月〜金曜日 18時54分〜19時00分


歴史街道メインルート 大阪 

 歴史街道メインルートシリーズ第7週は、古代に難波宮が置かれ、飛鳥、奈良、京都の都の海の玄関口として重要な位置を占め、近世には政治の舞台が京都から難波に移り、豊臣秀吉による大阪城築城、水運を活用した水の都、天下の台所・商いの町として発展してきた大阪を探訪した。


 
大阪城  放送 5月20日(月)
 大阪のシンボルは数多いが、その中で首位にあげるとすれば大阪城。大阪市民は大阪城を心のよりどころとしており、自慢のひとつでもある。
 大阪城天守閣は江戸時代初めの寛文5年(1665)落雷で天守閣が焼失してから天守閣のない城だった。昭和3年(1928)関一・大阪市長が昭和天皇の即位を祝う記念事業として天守閣の復興を提案した。復興費150万円(現在の約750億円)は、市民からの寄付でまかなうことになった。不況下にもかかわらず住友財閥の当主・住友吉左衛門氏の25万円を筆頭に最低10銭までの市民からの寄付金が続々集まり、わずか半年間で目標額の150万円を達成した。昭和6年(1931)地上55mの大阪城天守閣は266年ぶりによみがえった。

伝秀吉所用陣羽織

(写真は 伝秀吉所用陣羽織)

硝石

 大阪城は豊臣秀吉が石山本願寺跡に、天正11年(1583)築城を始めた時からの歴史を持つ城である。関ヶ原の戦いのあと、慶長20年(1615)大坂夏の陣で豊臣氏は滅亡、天守閣も同時に炎上した。徳川幕府は大阪城を再建、現在の石垣や堀などは江戸時代のものである。石垣の巨石は各大名が競って運び込んできたもので、特に畳36畳分の大きさ、重さ130トンもあると言われる蛸(たこ)石は有名である。
 新しく再建された昭和の天守閣の内部は歴史博物館として豊臣秀吉関係の資料を展示している。再建当時、天守閣内部を博物館として利用したのは独創的だと注目された。その後、再建された各地の天守閣が同じように博物館の役割も兼ね備えるところが多くなった。
 大阪市民にとって大阪城天守閣は自らの浄財で再建したとの自負と愛着が強い。そのせいか天守閣の足元の休憩所、売店は極めて大衆的で、多彩なおみやげグッズやうどん、おでん、たこ焼きなどが大勢の観光客や市民を楽しませている。

(写真は 硝石)


 
大阪歴史博物館  放送 5月21日(火)
 難波宮跡と大阪城が間近に見渡せる所に2001年11月3日「大阪歴史博物館」が開館した。大阪の歴史が凝縮したこの場所は歴史博物館にふさわしい立地と言える。
 1350年を超える大阪の歴史を様々な手法でリアルに再現、豊富な資料で古代難波宮から近代の大阪まで、各時代の息づかいを体感してもらう新しいスタイルのミュージアムとなっている。
 この博物館に入館すると、まずエレベーターで一気に最上階の10階へ上がるのが見学のポイント。地上57mの10階は、1250年前の後期難波宮の大極殿が原寸大で復元された古代フロア。直径70cmの朱塗りの円柱が立ち並び、官人たちが整列、大スクリーンでは宮廷の儀式の様子をわかりやすく紹介している。この空中の大極殿から史跡難波宮跡の大極殿跡が望めるのは、現代科学のなせる技か。

難波宮跡公園

(写真は 難波宮跡公園)

