月〜金曜日 18時54分〜19時00分


歴史街道メインルート・室生〜飛鳥 

 歴史街道メインルートシリーズの今回は、古代の歴史とロマンが残る大和国の奈良・室生村から榛原町、明日香村、桜井市を訪ねた。


 
大野寺(奈良・室生村)  放送 4月15日(月)
 近鉄大阪線室生大野口駅から東南へ徒歩5分、宇陀川沿いに建つ大野寺は、天武天皇10年(681)に役行者(えんのぎょうじゃ)が開き、天長元年(824)に空海が一堂を建立したと言う古刹。室生寺の「西の大門」とされ、室生寺を訪れる人は必ず大野寺へ立ち寄ったとされる。春4月には境内の枝垂れ桜が見事な花をつけ、参詣者を喜ばせている。
 本尊・地蔵菩薩立像(重文、鎌倉時代)は、俗に「身代わり焼け地蔵」と呼ばれている。永正年間(1504〜21)大野の豪族の娘が、無実の罪で火あぶりの刑に処せられようとしたとき火の中から地蔵菩薩が現れた。刑吏たちは驚き火を消し娘は刑をまぬがれたが、大野寺の地蔵堂の扉を開くと地蔵菩薩像の半身が焼けこげていたと言う。助かった娘はその後、仏道にはいり信仰生活を続け、この地蔵像は土地の人びとから「身代わり焼け地蔵」と呼ばれ篤い信仰を集めた。

大野寺

(写真は 大野寺)

弥勒大磨崖仏

 大野寺で有名なのは宇陀川対岸の約30mの大岩壁に刻まれた巨大な磨崖仏。岩壁を高さ13.8mほど彫りくぼめ、その面を研磨して蓮弁に乗った仏身11.2mの阿弥陀如来立像が線刻されている。後鳥羽上皇が承元元年(1207)に発願、奈良・興福寺の大僧正雅縁が棟梁となり約1年間かけ、中国の宋から来朝した石工が彫った。衣文の流れや螺髪(らほつ)、蓮華座などの彫りは見事なもので、顔を向かって左に見下ろし、左手をあげて右方へ歩みだすような姿をしている。
 磨崖仏の向かって左下には、直径2.22mの円内に金剛界大日如来を現す梵字を中心に8字の梵字が刻まれた尊勝曼荼羅がある。この磨崖仏と尊勝曼荼羅を拝む遥拝所が大野寺境内にある。

(写真は 弥勒大磨崖仏)


 
室生寺(奈良・室生村)  放送 4月16日(火)
 室生寺へは近鉄大阪線室生口大野駅からバスで20分足らずで行けるが、天候さえよければ大野寺へ立ち寄ったあと、四季折々の景観が楽しめる渓谷の道(約7km)を約1時間半ほどかけて歩くのがお勧めコース。
 室生寺は天武天皇の発願によって役行者(えんのぎょうじゃ)が創建、弘法大師・空海が真言宗の三大道場としたと伝えられている。また宝亀年間(770〜780)に奈良・興福寺の僧によって創建されたとの説もがある。
 室生寺の入り口の室生の里から朱塗りの太鼓橋を渡ると「女人高野室生寺」と刻まれた石標が立っている。境内は山の地形に沿って僧坊、護摩堂、弥勒堂、金堂(国宝、平安時代初期)、本堂(国宝、鎌倉時代)、五重塔(国宝、平安時代初期)が山の上へと美しい石段でつながっている。女人禁制の高野山に対し女性にも山門を開き、参詣を許したので「女人高野」として親しまれ、江戸時代、五代将軍綱吉の母、桂昌院が帰依したころから女性の参詣者がますます増えた。

室生寺・金堂

(写真は 室生寺・金堂)

