月〜金曜日 18時54分〜19時00分


甦った大阪市中央公会堂 

 大阪城天守閣と共に大阪市のシンボルであり、文化、芸術、社会活動の場として利用されてきた赤レンガの大阪市中央公会堂が2002年11月に保存・再生工事が終わり、80年ぶりに創建当時の姿として甦った。最新技術を駆使した免震システムも施され大地震にも強い構造となった。21世紀も大阪市民らに愛され、あらゆる活動の場として多くの人びとにふれあいの場を提供するであろう。


 
平成の貴婦人  放送 4月7日(月)
 大阪・中之島の緑と水に囲まれ赤レンガが映える大阪市中央公会堂は、大正7年(1918)創建され、大正、昭和の激動期を大阪市民とともに歩んできた。大阪の文化、芸術、社会活動の場として多大な貢献をし、歴史に残るさまざまな行事や催しの舞台となり、近代大阪の発展に寄与した。
 先の第二次世界大戦の戦火は免れたものの、長い年月を経て老朽化が進み、大勢の人たちが集う公会堂としての機能が十分に発揮できなくなっていた。

メルキュールとミネルバ

(写真は メルキュールとミネルバ)

蘭陵王(大集会室)

 大正期のネオ・ルネッサンス様式の建築として、優美な外観と格調高いデザインを誇る中央公会堂を、文化価値の高い建築物として後世に残すため、大阪市は保存・再生工事の方針を昭和63年(1988)に決定した。平成11年(1999)保存・再生工事が始まり、平成14年(2002)11月、建設当時の姿を市民らの前に甦らせ、リニューアルオープンした。
 保存・再生工事には約110億円が投じられたが、この費用の一部に大阪市民をはじめ全国の人たちから多くの寄付が寄せられた。

(写真は 蘭陵王(大集会室))

 3年8ヶ月におよぶ保存・再生工事は綿密な計画と丹念な作業で進められた。外壁の赤レンガや柱のひとつひとつの汚れが洗い落とされ、80年の間に改変された意匠なども忠実に創建当時の姿に復元された。
 正面の大アーチの屋根には創建当時と同じ商業の神「メルキュール」と科学、工芸、平和の象徴「ミネルバ」の神像が復元された。また地下2階には公会堂を大地震から守る免震装置を設置した。利用者に配慮したバリアフリー、エレベーターの設置など、単なる保存・再生工事に終わらせずに機能性も向上させ、その装いは「平成の貴婦人」とも言える姿となって登場した。

免震装置

(写真は 免震装置)


 
その創建  放送 4月8日(火)
 江戸時代の大坂・中之島は諸藩の蔵屋敷が建ち並んでいた。海運、水運を利用して全国から運ばれた藩米が保管され、堂島の米会所で売りさばかれていた大坂は、天下の台所と言われ日本経済を牛耳っていた。
 だが明治維新による幕藩体制の崩壊で、大阪の蔵屋敷経済は一挙に崩壊した。明治新政府の中央集権化による物流、経済活動の東京へのシフトは、中之島の蔵屋敷を無用の長物としてしまい、活気を呈していた中之島はさびれて見る影もないほどになった。

大川便覧(大阪城天守閣蔵)

(写真は 大川便覧(大阪城天守閣蔵))

岩本栄之助

 商人の気概に燃える大阪人ははこんなことではへこたれなかった。すぐに中之島界隈の再生が図られ、明治12年(1879)中之島西部地区に学校や病院(後の大阪大学病院)などが建設された。明治30年代には都市公園地区としての中之島の原型が整い、日本銀行大阪支店、現・大阪府立中之島図書館の前身・大阪図書館が建設され、料亭、茶店なども店開きした。
 中之島が再生への基礎を固め始めた明治44年(1911)株式仲買人の岩本栄之助が、公会堂建設のための寄付を申し出た。その額は100万円(現在の50億円)だった。

(写真は 岩本栄之助)

 岩本栄之助は明治10年(1877)両替商「銭屋」の次男として生まれた。長男が死亡したため父の株仲買人の仕事を手伝い、父の引退で家督を継ぎ株仲買人となった。その後の株仲買い人の仕事は順調だったが、大正初めの相場の激変で持ち株の下落、相場の予想もはずれれるなどで大損失をこうむり、窮地に追い込まれていた。
 大阪市などが援助を申し出たが、自分自身の身を恥じていた栄之助はこの申し出をきっぱり断り「この秋を 待たで散りゆく 紅葉かな」の辞世の句を残し、中央公会堂の完成を見ずに大正5年(1916)命を絶った。今度の中央公会堂の再生を機に岩本記念室を公会堂内に設け、遺族から寄贈されていたゆかりの品を恒久展示し、その偉業を讚えることにした。

辞世の句

(写真は 辞世の句)


 
甦った大正ロマン  放送 4月9日(水)
 岩本栄之助が中央公会堂の建設費の寄付を申し出た翌年の大正元年(1912)、公会堂の指名設計競技が行われ13人がこの設計競技に参加し斬新な設計で競った。その結果、29歳の新進建築家・岡田信一郎の案が一等に選ばれ、その設計プランを基に岡田の師・辰野金吾の指導で中央公会堂は建設された。
 岡田はその後、東京の旧歌舞伎座や明治生命館などを設計してた。また辰野は日本銀行本店、東京駅など200以上もの建築を手がけた明治時代の建築界の開拓者であり指導者だった。

