月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良・室生村 

 宇陀川沿いの大野寺と室生川の渓谷沿いの杉の巨木の中に堂塔がたたずむ室生寺は、花の季節の春や紅葉が山々を彩る秋は華やかだが、冬から早春にかけては参詣者や観光客も少なく静かだ。そんな早春の大野寺、室生寺を訪ねた。


 
大野寺  放送 3月10日(月)
 大阪・上本町から近鉄電車で1時間足らずで着く室生口大野駅から室生寺を目指して南へ歩を進めると、まず出会うのが宇陀川の岸壁に彫られた大磨崖仏で名高い大野寺。
 大野寺の本尊・地蔵菩薩立像(国・重文、鎌倉時代初期)は、俗に「身代り焼け地蔵」と呼ばれている。永正年間(1504〜21)地蔵菩薩を深く信仰していたこの地の豪族の侍女が、無実の罪で火あぶりの刑に処せられようとした。この時、火の中から地蔵菩薩が現れ、刑吏たちはあわてて火を消し娘は刑をまぬがれた。そのあと大野寺の地蔵堂の扉を開くと堂内に煙が立ちこめ、地蔵菩薩像の半身が焼けこげていたと言う。助かった娘はその後、仏道にはいって尼僧・妙悦として信仰生活を続けた。寄木造で 80.1cmの小さなこの地蔵菩薩像は、土地の人びとから災難を免れ、福寿を授かる「身代り焼け地蔵」と呼ばれ信仰を集めた。
 大野寺は天武天皇10年(681)役行者(えんのぎょうじゃ)が開き、天長元年(824)に空海が一堂を建立したと言う古刹。室生寺の「西の大門」とされ、室生寺を訪れる人は必ず大野寺へ立ち寄る。

身代り焼け地蔵(重文・鎌倉時代)

(写真は 身代り焼け地蔵(重文・鎌倉時代))

くず焼き(やまが)

 大野寺の前を流れる宇陀川の対岸の約30mの絶壁に刻まれているのが、わが国でも有数な線刻大磨崖仏。岩壁の一部を高さ13.8mにわたって少し彫りくぼめ、その平らな面をよく研磨して二つの蓮弁に両足を乗せた仏身11.5mの弥勒菩薩像が線刻されている。承元元年(1207)奈良・興福寺の大僧正雅縁が発願し、中国の宋から来朝した石工が彫った。衣文の流れや螺髪(らほつ)、蓮華座などの彫りは見事なもので、顔はやや右を見おろし、左手をあげて右へ一歩踏み出した姿をしている。承元3年3月、この弥勒菩薩像の開眼供養には後鳥羽上皇が公卿ら60数人を引き連れて参列し、上皇の宸筆(しんぴつ)や公卿らの願文が石仏胎内に納められた。
 磨崖仏の右下には、直径2.22mの円内に金剛界大日如来を現す梵字を中心に8字の梵字が刻まれた尊勝曼荼羅(そんしょうまんだら)がある。大野寺境内にはこの磨崖仏と尊勝曼荼羅を拝む遥拝所が設けられている。
 近鉄室生口大野駅から大野寺にかけては、室生寺や大野寺への参詣者が宇陀川の流れを眺めながら一服する店が並び、その中に素朴な味のくず焼きを売る店もある。

(写真は くず焼き(やまが))


 
室生寺金堂  放送 3月11日(火)
 山深い室生川の清流に沿って建つ室生寺は、女人禁制の高野山に対し女性にも開かれた真言密教の寺院として、鎌倉時代から「女人高野」と呼ばれた。江戸時代に5代将軍綱吉の母・桂昌院が帰依したことから女性の参詣者が増え現在も参詣客の8割は女性だと言う。山内には平成12年(2000)に修復なった有名な五重塔をはじめ、建築、仏像など国宝、重要文化財が目白押しで、まさに仏教美術の宝庫と言える。室生寺は天武天皇の発願で天武天皇10年(681)役行者(えんのぎょうじゃ)によって創建され、後に弘法大師・空海が真言宗の三大道場としたと伝えられるほか、宝亀年間(770〜780)に奈良・興福寺の僧・賢憬(けんけい)によって創建されたとの説がある。
 参道を進み鎧(よろい)坂の石段を登りきると、最初に出会うのが小さな平地に建つ金堂(国宝・平安時代初期)である。流れるような柿(こけら)ぶきの屋根の金堂と石垣の上に張りだしたような礼堂が、マッチして独特の建築美を現している。

仁王門

(写真は 仁王門)

十二神将立像(重文・鎌倉時代)

 金堂内陣の須弥壇にはひときわ大きな本尊・釈迦如来立像(国宝・平安時代初期)を中心に、向かって右に薬師如来立像(国・重文・平安時代)、地蔵菩薩立像(国・重文・平安時代)、左に文殊菩薩立像(国・重文・平安時代初期)、十一面観音菩薩立像(国宝・平安時代初期)の五尊像が安置されている。五尊像の前には十二神将像(国・重文・鎌倉時代)が五尊像を守る形で一列に並ぶ。
 五尊像は大きさや作風に違いがあり、同時代の作ではないとされている。いずれも木像彩色でそれぞれ板光背をつけているのが特徴で、平安時代初期から中期の藤原時代にかけての室生寺特有の作例として知られている。本尊・釈迦如来立像は高さ234.8cmの大きな仏像で、カヤの一木で彫られ、漆で黒く塗られた身体、朱色の衣が特徴的だ。また、本尊の背後の板壁には帝釈天曼荼羅(まんだら)(国宝・平安時代初期)が描かれている。
金堂の西側から上を仰ぐと優美が姿の国宝・五重塔が望まれ、室生寺境内でも最も荘厳な雰囲気が漂い、心が落ち着く場所である。