松平文華館

 国宝・五重塔は平成10年(1998)9月の台風7号で倒れてきた高さ50mの杉の大木の直撃を受け、西北隅の5重の軒先が大破するなどの大きな被害を受けた。平成11年1月から修復工事が始められ、関係者らの努力で修復作業は順調に進み色彩も鮮やかな元の姿が甦り、落慶法要が翌年10月に行われた。
 室生寺にはこの優美な姿をした五重塔のほかに、金堂の本尊・釈迦如来立像(国宝・平安時代初期)や十一面観音菩薩立像(国宝・平安時代初期)、釈迦如来座像(国宝・平安時代初期)など、美しい姿をした仏像が数多くある。
 室生寺のすぐそばの「松平(まつひら)文華館」は、室生村の旧家・松平家に伝わる美術工芸品を展示するため、室生寺の執事・松平雅之夫妻が開いたギャラリー。今は写真を中心にしたギャラリーに変身。写真家・前田真三氏が様々な角度からとらえた室生寺と室生の花の写真が展示され、四季折々に異なった景観を見せる室生寺とその自然の美しさが写真で楽しめる。また、館内に生けられた季節の花が雰囲気を和らげている。

(写真は 松平文華館)


 
古代伝説のお社(奈良・榛原町)  放送 4月17日(水)
 榛原は交通の要所として古代から人の往来が多く、近世、伊勢参りの人々でにぎわい宿場町として栄えた。神武天皇の東征にまつわる史跡や記紀伝説の遺跡、万葉の史跡など古代ロマンに包まれた町でもある。
 鮮やかな朱色の橋、鳥居、建物の墨坂神社は、崇神天皇がまん延する疫病を鎮めるため夢枕のお告げに従って創建したと伝えられる古社。天皇が「宇陀の墨坂の神に赤色の盾と矛を祭り、逢坂の神に黒色の盾と矛を祭れ」と夢のお告げの通りにしたところ疫病は治まったと古事記にある。緑の中に映える朱塗りの本殿は、奈良・春日大社の本殿を譲り受けて移築した。

墨坂神社

(写真は 墨坂神社)

八咫烏神社

 神武天皇の大和東征の折、道案内をした建角身命(たけつぬみのみこと)を祭る八咫烏(やたがらす)神社は慶雲2年(705)の創建。山野を行く建角身命の姿が勇猛で、あたかも烏が飛ぶようだったので神武天皇から八咫烏の名を賜った。賀茂氏の祖先神で京都・賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)も同じ武角身命が祭神。
 三本足の八咫烏はサッカー日本代表のマークとあって、サッカーワールドカップの日本での開催が決まってからこの神社の人気もあがっている。高校サッカー部の生徒たちが大阪市や名古屋市からもお参りし、サッカーの上達と必勝を祈り、八咫烏の紋の入ったお守りを買って行く。

(写真は 八咫烏神社)


 
謎の古代ロマン(奈良・明日香村)  放送 4月18日(木)
 高松塚古墳の石槨内部に色鮮やかな人物像など壁画が発見され、全国に古代史ブームが巻き起こったのは昭和47年(1972)のことだった。
 高松塚古墳は保存のため密閉され壁画を見ることはできないが、すぐそばの高松塚壁画館に画家の前田青邨氏らが模写した壁画や石槨のレプリカ、出土した副葬品などが展示されている。高松塚古墳の彩色壁画は、天井に北斗星の北にある星座・紫微垣(しびえん)を中心に28宿を表す星宿、壁面には東に太陽、西に月が描かれ、東壁には青龍、西壁には白虎、北壁には玄武、盗掘された南壁には朱雀の四神、東西の壁の南側に男性4人、北側に女性4人の計8人の人物群像が描かれている。人物群像の服装や持ち物などを見ることで、古代へのロマンを広げることができる。
 高松塚古墳は直径18m、高さ5mの円墳で、古墳時代終末期の7世紀末から8世紀初めの築造と推定される。すでに盗掘されていたが、石室内から出土した海獣葡萄鏡や刀飾金具などから被葬者は皇族か有力な貴族と推定される。

高松塚古墳

(写真は 高松塚古墳)

