月〜金曜日 21時48分〜21時54分


奈良・明日香村 

 飛鳥は、6世紀末〜7世紀末にかけて推古天皇(592-628)の豊浦宮をはじめ、持統天皇(686-697)が藤原宮へ遷都(694)するまでの百余年間、いくつもの都が置かれた所である。21世紀を迎えた現代でも飛鳥の里にたたずむと、人の心を包み込む豊かな自然と包容力がひしひしと感じられ、この地に古代国家の都を定めた天皇たちの気持ちが理解できるような感覚にひたれる。この飛鳥の魅力のとりこになり、何度も飛鳥の地を訪れ、遠い昔に思いをはせる人々は多い。


 
犬養万葉記念館  放送 3月5日(月)
犬養万葉記念館 犬養孝氏(1907〜1998)は、飛鳥をこよなく愛し、太いきずなで結ばれた国文学者であった。飛鳥の里に立ち、朗々と万葉歌を犬養節で朗詠し、多くの犬養ファンの人たちに囲まれて飛鳥を歩く犬養氏の姿がよく見られたという。
 飛鳥の里には、犬養氏の筆による万葉歌碑があちこちに建てられている。生前の犬養氏と犬養節をしのびながらこれらの歌碑を訪ね歩くのも飛鳥散策の新コースかもしれない。
(写真は 犬養万葉記念館)

『万葉の旅』取材帳 犬養氏は、万葉集に詠まれた日本全国の土地を訪ね歩き、その土地の自然、風土を守ることに努めると共に「万葉の風土」「万葉の旅」などを著した。明日香村でも飛鳥の自然を大切にすることを力説、飛鳥の景観保全に尽力し名誉村民になっている。
 飛鳥の里をこよなく愛した縁で、平成12年(2000)に明日香村に「犬養万葉記念館」がオープンした。館内には、万葉の風土に関わる資料や犬養氏の万葉歌の墨書、万葉風景写真などが展示されている。犬養氏の遺品や文机、書棚などを配した「犬養先生の部屋」、犬養氏と愛弟子の故・清原和義氏の寄贈蔵書約8000冊など、万葉集を学ぶ人たちのための図書室などがある。来館者が憩う喫茶サロン室も備えられ、万葉ネットワークの発信基地ともいえる。
(写真は 『万葉の旅』取材帳)


 
藤原鎌足生誕の地・大原の里  放送 3月6日(火)
大伴夫人の墓 7世紀半ばの一大政治改革・大化の改新の中心人物のひとり、藤原鎌足の生誕地といわれているのが、明日香村・甘樫丘(あまかしのおか)の東にある大原の里。ここの大原神社に鎌足誕生の地を示す石碑が建っている。大原神社の近くには鎌足の生母・大伴夫人の墓や鎌足産湯の井戸あとなどもあり、奈良時代から平安時代にかけて強大な権力を握った藤原氏の祖・鎌足生誕の地を裏付けるものといえそうだ。藤原鎌足は初め中臣鎌足と称していたが、大原の地が藤原と呼ばれていたことから、この地名にちなんで藤原姓を名乗るようになった。
(写真は 大伴夫人の墓)

大原の里 大原神社境内に2つの歌の万葉歌碑がある。壬申の乱後に即位した天武天皇が「わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後」と浄御原(きよみはら)宮に降った雪を詠んで鎌足の娘、藤原夫人に送った。これに対する藤原夫人は「わが丘の おかみに乞ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ」と返した。天武天皇が「大原の古びた里に雪が降るのはもっと後でしょう」と言ったのに対し「雪は大原の神にお願いして降ったもので、そのかけらがそちらに降ったのでしょう」と返しており、飛鳥の里に降った雪をめぐるユーモアに富んだ相聞歌である。飛鳥を詠んだ万葉歌から当時の飛鳥の里の情景を想像しながら歩けば、飛鳥の散策もいっそう楽しく詩情あふれるものになりそうだ。
(写真は 大原の里)


 
高松塚古墳  放送 3月7日(水)
国営飛鳥歴史公園館 高松塚古墳を中心に広がる国営飛鳥歴史公園の一角に公園館があり、飛鳥地区を立体模型で紹介したり、飛鳥の歴史をアニメで解説している。飛鳥巡りをする前にここで飛鳥の知識をインプットしておくと、飛鳥を理解するのに役立つ。
 高松塚古墳は、昭和47年(1972)の発掘調査で、石室内から極彩色の壁画(国宝)が発見され、古代史ブームを巻き起こす引き金となった。直径18m、高さ5mの円墳で、江戸時代には墳丘の上に松があったことから高松塚と呼ばれていたようだ。現在、高松塚古墳は最新技術をもって保存するため密閉されており、中を見ることはできないが、すぐそばにある高松塚壁画館で中の様子を知ることができる。
(写真は 国営飛鳥歴史公園館)

高松塚古墳復元壁画 高松塚壁画館には模写された壁画や出土品のレプリカが展示されている。石室内の壁画は天井や壁面に星宿、日月、四神、人物群像が描かれ、盗掘によって南の壁画は消失していた。天井は北斗星の北にある星座・紫微垣(しびえん)を中心に28宿を表す星宿、壁面は東に太陽、西に月が描かれ、東壁には青龍、西壁には白虎、北壁には玄武、盗掘された南壁には朱雀の四神が描かれ、さらに東西の壁の南側に男子4人、北側に女子4人の計8人の人物群像が描かれている。
 この8人の人物群像から飛鳥人の生活や服装、持ち物などを思い描き、古代へのロマンを広げる人々が多くなり、明日香村は古代史ブームの中心地となった。
(写真は 高松塚古墳復元壁画)


