月〜金曜日 21時48分〜21時54分


神戸の異国 

 江戸時代末期の安政5年(1858)、欧米各国と結んだ修好通商条約によって兵庫港が開港された際、 神戸に外国人の居留地が設けられた。9年後の慶応3年(1867)に神戸港が開 港され、神戸は欧米文化の受け入れ窓口となった。以来、欧米文化の最先端を行くし ゃれた街として栄えた。今も神戸には北野町の異人館街、旧居留地、南京町などをは じめ、市内のあちこちに異国情緒あふれる建物や文化が残っている。


 
兵庫県公館  放送 6月12日(月)
兵庫県公館 兵庫県庁から南へ下った所に庭園に囲まれたフランス・ルネッサンス様式の建物 がある。これが兵庫県公館で、明治35年( 1902)に兵庫県庁舎として建てら れた神戸に残る明治時代の代表的な洋風建築。設計は当時の代表的な建築家・山口半 六氏の設計で、女性的なフランス・ルネッサンス様式にドーム型の屋根が特徴だっ た。
 第2次世界大戦の神戸大空襲で外壁だけを残して内部はすべて焼失した。戦後、修 復して昭和58年(1983)まで県庁舎として使用していた。老朽化のため建て替 えが検討されたが、市民らから「明治の代表的な建築を残そう」との運動が広がっ た。兵庫県は改修して保存することにし、昭和60年(1985)に「兵庫県公館」 として生まれ変わった。
(写真は 兵庫県公館)

第1会議室 兵庫県公館は2つの顔を持っている。ひとつは賓客をもてなす迎賓館。もうひと つは県政の資料を収集、保存、展示する県政資料館。
 県政資料館は一般公開され、県の誕生から今日までの県政の資料を見ることができ る。迎賓館は普段は非公開で、毎年、春と秋にそれぞれ2日間だけ一般公開される。 多目的ホールとしても使える大会議室のシャンデリアは県の花・ノジギクを型どった もので、ひとつのかたまりに144個、全部で1440個ある。じゅうたんにもノジ ギクの花柄が織り込まれている。南側ロビーには、故・小磯良平画伯が開館を記念し て建物が建設された当時のメリケン波止場を想像して描いた原画を元にして織ったタペストリーや東 山魁夷画伯の絵などが掲げられている。
(写真は 第1会議室)


 
関帝廟  放送 6月13日(火)
関聖帝君像 神戸高速鉄道花隈駅から北へ上った住宅街の中に、朱色を中心にした鮮やかな極 彩色の中国風寺院がある。
これが中国・三国時代の武将・関羽を「関帝」として祭った関帝廟で、南京寺とも呼 ばれているが正式な寺の名前は慈眼山長楽寺。
 関羽は162年に現在の山西省解州に生まれ、三国時代・蜀の皇帝劉備に仕えた。 中国の長編小説「三国志演義」などによると魏、呉を相手に縦横無尽の戦いぶりを発 揮して活躍、219年呉軍との戦いで武運つたなく敗死した。誠実で信義に厚い武将 として人気があり、信義を重んじる商人から神としてあがめ祭られるようになった。
(写真は 関聖帝君像)

関帝廟 関帝廟は明治21年(1888)、神戸の華僑の人たちが心の拠り所として関帝 廟・長楽寺を建て、関帝像のほかに聖観音像と媽祖(まそ)とも呼ばれる女性 神・天后聖母像を祭った。関帝廟の祭りのひとつに豪華な飾りつけをした盂蘭盆会 (うらぼんえ)があり、大勢の参拝者でにぎわう。
 関帝廟は第2次世界大戦の空襲で焼けたが、華僑たちの努力で戦後まもなく再建さ れたたが、昭和52年(1977)には、子供の火遊びから本堂が再び焼失した。現 在の本堂は日本の伝統的な建物に中国風の意匠や様式を取り入れた日中折衷型の建 物。屋根の上で竜がにらみ合う本堂、赤い角が突き出た山門、登竜門とも言われる中 国風の中門など異国情緒豊かな寺院と言える。華僑たちにとって関帝廟は、祖国・中 国と祖先を信仰でつなぎ、社交の場、出身地の異なる仲間を精神的にまとめる場とな っている。
(写真は 関帝廟)


 
近代洋服発祥の地  放送 6月14日(水)
初代・柴田音吉 慶応3年(1867)、神戸港が開港されて以来、様々な西洋文化が神戸に入り 日本各地へ広まって行った。そのひとつにオーダーメイドの洋服がある。明治2年 (1869)イギリス人・カペルが、居留地で洋服店を開店したのが神戸での洋服店 の起こりとなった。神戸市役所南側の東遊園地に建っている「日本近代洋服発祥の 地」の顕彰碑がその歴史を物語っている。
 イギリス人が洋服店を開いたのに続いて、明治10年ごろから日本人たちも洋服の 仕立て業を始めた。各地から仕立て職人が神戸に集まったほか、足袋(たび)職人や 馬具職人らからの転職者も加わり、神戸の近代洋服業は盛んになった。
(写真は 初代・柴田音吉)

