月〜金曜日 18時54分〜19時00分


京都・長岡京跡とその界隈 

 京都市の南西に接する向日市、長岡京市は奈良の平城京から平安京へ都が遷る間の10年間、都が置かれたところである。今はわずかに史跡公園としてその名残をとどめているが、周辺には長岡京にかかわる史跡や社寺が多い。両市の西側の丘陵地帯に広がる竹林は、日本一を誇るタケノコの産地である。最近は竹林の美しさに魅せられて散策する人が増えている。


 
長岡宮跡(向日市・長岡京市)  放送 2月3日(月)
 延暦3年(784)桓武天皇は人心の一新をはかるため、奈良の平城京から京都盆地の南西、長岡京に遷都した。長岡京は東西4.3km、南北5.3kmと平城京に匹敵する広大な都で向日市、長岡京市、大山崎町、京都市の一部にまたがっていた。政治の中心である長岡宮は現在の向日市に置かれ、大極殿も大規模なものであった。
 長岡京時代は洪水が相次ぎ、長岡京造営の中心人物だった藤原種継も暗殺された。この事件に関係したとして天皇の弟・早良(さわら)親王が幽閉された。親王は断食をして無実を主張し、淡路島に流される途中で餓死する非業の死を遂げた。相次ぐ不祥事と早良親王の祟りを恐れて、都は10年間で平安京へと遷された。
 第二次大戦後の長岡京発掘調査で大極殿跡などが確認され、昭和39年(1964)長岡宮跡として国の史跡に指定された。今、長岡宮の面影をとどめるものはなく、住宅地の中に大極殿跡公園、内裏公園、築地公園として復元整備された史跡公園などが、わずかにその跡を示している。

長岡宮大極殿・朝堂院復元模型(向日市文化資料館蔵)

(写真は 長岡宮大極殿・朝堂院復元模型
(向日市文化資料館蔵))

早良親王供養塔(乙訓寺)

 長岡宮のある向日市の隣、長岡京市にある乙訓(おとくに)寺は、早良親王が幽閉された寺で親王の供養塔がある。推古天皇の勅願で聖徳太子が創建したと伝えられる古刹である。
この寺の毘沙門天立像(国・重文)は「幽愁の毘沙門天」と呼ばれ、普通の毘沙門天像のように厳めしい姿ではない。
 弘法大師・空海は弘仁2年(811)嵯峨天皇からこの寺の別当に任命され在住した。
弘法大師がこの寺に在住している時、伝教大師・最澄がこの寺を訪れて真言について教えを乞うたと伝えられている。弘法大師は中国から持ち帰ったミカンの木をこの寺に植えて栽培したと言われ、境内にはそのいわれを示すミカンの木がある。また境内には奈良・桜井市の本山・長谷寺から移されたボタン約2000株があり、初夏には大輪の花をつけるボタンの寺としても知られている。

(写真は 早良親王供養塔(乙訓寺))


 
長岡天満宮(長岡京市)  放送 2月4日(火)
 長岡天満宮は昌泰4年(901)菅原道真が九州・太宰府へ流される途中に立ち寄って、都との名残を惜しみ「吾魂長くこの地に留まるべし」と言った所。太宰府に同行した臣下の者が、道真から与えられた道真自刻の木像(一説には画像)を道真の没後、この地に祠を建てて祭ったのが長岡天満宮の起こりとされている。
 江戸時代に八条宮(桂宮)智仁親王が長岡天満宮を崇敬し、社殿の改修したり勅額を奉納した。社前にはこの八条宮にちなんだ八条ヶ池と呼ばれる池があり、池の中央を通る参道の両側には、樹齢150年と言われるキリシマツツジがたくさん植えられている。5月初めには見事な花をつけツツジの名所として参拝者の目を楽しませる。北池の中ノ島を結ぶ総ヒノキ造りの水上回廊は「八条ヶ池ふれあい回遊のみち」と名づけられ、参拝者たちが景観を楽しんでいる。

長岡天満宮

(写真は 長岡天満宮)

源氏巻(辻山久養堂)

 藤原時平らの讒言(ざんげん)によって太宰府に左遷された菅原道真が、時平ら政敵への恨みと望郷の思いを胸に秘めて九州へ下ったのが西国街道。西国街道は京の東寺から長岡京、高槻を経て西宮に至る交通と経済の主要路で、このあたりでは「山崎街道」とも呼ばれていた。長岡京、向日両市の西国街道沿いには、当時の面影を残す町家の町並みや常夜灯、道端には道標も残っており「歴史の道」と呼ばれる通りもある。長岡京市と向日市の境の小畑川にかかる一文橋は、洪水の度に橋が流されたため、通行人から一文づつ通行料を取って橋の架け替え費用にあてたことからこの名がついたようだ。
 また伝統の味や技を守り続ける老舗も街道筋に多く、透き通った羊かんに白あんをうず状に巻き上げ、源平両氏の紅白の旗色にちなんで源氏巻と名づけられた銘菓がある。

(写真は 源氏巻(辻山久養堂))