 
飛鳥川上流  放送 3月8日(木)
飛鳥川の飛び石 飛鳥川上流は、明日香村の中でも最も飛鳥らしい自然が満喫できる場所といえる。飛鳥川の上流は稲淵川と呼ばれ、周囲には明日香名物の棚田が続き、春にはレンゲ、秋にはヒガンバナが咲き乱れる。
 飛鳥川上流にある石橋は、川の中に置かれた自然石が対岸へ渡る橋の役目を果たしている。「明日香川 明日も渡らん 石橋の 遠き心は 思ほえぬかも」は、この石橋を渡って恋人の所へ行きたい気持ちを詠んだ万葉歌。今も飛鳥川には石橋があり、 万葉歌人たちが歌を詠んだ当時をしのぶことができる。
 稲淵川に沿った道は、芋峠を越えて吉野に通じる道でもあり、飛鳥時代には天武、持統天皇が吉野離宮へ往来した道である。
(写真は 飛鳥川の飛び石)

稲淵の勧請縄(雌綱) 飛鳥川上流の稲淵川をのぼると稲淵の集落があり、この集落に稲淵川をまたいで綱が張られている。この綱を「稲淵の勧請縄(かんじょうづな)」と言い、綱の中央に男性のシンボルがぶら下げられていることから雄綱と呼ばれる。さらに上流の栢森の集落にも同じような綱が川をまたいで張られており、こちらは「栢森の勧請縄」といい、女性のシンボルがぶら下げられていることから雌綱と言う。この綱を張る綱掛け神事は毎年1月11日に行われる。地区の人たちが稲わらを持ち寄り綱を編む。最近は若い人たちが少なくなり、綱掛け神事の後継者が心配され、いつまでこの神事が続けられるだろうかともらす人たちもいる。
 栢森(かやのもり)の加夜奈留美命(かやなるみのみこと)神社は、皇極天皇元年(642)に天皇が、干ばつに苦しむ農民のために自ら雨乞いの祈とうをした場所とされている。この地にあった飛鳥坐(あすかにいます)神社が、甘樫丘(あまかしのおか)の東の鳥形山に遷されたため、加夜奈留美命神社だけがここに残ったといわれている。
(写真は 稲淵の勧請縄(雌綱))


 
飛鳥坐(あすかにいます)神社  放送 3月9日(金)
飛鳥座神社 飛鳥の里を展望するのに絶好の場所とされている甘樫丘の東側の、こんもりとした森の鳥形山に飛鳥坐神社がある。境内に壬申の乱で功績のあった大伴御行(おおとものみゆき)が天武天皇を神としてたたえて詠んだ「大君は 神にしませば 赤駒の 腹ばふ田居を 都と成しつ」の歌碑がある。飛鳥時代、皇室の守神でもあった由緒深い神社で、今は五穀豊穰、子孫繁栄、縁結びの神として信仰を集めている。
 境内のいたる所に大小の陰陽石が祭られており、子宝に恵まれた人が寄進したものといわれている。古代には土俗的な石拾い信仰があり、子宝に授かろうと石を拾って祭り、子宝を授かるとお礼にまた石を拾って祭ったといわれ、その名残がこの神社の陰陽石に現れているようだ。
(写真は 飛鳥座神社)

夫婦岩 毎年2月の第1日曜日に行われるこの神社の「おんだ祭」は奇祭として有名だ。 午前中は、『厄払い』天狗と翁(おきな)の面をつけた若衆が、竹の先を細く割ったササラを持って、地区内の大人や子供を追っかけ回し、お尻をササラで叩き回る。強く叩かれるほどに無病息災の霊験があるという。
 午後は、神社の神楽所で牛のぬいぐるみをつけた人も加わり、田起こしから田植までの神事が行われる。その後、天狗とお多福の面をつけた二人が、拝殿で結婚式の神事を宮司にしてもらい、夫婦の営みのしぐさを面白おかしく演じ、参拝者らの笑いを誘う。
 飛鳥坐神社の宮司さんの姓は「飛鳥」といい、現在の飛鳥弘文さんは87代目宮司である。飛鳥の守護神・飛鳥坐神社の宮司にふさわしい飛鳥人である。
(写真は 夫婦岩)


◇あ    し◇
犬養万葉記念館近鉄橿原神宮前駅からバス岡寺前下車。 
大原神社、大原の里近鉄橿原神宮前駅からバス飛鳥大仏前下車徒歩8分。 
高松塚古墳、高松塚壁画館、国営飛鳥歴史公園館
近鉄吉野線飛鳥駅下車徒歩10分。
稲淵の勧請縄近鉄橿原神宮前駅からバス石舞台下車徒歩40分。 
栢森の勧請縄、加夜奈留美命神社
近鉄橿原神宮前駅からバス石舞台下車徒歩1時間。
飛鳥坐神社近鉄橿原神宮前駅からバス飛鳥大仏前下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
明日香村企画振興課0744−54−2001 
飛鳥総合案内所0744−54−3624 
犬養万葉記念館0744−54−9300 
国営飛鳥歴史公園館0744−54−2662 
高松塚壁画館0744−54−3340 
飛鳥坐神社0744−54−2071 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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