月〜金曜日 18時54分〜19時00分


姫路市〜家島町  

 国宝・姫路城に代表される姫路市だが、姫路城が築城される以前には海岸沿いに古い歴史を持つ城や城下町が形成され繁栄していた。こうした平安時代から室町時代の姫路の歴史をたどってみた。
 姫路市の沖合いの播磨灘に浮かぶ家島群島は、古くから瀬戸内海の要衝を占め、その歴史が島に秘められている。近年はマリーンスポーツや海水浴客、海の幸を求めたグルメらの行楽のスポットとして人気が集まっている家島へも足を伸ばしてみた。


 
       英賀神社(姫路市)              放送 8月18日(月)
 姫路市の中心から南、夢前川の河口近くに鎮座する英賀(あが)神社は、播磨灘沿岸地域を開いた英賀彦、英賀姫の二神を祭る古社で、この地の産土神として広く信仰を集めてきた。神社創建の年代は不明だが、奈良時代の播磨国風土記に、この二神が播磨灘沿岸を開拓したとの記録があり、その創建は神話時代にさかのぼりそうだ。
 古くから朝廷の崇敬を受けたことは、平安時代の日本三代実録に英賀彦、英賀姫の記録があり、その後、英賀城主の崇敬を得て社殿などの寄進があった。神社に伝わる梵鐘(国・重文)には、鎌倉時代末の正中2年(1325)の銘がある。ほかに室町時代に奉納されたと見られる「天神縁起絵巻」などが、社宝として保管されており、その歴史の古さを物語っている。

夢前川

(写真は 夢前川)

英賀神社

 英賀神社の南側一帯は英賀城跡。英賀の地は播磨国の国府があったところで、英賀の市としても栄えていた。平安時代に国府跡に城郭が築かれ英賀城の始まりとなる。
鎌倉時代には吉川氏、赤松氏が居城としていたが、室町、戦国時代には三木氏が城主となり城郭を拡大、改修し威勢を誇り、三木氏10代の居城として栄えた。
 英賀城は自然の地形を生かし、本丸、二の丸を備えた播磨地方屈指の港城だった。
西は夢前川、東は水尾川、北は深い濠、南は海を利用した堅固な城で、港につながれた巨岩のような城だったことから「英賀岩繋(あがいわつき)城」と言われた。その領地は東は高砂から西は室津の播磨灘沿岸全域にわたり、城下町には英賀神社をはじめ浄土真宗の英賀本徳寺など35の寺があり、町には活気があった。室町時代には御着城、三木城とともに播磨三大城と称されていた。

(写真は 英賀神社)

 堅固な守りを誇った英賀城だったが、天正8年(1580)中国地方の平定に向かった羽柴秀吉の攻撃を受けて落城した。城郭はもとより城下町の社寺、民家は兵火によって灰じんと帰し、三木氏や家臣、城下の町民らは方々へ離散した。三木氏10代の栄華は、わずかに残る本丸跡と城郭の土塁跡に見ることができる。
 英賀神社境内に司馬遼太郎氏の「播磨灘物語」の文学碑がある。司馬氏の祖先は三木氏の家臣で、秀吉の攻撃を受けた時には英賀城に籠城したと言われている。播磨灘物語にも英賀城攻略のくだりがあり、主人公の御着城主小寺氏の家老・黒田官兵衛の合戦の駆け引きが描かれている。この播磨灘物語の作品が縁で、平成3年(1991)文学碑が英賀神社に建立された。

英賀城土塁跡

(写真は 英賀城土塁跡)


 
         不徹寺(姫路市)                放送 8月19日(火)
 姫路市の西南端、揖保川の河口近くの網干区浜田の臨済宗妙心寺派の禅寺・不徹(ふてつ)寺は、以前は不徹庵と呼ばれ、元禄時代の女流俳人・田捨女(でんすてじょ)が開き、庵主を務めた庵だった。
 捨女は丹波国氷上郡柏原(現・兵庫県氷上郡柏原町)の織田藩の藩士で風流を好んだ田助左衛門の娘として寛永11年(1634)に生まれた。幼女のころから文雅の才を発揮し6歳の時、有名な「雪の朝 二の字二の字の 下駄の跡」の句を詠んだ。
18歳の時、婿養子に迎えた夫も俳句、和歌を好み、夫妻で俳句や和歌を詠みながらの日々を楽しんだ。