大阪市中央公会堂

(写真は 大阪市中央公会堂)

中央公会堂の透視図

 中央公会堂のシンボルとも言えるのが大集会室(大ホール)。建設当時は3000人が収容できた舞台付きのホールでは、講演会や演劇、音楽会などが催され、大阪のイベントの中心的存在となった。
 甦った大集会室は荘厳な空間の中に1200席のスペースがあり、装飾性を抑えたシャンデリアと左右に並ぶ一灯だけの照明とが調和している。ホール内のデザイン、装飾などは見ていても飽きない。まさに大正期のネオ・ルネッサンスの建築様式を平成の今、間近に見つめることができる。

(写真は 中央公会堂の透視図)

 この大集会室は大正、昭和の政財界の重鎮が講演会を開いたり、音楽、演劇界のトップアーチストたちの公演が行われた。憲政の神様と言われた尾崎行雄や犬養毅、若槻礼次郎らの演説会、三浦環の独唱会、山田耕筰の演奏会などがあった。また、ヘレン・ケラー、ソ連の宇宙飛行士・ガガーリン、ゴルバチョフ元ソ連大統領らもこの大集会室を訪れている。
 創建当時の建築様式を大切にして甦った大集会室は、21世紀の文化の殿堂として多くのイベントが催され、日本はもとより世界各国の人びとの出会いの場となるだろう。

大集会室

(写真は 大集会室)


 
憩いの空間  放送 4月10日(木)
 ネオ・ルネッサンス様式で赤レンガ造りの大建築・中央公会堂正面の大アーチの中央のステンドグラスは公会堂の顔とも言える。優しい表情の顔は大阪市章の「澪標(みおつくし)」と鳳凰を基調にデザインされたもので、その内側は3階の特別室である。
 この特別室は創建当時、貴賓室として使われたゴージャスな雰囲気の部屋で、天井と壁面には神話の世界が明治の洋画界の重鎮・松岡壽(ひさし)の筆で彩られている。

特別室

(写真は 特別室)

中集会室

 特別室の半円形の天井を天空に見立て、伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の二神が、国造りのために天つ神から天の瓊矛(ぬぼこ)を授かる「天地開闢(てんちかいびゃく)」のシーンが描かれている。壁には油彩による商神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)、工神・太玉命(ふとたまのみこと)、民の生活に心を砕いた仁徳天皇が描かれた日本神話の世界となっている。
 天井画、壁画、ステンドグラスとも、商都・大阪にかかわりのあるもので、この特別室に独特の雰囲気を醸し出している。

(写真は 中集会室)

 この天井画、壁画を修復したのが絵画修復の第一人者の杉浦勉氏。仰向けに寝そべって天井画の修復ができる特製の電動イスを使うなど困難な作業が続いた。右手には絵の汚れやほこりを溶かして落とす溶剤を含んだ脱脂綿、左手には溶剤の働きを止めるための脱脂綿を持っての作業だった。こうした根気をいる作業が続けられ、天井画、壁画が鮮やかに甦った。
 特別室の隣りの中集会室もステンドグラス、シャンデリアが輝き、500人が収容できる手ごろなホール。バロックコンサートや舞踏会、結婚披露宴など多彩なイベントにぴったりの華麗な雰囲気で、優雅な「中之島夜会」の舞台として人気を集めそうだ。

中之島倶楽部

(写真は 中之島倶楽部)


 
中之島散策  放送 4月11日(金)
 土佐堀川を行く水上バスから中之島を眺めると地上とは違ったアングルとなり、一味違う中之島の良さが味わえる。
 大阪水上バスは水の都・大阪の大阪城港〜天満橋港〜淀屋橋港〜OAP港を結ぶ水の上の交通機関。主に水上から大阪を見物する観光客をターゲットに運航されているが、水上バスからの眺めで川沿いの風景が再発見できたと言う人も多い。

府立中之島図書館

(写真は 府立中之島図書館)

日本銀行大阪支店

 中之島は大阪市庁舎こそ建て替わって新しい建物になったが、中央公会堂、府立中之島図書館、日本銀行大阪支店と格調の高い近代の名建築が建ち並んでいる。江戸時代に諸藩の蔵屋敷が建ち並び天下の台所を担ったころと同じように現代も行政、経済の中心地である。
 同時に水辺の景観と相まった中之島公園は大阪市民の憩いの場であり、ビジネスマンにとっては都会のオアシスでもある。一度、中之島の名建築と公園のたたずまいを水上から見物されることを勧めたい。

(写真は 日本銀行大阪支店)

 水上バスの散策、中之島公園の散歩に疲れたら中央公会堂にオープンしたカフェテラス「サンクンガーデン」でひと休みするのがよい。保存・再生工事が行われるまでは、公会堂南側で隠れていた地階部分を明るくて開放的なカフェテラスに模様替えし、新しい玄関として、また憩いの場として生まれ変わった。
 ここでゆっくりとお茶を楽しみながら、公会堂の名建築を眺めるのもよし。また、サンクンガーデンの奥にオープンしたクラシックでモダンな空間のレストランで食事を楽しむのもよい。

サンクンガーデン

(写真は サンクンガーデン)


◇あ    し◇
大阪市中央公会堂京阪電鉄、地下鉄御堂筋線淀屋橋駅下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
大阪市中央公会堂06−6208−2002 
大阪市教育委員会社会教育課06−6208−9159 

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(1)・・・ひょうごシンボルルート   
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(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

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