月〜金曜日 18時54分〜19時00分


豊岡市 出石町 

 円山川流域に開けた但馬地方の中心都市・豊岡市、その南東に位置する出石町はいずれも江戸時代に栄えた城下町で、古代からの古い歴史を持っている。それぞれに社寺や観光名所、伝統の特産品があり、それらをピックアップして訪ねた。


 
柳行李(豊岡市)  放送 6月24日(月)
 但馬の中心地・豊岡市を代表する特産品は杞柳(きりゅう)製品。柳の枝を原料とする行李や容器などで、伝説では但馬開発の祖神・天日槍(あめのひぼこ)が伝授したと言う。この地で作られた柳箱は奈良・正倉院に保存されておりその歴史は古い。多雨多湿の気候が原料の生育に適しているほか、柳細工の加工を容易にした。豊岡藩主・京極家の奨励もあって、積雪期の家内工業として発達し豊岡の柳行李は全国的なものとなった。
 柳細工の材料になる杞柳は学名を「コリヤナギ」と言い、楊柳科の落葉潅木で茎は細長く、1株から数十本が分岐し高さ1〜3mになる。秋に刈り取り水の中に立てておき、春に田んぼに突き刺して芽が出てくるころに皮をむいて乾燥、柳細工の材料にする。柳細工に使う杞柳は円山川の河川敷で栽培されていたが、昭和初めの円山川改修工事で杞柳栽培地はほとんど姿を消し、他府県産の杞柳を移入するようになった。
 柳の栽培地だったところに小田井神社が遷座し、その摂社として「柳の宮」が創建され、柳から受けた恩恵に感謝の意を表している。また柳の宮の例祭「柳祭り」が毎年8月1、2日に行われる。

絵馬(柳の宮)

(写真は 絵馬(柳の宮))

柳行李(杞柳細工 たくみ工芸)

 豊臣秀吉時代に柳行李が生まれ、江戸時代に藩主の京極家の保護育成で大いに発展した。明治から大正時代にバスケットの輸出が盛んになり、明治33年(1900)のパリ万国博にも出品された。大正時代の北但大地震で大打撃を受けたが、戦時中の軍用行李で隆盛を取り戻した。
 行李というのは「使者」を意味した言葉が転じて旅行の荷物や支度を意味し、さらに旅行の装具の容器を示すようになった。衣装行李、書類行李、進物行李、飯行李、薬屋行李、小間物行李など用途によっていろいろな行李が作られた。但馬地方では結納は必ず進物行李で持参する風習が残っている 長い歴史を持つ柳細工だが時代の流れには抗しきれず、行李に代わって今日ではさまざまなバスケットやインテリア製品が作られるようになった。現在の豊岡市は杞柳産業を基盤とした「かばんの町」となり、本革以外でのかばん生産では日本一を占めるようになった。かばんの関連産業を含めると市民の半分がかばん産業に関わっている。

(写真は 柳行李(杞柳細工 たくみ工芸))


 
玄武洞(豊岡市)  放送 6月25日(火)
 円山川の河口に近い東岸にある国の天然記念物「玄武洞」は、160万年前の火山活動で山頂から流れ出したマグマが、冷え固まる時にできた規則正しい玄武岩柱状節理で、その美しさは自然が作り出した芸術である。この岩石の芸術品は無数の六角形の玄武岩が地下から地上へと積み上げられていたり、六角形の柱が束ねられていたり、また岩が渦になったりしている。マグマが冷える時の熱対流の動きによって、さまざまな形状の岩石を作り出しており自然の力の大きさを示している。
 江戸時代後期の文化4年(1807)儒学者・柴野栗山が入湯のため城崎温泉を訪れたとき、この地を訪れ玄武洞と命名した。六角の形をした岩石が玄武の亀甲の形に似ていることから玄武洞を名づけた。ほかに青竜洞、白虎洞、朱雀洞があり玄武洞公園として整備されている。いずれも四方の方角を守る中国の四神の玄武、青竜、白虎、朱雀の由来している。

玄武洞

(写真は 玄武洞)

青龍洞

 玄武洞が命名されたあと、明治17年(1884)東京大学の小藤文治郎博士が、この岩石の日本名を玄武洞にあやかり「玄武岩」と名づけた。玄武洞近くには同じ柱状節理の玄武岩が、玄武洞から南へ数百m、北へ2kmの間に30カ所ほどあり、それぞれ特徴を持った節理を見せている。
 なた、玄武洞の石は現在の磁力とは反対の南を向く磁性を持っていることが、大正15年(1926)京都大学の松山基範博士によって発見された。これをきっかけに松山博士が日本、朝鮮、中国の岩石を調査したところ、石の磁性は北向きと南向きの2つに分けられることがわかった。
 玄武洞公園入り口にある渡船場に石の博物館「玄武洞ミュージアム」があり、玄武洞の成り立ちや歴史、地球が作り出す石の不思議さを、展示された石や映像などで知ることができる。

(写真は 青龍洞)


 
天日槍(出石町)  放送 6月26日(水)
 但馬の土地の成り立ちを語るのが天日槍(あめのひぼこ)伝説。古事記、日本書紀によれば垂仁天皇のころ、新羅の王子・天日槍は妻の阿加留比売(あかるひめ)を追って日本に渡来し、諸国を回ったのち但馬に定住した。当時、但馬の地は入江湖で泥海だった。
天日槍は円山川の河口の豊岡市瀬戸にあった岩山を切り拓いて水を日本海に流し、但馬平野を作り出し肥沃な耕地にしたとの伝説が残っている。こうして天日槍は但馬開発の祖神として崇められるようになった。その天日槍命(あめのひぼこのみこと)が祭られているのが、出石神社で古い歴史と格式のある但馬一の宮である。但馬地方一帯には天日槍やその子孫を祭神とする神社がほかにも数多い。

