月〜金曜日 21時48分〜21時54分


長 浜 

 長浜市は、湖北(琵琶湖北部)の商業、経済、文化の中心地。初めて一国一城の主となった羽柴秀吉が、天正2年(1574)小谷城から今浜(現長浜市)の古城を改修して移り、地名も今浜から長浜と改め城下町として発展、現在の長浜市への基礎を築いた。大坂夏の陣で豊臣氏滅亡後に長浜城は廃城となったが、今も長浜市内には秀吉ゆかりの史跡や社寺が多い。


 
梅の香のいざない  放送 2月26日(月)
北国街道 長浜の早春を彩る有名なイベントが「長浜盆梅展」。庭園に雪の残る慶雲館に白梅、紅梅の梅の香が漂う盆梅展は、昭和27年(1952)から始まり今年で50回目を迎えた。鉢に植えられた高さ2mを超す巨木、樹齢400年以上の古木などの盆梅が並び、かれんな花をつけている。長浜市が保有している盆梅の中から、開花時期に合わせたローテーションで常時約100鉢が展示されている。鉢植えとは思えない巨木、老木などの見事な盆梅に、全国から訪れる盆栽愛好家たちはうっとりと見とれている。
 恒例の盆梅展は毎年1月10日から始まり今年は3月11日まで開かれているが、2月中旬から2月末にかけては、ライトアップされた慶雲館の庭と夜の盆梅が幻想的な美しさを見せてくれる。
(写真は 北国街道)

堀口大学の書 長浜の盆梅は、隣町の浅井町の故・高山七蔵氏が丹精込めて育てていた盆梅約40鉢を昭和26年(1951)長浜市に寄贈した。高山氏の志を継いで始めたのが盆梅展で、出展される盆梅はすべて長浜市の所有で、現在の保有総数は約500鉢ほど。
この中から優れたものを盆梅展に出展する。盆梅展が終わると市の育成場で、職員らが1年を通じて剪定(せんてい)や鉢の植え替え、病害虫の消毒など丹精込めて育てている。
 盆梅展の会場となっている慶雲館は、明治20年(1887)明治天皇の行在所としてこの地の富豪・浅見又蔵氏が建築したもので命名は伊藤博文。昭和11年(1936)に長浜町に寄贈され迎賓館としての役目を果たしてきた。池泉回遊式の庭園は近代日本庭園の先駆者・7代目小川治兵衛の作庭。2階の窓からは伊吹山や琵琶湖の雄大な景色が眺められる。平成12年(2000)には慶雲館新館の「梅の館」も開館し、盆梅展の会場として使われている。
(写真は 堀口大学の書)


 
大通寺  放送 2月27日(火)
大広間(重文) 戦国時代、浄土真宗の中興の祖・蓮如上人の他力念仏の布教の最大の拠点だった近江国は、もともと信仰心の篤い土地柄だったのでその教えはまたたく間に広がった。
大通寺は、湖北の門徒に仏法を説く寄合道場として開かれたのが始まりといわれている。教如上人が大谷派本願寺(東本願寺)を慶長7年(1602)に興した時、寄合道場が大通寺となり、信者たちからは「長浜の御坊さん」と呼ばれ親しまれている。
 本堂(国・重文)は、伏見城の殿舎を移築して東本願寺の御影堂となっていたものを、承応元年(1652)に大通寺へ移したもので、安土桃山時代の様式を残している。ほかに広間(国・重文)も伏見城の遺構を移築したといわれており、江戸時代の天保11年(1841)に完成した総ケヤキ造りの壮大な山門は、滋賀県内では近世の大型建築物としては屈指の名建築といわれている。
(写真は 大広間(重文))

あせび展 含山軒(がんざんけん)と蘭亭の2棟の客室や書院などには狩野山楽、その子山雪、円山応挙らのふすま絵など貴重な美術品が数多くある。枯山水の含山軒庭園は伊吹山を借景としていることから含山軒の名がつけられた。冬のこの時期は雪で真っ白の輝く山頂が庭のかなたに臨まれる。蘭亭庭園は池泉庭園でいずれも江戸時代中期の作庭とされている。
 かれんなピンクの房状の花をつける馬酔木(あせび)の盆栽展が毎年4月中旬まで大通寺大広間で開かれており、慶雲館の長浜盆梅展と並んで長浜市の早春の恒例盆栽イベントとして知られている。
(写真は あせび展)


 
曳山(ひきやま)まつり  放送 2月28日(水)
長浜八幡宮 国の重要無形文化財に指定されている長浜曳山まつりは、日本三代山車祭のひとつで400年以上の歴史を持つ伝統ある祭。毎年4月14日から16日まで繰り広げられる長浜八幡宮の例祭の行事のひとつとして、絢爛(けんらん)豪華な曳山が市内を練り歩く。
 圧巻は曳山の舞台で子供たちが演じる歌舞伎で、沿道の観衆から大喝采を浴びる。 また曳山を飾る鳳凰山飾毛綴(ほうおうざんかざりげつづり)と翁山飾毛綴(おきなざんかざりげつづり)は、国の重要文化財に指定されており、400年前のベルギー製の見事なゴブラン織で“動く美術館”と言われている。
(写真は 長浜八幡宮)