 
向日神社(向日市)  放送 2月5日(水)
 向日神社の歴史は大変古く、養老2年(718)それまで別々に祭られていた五穀豊饒の神と祈雨鎮火の神を一緒にお祭りするようになったと言われている。この地の産土神で「明神さん」と呼び親しまれている。
 本殿(国・重文)は応永25年(1418)建立の三間社流造り様式の室町時代を代表する神社建築で、細部の彫刻なども見事である。東京の明治神宮の本殿はこの社殿をモデルに建てられている。拝殿と楽の間の杉戸には、紅葉・白萩と鹿の図、桜・ツツジと雉の図、梅に雁の図、松に鷹の図などの絵が描かれている。宮司の六人部(むとべ)さんの家系図は天照大神の御代に始まり、現在95代目と伝えられている。

向日神社

(写真は 向日神社)

増井神社

 広い境内には桜がたくさん植えられており、特に大鳥居から社殿への長い石畳の参道両側の桜並木は、春には見事な桜のトンネルになる。参拝者や向日市民の目を楽しませ、広い境内は市民らの散策の場にもなっている。大鳥居の南側に日蓮上人の弟子・日像上人が西国街道を往来する人びとに法華経を説いたという説法石がある。
 向日神社境内にある増井神社の井戸の水は神水と言われ、この水をかけると大火が鎮火したとか、雨乞いの霊験があったなどと伝えられている。この水は軟水で茶の湯にもよいとも言われている。

(写真は 増井神社)


 
竹の径(向日市)  放送 2月6日(木)
 乙訓地域の西部丘陵地帯には竹林が多く、タケノコの産地として知られているが、最近は美しい竹林が散策コースにもなっている。向日市北西部の丘陵地帯の竹林には、竹の枝で竹垣を巡らした約1800mの「竹の径」がある。
 竹林の景観を保全し新たな観光資源を創出するために、向日市が平成12年(2000)から3年計画で整備した。竹の枝を束ねて高さ1.5mに並べた「竹穂垣」、古墳の近くでは古墳の形をイメージした「古墳垣」、矢来垣を応用し地元の寺戸町にちなんだ「寺戸垣」で作られた小径が続いている。古墳垣と寺戸垣は向日市が考案したオリジナルな竹垣で、竹の美しさと竹の魅力を引き出し、感情豊かな竹林の演出に努めている。この「竹の径」は市民の散策やジョギングコースとしても親しまれている。

孟宗竹

(写真は 孟宗竹)

東洋竹工

 「味は日本一」と自慢の太くて柔らかなタケノコが採れるモウソウ竹は、鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元禅師が中国から持ち帰り、長岡京の海印寺寂照院に植えたのが始まりと言われている。初めは竹の美しさを眺める鑑賞だったが、後にタケノコを食用とするために栽培するようになった。おいしいタケノコを生産するために、竹林の手入れや栽培にもいろいろと工夫が凝らされている。タケノコは京料理の代表的食材として使われていて、他の食材と組み合わせることによってバリエーションは広がり、板前の腕の見せ所と言える。
 向日市には竹材やタケノコを活用した商品が開発されている。華道、茶道で使われる茶道具、花器、おもちゃなどの竹工芸製品や数寄屋建築の建材、庭園の垣根など、竹は幅広い用途で人びとに愛されてきた。タケノコも生食のほかに他の食材と煮込んだ佃煮などに工夫が凝らされている。

(写真は 東洋竹工)


 
紙との対話(向日市)  放送 2月7日(金)
 1本のカッターナイフで紙を切り抜いて物の形、美を表現するのが剪画(せんが)。一般には切り絵として親しまれている。極めてシンプルな造形手法だが、やり直しの利かない厳しい世界は人生にも似ているとも言われている。
 向日市在住の大月透さん(69)はその剪画作家である。研ぎ澄まされた1本のカッターナイフに全身全霊を集中して紙と対話している。「これが至上の喜びであり、生きている証でもあり、でき上がった作品は心のよりどころである」と大月さんは箭画の真髄を語る。

剪画(大月透さん作)

(写真は 剪画(大月透さん作))

大月剪画教室

 銀行員だった大月さんは昭和51年(1976)故宮田雅之氏の神技とも思える切り絵作品に展覧会で出会い、大きな感動と衝撃を覚えた。この感動が忘れられず迷いに迷った末、安定したサラリーマン生活を捨ててこの道への転身を決意した。以後、カッターナイフを手にひたすら「紙との対話」を重ね、地元の風景をはじめ多くの作品を生み出している。
 制作のかたわら自宅で箭画教室を開いたり、向日市内のあちこちで教室を開いて箭画の面白さを教え、その普及に努めている。

(写真は 大月剪画教室)


◇あ    し◇
長岡京跡阪急電鉄京都線西向日駅下車徒歩5分。 
乙訓寺阪急電鉄京都線長岡天神駅下車徒歩20分。 
長岡天満宮阪急電鉄京都線長岡天神駅下車徒歩10分。 
向日神社阪急電鉄京都線西向日駅下車徒歩10分。 
竹の径阪急電鉄京都線東向日駅下車徒歩20分。 
JR東海道線向日町駅下車徒歩30分。
◇問い合わせ先◇
向日市役所商工観光課075−931−1111 
長岡京市役所商工観光課・
教育委員会
075−951−2121 
乙訓寺075−951−5759 
長岡天満宮075−951−1025 
辻山久養堂(源氏巻)075−921−0009 
向日神社075−921−0217 
東洋竹工075−933−7733 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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