昔の柴田音吉商店 神戸港には外国から洋行帰りや日本にやって来る外国人らが、ヨーロッパの最先 端のファッションを持ち込んだ。これらの洗練されたデザインを取り入れた洋服の技 術は、日本のトップレベルで「神戸洋服」と言う固有名詞まで生まれた。関西の粋で モダンな男性たちは、神戸でオーダーメイドの洋服を誂えて着ることを誇りにし、関 西の最新のファッションは神戸から発信された。
 明治16年(1883)柴田音吉が元町で洋服店を開業、現在は4代目の当主が元 町4丁目で「柴田音吉商店・欧風館」を経営している。開業以来の本格派手作り洋服 の経験豊かな優れた技術が、職人たちのひと針ひと針に引き継がれている。
(写真は 昔の柴田音吉商店)


 
移情閣(いじょうかく)  放送 6月15日(木)
移情閣と明石大橋 明石海峡を望む白砂青松の舞子浜に大正4年(1915)、神戸華僑の豪商・呉 錦堂(ごきんどう)が別荘として建てたのが八角形をした3階建ての移情閣。八角の それぞれの窓から見える明石海峡、淡路島、六甲山などの景色が刻々と移り変わると ころから移情閣と名付けられた。
 1、2階の天井には見事な彫刻が施されている。1階には黄金を使った竜、2階に はサンゴで作られたボタンの花が飾られている。移情閣のすばらしい眺めが明石海峡 大橋の建設にともないさえぎられてしまうため、約200m海側に移築された。今年 4月、移築工事が終わり一般公開が再開された。
(写真は 移情閣と明石大橋)

孫文(左)、呉錦堂(右) 呉錦堂は日本に亡命中だった中国革命の父・孫文(号・中山)を温かく迎え、親 交を深めていた。移情閣は昭和57年(1982)、神戸華僑総会から兵庫県に寄贈 され、孫文にゆかりの深かったことから昭和59年に「孫中山記念館」としてオープ ンした。館内には孫文に関する著書、書、新聞記事、写真などの資料約300点が展 示されている。
 移転後は近代技術の粋を集めた明石海峡大橋と移情閣が見事なコントラストを作り 出している。また、沈む夕日に浮かぶ明石海峡大橋と移情閣の見事なシルエットが、 舞子浜公園の散策の新名所になっている。
(写真は 孫文(左)、呉錦堂(右))


 
旧ハンター住宅  放送 6月16日(金)
旧ハンター住宅(重文) 神戸市民の憩いの場、スポーツ、レクリエーションの場になっている王子公園の 動物園シロサイゾーンの隣りに、旧ハンター住宅(重文)がある。旧ハンター住 宅は明治40年(1907)ごろイギリス人実業家のE・H・ハンターが、北野町に 住宅として建設した。昭和38年(1963)兵庫県に譲渡され、王子動物園内に移 築された。神戸市に現存する異人館の中で最大の規模のもので、ベランダの幾何学模 様の窓が美しい。旧ハンター住宅の庭へは動物園入園者は自由に出入りできるが、住 宅の内部は4、8、10月の年3回、それぞれ1ヶ月間だけ、動物園入園者に無料で 一般公開されている。
(写真は 旧ハンター住宅(重文))

E・H ハンター 外観、内装とも、こまやかな意匠が凝らされており、異人館の代表的な建物と言え る。南と東側のベランダは初めは開放されていたが、日本の風土に適さないため、桟 (さん)で幾何学模様にデザインされた窓がはめられた。
 各部屋の大理石のマントルピース、チーク材の床、シャンデリアなどが重厚な雰囲 気をかもし出している。階段の踊り場にはイギリスから取り寄せたと言うステンドグ ラスがはめ込まれ、当時の富裕な外国人の生活の一端をうかがうことができる。
 E・H・ハンターは慶応元年(1843)横浜の商社員として来日、神戸港が開港 されると神戸に移った。神戸でハンター商会を設立、その後、大阪鉄工所(現・日立 造船)を創設するなど、多くの会社を作り、日本の産業界に貢献した。
(写真は E・H ハンター)


◇あ    し◇
兵庫県公館JR、阪神元町駅下車徒歩5分。 
関帝廟神戸高速鉄道花隈駅下車徒歩10分。 
地下鉄県庁前駅下車徒歩10分。
東遊園地JR、阪急、阪神三宮駅下車徒歩5分 
柴田音吉商店神戸高速鉄道花隈駅下車徒歩5分。 
移情閣JR、山陽電鉄舞子駅下車徒歩5分。 
旧ハンター住宅(王子動物園) 阪急王子公園駅下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
神戸市観光課078−322−5339 
神戸市総合インフォメーションセンター078−322−0220 
兵庫県公館078−341−7711 
関帝廟(社団法人中華会館)078−392−2711 
柴田音吉商店078−341−1161 
移情閣(舞子公園管理事務所)078−785−5090 
旧ハンター住宅(王子動物園)078−861−5624


◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会