月〜金曜日 18時54分〜19時00分


和歌山・熊野川町 本宮町 

 平安時代から熊野信仰の聖地として多くの善男善女が訪れた熊野・本宮町。そこには熊野詣にまつわるエピソードや歴史、遺跡が数多く残っている。熊野川の支流・北山川のさかのぼると、熊野川町が誇る大渓谷の自然美が訪れる人たちを魅了している。今回は熊野の神秘にふれてみた。


 
瀞峡(熊野川町)  放送 7月8日(月)
 和歌山、奈良、三重の三県にまたがって流れる北山川の渓谷・瀞峡(どろきょう)は南紀屈指の景勝地。大昔、連続していた滝の滝壷が長い年月の間に浸食作用で後退、滝壷の深い淵だけが残り大渓谷を作り出し、現在の瀞峡の景観を生み出した。下流から下瀞、上瀞、奥瀞に分けられ、この中で最も渓谷美に富んでいるのが下瀞で長さが8丁あり「瀞八丁」と呼ぶ。
 瀞峡の両岸には、亀岩、獅子岩、松茸岩、狛犬岩、夫婦岩、大黒岩などの巨岩、奇岩や断崖絶壁が次々に迫ってくる。最も高い断崖は40〜50mもあり、途中には落差13mの布引の滝なども見られる。瀞峡の探勝は春から晩秋にかけてがよく、渓谷の岸にはヤマザクラ、イワツツジ、シャクナゲ、サツキなどの花が新緑に映え、晩秋には紅葉が清流の両岸を彩る。

瀞峡

(写真は 瀞峡)

ウォータージェット船

 瀞峡探勝には昔は団平舟と呼ばれる川舟が利用されていたが、大正末期からはプロペラ船が活躍するようになった。プロペラ船は大正9年(1920)新宮〜本宮間に初めて登場、瀞峡へは大正13年(1924)に就航した。昭和40年(1965)からは水を勢いよく噴出しながら時速40kmで進むウオタージェット船がとって代わった。
 川を行く船は水深の浅い所を進まなければならず、スクリューで進む船は適さない。そこで考え出されたのが船上のプロペラで進むプロペラ船だったが騒音が大きかった。騒音が少なくスピードアップできたのがウオータージェット船で瀞峡観光の主役になった。この船なら水深50cmの浅瀬でも進むことができ、川の観光船に向いている。

(写真は ウォータージェット船)


 
瀞峡から熊野古道へ(熊野川町)  放送 7月9日(火)
 うっそうとした原生林の谷を縫うように流れる碧色の北山川の渓谷・瀞峡(どろきょう)。その断崖絶壁、奇岩、怪岩は、自然が作り出した壮大な芸術の世界とも言える。太古の昔に思いを馳せ大自然を満喫させてくれた瀞峡探勝を終わると、ウオータージェット船発着場の熊野川町志古に着く。この志古から西へ山路を入り熊野古道を歩くと、熊野那智大社に通じる大雲取越、小雲取越の一部にあたる万才峠に至る。
 この峠の頂上付近に時宗の開祖・一遍上人(1239〜89)の筆と伝えられる砂岩に彫られた「南無阿弥陀仏」の名号碑がある。一遍上人は熊野本宮から那智山へ向かう途中、この道を往来する人びとに結縁を願ってこの6文字の名号碑を建立したようだ。

さんま寿司

(写真は さんま寿司)

桜地蔵

 一遍上人は熊野本宮大社で参篭中に「邪心を一切捨て、名号算を与える賦算(ふさん)をせよ」との神の啓示を受けた。これを機に一遍と名乗り「南無阿弥陀仏」と書いた札を持って歩く遊行上人として、庶民に時宗の教えを説いたと言われている。この名号碑は一遍と熊野の信仰との関わりを物語るものである。
平安時代に始まった熊野詣で上皇、天皇、皇族、貴族、武士、庶民といったあらゆる階層の善男善女が、熊野の聖地を目指して歩いた道が熊野古道。この道を歩く人びとの様子を「アリの熊野詣」とも言った。和歌山・田辺から山中に入り熊野本宮大社へ向かうメインルートが中辺路で、これを「御幸道」と呼んでいた。ほかに田辺から海岸沿いに那智勝浦の熊野那智大社、新宮の熊野速玉大社を経て熊野本宮大社に至る大辺路ルート、伊勢から熊野へ入る伊勢路、修験者が利用した山道の高野路、十津川路、北山路、大峰路などがある。
 最近のハイキングブーム、古道ブームで熊野古道も人気を集め、旅行会社のツアーやグループ、家族連れらが熊野古道ウオーキングを楽しんでいる。

