月〜金曜日 21時48分〜21時54分


日本のなかの韓国 

 今週も前回に引き続いて日本と朝鮮半島とのかかわりを宗教や学術、文化面などからその交流の証や足跡を訪ねた。飛鳥時代の国家成立や学術、文化、宗教に朝鮮を含めた大陸文化が与えた影響の大きさを改めて実感させられた。


 
四天王寺(大阪市)  放送 6月11日(月)
難波之崎顕彰碑(大阪天満宮) 四天王寺は推古天皇元年(593)聖徳太子が建立したわが国で初めての官寺。建立のきっかけは、仏教支持派の蘇我氏と排仏派の物部氏が争い、蘇我氏についた聖徳太子が戦勝を四天王に祈願、物部氏を破った。この勝利に導いてくれた四天王に感謝して寺を建立、四天王をまつった。
 四天王寺は中門(仁王門)、五重塔、金堂、講堂が南北に一直線に並び、中門と講堂を結ぶ回廊が五重塔と金堂を囲む形式になっている。この形式を四天王寺式伽藍(がらん)配置と言い、この形式は百済の寺院に多く見られる。このほか建物にも朝鮮半島の様式が多く取り入れられており、例えば屋根に鴟尾(しび)乗せたり、柱を礎石の上に立てたり、建物の木の部材に赤や青の色を塗る方法などは、朝鮮半島で古くから用いられていた。
(写真は 難波之崎顕彰碑(大阪天満宮))

四天王寺 建立当時の四天王寺は大阪湾が内陸まで入り込んでいた難波津の丘陵地帯にあった。
赤や青の丹青色鮮やかな大伽藍の官寺は、大阪湾の東端に位置していた。大陸の文化は船で瀬戸内海を通ってこの難波津に上陸、大和川や竹内街道から飛鳥の都に入った。難波津は中国、朝鮮を結ぶ海上ルートの要衝で軍事、外交上で重要な位置を占めていた。
 この地に官寺の四天王寺を建立したことは、国の加護を四天王に祈願したほか、外国からの使節や渡来者に対する国威を示すものでもあった。また外国からの使節をもてなす迎賓館の役割も持っていたようで、今日まで伝わっている四天王寺舞楽は、外国からの使節らを歓迎するために演じられたことだろう。
 朝鮮文化の影響を色濃く受けて建立された四天王寺は、今は太子信仰、極楽往生を願う庶民信仰の寺として篤い信仰を集めている。
(写真は 四天王寺)


 
王仁(枚方市)  放送 6月12日(火)
百済寺跡 枚方地方には古くから百済の人々との結びつきを物語る史跡がいくつもある。そのひとつがわが国に「論語」「千字文」を伝え、日本に文字を初めてもたらしたと言われている王仁(わに)の墓と伝えられている伝・王仁塚。
 王仁は古事記、日本書紀によると5世紀の応神天皇のころ百済から渡来した人物で、西文(かわちのふみ)氏の祖となった。西文氏は河内を本拠地として、文筆や出納などをつかさどり朝廷に仕えていた。江戸時代に京都の儒学者が、山中で見つけた自然石を王仁の墓としたことから伝・王仁塚をして伝えられている。
(写真は 百済寺跡)

伝王仁之墓 京阪宮之阪駅近くの百済寺(くだらじ)跡は、百済が滅亡した時、日本に亡命した百済王氏(くだらこにきし)の氏寺とされている。百済王氏は百済最後の王の子孫で、持統天皇から百済王の姓を賜った。奈良時代、聖武天皇の大仏造立に貢献したり、桓武天皇の生母が百済系のだったことなどから、皇室との深いつながりを持つようになり勢力をのばした。
 百済寺は発掘調査の結果、奈良の薬師寺のように金堂の前に東西二つの塔を持つ伽藍(がらん)配置で、新羅にあった寺に類似していると言われている。現在、百済寺跡は国の特別史跡に指定されており、敷地全体が史跡公園として整備され、建物の基壇、礎石が復元されている。開発の激しい波にさらされていた枚方市で、百済寺の敷地がそのままの形で保存されいることの歴史的意義は大きい。
(写真は 伝王仁之墓)


 
松尾大社(京都市)  放送 6月13日(水)
女神像(中津島姫命なかつしまひめのみこと) 京都・嵐山の南にある松尾大社は、藤原京時代の大宝元年(701)の建立で京都市内で最古の神社と言われている。祭神は山の神で男神の大山咋命(おおやまくいのみこと)と海の神で女神の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
 境内の宝物館に安置されている両神像(国・重文)は、一木造りの等身大座像でわが国で最古の神像とされている。その容貌は渡来人的で、平安初期の渡来人をモデルに製作されたものと推測される。松尾大社が京都・太秦に本拠を置いていた新羅系渡来人の秦氏の氏神であることから、渡来人とのかかわりが深いことは当然と言える。
(写真は 女神像(中津島姫命なかつしまひめのみこと))

