺0772−22ー1553 
三上家住宅0772−22ー7529 
網野町商工観光課0772−72−0780 
網野町観光協会0772−72−0900 
田勇機業0772−72−0307 
豊岡市商工観光課0796−23−1111  
豊岡市観光案内所0796−22−8111 
中嶋神社0796−23−0013 
正福寺0796−23−3987

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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