月〜金曜日 21時48分〜21時54分


小 浜 

 若狭湾に面した小浜は大陸文化の上陸地であり、京都、奈良へ大陸文化を運んだ 若狭軌道の起点として栄えた。“海のある奈良”とも言われ多くの国宝や文化財のあ る社寺が多い。日本海の荒波に侵食された海岸線は奇岩、奇洞の景勝地。また、日本 海の、海の幸にも恵まれている。


 
海に抱かれた町  放送 7月10日(月)
蘇洞門 若狭湾に面した海岸線の奇岩、奇洞の蘇洞門(そとも)は小浜を代表する景勝 地。内外海(うちとみ)半島北側の花崗岩が、日本海の荒波に長年にわたって侵食さ れた奇岩、奇洞が約6kmにわたって続く。この蘇洞門を遊覧船で海側から見物する のが若狭観光の定番。それぞれに唐船島、夫婦亀岩、白糸の滝などの名前がついてい る。大陸からの交易船もこれらの奇岩を眺めながら小浜の港に入ってきたのだろう。
 「そとも」の呼び名は、古代の漁民らが内海の小浜湾に対し、外側の若狭湾に面し ていた海岸を「外面(そとも)」と呼んだり、内外海半島の久須夜が岳の背面との意 味から「背面(そとも)」と呼んだりしていたが、江戸時代に「蘇洞門」の漢字を当て 「そとも」と呼ばせたようだ。
(写真は 蘇洞門)

三丁町 小浜は日本に象が初めて入ってきた土地として知られている。中国や朝鮮をはじめとする大陸からの 交易船が小浜の港に入ってきた。また、蝦夷地の北海道や東北地方の物資を運んだ北 前船の寄港地でもあり、交易港として内外の船が出入りし交易の町として栄えた。
 江戸時代、北前船の船頭たちの宿泊所だった北前船屋敷が残っている。太い柱や梁 を使った豪壮な建物で、中には北前船の模型や若狭塗、古美術品などが展示されてい る。北前船屋敷は現在、旅館「福喜」の所有になっており、旅館の利用者のみが無料 で見学できる。
 交易の町として栄えた小浜をしのばせる旧遊廓の「三丁町」には、出格子や紅殻格 子の茶屋が残っており、夕やみ迫るころには芸妓の姿や三味線の音が聞こえてくる。
(写真は 三丁町)


 
ロマンあふれる若狭塗  放送 7月11日(火)
漆塗櫛 福井県立若狭歴史民俗資料館には、三方町の縄文時代の遺跡・鳥浜貝塚から出土 した漆塗用具の一部や漆塗の櫛(くし)が展示されている。今から5000年前の縄 文時代に若狭では生活用品に漆を利用していたことを示している。だが、現代の若狭 塗との関連はない。
 若狭塗は江戸時代初めの慶長年間(1596〜1615)に小浜藩の漆塗師・松浦 三十郎が、中国の漆芸を模倣して製作したのが始まりと言われている。万治年間(1 658〜1661)、小浜藩主の酒井忠勝が「若狭塗」と命名して保護、育成し漆器 業を盛んにした。
(写真は 漆塗櫛)

若桜塗模様付け 若狭塗の特徴は模様の研ぎ出し技法にある。漆を十数回も塗り、貝殻、卵殻、金 箔、銀箔、松葉、桧葉などで模様を施し、石や炭、砥粉(とのこ)などで模様を研ぎ 出す。完成までに数ヵ月かかり、その重厚な風格は若狭塗独特のものと言える。
 万延元年(1860)の皇女・和宮の降嫁の際、若狭塗のタンスが献上されたと伝 えられている。明治以降も若狭の特産品として奨励され、最盛期には業者が40軒、 職人は70人余もいた。戦後は資材不足や経済の混乱で購買力が落ちて低迷、転業者が 相次いだ。高度経済成長時代から消費が持ち直し、はし、什器など生活用品のほか漆 工芸品などに人気が集まり、小浜市の特産品としての根強い消費に支えられている。
(写真は 若桜塗模様付け)


 
神秘の輝きめのう  放送 7月12日(水)
瑪瑙製の器 若狭・小浜の伝統工芸のひとつにめのう細工がある。めのうは奈良時代から貴石 として飾り玉や玉器に細工され愛用されていた。
 若狭めのうの細工が始まったのは、江戸時代中期の享保年間(1716〜173 6)と言われている。若狭の高山喜兵衛と言う人物が浪花に出て、メガネ屋で丸玉製 作の技術を習得、帰郷してめのう玉の製作を始めたのが始まりとされている。明治初 めに中川清助と言う人物が、研磨技術に改良を加え工芸彫刻法を考案し、優れための う工芸品が生産できるようになり、若狭めのうの工芸品は日本国内から海外にまで知 られるようになった。
(写真は 瑪瑙製の器)