難波宮大極殿

 10階の見学が終わればここから順次下の階へ降りながら見学していくのがこの博物館のルート。9階は中世、近世フロア。織田信長に激しく抵抗した石山本願寺の時代や江戸時代が中心。日本の各地の物産が集積し、天下の台所と言われた時代の活気あふれるなにわの町の人びとの暮らしが、ミニチュア模型で再現されている。8階の歴史を掘る特集展示の近代フロアでは、原寸大に再現した発掘現場で、調査の方法や遺構、遺物の見方を学ぶ。実物の遺跡や遺物を見たり触れながら考古学を体験する空間と言える。現代フロアでは今もその香りが残っている懐かし大阪と出会える。大正末期から昭和初期にひときわにぎわった心斎橋筋、道頓堀などの街角をリアルに再現し、当時の記録映像とともに繁栄したモダン都市・大阪の街が歩ける。
 地下1階は実物の古代遺跡が見学できるフロア。この博物館が建っている敷地は今から1350年前、飛鳥時代の難波長柄豊碕宮の宮殿があった所で、発掘調査で倉庫跡や塀跡、宮廷に水を供給した水利施設などが見つかった。その遺跡の一部が掘り出したままの状態で見学できる。

(写真は 難波宮大極殿)


 
元勲が集まった料亭  放送 5月22日(水)
 大阪証券取引所や証券会社が建ち並ぶビジネス街の北浜にある料亭「花外楼(かがいろう)」は、幕末の天保年間(1830〜44)に加賀国・徳光村の伊助と言う人が、ここで割烹料理の店「加賀伊(かがのい)」を開いたのが始まりで、約160年の歴史を持った老舗。
 明治維新後、政権は大久保利通が握っていたが、明治8年(1875)西郷隆盛の征韓論で板垣退助が野に下り、征台の役の強行で木戸孝允が下野するなど、明治新政府は分裂状態になっていた。この行き詰まりの政局を打開するため、伊藤博文、井上馨の仲介で、大久保利通、木戸孝允、板垣退助が加賀伊に集まり、世に言う大阪会議が開かれた。会議は1カ月にわたり紆余曲折の末、立憲政治へ漸次的に移行することで大久保、木戸、板垣の間で合意ができた。その後の元老院(後の貴族院)、大審院(後の最高裁判所)の設置など、新政府の政治体制が整うきっかけとなった会議で、花外楼の入り口には「大阪会議開催の地」の石碑が立っている。

「花外楼」(木戸孝充筆)

(写真は 「花外楼」(木戸孝充筆))

元勲料理

 この大阪会議での話し合いの成立を祝って木戸孝允がこの店の屋号を改め「花外楼」と命名した。これが現在の屋号の由来で、今も木戸の筆による「花外楼」の額が保存されている。ほかに伊藤博文が大阪会議の円満な開催を願って書いた手紙や屋号の「花魁」の書、井上馨から送られた屋号の「香涯楼」の書や大物政治家の書画が資料室に保存されており、希望者は見学できる。
 伊助は正義感の強い人で、幕末の動乱期には桂小五郎(木戸孝允)ら勤王の志士たちをかくまったりした。これらのいきさつもあって、明治維新後も木戸孝允、大久保利通、伊藤博文らが加賀伊によく出入りしていた。大阪会議後は明治の政界、財界、官界の大立者の出入りがひんぱんになった。
 花外楼は国立文楽劇場で「花の川・花外楼物語」が上演されるのを記念して、大阪会議が開かれたころ明治の元勲らに出された料理を、料理長が古い大福帳などをひも解いて「元勲料理」として再現した。2002年5月いっぱい希望する客に提供している。

(写真は 元勲料理)


 
空中庭園  放送 5月23日(木)
 JR大阪駅北西に平成5年(1993)に誕生した新梅田シティの高層ツインビル・梅田スカイビルには、てっぺんをつなぐブリッジの形の空中庭園展望台がある。地上170mのオープンスペースの展望台は、さわやかな風に吹かれながら360度の大阪の街並みが見渡せる観光名所としてすっかり定着している。
 遠く大阪湾はもちろん、空気が澄んでいれば淡路島まで望める。またこの展望台から眺める夕暮れの空の変化は格別で、オレンジ色から濃紺へと変わる空を見ていると夢心地になる。夜のとばりが降りると眼下には夜景の大阪の街が広がり、24時間眠ることをしない現代都市の息づかいが伝わってくる。

空中庭園

(写真は 空中庭園)

