月〜金曜日 21時48分〜21時54分


和歌山・南部川村 

 紀伊半島の中央部に位置し南部川流域に集落が点在している南部川村は、村内の80%が山林で占められている山村。「ひと目百万本、香り十里」で知られる南部梅林は有名で、和歌山県内有数の梅の産地。また、焼き物料理には欠かせない高級木炭・紀州備長炭の産地としても知られている。


 
南部梅林  放送 2月19日(月)
南部梅林 南部川の河岸段丘に広がる南部梅林は2月上旬から下旬にかけて白い花がじゅうたんを敷いたように咲き競う。晩稲(おしね)の香雲丘(こううんきゅう)から見下ろす眺めは、まさに「ひと目百万本」の眺めと言える。本来は梅の実を収穫するために栽培された梅だが、この時期は観梅用に変身して多くの観梅客を南部梅林に引き寄せ、村の観光収入にひと役買っている。
 この地方の梅の栽培は江戸時代初め、田辺藩主安藤直次が耕地に恵まれない農民のために、やせ地を免税にして梅の栽培を奨励したので、農民が丘陵地などに梅を植えたことに始まり、今日の紀州梅の高級ブランドへと発展していった。
(写真は 南部梅林)

梅の花 明治時代に入ってからも梅の栽培は少しづつ増えていったが、明治34年(1901)山田村(現南部川村晩稲)の内中源蔵さんが約4haの山林を開墾、梅の優良種を植えて本格的な梅栽培を始めた。同時に村外の梅商人が梅を加工した梅干し生産をしていることに目をつけ、自らも梅干し生産の工場を建て、梅の生産から梅干し加工、販売までを一手に行う経営を始めて成功した。この成功がこの地方での梅栽培に拍車をかけ、梅干し加工を発展させることになり、梅の生産日本一の村にした。
 南部梅林入り口の小殿神社前に梅栽培の先駆者・内中源蔵の偉業をたたえた頌徳(しょうとく)碑が建っており、毎年2月11日に行われる梅まつりで内中翁をしのんで供養する。この時期の南部梅林は観梅客でにぎわい、内中翁も「食用に栽培した梅の花をこんなに大勢の人が観賞に来てくれるとは…」とさぞ満足だろう。
(写真は 梅の花)


 
南高梅  放送 2月20日(火)
南高梅の母樹 南部川村では年間約2万トンの梅が生産されている。この中で果肉が厚く種が小さい良質の梅が「南高梅」。南高梅は大粒で1粒25〜35gぐらいある最高級の梅干し用梅で、同村の梅生産の70%を占めている。
 南高梅が登場したのは昭和20年代。それまで各農家がばらばらの品種を栽培していたが、優良な梅に品種を統一しようと「優良母樹調査選定委員会」が昭和25年(1950)に発足した。村内の梅を調査した結果、梅農家・高田家が栽培していた梅の木が最適と判断し、この木を優良母樹に選定してその枝を接木して増やしたのが南高梅で南部川村の中心品種になった。
 この南高梅の母樹は樹齢100年以上になり、現在、隣り町の南部町のJAみなべ本所の玄関前に植えられ、元気に花を咲かせ、実をつけている。
(写真は 南高梅の母樹)

南高梅の梅干 では南高梅はどのようにして生まれたか。村内の高田貞楠さんが明治35年(1902)桑畑を梅畑にしようと計画、内中源蔵さんが作った内中梅の苗60本を購入して植えた。その中に大粒で美しい紅のかかった実をつけている1本の梅の木を見つけた。これを梅の優良種として大切に育て「高田梅」の母樹にした。
 高田貞楠さんから門外不出の高田梅の枝60本を譲り受けた同じ村内の小山貞一さんが、優良種の高田梅を増やしていった。優良母樹調査選定委員会の委員でもあった和歌山県立南部高校園芸科教諭の竹中勝太郎さんは、梅の木の研究を続け、南部川村に適した品種改良などに取り組み南高梅の改良にも貢献した。この竹中さんが在籍していた南部高校を地元では南高と呼んでいたことからこの優良種を南高梅と名づけたとの説と、南部川村の南と高田貞楠さんの高を取って南高梅と名づけたとの説がある。
 南高梅は南高梅同士では受粉しないので他品種の花粉が必要で、村内の梅を100%南高梅するわけにいかず梅酒用の古城梅など約30%の多品種が栽培されている。
(写真は 南高梅の梅干)