(写真は 桜地蔵)


 
熊野の聖地(本宮町)  放送 7月10日(水)
 熊野本宮大社は新宮市の熊野速玉大社、那智勝浦町の熊野那智大社と共に熊野信仰の熊野三山を構成する神社で、全国に約3100社ある熊野神社と熊野信仰の総本宮である。
平安時代初めの宇多法皇に始まった熊野行幸は、歴代上皇、皇女、女院らが熊野詣を続け、鎌倉時代の亀山上皇まで約百回以上にわたる行幸が行われた。熊野信仰は武士や庶民にまで広がり、多くの参詣者が願いをかなえてもらおうと熊野の聖地を目指した。その様子は「アリの熊野詣」と言われるほどの繁栄ぶりだった。
 「熊野権現」のノボリが両側に立ち並ぶ杉木立に沿った129段の石段を登り詰め、総門をくぐり抜けると社殿の前へ出る。向かって左に1棟からなる第一殿と第二殿。正面の第三殿が本殿で、その右に第四殿がある。本殿の主祭神は家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)即ち素盞嗚尊(すさのおのみこと)で、荒れた大地に自ら木を植え「木の国(紀の国)」を作った神とされている。

熊野本宮大社

(写真は 熊野本宮大社)

熊野本宮并諸末社図絵

 熊野本宮大社は元は熊野川、音無川、岩田川の合流点の3万6300平方m(1万1000坪)の中洲の森にあった。幾棟もの社殿、楼門、中門、能舞台、神楽殿、参篭所、社務所、神馬舎などが建ち並び、その荘厳華麗な姿は旧社全景絵図でしのぶことがでる。
 明治22年(1889)、熊野川の大洪水で12の社殿のうち、中四社と下四社が流されてしまった。明治24年、流失をまぬがれた上四社を約1km北の現在地に移し再建した。
旧社地は大斎原(おおゆのはら)と呼ばれ、石の祠(ほこら)が2つある。西側の祠には中四社と下四社、東側の祠には旧境内にあった末社を祭っている。2000年5月、高さ34m、横幅42mの日本で最も高い鉄製の大鳥居が、大斎原の旧大社の鳥居があったところに建てられた。国の史跡に指定されている大斎原は町民らの散策地になっており、春は約100本のサクラが咲きサクラ見物の町民や行楽客でにぎわう。

(写真は 熊野本宮并諸末社図絵)


 
木の国の贈り物(本宮町)  放送 7月11日(木)
 紀伊国は木の国と言われ、熊野地方には熊野杉で知られる美林が多い。昔は切り出された木材が筏に組まれ、筏師が熊野川の激流の中を筏を操って河口の新宮市まで運んでいた。
 この熊野の豊富な木材は建築用材に使われるだけでなく、今は木を使ったアート、民芸品、土産物として脚光を浴びている。そのひとつが「立木染」。山の立木の幹にドリルで穴を開け染料を注入すると、染料が根から吸収した水分や栄養分を木全体に送る導管を伝り、年輪を鮮やかに彩る。その木を切り、自然が描いてくれた美を活かして一輪挿し、置き物、ペンダントなどに加工する。人工だけではできない美しさに魅力があり、熊野詣や熊野古道を歩く観光客らの人気を呼んでいる。

立木染

(写真は 立木染)