滝見小路

 梅田スカイビルの無機質な外観とは対照的に、その足元の地上には大自然をイメージした3800平方mの「中自然の森」が広がり、円形の庭には50種、210本の植物が植えられている。季節の花が咲き競う「花野」のほかに渓流や遊歩道が配置され、深い緑の森や滝、噴水などが都会に自然の潤いをもたらしている。この森に放し飼いにされているリスは、今や梅田スカイビルのマスコット的存在となり可愛がられている。
 スカイビルの地下1階には、大正末期から昭和初めにかけての活気あふれる大阪の街並みを再現した「滝見小路」がある。石畳の路地を挟んで飲食店が建ち並び、路地の脇には当時の車や電柱、水を汲み上げる手押しポンプなどでレトロ感をあふれさせている。

(写真は 滝見小路)


 
海遊館  放送 5月24日(金)
 天保山一帯が昔日のにぎわいを取り戻す原動力となったのが、平成2年(1990)にオープンした世界最大級の水族館「海遊館」である。魚類を中心に約580種、39000匹(頭)が飼育されている。海遊館のメインは深さ9m、容量5400トンの太平洋水槽で、この大水槽でゆうゆうと泳ぐ、ジンベエザメやマグロなどの姿を見ると感動を覚える。
 海遊館で一番の人気者はジンベエザメの「遊ちゃん」だ。これまで海遊館で飼育されたジンベエザメは5匹。現在の「遊ちゃん」は2代目で平成12年(2000)に海遊館の仲間に加わった。オープン当時からいた初代「遊ちゃん」は、体長7.7mまで育ち、飼育期間3053日の世界最長記録を作って平成10年(1998)に死んだ。一方、オスの「海くん」は今は海遊館にはいない。海遊館の夢はオスのジンベエザメを同じ水槽の中で飼って繁殖に成功させ、親子のジンベエザメが泳ぐ姿を来館者に見てもらうことだ。

ジンベエザメの餌付け

(写真は ジンベエザメの餌付け)

海遊館

 海遊館の海の旅は色鮮やかな熱帯魚が泳ぐ、幻想的なトンネル型の水槽「魚のとおりぬけ・アクアゲート」から始まる。そしてオオサンショウウオのいる「日本の森」、愛くるしいペンギンが迎えてくれる「南極大陸」、深海の静けさが漂う中にタカアシガニがいる「日本海溝」、愛嬌を振りまくラッコ姿に顔がほころぶ「アリューシャン列島」、イルカが泳ぐ「タスマン海」など、リング・オブ・ファイア(環太平洋火山帯)を14の水槽に分けて再現しているゾーンでは、さまざまな海の様子と生き物の表情が見られる。最近、新しく9種類のクラゲを展示した「ふあふあクラゲ館」もオープンした。
 海遊館の周囲には直径100m、15分間の空中の旅ができる天保山大観覧車やサントリーミュージアム天保山、大阪ベイエリアのクルージング船「サンタマリア号」などがあり、海辺での楽しい一日が過ごせる。

(写真は 海遊館)


◇あ    し◇
大阪城天守閣地下鉄谷町線天満橋駅又は谷町駅、中央線森ノ宮駅又は谷町4丁目駅、長堀鶴見緑地線大阪ビジネスパーク駅下車。  
JR環状線森ノ宮駅又は大阪城公園駅、東西線大阪城北詰駅下車。
京阪電鉄天満橋駅下車。
大阪歴史博物館地下鉄谷町線、中央線谷町4丁目駅下車。 
花外楼京阪電鉄、地下鉄堺筋線北浜駅下車。 
空中庭園JR大阪駅、阪急電鉄梅田駅下車徒歩10分。 
海遊館地下鉄中央線、テクノポート線大阪港駅下車5分。 
◇問い合わせ先◇
大阪城天守閣06−6941−3044 
大阪歴史博物館06−6946−5728 
花外楼06−6231−7214 
空中庭園06−6440−3855 
海遊館06−6576−5501 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会