 
梅の里  放送 2月21日(水)
いわしの梅煮 梅といえば梅干しがその代表的な加工品。梅干しは日本独特の加工食品で健康にもよいと世界的にも注目されている。平安時代中期の永観2年(984)に著された、わが国最古の医学書「医心方(いしんぽう)」にも梅干しの名が登場し、梅干しに薬効があることが記されている。
 南部川村の本誓寺には100年前の梅干しが保存されている。赤松宗典住職の話では、村内の漢方医が薬草と一緒に漬けた梅を薬として使っていたもので、40年ほど前にこの医者が廃業するとき寺に寄贈した。風邪や腹痛などに効くと言われ村民らから請われて分け与えていたが、残り少なくなったので大切に保存し後世へ伝えたいと言っている。赤松住職はこの100年前の梅干しの製法を村民に伝えようと、12種類の薬草から抽出したエキスに梅を漬けた梅干しを地域の主婦たちと作っている。
 梅の実にはカルシュウムやリン、鉄分などのミネラルが豊富。梅から出るクエン酸は健康に悪影響を与える体内の乳酸を分解し、カルシュウムの吸収を高めるなどの効果がある。1日1粒の梅干しが健康の秘訣と言われるのはこのあたりである。
(写真は いわしの梅煮)

梅酒 南部川村の人たちは梅に誇りとこだわりを持ち、多くの人たちに梅の良さを知ってもらおうとしている。インターネットのホームページに、わが家の梅林をアップして24時間配信したり、こはく色のうまい梅酒作りにこだわっている人もいる。
 また、梅干しをあしらった料理や菓子作りに南部川村の主婦たちはこだわり、新しいメニューを考え出している。梅茶がゆ、梅ご飯、イワシの梅煮、梅のてんぷら、キュウリとイカの梅肉あえ、タコとコンニャクの梅肉あえ、梅肉サンドイッチから梅入り水ようかん、梅酒ケーキなど数え上げればきりがない。梅の味を上手に使うと独特の風味と味が生まれることをPRし、梅の販路を広げようとしている。
 南部川村には役場に梅に関する行政を担当する「うめ課」があるほどで、ほかに梅の歴史や特徴が映像や音声で学べる「うめ振興館(有料・火曜日休館)」や梅の栽培や加工、次世代の梅の品種研究などをしている「うめ21研究センター」などがあり、村民の梅への力の入れようは並々ならぬものがある。
(写真は 梅酒)


 
備長炭  放送 2月22日(木)
精錬 南部川村は梅と並んで紀州備長炭の有数の生産地でもある。備長炭はウナギのかば焼きなど焼き物料理には最適の炭とされている。備長炭の出すソフトな炎や遠赤外線が食材の持つおいしさを100%引き出すことで知られ、味にうるさい職人は備長炭でなければ焼き物料理は駄目だと言うほどだ。ほかに脱臭、水質浄化、煮沸洗浄した炭を入れて炊くとふっくらご飯、米びつに入れて虫よけ、お風呂に入れると血行促進、花瓶に入れて花を長持ちさせる、電磁波カットなどその優れた効果は数多い。
 紀州備長炭の歴史は平安時代初期にまでさかのぼる。南紀州の村々で焼かれていた良質堅炭を紀州藩が商品として流通させ始め脚光を浴びるようになった。江戸時代の元禄年間(1688〜1704)紀州の炭問屋・備中屋長左衛門がこの炭を普及させたことから「備長炭」の名がついたとされている。
(写真は 精錬)