瑪瑙(めのう)原石 めのうは、原石を加熱することによって、原石に含まれている鉄分やクロームが酸 化して赤くなる。熱しすぎると石が割れ、不十分だと発色が不透明になるなど職人の 技と勘がものをいう。神秘的な輝きを持つ「めのう工芸品」は、焼き入れをして鮮やかに発色した原石を作品のデザインに合わ せて形を整え、ていねいに研磨しながら形を作り上げて、ようやく生まれる。
 明治中ごろまでは若狭でもめのうの原石が産出されたが、現在はブラジルから良質 の原石を輸入している。原石のない小浜でめのう細工が発展しているのは、優れた研 磨技術が引き継がれているからだ。一人前のめのう細工職人になるには10年から1 5年の経験が必要だと言う。
(写真は 瑪瑙(めのう)原石)


 
御食国(みけつくに)・若狭  放送 7月13日(木)
小鯛笹漬け 日本海の海の幸に恵まれた小浜では毎日、豊富な魚介類が水揚げされている。若 狭カレイや小鯛(こだい)のささ漬けなどは、若狭の代表的な特産品として観光客に 喜ばれ土産物として持ち帰られている。
 古代にはこれらの海の幸が天皇の食料として奈良の都へ送られていた。常に天皇に 食料を献上する国を御食国と言い、若狭は志摩、紀伊、淡路、大和共に御食国とな っていた。
(写真は 小鯛笹漬け)

若狭カレイ干物 若狭が御食国だったことは、奈良の平城宮跡の発掘調査で出土した木簡で証明さ れている。これらの木簡には若狭から多くの魚介類や塩が送られていたことが記されてい た。それによるとタイのすし、イワシの干物、貽貝(いがい)のすしなど、多種多様な海の幸 が送られていたようだ。当時のすしは保存のきく現代のなれすしだった。
 古代の歌人が「藻塩焼く…」と詠んだように、若狭では製塩が盛んに行われてい る。小浜市の岡津製塩遺跡は国の史跡に指定されており、若狭では55ヶ所の製塩遺 跡が確認されている。若狭で生産された塩は税として奈良の都へ納められていたこと が、出土した木簡などから明らかになっている。このように若狭は都の台所に深いか かわりを持つ国だった。
(写真は 若狭カレイ干物)


 
鯖(さば)街道・熊川宿  放送 7月14日(金)
鯖寿司 魚屋など名産店、鯖街道資料館「宿場町」が軒を並べる小浜市の泉町商店街の中央道路面に鯖街道起点のレリーフが埋め 込まれている。小浜から京都へ通じる若狭街道を、親しみやすい「鯖街道」の別名が で呼んだのは近年になってからだ。この鯖街道は若狭に上陸した大陸文化や北前船が 運んできた物資を京へ、京の文化を若狭へ運んだ街道だ。古くは奈良時代に天皇の食 料を献上したルートでもある。
 京への鯖街道のルートはいろいろあるが、小浜から上中町・熊川宿、滋賀県朽木村 を通って京に通じるルートが一般的で「京は遠ても18里」と言われ、現代風に言え ば72kmになる。朝、若狭の鯖をひと塩し、かついで京へ向かえば翌日の夕食には ちょうど食べごろになっていたと言う。鯖だけでなく若狭のタイやカレイなど日本海 の海の幸はこのルートで運ばれ、いつしかグルメ風な「鯖街道」の名称がつけられ た。
(写真は 鯖寿司)

熊川宿 日本海と京を結ぶルート、若狭街道(鯖街道)の要所を占めたのが熊川宿。室町時代には山城 が築かれており、近世には小浜城主の浅野長政らが保護政策をとって宿場の発展をは かり、藩の関所が置かれた。
 熊川の街道沿いに宿場町時代の面影を残す、平入(ひらいり)や妻入(つまいり) の町家が今も軒を並べており、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。 街道沿いの前川と呼ばれる用水路溝には清流が勢いよく流れている。この溝の速い流れを利 用した水車風のいも洗い器が今も使われている。
 旧熊川村役場の建物を流用した若狭鯖街道熊川資料館「宿場館」には、熊川宿の歴 史を知る資料が展示されている。
(写真は 熊川宿)


◇あ    し◇
遊覧船のりばJR小浜駅下車徒歩20分。 
福井県立若狭歴史民俗資料館JR東小浜駅下車徒歩7分。 
熊川宿JR上中駅からバスで若狭熊川下車。 
◇問い合わせ先◇
小浜市商工観光課0770−53−1111(代) 
蘇洞門めぐり遊覧船・若狭湾観光会社0770−52−3113 
若狭漆器協同組合0770−52−0921 
福井県立若狭歴史民俗資料館0770−56−0525 
上中町観光協会0770−62−1111 
若狭鯖街道熊川宿資料館「宿場館」0770−62−0330

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会