曳山博物館の曳山 長浜曳山まつりは羽柴秀吉が長男の誕生を祝って長浜の町民に砂金をふるまった。町民はこの砂金で12基の山車を作り長浜八幡宮の例祭に引き回したのが始まりといわれている。現在、曳山は舞台のない長刀(なぎなた)山を含めて13基あるが、長刀(なぎなた)山を除く12基が交代で毎年4基づつ引き回される。曳山で歌舞伎を演ずることになる小学生の子供たちは、3月ごろから稽古を始め4月に入ると昼夜の稽古になり、最後の仕上げに一層熱が入る。
 昨年の平成12年(2000)10月に曳山博物館がオープンし、常時曳山2基を公開している。このほか大型画面で長浜曳山まつりや全国の山車などをダイナミックな映像で紹介したり、曳山の舞台模型と特殊映像を組み合わせ曳山子供歌舞伎が体感できる体感シアターなどがある。
 長浜八幡宮は、京都の石清水八幡宮の神霊を勧請したもので、武将の崇敬を集めて栄えた。室町時代から桃山時代にかけての能面や能衣装が所蔵されている。
(写真は 曳山博物館の曳山)


 
湖北の楽しみ  放送 3月1日(木)
鳥新の本鴨すき 琵琶湖のマガモを使った冬の湖北地方の郷土料理・鴨なべは、昔から食通に好評で長浜を訪れる楽しみのひとつ。遠くから飛来する琵琶湖のカモは身が引き締まり、湖の藻を食べて臭みがないのが特徴という。マガモの肉をぶつ切りにしたものと骨と一緒に包丁の刃でたたきにたたいてペースト状にした「たたき」の形で供されるものが多い。長浜市内には、鴨料理を出す料理旅館や料理店が多く、鴨すき、鴨しゃぶ、鴨会席など種類も豊富だ。
(写真は 鳥新の本鴨すき)

子母沢寛からの礼状 寒い冬の時期、長浜でのもう一つの楽しみは温泉。長浜城内とその近くに温泉のある国民宿舎、料理旅館がある。茶褐色の総鉄泉の温泉で湯冷めしないのが自慢。羽柴秀吉が長浜城で初めて子供を授かったことから秀吉ゆかりの“子宝の湯”として親しまれている。
 盆梅の香りを楽しみ、琵琶湖の夕日を眺めながら温泉に浸り、鴨料理に舌鼓を打つ早春の長浜でのひとときは最高の癒しとなりそうだ。
(写真は 子母沢寛からの礼状)


 
国友一貫斎  放送 3月2日(金)
空気銃 織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が激突した元亀元年(1570)の姉川の戦いで大勝した織田信長は、その後、戦に鉄砲を取り入れ戦国時代の戦に大きな変化をもたらし、戦国の歴史、日本の歴史を変えた。鉄砲の威力を初めて見せつけたのが天正3年(1575)、織田・徳川軍と武田軍が戦った長篠の戦いで、無敵を誇っていた武田軍は鉄砲の前に壊滅させられた。この戦いで信長は3500挺もの鉄砲を用いたという。
 この鉄砲が姉川畔の国友村(現長浜市国友町)で作られていた。国友村は戦国時代から江戸時代にかけて堺と並ぶ日本有数の鉄砲の生産地だった。最盛期には70余軒の鉄砲鍛冶屋と500人を超す鉄砲鍛冶職人がいたという。
(写真は 空気銃)

国友鉄砲鍛冶資料館 江戸時代後期に国友村の鉄砲鍛冶の家に生まれたのが国友一貫斎(国友藤兵衛・1778〜1840)だった。オランダ製の空気銃を改良した連発式空気銃を製作したり、反射望遠鏡を製作して世界初の太陽黒点の連続観測を行っている。このほか距離測定機、懐中筆(万年筆)、空を翔る風船(飛行船)などを発明しており、後に「東洋のエジソン」と言われたほどだ。
 白壁の土蔵や塀が建ち並ぶ鉄砲の里・国友町には一貫斎にまつわるモニュメントも建っている。また、鉄砲伝来の歴史や国友鉄砲の製造工程、実物の火縄銃などが展示されている「国友鉄砲の里資料館(有料・月曜休館)」や日本で唯一現存する鉄砲鍛冶の道具や一貫斎の遺品、貴重な鉄砲などが展示されている「国友鉄砲鍛冶資料館(要予約)」などがあり、鉄砲に関する知識が学べる。
(写真は 国友鉄砲鍛冶資料館)


◇あ    し◇
慶雲館JR北陸線長浜駅下車徒歩5分。          
大通寺JR北陸線長浜駅下車徒歩10分。 
曳山博物館JR北陸線長浜駅下車徒歩10分。 
長浜八幡宮JR北陸線長浜駅下車徒歩15分。 
国友鉄砲の里資料館、国友鉄砲鍛冶資料館(国友源重郎商店) JR北陸線長浜駅からバス国友鉄砲の里資料館前下車。
◇問い合わせ先◇
長浜市商工観光課0749−62ー4111 
長浜観光協会0749−65−6521 
大通寺0749−62ー0054 
曳山博物館0749−65−3300 
長浜八幡宮0749−62ー0481 
国友鉄砲の里資料館0749−62−1250 
国友鉄砲鍛冶資料館(国友源重郎商店)0749−62−1008

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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