月〜金曜日 18時54分〜19時00分


早春の湖北・長浜市と浅井町 

 早春の陽光を浴び真っ白に輝く雪の伊吹山。その麓、湖北の町の中や野山には春の足音が近づいている。長浜市の盆梅展会場には梅の花の香がいっぱいに漂い、ひと足早い春を告げている。琵琶湖の水もぬるみはじめ、水面も春の光でキラキラ輝きはじめるだろう。
こんな湖北を訪ねた。


 
春の香(長浜市)  放送 2月17日(月)
 毎年1月10日から3月10日まで長浜に早春の訪れを告げる年中行事と言えば慶雲館での長浜盆梅展。白梅、紅梅の梅の花の香が漂う盆梅展は、昭和27年(1952)から毎年開かれており、その歴史も50年を越えた。盆梅とは文字通り梅の盆栽で、展示されている盆梅の中には樹齢400年を越す老木や高さや幹周りが2mを超す巨木もある。
長浜市と長浜観光協会の盆梅管理員が1年を通じて管理している盆梅の中から、開花時期に合わせて90鉢がローテーションで展示される。
 出展される盆梅はすべて長浜市の所有で、現在、盆梅展に出展できるものが約300鉢、いずれ盆梅展に出展できるようになる予備軍が同数ぐらいある。さらに鉢に植えられていない地植えのものも含めるとかなりの数になる。

盆梅展

(写真は 盆梅展)

玉座

 長浜の盆梅は隣の浅井町の故高山七蔵氏が、昭和26年(1951)に丹精込めて育てていた盆梅約40鉢を長浜市に寄贈した。高山氏の志を継いで翌年から始めたのが長浜盆梅展。展示が終わった盆梅は市の育成場で盆梅管理員がせん定や鉢の植え替え、施肥、病害虫の消毒など丹精込めて育てている。盆梅展を鑑賞した人や近隣の人たちからの盆梅の寄贈もあり、これらの盆梅も大切に育てられる。また、盆梅管理の合間には次の盆梅になる古木、巨木探しに全国を歩いたり、情報収集もする。
 盆梅展の会場となっている慶雲館は、明治20年(1887)明治天皇の行在所として、この地の富豪・浅見又蔵氏が建築したもので命名は伊藤博文。昭和11年(1936)に長浜町に寄贈され迎賓館としての役目を果たしてきた。池泉回遊式の庭園は近代日本庭園の先駆者・7代目小川治兵衛の作庭。2階の窓からは伊吹山や琵琶湖の雄大な景色が眺められる。

(写真は 玉座)


 
北こく道(長浜市)  放送 2月18日(火)
 長浜は北陸へ通じる北国街道が市内を南北に貫いており、羽柴秀吉が長浜に城を築いた時代から近代まで旅人の往来、荷物の運搬で大いににぎわい、宿駅、湖上交通の要、商工業の町として発展してきた。街道沿いには今も宿駅、港町だった往時の風情を残す舟板塀や虫籠(むしこ)窓、紅殻格子、白壁の土蔵などの商家や旅籠(はたご)だった町家の町並み、周辺には常夜灯、石の道標、馬つなぎ石などが残っている。
 その北国街道沿いに秀吉から町の自治を任された「十人衆」と呼ばれる町衆のひとりで、町の繁栄とともに栄えた安藤家の邸宅がある。公開されているその住居は明治38年(1905)の建築で、虫籠窓、紅殻格子を施した長浜を代表する和風建築。

ガス灯

(写真は ガス灯)

小蘭亭(安藤家)

 長浜の紙問屋・河路豊吉宅や素封家に食客として逗留し、長浜にゆかりの深い陶芸家で書、篆刻、料理研究家でもあった北大路盧山人(きたおおじろさんじん)が制作した「呉服」の篆刻看板や離れの小蘭(しょうらん)亭の天井絵、ふすま絵などが安藤家に残されている。
 秀吉は長浜に城を築いた後、城下町を49町、10組に分けた。町作りに功労があり組を代表する10人に町役を命じた。さらにその中から3人に町年寄役を務めさせ城下町を治めさせた。これを10人衆、3年寄と呼び、安藤家はその10人衆、3年寄の一人だった。
この制度は世襲制で、明治初めまで続いた。江戸時代には、彦根藩が管轄し年寄の任免は彦根町奉行が行なっていた。

(写真は 小蘭亭(安藤家))


 
大通寺(長浜市)  放送 2月19日(水)
 真宗大谷派の別院、大通寺は戦国時代の初めに蓮如上人が湖北の門徒に仏法を説く寄合道場として長浜城内に開いたのが始まりと言われている。地元の人や信者たちからは「長浜の御坊さん」と呼び親しまれている。浄土真宗の中興の祖・蓮如上人の他力念仏は、もともと信仰心の篤い土地柄の近江国ではその教えがまたたく間に広まった。大通寺は教如上人が大谷派本願寺(東本願寺)を慶長7年(1602)に興した時、寄合道場が大通寺となり、現在地に移った。
 本堂(国・重文)は伏見城の殿舎を移築した東本願寺の御影堂を承応元年(1652)に大通寺へ移したもので、安土桃山時代の様式を残している。ほかに大広間(国・重文)も伏見城の遺構を移築したと言われている。江戸時代の天保11年(1840)に完成した総ケヤキ造りの壮大な山門は、滋賀県内での近世における大型建築物としては屈指の名建築と言われている。

本堂・阿弥陀堂(重文)

(写真は 本堂・阿弥陀堂(重文))