(写真は 十二神将立像(重文・鎌倉時代))


 
室生寺奥の院  放送 3月12日(水)
 金堂の西側に建っている弥勒堂(国・重文・鎌倉時代)は、室生寺の基礎を築いた修円が創建時に興福寺の伝法院を移築したと伝えられ、現在の建物はその由緒を継いだものとされている。堂内の須弥壇上の厨子内に安置されているのが本尊・弥勒菩薩立像(国・重文・平安時代初期)で高さ94.4cmの小像。その脇壇の厨子内には客仏として釈迦如来座像(国宝・平安時代初期)が安置されている。釈迦如来像は螺髪(らほつ)のない小さい頭、身体をおおう衣の線は、翻波(ほんば)式衣文でリズミカルな感じを与える。
 金堂からさらに石段を登ると灌頂(かんじょう)堂に出る。灌頂とは大阿闍梨(だいあじゃり)から頭上に智水を灌(そそ)がれて仏弟子になる真言宗の重要な法儀のことを言う。その法儀が行われる場所が灌頂堂で、室生寺ではこの灌頂堂を本堂とも呼んでいる。

弥勒堂(重文・鎌倉時代)

(写真は 弥勒堂(重文・鎌倉時代))

如意輪観音坐像(重文・平安時代)

 灌頂堂内部は前方二間が外陣、後方三間が内陣で、いずれも板敷となってなっており、内陣で灌頂の儀式を行うために外陣、内陣を厳重に区別している。内陣正面の須弥壇には本尊の如意輪観音座像(国・重文・平安時代)が安置されている。六臂半跏思惟(ろっぴはんかしい)像は河内長野市の観心寺(かんしんじ)、西宮市の神呪寺(かんのうじ)の如意輪観音像と共に日本三如意輪像のひとつで、平安・藤原時代初期の作と見られている。
 灌頂堂のすぐ上に室生寺のシンボル的存在の五重塔がそびえている。この塔は平成10年(1998)近畿地方を襲った台風7号で倒れた杉の大木の直撃を受けて大破したが、平成12年(2000)10月に修復作業が終わり元の姿によみがえった。
 五重塔を後ろにしながら杉の巨木の間の390段余りの急な石段を登り詰めると奥の院に出る。ここには弘法大師42歳像が安置されている御影堂(国・重文・鎌倉時代)があり、その傍らには舞台造りの位牌堂が建ち室生寺一帯が眺望できる。

(写真は 如意輪観音坐像(重文・平安時代))


 
松平文華館  放送 3月13日(木)
 室生寺から室生川沿いにさらに上流へ登るとその高台に「松平(まつひら)文華館」がある。松平氏は室生の旧家で室生寺の執事を務めているが、同家所蔵の古代から江戸時代までの古美術品を展示するため文華館開いた。開館15周年の平成6年(1994)に写真ギャラリーに模様替えし、写真家の故前田真三氏(1922〜98)の作品を常設展示している。

松平文華館外観

(写真は 松平文華館外観)

松平文華館展示

 前田氏がさまざまな角度からとらえた室生寺と室生の自然や花の写真は見ごたえがある。四季折々に異なった景観を見せる室生寺と寺を取り巻く自然の美しさがいかんなく表現され、室生寺の魅力が堪能できる。
 館内には館長自らが心を込めて活けた野の花が彩りを添えアクセントにもなり、写真と一体になって独特の雰囲気の空間を醸し出している。各地の美術館や博物館などにはない、心なごむ雰囲気の中でゆっくりと展示された写真を鑑賞することができる。

(写真は 松平文華館展示)


 
門前町の味  放送 3月14日(金)
 室生寺の入り口である朱塗りの太鼓橋にさしかかるあたりの門前町には、料理旅館やジネンジョ、よもぎ餅、土産物を売る店が並んでいる。
 橋のたもとの橋本屋は明治4年(1871)伊勢街道の旅籠(はたご)として創業した老舗旅館。屋根が茅ぶきだった昔は、室生寺の参詣を終えた人たちが太鼓橋に接するように設けられていた縁側で、一服しながら世間話をしたものだと言う。その縁側も昭和34年(1959)の伊勢湾台風で太鼓橋もろとも流されてしまった。建物は2階建てに増築されて瓦屋根になったが、そのほかは昔のままの姿でで130年を経過している。

橋本屋

(写真は 橋本屋)

山菜料理

 季節感あふれる山菜料理が名物で、宿泊しなくても昼食として味わうことができる。
写真家の土門拳氏も室生寺に来るたびに橋本屋に泊まり、室生寺の撮影に専念したそうだ。
 橋本屋そばの室生川を上流へ1kmほどさかのぼると龍穴神社がある。この神社はもともと室生寺の鎮守社だった。明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で神仏が分離されるまで神仏一体で、室生寺は龍王寺、龍穴神社は龍王社と呼ばれていた。
 龍穴神社からさらに渓谷を奥へ20分ほど進すむと、龍神が住むと言われている吉祥龍穴がある。約1200年前の平安時代から雨乞いの神としてあがめられ、雨乞いの神事が行われた。今もこの龍穴から清水がほとばしり出ており、冷気が漂い神秘な雰囲気に包まれている。

(写真は 山菜料理)


◇あ    し◇
大野寺近鉄大阪線室生大野口駅下車徒歩5分。 
室生寺、松平文華館近鉄大阪線室生大野口駅からバス室生寺前下車。 
◇問い合わせ先◇
室生村役場0745−92−2001 
室生村観光協会0745−92−2315 
大野寺0745−92−2220 
やまが(茶菓)0745−92−3355 
室生寺0745−93−2003 
松平文華館0745−93−2651 
橋本屋(旅館)0745−93−2056 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「テレホンサービス係」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会