月〜金曜日 21時54分〜22時00分


京都の洋館

 京都と言えば平安時代に華開いた王朝文化、室町時代の室町文化が今も古都・京 都を彩っている。京都にはこれら平安、中世文化ばかりでなく、近代文化の遺産も見 られる。今回は明治、大正時代に建てられた建築物を中心にこれらの遺産を探索して みた。


 
長楽館  放送 2月28日(月)
長楽館のファサード(明治42年) 円山公園内の清水寺への散策コースの途中に洋館の「長楽館」がある。政府による専売がはじまる以前に、煙草(たばこ)の販売から製造まで手がけ“明治の煙草王”と言われ、後に村井銀行を経営していた村井吉兵衛の別荘として、明治42年(1909)に完成した。東京の赤坂、青山両御所を設計した立教大学校長だったアメリカ人のガーディナーが設計した。ルネッサンス風様式の建物の内部はルイ15・16世時代の趣味がふんだんに用いられた部屋や、ネオ・バロック風の装飾を施した部屋、中国風の部屋などがあって、折衷様式の豪奢な雰囲気で内外の賓客を数多く迎えた。3階は和室になっている。
(写真は 長楽館のファサード(明治42年))

長楽館1階大食堂 京都の迎賓館として華やかな社交の場となった長楽館には、英国皇太子ウェールズ殿下、米国副大統領フェアーバンクス、米国財閥ロックフェラーのほか、西園寺公 望、山県有朋、大隈重信らも京都を訪れたときに滞在している。木戸孝允の 墓参に訪れた伊藤博文は、完成したばかりの長楽館からの眺望を七言絶句の漢詩に詠んだほか、扁額に「長楽館」と揮毫(きごう)した。
 現在、1階は喫茶室となっており、シャンデリアや彫刻に彩られた豪華な雰囲気の中でのティータイムが楽しめる。このほかの部屋も会議、茶会、結婚披露宴会場などに利用できる。周辺は円山公園に囲まれ、少し足を伸ばせば八坂神社、高台寺、清水 寺、知恩院、南禅寺、平安神宮などがある。
(写真は 長楽館1階大食堂)


 
無鄰菴(むりんあん)  放送 2月29日(火)
無鄰菴庭園(明治時代) 南禅寺近くの無鄰菴は、明治の元勲・山県有朋の別荘だった。明治29年(18 96)に完成した。かつて山県が長州に建てた草庵は、隣家のない閑静な所だったこ とから無鄰菴と名付けた。
 無鄰菴の大半を占める池泉回遊式庭園は、山県自らが設計、監督に当たり、造園家 ・小川治兵衛が作庭した。ゆるやかな傾斜地に東山を借景とし、疎水から取り入れた水の三段の滝、池と芝生が美しい庭だ。建物は簡素な木造2階建ての母屋、茶室、レンガ造2階建て洋館の3棟からなっている。
(写真は 無鄰菴庭園(明治時代))

無鄰菴洋館の2階(明治31年) 洋館2階には狩野派の障壁画で飾られた部屋がある。この部屋で明治36年(1 903)、元老・山県有朋と政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・ 小村寿太郎の4人が集まり、日露戦争開戦直前の外交方針を決める「無鄰菴会議」を 開いた。今もこの部屋には花鳥文様の格天井、椅子、テーブルなどが残り、当時の趣を伝えている。
 大正11年(1922)山県が死去した後、無鄰菴は昭和16年(1941)、京 都市に寄贈された。その後、明治時代の名園として国の名勝に指定された。
(写真は 無鄰菴洋館の2階(明治31年))


 
京都ハリストス正教会  放送 3月1日(水)
京都ハリストス正教会鐘楼(明治34年) 京都御苑の南、柳馬場通にあるロシア正教の京都ハリストス正教会大聖堂は、 松室重光の設計で明治34年(1901)に建設された。完成2年後の明治36年にロシアからイコノスタス(聖障)や聖器物、シャンデリア、燭台、じゅうたんなどが届き、大主教ニコライによって成聖式が行われた。
 ロシア正教は江戸時代末の文久元年(1861)に日本の函館にに伝わった。京都 では竹野郡間人村のひとが正教会の洗礼を初めて受け、明治16年(1883)船 井郡園部村に京都で初めて正教会の会堂が建った。その後、京都市内でも信者が増 え、ハリストス正教会の建設へとつながった。
(写真は 京都ハリストス正教会鐘楼(明治34年))

