月〜金曜日 21時48分〜21時54分


枚方市 

 京都と大阪の中間に位置する枚方市は、戦後、ベッドタウンとして発展してきた。江戸時代には京都・大阪を結ぶ京街道の宿場町、淀川を往来する三十石船の中継河川港の交通の要衝として栄えた。今も旧街道沿いには古い町家、淀川沿いには船宿などの建物が当時の面影をとどめている。


 
枚方宿  放送 7月2日(月)
枚方宿鍵屋資料館・母屋 東海道五十三次は江戸・京都間のこと。江戸時代初め、慶長20年(1615)の大坂夏の陣の後、京都・大阪間の京街道に伏見、淀、枚方、守口の4宿が設けられ、江戸・大阪間は東海道五十七次となった。徳川幕府は大名が京都に立ち寄って朝廷と接触するのを警戒、京都の中心地を避けた大津宿から伏見宿へのルートを設けたとの見方がある。
 京街道の宿場町、淀川を上り下りする三十石船の寄港地として栄えた枚方には本陣や脇本陣など32軒の旅籠(はたご)があった。「ここはどこぞと船頭衆に問えば、ここは枚方鍵屋浦。鍵屋浦にはいかりはいらぬ、三味や太鼓で船とめる」と淀川三十石船唄にうたわれており、この鍵屋浦に天正年間(1573〜92)創業の船宿「鍵屋」があった。
(写真は 枚方宿鍵屋資料館・母屋)

枚方宿鍵屋資料館・別棟 鍵屋は平成10年まで料理旅館として営業していたが、廃業後、建物を枚方市に寄贈した。江戸時代の町家の特徴と典型的な船宿構造を残していた鍵屋は枚方市の文化財に指定され、保存のため解体修理してこの7月初めに「枚方市立枚方宿資料館」としてオープンした。
 現在の鍵屋は江戸時代後期に建てられた豪壮な建物で、淀川を上り下りした乗船客の客間や食事を賄った台所のかまどなどが残っている。建物内には船待ちをする客でにぎわった当時をほうふつとさせる雰囲気が感じられる。
 オープンした「市立枚方宿資料館」は、淀川船運によって繁栄した枚方宿の歴史を映像や音声、模型などを使ってわかりやすく展示している。
(写真は 枚方宿鍵屋資料館・別棟)


 
くらわんか舟   放送 7月3日(火)
くらわんか茶碗(片山珍古堂) 淀川を上り下りする三十石船が枚方宿の中継港・鍵屋浦に停泊すると、船の乗客を目当てに「ほぉれ、飯くらわんか!酒飲まんか!ごんぼ汁はどうじゃい!」などと、河内弁でご飯や寿司、酒、ゴボウ汁などを売りに来たのが“くらわんか舟”だった。
 船の乗客が武士であろうと町民であろうと、こんな口汚い言葉での商売がまかり通ったのは、大坂夏の陣で徳川方に兵糧米を送り、戦に貢献した枚方の者が家康から独占営業権を与えられた威光を笠に着たものだと言われている。河内弁の「くらわんか」は「食べませんか」の意味。
(写真は くらわんか茶碗(片山珍古堂))

ごんぼ汁とくらわんか餅(くらわんかギャラリー) くらわんか舟は長さ約17m、幅2.5mほどの小さな舟で、三十石船の船べりでご飯や寿司、餅、ゴボウ汁、酒を茶わんに入れて売った。代金は茶わんの数で計算していたと言われ、現代の回転寿司と同じ方式。茶わんをこっそり船べりから淀川へ捨て、無銭飲食をたくらんだせこい乗客もいたようで、今も淀川の川底からくらわんか茶わんが出てくると言う。
 くらわんか茶わんは九州の伊万里、唐津、四国の砥部、摂津の古曽部などで大量に焼かれた粗雑な雑器だった。枚方市内の骨董品店・珍古堂には当時のくらわんか茶わん展示してあり、くらわんかギャラリーではくらわんか茶わんなどの陶磁器を再現して販売している。また市内にはくらわんか料理のゴボウ汁を注文を受けて作る料理店もあり、くらわんか餅、くらわんかせんべいなども売られており、当時の風情を味わうことができる。
(写真は ごんぼ汁とくらわんか餅(くらわんかギャラリー))


 
京街道  放送 7月4日(水)
北村みそ本家 大阪と伏見に城を築いた豊臣秀吉は、この間を最短距離で結ぶため文禄3年(1594)に淀川左岸に堤防を築き、この堤防の上を道路にした。この道路が京街道と呼ばれるようになり、街道筋の宿場町の発展につながった。
 現在、枚方市内には新しい近代的なビルのすぐそばに、閑静なたたずまいの通りや町家、一段高い堤の京街道の跡などがあちこちにある。また市内の旧京街道には、宿場町時代に軍事的な意味あいから直角に曲げた桝形道路が今もそのままの形で残っている。
(写真は 北村みそ本家)