亀石

 田んぼの畦道にうずくまっているような巨大な花崗岩の亀石は、誰がどのような目的で造ったのかわからない。
亀石が西を向くと大和が水没するという言い伝えがある。酒船石がある丘陵の北側裾から亀形石造物が平成12年(2000)に見つかり考古学ファンの間で大変な話題になった。
亀はめでたいことの象徴のようであったが、飛鳥の石造物の亀の意味はよくわからない。
飛鳥にはこのほか石人像、猿石、鬼の俎(まないた)、鬼の雪隠(せっちん)など謎の石造物が多い。
 もうひとつ、飛鳥のシンボルとも言えるのが石舞台古墳。この古墳はすでに江戸時代には古墳の封土がなくなり石室が露出していたと言う。石室は全長19mで天井は巨大な2個の石でおおわれており、南側の天井石は重さ77トンもある。蘇我馬子の墓と伝えられているが裏付ける資料はない。石舞台の名の由来は、おぼろ月夜にキツネが女性に化けて踊ったという説と、旅芸人が舞台がなかったので、この石の上で芸を披露した、との二つの説がある。

(写真は 亀石)


 
山の辺の春(桜井市)  放送 4月19日(金)
 JR桜井線、近鉄大阪線の桜井駅前から山の辺の道へは、歴史街道の可愛いスタンプマークをあしらった道標の歩道タイルが導いてくれる。山の辺の道は三輪山の南麓を起点に、大和盆地の東側に連なる山並みの麓を天理、奈良へと続く約26kmの日本最古の道。
自然に包まれたなだらかな山道の道筋には、万葉の歌碑や道祖神、石仏などが点在しているほか古代の古墳や古社寺も多く、四季を通じて訪ね歩く人びとが絶えない。
 山の辺の道へ入るとすぐに大神(おおみわ)神社がある。標高467mの三輪山を御神体とする神社には本殿がなく、拝殿の奥にある「三ツ鳥居(重文)」を通して、三輪山を遥拝する原初信仰の形態をとるわが国最古の神社である。

大神神社

(写真は 大神神社)

檜原神社・三ツ鳥

 大神神社から北へ進むと万病に効くと言われる御神水の「薬井戸」がある狭井(さい)神社、世を避けた玄賓僧都が隠棲していた玄賓庵と続き、玄賓庵を過ぎると桧原神社がある。この神社も本殿がなく三ツ鳥居から御神体の三輪山を遥拝する。崇神天皇が天照大神を最初に祭った神社で、その後、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神の鎮座地を求めて各地を巡行、伊勢神宮に遷座した後は「元伊勢」と呼ばれるようになった。
 桧原神社の境内から 大和盆地を望むと大和三山、遠くには金剛、葛城、二上、生駒の山並みが連なり、この山並みに沈む夕陽の眺めが素晴らしい。桧原神社の西にある井寺池畔の川端康成の筆による歌碑にある「大和は国のまほろば たたなづく青かき 山ごもれる大和し美し」の歌の情景と同じである。山の辺の道はいつ歩いても飽きない道である。

(写真は 檜原神社・三ツ鳥)


◇あ    し◇
大野寺近鉄大阪線室生口大野駅下車徒歩5分。 
室生寺近鉄大阪線室生口大野駅からバス室生寺下車。 
墨坂神社近鉄大阪線榛原駅下車徒歩10分。 
八咫烏神社近鉄大阪線榛原駅からバス高塚下車5分。 
高松塚古墳、高松塚壁画館近鉄吉野線飛鳥駅下車徒歩10分。 
亀石近鉄吉野線岡寺駅下車徒歩20分。 
近鉄橿原神宮前駅からバス野口下車徒歩3分。
石舞台古墳近鉄橿原神宮前駅からバス石舞台下車。 
山の辺の道JR桜井線、近鉄大阪線桜井駅下車。 
大神神社JR桜井線三輪駅下車徒歩5分。 
狭井神社JR桜井線三輪駅下車徒歩10分。 
桧原神社JR桜井線三輪駅下車徒歩35分。 
◇問い合わせ先◇
室生村観光協会0745−92−2315 
大野寺0745−92−2220 
室生寺0745−93−2003 
松平文華館0745−93−2651 
榛原町観光協会0745−82−1301 
墨坂神社0745−82−0114 
八咫烏神社0745−82−2046 
明日香村観光開発公社0744−54−4577 
明日香村役場企画課0744−54−2001 
飛鳥総合案内所0744−54−3624 
飛鳥歴史公園0744−54−2662   
高松塚壁画館0744−54−3340 
桜井市役所観光課0744−42−9111 
大神神社、桧原神社0744−42−6633 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会