出石神社

(写真は 出石神社)

秘仏十一面観音(総持寺)

 但馬一の宮の出石神社の創建は明らかでないが、その社格にふさわしい荘厳な雰囲気を漂わせており、重厚な朱塗りの神門や社殿、回廊が古代の栄華をしのばせている。毎年5月5日には天日槍が岩山を切り拓いた様子を再現した「のぼりまわし」の神事が行われている。
 出石神社の東にある総持寺は奈良時代に行基が開いたとされる。出石城主だった山名氏が祈祷寺として篤い信仰を寄せ、本尊の十一面観音像は9代山名祐豊が寄進したものである。総持寺そばにある精進料理の店では、但馬の四季の山菜などをあし らった料理が味わえる。

(写真は 秘仏十一面観音(総持寺))


 
白磁の城下町(出石町)  放送 6月27日(木)
 出石の歴史は古く天日槍(あめのひぼこ)伝説で古事記、日本書紀にもその名が出てくる。城下町としても400年の歴史を持ち「但馬の小京都」と呼ばれている。町役場近くにある町のシンボル辰鼓楼(しんころう)は藩政時代に登下城を藩士たちに太鼓で知らせた櫓(やぐら)で、現代はオランダ製の大時計が町民に時を知らせている。
 「白さは磁器界唯一」と言われ、絹のような風合いと繊細な彫刻の白磁の「出石焼」は、但馬の伝統工芸の中でも美術的価値は随一。新羅国の王子・天日槍が渡来した時に連れてきて陶工が、出石の地で神器や食器類を焼いたのが始まりと伝えられている。町内の柿谷から出る白色の陶石を原料にして、陶工の磨かれた技と芸術的感覚がこの神秘的とも言える純白を創出する。「街の娘と出石の陶器(いし)は肌が白うて器量よし」と出石音頭に歌われたほどで、明治10年にパリ万国博出品、同35年にセントルイス万国博では金賞を獲得している。

出石焼(出石窯 永澤)

(写真は 出石焼(出石窯 永澤))

出石皿そば(甚兵衛)

 代表的な出石名物のひとつが出石そば。小皿五つに盛られたそばが一人前で、そばの黒さを映えさせるのが出石焼の白い小皿やちょこ、徳利である。出石そばは宝永3年(1706)に信州・上田から仙石政明が出石城主として移ってきた時、そば職人を連れてきたのが始まりで300年の歴史がある。50軒近いそば屋があり手作りの「ひきたて」「打ちたて」「ゆでたて」の「三たて」が伝統の風味の極意で、その中でも「寒中に食べる冷たい出石そばが最高」と言われている。
 城下町の出石町には家老屋敷、武家屋敷、足軽長屋、町屋、赤土壁の酒蔵、寺院などが残っており、格子戸や格子窓の情緒ある町並みが保存されている。町民も住宅などを新改築する時には、住宅内の機能は新しくしても外観は古い町並みに調和するように協力している。

(写真は 出石皿そば(甚兵衛))


 
自然の恵み(出石町)  放送 6月28日(金)
 出石町は周囲を山に囲まれた盆地で、自然とふれ合えるスポットが数多い。町の中心から北へ出石神社をすぎて袴狭(はかざ)川の渓谷をたどって行くと一の滝、二の滝、三の滝と渓谷の滝が連続している。さらにその奥に上段23m、下段11mの滝は、白糸を引くような女性的な美しさから「白糸の滝」と呼ばれている。江戸時代初めの寛永年間に出石藩主・仙石信恭が白糸の滝を訪れて詠んだ歌の歌碑も立っている。

白糸の滝

(写真は 白糸の滝)

片間ふれあい農

 出石町の中心地からほど近いところにラベンダーの花を摘んだり、ブルーベリーを採って食べられる片間ふれあい農園があり、休日には家族連れや観光客でにぎわう。また、豊かな自然を眺めながら湯につかり心身をリラックスし、ストレスを解消してくれる出石温泉もなかなかの人気。町営福祉センター内の乙女の湯は出石散策の汗を流すのには格好の温泉である。
 また周囲の山を歩くハイキングコースもあり、森林浴と四季の移り変わりを楽しんだ後、名物・出石そばで賞味し、温泉で疲れをいやす一日コースもよい。

(写真は 片間ふれあい農園)


◇あ    し◇
柳の宮(小田井神社)JR山陰線豊岡駅からバス小田井下車。 
玄武洞JR山陰線豊岡駅からバス玄武洞下車渡船で5分。 
JR山陰線玄武洞駅下車渡船で5分。
出石神社JR山陰線豊岡駅からバス鳥居下車徒歩10分。 
総持寺JR山陰線豊岡駅からバス鳥居下車徒歩20分。 
辰鼓楼JR山陰線豊岡駅からバス出石下車。 
白糸の滝JR山陰線豊岡駅からバス鳥居下車徒歩約1時間。 
出石温泉乙女の湯、片間ふれあい農園JR山陰線豊岡駅からバス出石下車、レンタサイクルを利用するのが便利。レンタサイクルで出石温泉へは約10分、ふれあい農園へは30分。
 
◇問い合わせ先◇
豊岡市役所商工観光課0796−23−1111 
玄武洞ミュージアム0796−23−3821 
出石町観光協会0796−52−4806 
出石神社0796−52−2440 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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