皆地笠

 立木染に挑戦した本宮町の吉水久雄は「自然が創り出す芸術で、人間の意志を立木染に表現することは難しい。立木染は切ってみないとその芸術性がわからず、陶芸の焼物が窯出ししなければ、そのできがわからないのに似ている」と言う。立木染めは見えないキャンパスに作品を描くようなものである。
 もうひとつ、熊野の木を使った代表的名工芸品は皆地笠、別の名を貴賎笠。樹齢50年以上の桧を薄く削って編み上げる皆地笠は、昔、本宮町皆地に隠れ住んだ平家の公達が、日々の生計を支えるために作り始めたと言われている。熊野詣で熊野に来た貴族や庶民らが、この笠で雨露や夏の暑さをしのいだので貴賎笠の名が生まれた。他にこの材料を使って花篭入れ、照明用スタンド笠、うちわなどの工芸品が生み出している。これらの伝統工芸細工を伝えているのが、和歌山県名匠指定を受け皆地に住む芝安雄さんである。芝さんの手先からは、次々に木の温もりを持つ工芸品が生み出される。

(写真は 皆地笠)


 
本宮温泉郷(本宮町)  放送 7月12日(金)
 本宮町にはそれぞれ風情の異なる温泉が点在している。湯の峰温泉は1800年前に発見されたといわれ日本最古の温泉のひとつとされている。熊野詣をする人たちが熊野本宮大社を目前にみそぎと旅の疲れを癒した湯垢離場(ゆごりば)として栄えた。今は山あいの湯治場の雰囲気を楽しみ、日ごろの疲れを癒す温泉客が多い。
 湯の峰温泉の東光寺の本尊・湯の胸薬師像は石仏のように見えるが、噴出した温泉の湯の花が積もって高さ約3mの仏の形になった。胸のあたりに温泉が噴き出ていた名残を示す穴がある。この湯の胸薬師像の「ゆのむね」が転化して「ゆのみね」となり、湯の峰温泉の名が生まれたと言われている。
 天然の岩風呂「つぼ湯」は、日に7度も湯の色が変わると言われる。飢餓の姿で倒れていた小栗判官が照手姫の引く車で湯の峰温泉にたどり着き、温泉につかって蘇生した伝説で名高い。

湯の胸薬師

(写真は 湯の胸薬師)

川湯温

 川湯温泉は大塔川の川原を掘って70度を超える熱い湯が湧き出させ、川の水でぬるめてはいる。自作の露天風呂で大自然を満喫しながら入浴できるのが大きな魅力。この川原の露天風呂には子供たちも大喜びで、家庭の風呂では味わえないダイナミックな入浴が楽しめる。
 毎年11月から2月にかけては、川をせき止めて湯を引き入れた広大な露天風呂が出現する。1000人がはいれる仙人風呂で、無料で野趣あふれるこの露天風呂は大人気で、熊野の冬の風物詩としてすっかり定着している。
 川湯温泉からトンネルを抜けると四村川のほとり、夏にはカジカが鳴く渡瀬(わたぜ)温泉がある。湧出量が豊富で500人がはいれる西日本最大級の露天風呂がある。町営クアハウス熊野本宮は、温泉を活用して美容や健康増進をはかる多目的温泉保養施設。疲労回復、ストレス解消、美容など5つの目的別入浴プログラムが用意されている。ほかに温泉プールやトレーニングルームなど盛りだくさんな施設がある。ただのんびりと湯につかっているだけでもOK。温泉旅館やホテルでは山菜料理や川魚料理に舌鼓を打つことができる。

(写真は 川湯温泉)


◇あ    し◇
瀞峡JR紀勢線新宮駅からバス志古下車、ウオータージェット船に乗船。
熊野本宮大社JR紀勢線新宮駅からバス熊野本宮大社下車。 
湯の峰温泉JR紀勢線新宮駅からバス湯の峰温泉下車。 
川湯温泉JR紀勢線新宮駅からバス川湯温泉下車。 
渡瀬温泉JR紀勢線新宮駅からバス渡瀬温泉下車。 
◇問い合わせ先◇
熊野川町役場産業観光課0735−44ー0301 
熊野交通志古予約センター0735−44−0331 
本宮町観光協会0735−42−0735 
熊野本宮大社0735−42−0009

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

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     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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