窯出し 備長炭はウバメガシを焼いて作る。ウバメガシはブナ科の常緑樹で成長の遅く、炭の材料として使えるようになるまでに50年もかかる。炭焼き職人はこのウバメガシを求めて山に入る。苦労して運び出したウバメガシを窯に入れ、窯の口で雑木を燃やす口だきと言う方法で原木を2〜3日かけて乾燥させる。その後、原木に火をつけ2〜3日で炭化させ、空気を徐々に送り込み真っ赤に赤熱させる精錬作業を2日間ほど行う。真っ赤に焼けた炭が窯から取り出され、素灰と言う灰をかけて消火冷却するまで約1週間の工程になる。
  精錬作業に入ると窯の中の温度は1000度以上、窯から取り出すときには1300度近くになる。こうしてできた備長炭は堅く、断面は金属質の光沢があり、炭を打つと金属音がする。備長炭の硬度は15度で、鉛が1度、鋼鉄が20度と言われるから鋼鉄に近い堅さをを持っており、水に入れると水中へ沈んでしまう。長年の経験とかんが要求される備長炭作りの技術は、昭和49年(1974)に和歌山県無形文化財に指定された。南部川村には「紀州備長炭振興館(無料・土曜日午後休館)」があり、備長炭の製法や特徴、歴史、備長炭の特徴を生かした使用法をわかりやすく展示している。備長炭を使ったアイデア商品も並んでおり、備長炭の販売もしている。
(写真は 窯出し)


 
ごりょうさん(須賀神社)  放送 2月23日(金)
木造黒馬(田辺城主浅野氏献納) 須賀神社は中世の南部荘の総鎮守社で平安時代の一条天皇時代の創建とも、室町時代の創建とも伝えられている。祭神を京都の八坂神社から勧請した神社で祇園御霊神社とも言い、地元の人たちは「ごりょうさん」と呼んで親しんでいる。3棟の社殿があり第1殿には主祭神として素戔嗚尊(すさのおのみこと)、第2殿には櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)、第3殿には八柱神子神(やはしらのみこがみ)を祭っている。
 田辺藩主らの崇敬も篤く慶長10年(1605)に田辺藩主浅野氏が木造黒馬を献上している。また紀州藩初代藩主徳川頼宣も熊野巡視のたびに参拝したと伝えられており、その後も代々の紀州藩主が金品を寄進しており、貴族や武家から庶民まで幅広い崇敬を集めていたようだ。
(写真は 木造黒馬(田辺城主浅野氏献納))

社殿 現在の3棟の社殿は江戸時代中期以後に建立されたもので、鮮やかな丹塗りで外壁には極彩色の絵が描かれており、この社殿は和歌山県文化財に指定されている。外壁の絵にはインドの象や孔雀、獅子、龍などが描かれており、神仏習合(しんぶつしゅうごう)時代の名残といえる。
 毎年10月9日の秋祭に境内の馬場を馬が走る勇壮な「競べ馬」は、流鏑馬(やぶさめ)神事の伝統を受け継ぐものとして知られている。また、華麗でにぎやかな渡御行列もあり、流鏑馬神事に参加する6頭の馬も鞍に稚児を乗せて行列に加わり、この日の梅の里は祭一色に彩られる。
(写真は 社殿)


◇あ    し◇
南部梅林JR紀勢線南部駅からバス南部梅林下車。 
南部川村うめ振興館JR紀勢線南部駅からバス下谷口下車。 
南高梅母樹(JAみなべ)JR紀勢線南部駅下車徒歩10分。 
紀州備長炭振興館JR紀勢線南部駅からバス石倉下車徒歩3分。 
須賀神社JR紀勢線南部駅からバス谷口下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
南部川村役場うめ課0739−74−3276 
南部川村商工会0739−74−2308 
南部川村うめ振興館0739−74−3444 
梅の里観梅協会(南部梅林)0739−74−3464 
南部川村役場産業課(備長炭)0739−74−3275 
紀州備長炭振興館0739−76−2258 
南部川村森林組合0739−76−2014 
須賀神社0739−74−2204

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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