かささぎ橋(呼人堂) 京街道の宿場町だった枚方には古い町家が今も多い。北村みそ本家は明治16年(1883)創業の老舗で、創業以来の伝統の“北河内みそ”の味を継承しながら現代風にアレンジした“河内三昧みそ”を作っている。みそは食する人によって好みがあり、その好みに合うように大量生産のみそにはない各種のみそを作っているのが自慢。
 枚方市の天の川にかかっているかささぎ橋は、七夕の夜、織姫と彦星の年に一度の逢瀬のために、天の川にカササギと言う鳥が羽を広げて橋をかけ、2人を逢わせたと言う七夕伝説に由来して橋の名がつけられた。この七夕伝説にちなんで織姫と彦星をイメージした菓子が呼人堂の「かささぎ橋」。男性が織姫の方から、女性が彦星の方から食すると愛がかなうと言う縁結びの菓子とか。宿場町らしいほのぼのとした雰囲気が感じられる。
(写真は かささぎ橋(呼人堂))


 
意賀美神社  放送 7月5日(木)
江戸時代に奉納された絵馬 銅鏡や鉄剣などが出土した古墳がある万年寺山の山頂に建っているのが意賀美(おかみ)神社。神社の創建年代は定かでないが、平安時代初期の法令書の延喜式に記録された古い神社で、片野物部氏の祖が淀川の水害の難を除き、船の航行の安全を祈願して創建したものと伝えられている。
 この地には万年寺と須賀神社があったが、明治に入って万年寺が廃寺になり、意賀美神社に須賀神社が合祀(ごうし)された。その後、この地に意賀美神社が移されたが、万年寺をしのぶものとしては九重石塔が残っている。
(写真は 江戸時代に奉納された絵馬)

算額(和算大家・岩田清庸奉納) 江戸時代に「算額」を神社仏閣に奉納する習わしがあった。算額は和算の問題が解けたことを神仏に感謝したり、難問の問題だけを書いて奉納し、その問題を見て解答を算額にして奉納すると言ったことも行われた。意賀美神社には大阪の和算家・岩田清庸が文久元年(1861)に納めた幾何の算額が残っている。
 算額の奉納は世界に例のない日本独自の文化で、日本の数学者を育てる上で大きな役割を果たした。また、明治時代に西洋の数学が入ってきた時、その受け入れを容易にしたのもこの算額の風習が貢献したようだ。現在、全国に約820面の算額が残っている。
(写真は 算額(和算大家・岩田清庸奉納))


 
臺鏡寺  放送 7月6日(金)
阿弥陀如来坐像 宿場町・枚方の町並みと淀川を見下ろす小高い丘に通じる石段の参道を登ると臺鏡寺(だいきょうじ)がある。浄土宗のこの寺は明誉願生上人によって永禄2年(1599)に開かれた。本堂には本尊・阿弥陀如来坐像と地蔵尊が安置されているが作者は不明。
 現在の本堂は江戸時代の享保19年(1734)に再建された。山門、鐘楼、地蔵堂、庫裏、方丈などの建物は、本堂再建後に建てられたもので、江戸時代の建築物として枚方市内では貴重な存在となっている。
(写真は 阿弥陀如来坐像)

住職御乗物 地蔵堂に等身大の5尺3寸(約1m60cm)の石地蔵がまつられている。足元が少し汚れているように見えるところから“夜歩き地蔵”と呼ばれている。足元の汚れは夜中に修行に出かけるためだと言い伝えられている。また縁結びの地藏さんとしても地元の人たちには親しまれ、信仰されている。
 臺鏡寺は河内国で触頭(ふれがしら)を務めた寺格の高い寺だった。寺格の高さを知るひつつに、住職が本山・知恩院の法然上人の命日の法要に参列するときになどに使った住職御乗物の駕篭(かご)が残っている。夏用と冬用があり、江戸時代中期の享保時代以降に作られた駕篭と見られている。
(写真は 住職御乗物)


◇あ    し◇
枚方市立枚方宿鍵屋資料館京阪電鉄枚方公園駅下車 徒歩5分。  
片山珍古堂(骨董)京阪電鉄枚方公園駅下車 徒歩5分。 
くらわんかギャラリー京阪電鉄枚方公園駅下車 徒歩5分。 
北村みそ本家京阪電鉄枚方市駅下車 徒歩3分。 
呼人堂(和菓子)京阪電鉄枚方市駅下車 徒歩2分。 
意賀美神社京阪電鉄枚方公園駅下車 徒歩7分。 
臺鏡寺京阪電鉄枚方公園駅下車 徒歩3分。 
◇問い合わせ先◇
枚方市商工観光課
枚方市文化観光協会
072−841−1221
枚方市立枚方宿鍵屋資料館072−843−5128 
くらわんかギャラリー072−844−0301 
片山珍古堂(骨董)072−841−5154 
北村みそ本家072−844−0211 
呼人堂(和菓子)072−841−2713 
意賀美神社072−841−2790 
臺鏡寺072−841−2279 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会