蘭亭曲水宴図

 含山軒(がんざんけん)と蘭亭(らんてい)の2棟の客室や書院などには狩野山楽、その子山雪、円山応挙らのふすま絵など貴重な美術品が数多い。枯山水の含山軒庭園は伊吹山を借景としていることから含山軒の名がつけられ、冬の時期は雪で真っ白に輝く山頂が庭のかなたに眺められる。蘭亭庭園は池泉庭園で、江戸時代中期の作庭とされている。
 1月中旬から4月中旬まで大通寺大広間で開かれるのが全国でも珍しいあせび盆栽展。
あせびは「馬酔木」と書く通り、馬がその葉を食べると麻痺すると言われ毒性があるが、赤、白、ピンクの可憐な花が房状に咲く。リンドウのような花をつけたあせびの盆栽約100鉢が毎年展示され、慶雲館の盆梅展と並んで早春の湖北・長浜の風物詩となっている。

(写真は 蘭亭曲水宴図)


 
鉄砲の里(長浜市)  放送 2月20日(木)
 天文12年(1543)種子島に初めて鉄砲が伝来した。その翌年には姉川の土手を背にする長浜・国友の地で鉄砲が作られ、室町幕府12代将軍・足利義晴に2挺の鉄砲が献上された。
 この新兵器に着目した織田信長は、天文18年(1549)国友で500挺の鉄砲を作らせ、長篠の合戦では3500挺の鉄砲を駆使して無敵を誇っていた武田勝頼軍を圧倒した。以後の戦いは刀、槍より鉄砲が大きなウエイトを占めるようになり、信長、豊臣秀吉ら鉄砲を有効に活用した者が天下を制した。大坂夏の陣で功績をあげた国友鍛冶は、徳川家康の加護を受け幕府から大量の鉄砲の発注を受け大いに栄え、鍛冶屋70余軒、職人は500人を超していたと言う。

国友一貫斎

(写真は 国友一貫斎)

反射天体望遠鏡

 太平の世になると鉄砲の発注は激減したが、鉄砲鍛冶の高い技術力を生かし、金工彫刻や火薬の調合の技術を持った者による花火製造を始めた。安永7年(1778)鉄砲鍛冶の家に生まれた国友一貫斎は、鉄砲製作の伝統の技術をもとにオランダ製の空気銃を改良して連発式空気銃を製作したり、反射天体望遠鏡を作って世界初の太陽黒点を観測をした。
ほかに距離測定器、毛筆ペン、空を飛ぶ風船(飛行船)などさまざまな発明を行いのちに「東洋のエジソン」と言われた。
 堺と並ぶ鉄砲の生産地だった国友の鉄砲文化を伝えるのが国友鉄砲の里資料館。1階はマルチスクリーンやパネルを使って湖北の自然や国友の歴史を紹介。2階は鉄砲に関する資料や製作過程と鉄砲鍛冶の道具、長浜出身の文化人の資料をジオラマやナレーションでわかりやすく紹介している。

(写真は 反射天体望遠鏡)


 
浅井の山里(浅井町)  放送 2月21日(金)
 長浜の北、浅井町は浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が激突した姉川の古戦場で有名。琵琶湖を一望できる小谷山の上にある小谷城跡には、浅井長政とその夫人で信長の妹でもあるお市の方の悲話が残る。小谷城は湖北の実権を握った長政の祖父・亮政が大永年間(1521〜28)に標高495mの小谷山頂上に築いた城。難攻不落の山城として知られ中世の三大山城のひとつであった。姉川の戦いで敗れた浅井長政は小谷城にろう城したが、3年後に再び織田軍の猛攻で難攻不落の小谷城も落城。長政は父・久政と城中で自刃、お市の方と3人の娘の茶々(豊臣秀吉側室・淀殿)、初(京極高次夫人)、江(徳川秀忠夫人)は落ち延び、その後、数奇な生涯をたどる。

本尊如意輪観世音菩薩(小谷寺)

(写真は 本尊如意輪観世音菩薩(小谷寺))

戦国瓦そば

 西隣りの湖北町の浅井町に接する所にある小谷寺は、浅井三代の祈願所となっていた寺で浅井氏滅亡後に焼失したが豊臣秀吉が再建した。本尊の如意輪観世音像と共に浅井長政の木像やお市の方の念持仏・愛染明王像が安置されている。山門脇にはお市の方のお手植えの松の切り株が残っている。
 小谷山麓の須賀谷温泉は長政、お市の方も湯治をし、戦国の武将たちが戦の傷を癒すために訪れた言う名湯で、湖北観光の拠点として最近とみに人気が高まっている。またアトピー性皮膚炎に効果があるとの評判も高い。露天風呂で雪景色を見ながら湯に浸かった後は、湖北の名物・鴨鍋で体の内からホカホカに。
 賤ヶ岳七本槍のひとりで豊臣秀吉に仕えた片桐且元はこの須賀谷の生まれである。秀吉亡き後、淀殿の子・豊臣秀頼を補佐したのは因縁めいている。

(写真は 戦国瓦そば)


◇あ    し◇
慶雲館(盆梅展会場)JR北陸線長浜駅下車徒歩5分。 
安藤家JR北陸線長浜駅下車徒歩2分。 
大通寺(あせび展会場)JR北陸線長浜駅下車徒歩10分。
国友鉄砲の里資料館JR北陸線長浜駅からバス国友鉄砲の里資料館前下車。 
小谷寺JR北陸線河毛駅から湖北町タウンバスで小谷城址口下車
徒歩5分。
須賀谷温泉JR北陸線長浜駅からバス浅井町役場前で乗り換え尊勝寺口下車徒歩30分。
JR北陸線河毛駅から送迎車有(電話連絡)。
◇問い合わせ先◇
長浜市役所商工観光課、
長浜観光協会
0749−62−4111
安藤家0749−62−0742 
大通寺0749−62−0054 
国友鉄砲の里資料館0749−62−1250 
小谷寺0749−78−0257 
須賀谷温泉0749−74−2235

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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