亀ノ井 秦氏は養蚕、機織、農耕、酒造、金工、木工などの大陸文化や技術を日本に伝え、この地方一帯を養蚕、米作りの地に変えた。秦氏一族の技術で酒造りが行われるようになり、いつしか松尾大社はお酒の神様として信仰されるようになった。境内に亀の井と言う霊泉があり、この水を元水として酒造りの水に混ぜるとおいしい酒ができると酒造家が持ち帰っている。
 現在の本殿は室町時代初めに再建されたもので、屋根の曲線美が美しい松尾造り。
(写真は 亀ノ井)


 
百済寺(滋賀・愛東町)  放送 6月14日(木)
十一面観世音菩薩像(お前立ち) 湖東三山のひとつ百済寺(ひゃくさいじ)は、推古天皇14年(606)に聖徳太子の勅願で高句麗の僧・恵慈(えじ)と百済の僧・道欽(どうきん)のために創建されたと伝えられている古刹。この百済寺は百済の竜雲寺を模して堂塔が建てられたと言われている。
 この地方の湖東一帯は、渡来人の秦氏一族が住み繁栄した土地で「渡来人の里」とも言われている。この百済寺もこれら渡来人の秦氏一族の寺として建立されたものと見るのが妥当で、百済寺の寺名がそれを物語っている。平安時代に天台宗の寺になり、鎌倉時代から室町時代にかけての最盛期には僧坊300、寺域内に僧侶と一般人合わせて1000人が住んでいたと言う。
(写真は 十一面観世音菩薩像(お前立ち))

喜見院の庭 百済寺は、室町時代後期の明応7年(1498)に失火で建物のすべてを失い、再建途中の5年後の文亀3年(1503)兵火で諸堂のほか門前町の民家まで焼失した。さらに天正元年(1573)織田信長の焼き打ちにあい全山すべてが焼失するなど3回の火災に遭遇している。江戸時代に入り天海大僧正の高弟が住職になり、彦根藩主井伊直孝の援助で復興が本格的に進み、現在の本堂や仁王門などが整った。
 百済寺本坊の喜見院の池泉回遊式で鑑賞式庭園は、樹木の中に変化に富む石組みがマッチした閑雅な庭で、前庭からの湖東平野の眺めは素晴らしく、湖東三山随一と言われている。
(写真は 喜見院の庭)


 
雨森芳洲(滋賀・高月町)  放送 6月15日(金)
雨森芳州(高見町芳州会蔵) 江戸時代中期、朝鮮との善隣友好に功績のあったのが滋賀・高月町出身の雨森芳洲(1668〜1755)だった。芳洲は医師の子として生まれ、初めは医術を勉強していたが、途中から儒学の重鎮・木下順庵の門下生となり儒学を学んだ。
 朝鮮外交の窓口となっていた対馬藩に儒学者として仕え、朝鮮との外交関係の維持、貿易、朝鮮通信使の接待などを担当、活躍した。
(写真は 雨森芳州(高見町芳州会蔵))

草梁倭館跡 「相手国の言葉が語れなくして何が交隣ぞや」と釜山へ2度も行き、倭館に合わせて22ヶ月間逗留して朝鮮語を学んだ。また、相手国の心を知らなければ、血の通った外交はできないとの信念から、語学の勉強だけでなく朝鮮の歴史や地理、風俗、人情、習慣まで詳細に研究した。芳洲は朝鮮語のほかに中国語にも精通しており、当時3カ国語を話せる人は少なかった。
 芳洲は「お互いに欺かず争わず、誠意と信義をもって交わるのが外交の基本であり、これを誠信外交と言う」と説いており、現代の右往左往している日本外交が範にすべきことかもしれない。
 芳洲の出身地・高月町に「東アジア交流ハウス・雨森芳洲庵」があり、芳洲に関する著書、随筆、書状、朝鮮通信使にかかわる記録などが展示されている。
(写真は 草梁倭館跡)


◇あ    し◇
四天王寺地下鉄四天王寺前夕陽ケ丘駅下車徒歩5分。 
JR、地下鉄天王寺駅、近鉄阿部野橋駅下車徒歩15分。
王仁塚JR片町線長尾駅下車徒歩15分。 
百済寺跡京阪交野線宮之阪駅下車徒歩5分。        
松尾大社阪急嵐山線松尾駅下車。 
京都市バス、京都バス松尾大社前下車。
百済寺JR東海道線能登川駅からバス百済寺下車徒歩20分。 
雨森芳洲庵JR北陸線高月駅からタクシー5分。 
◇問い合わせ先◇
四天王寺06−6771−0066 
枚方市商工観光課072−841−1221 
枚方市観光協会072−841−1211 
王仁塚の環境を守る会072−859−2712 
松尾大社075−871−5016 
百済寺0749ー46−1036 
雨森芳洲0749−85−5095 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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