正教会内の聖障イコノスタス(明治36年) 明治37年(1904)、日露戦争が勃発し、日本各地のロシア正教会は苦境に立たされた。日露戦争の終戦後、捕虜となったロシア人を各地の正教会が慰問した。 京都でもロシア人が収容されていた東福寺などへ神父らが慰問し、お祈りをし た。また、教会へも捕虜のロシア人がお祈りに来るようになった。これらの捕虜たちが帰国する時、感謝の印としてイコン(聖像)を教会へ献納している。このイコンは今も教会の聖堂に飾られている。
 京都ハリストス正教会は昭和61年(1986)に京都市の有形文化財に指定され た。
(写真は 正教会内の聖障イコノスタス(明治36年))


 
東華菜館  放送 3月2日(木)
東華菜館の外観(大正15年) 四条大橋西詰にあるスパニッシュ風の5階建て洋館が中華料理店「東華菜館」。

 当初は明治20年(1887)頃創業の木造3階建の京風料理店「矢尾政」で、看板料理は広島から仕入れたカキ料理だった。初代店主は明治中ごろからビヤホールを併設し、店は次第に西洋料理店へと変わっていった。
 2代目店主は大正13年(1924)に新店舗の建設に踏み切り、近江兄弟社を設立したW・M・ヴォーリズに設計を依頼した。ヴォーリズは明治38年(1905)、滋賀県立商業学校の英語 教師として来日したアメリカ人で、熱心なキリスト教伝道者であった。教師の職を追われてからは、建築家となり、多くの名建築を残し、近江八 幡市名誉市民第1号になっている。
(写真は 東華菜館の外観(大正15年))

東華菜館大宴会場 5階建ての新店舗が大正15年(1926)に完成、開店は昭和2年(1927)となった。目抜き通りとは言え、まだ軒の低い町家の店舗が多い京都で、エレベーター付きで屋上にモザイク貼りの塔を持つ華やかなこの建物は、京都人の注目を集めた。
 玄関を飾る装飾は凝ったもので一見に値すると言われている。図柄はすべて食べ物 づくし。ライオンならぬ羊のマスク、ホタテ貝や野菜と言ったもので、タコのユーモ ラスなレリーフが面白い。館内の内装も様々なアイデアがちりばめられている。第2 次大戦が勃発すると西洋レストランは許されず、戦時中は食料倉庫となった。戦後、 経営が中国人に譲られ中華料理店「東華菜館」となる。店内の装飾の一部に中国風が取り入れられ、東洋風と西洋風が混然一体となったインテリアを作り出した。
(写真は 東華菜館大宴会場)


 
大山崎山荘美術館  放送 3月3日(金)
大山崎山荘美術館(大正4年〜昭和7年) 天王山の南麓にある大山崎山荘は、ニッカウイスキーの創始者のひとり、関西の実業家・加賀正太郎が建てた。欧州遊学時に英国のウインザー城から眺めたテムズ川 の風景をもとに、自らが設計して建築した。眼下に木津川、桂川、宇治川が合流して 淀川となる三川合流の景色が、テムズ川の流れを思い起こさせたとも言われている。
 大正から昭和にかけて望楼、本館など豪華客船を思わせるような山荘が完成、夏目漱石ら多くの著名人が訪れ、第2次大戦が起こるまで平和で豊かなひとときを過ごし た。漱石は「宝寺の隣りに住んで桜かな」の句を詠んでおり。山荘からはすぐ近くの 通称宝寺の宝積寺の三重塔も望める。
(写真は 大山崎山荘美術館(大正4年〜昭和7年))

駆兎文鉢(バーナード・リーチ) 平成になってこの山荘の荒廃が著しくなり、保存を望む声が起こった。当時、ア サヒビール社長だった樋口廣太郎氏が中心になって京都府と大山崎町に働きかけて保存が実現、企業メセナ活動として平成8年(1996)、修復された山荘は美術館 としてスタートした。
 美術館にはアサヒビール初代社長の山本為三郎氏の陶器を中心にしたコレクションが展示されている。山本コレクションには、中国・李朝の古陶磁や西欧の陶磁などの名品も含まれている。また、フランス印象派モネの晩年の作品の「睡蓮」「アイリ ス」「日本の橋なども展示されている。
(写真は白化粧鉄絵青差駆兎文大鉢・バーナード・リーチ作)


◇あ    し◇
長楽館 市バス祇園下車徒歩5分。
無鄰菴 市バス神宮道下車5分。
京都ハリストス正教会
地下鉄烏丸線丸太町下車徒歩8分。市バス河原町丸太町下車8分。
東華菜館 京阪四条駅、阪急河原町駅下車徒歩2〜3分。
大山崎山荘美術館 JR山崎駅、阪急大山崎駅下車それぞれ徒歩10 分。
◇問い合わせ先◇
長楽館             075−561−0001
無鄰菴
       (京都市文化企画課)
075−222−4102
京都ハリストス正教会 075−231−2453
東華菜館 075−221−1147
大山崎山荘美術館 075−957−3123

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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