貞閑尼頂相(田捨女肖像画)

(写真は 貞閑尼頂相(田捨女肖像画))

盤珪国師像

 捨女の句は、女性らしいデリカシイと理解しやすい感情の表現、懸け詞の巧みさで後に元禄時代の四俳女、江戸時代の六俳仙としてその才能が讚えられるほどだった。5男1女にも恵まれ幸せな日々を送っていたが、42歳の時に夫と死別した。亡夫の7回忌の翌年に出家して妙融と改め京都へ移った。京では武士らに俳句を教え生活を支えながら仏の道と俳諧の道を求め続けた。
 こうした折、難解な禅の道を庶民にもわかりやすく説く不生禅で知られた播州・姫路浜田の臨済宗龍門寺の禅僧・盤珪和尚の門をたたき弟子入りした。妙融を廃し「嶺雲不徹貞閑比丘尼」の法名を盤珪和尚からもらった。貞閑尼は、禅の道を究めようと盤珪和尚の説法を毎日聴き、その回数は529回におよぶ徹底した求道ぶりだった。

(写真は 盤珪国師像)

 元禄元年(1688)龍門寺近くの浜田の民家を庵とし、師の盤珪和尚が「不徹庵」と名づけ、貞閑尼を庵主とした。貞閑尼は9年後に庵主の座を栄感尼に譲り、2年後の元禄11年(1698)に65歳で没し、龍門寺に葬られた。
 俳諧の道を求め、禅の道を求めた田捨女が開いた不徹庵、現在の不徹寺は一時、無住の寺となった時期があったが、今はサラリーマンを定年退職した後、禅僧になった竹内祖建和尚を迎えた。竹内和尚は寺を訪れる地元の高校生や田捨女をしのんで参詣する人たちに禅の道を説き、地元の子供たちには網干の歴史を教えながら、田捨女の求道心や人柄を通じて21世紀に生きる人の道を説いている。

禅堂

(写真は 禅堂)


 
   姫路から家島へ(家島町)               放送 8月20日(水)
 姫路市の西南約18kmの播磨灘に浮かぶ家島町は、大小40余りの島々から成っている。この家島群島のうち人が生活しているのは家島本島、男鹿(たんが)島、西島、坊勢(ぼうぜ)島の4島。人口は約9000人で漁業、海運業、採石業などに従事している。町の行政、交通の中心となっている家島本島は姫路港から船で約30分、高速艇で20分のところにある。
 東征中の神武天皇が瀬戸内海を航行中、暴風雨を避けるために家島に立ち寄った時に「波静かにして家の内にいるようである」と言ったことが、島名の「家島」の由来と伝えられている。家島群島には旧石器時代から縄文、弥生時代の遺跡などが数多くあり、古くから人が住み着き生活していた歴史がうかがえる。

どんがめっさん

(写真は どんがめっさん)

監館眺望

 姫路港から30分の船旅で家島本島の港に着いた。家島は瀬戸内海航路の要衝として古くから開けた島で、万葉集にも「家島は 名にこそありけり 海原を あが恋ひ来つる 妹もあらなくに」と詠まれている。
 家島本島の真浦港の近くに「どんがめっさん」と呼ばれる亀の形をした巨石がある。
白髪白髭の翁が亀に乗って釣をしていたところ、翁に近づいてきた船団が水先案内を頼んだ。家島で船の修理、兵士の訓練をして数年後に翁の案内で難波へ向かった。無事難波に着き翁はその手柄を褒められた。翁の乗った亀は忙しい翁をおいて先に家島に帰り、翁のいる難波の方を向いて帰りを待ち続けているうちに石になってしまったと言う。この亀の巨石は今は水天宮として祭られ、地元の人たちの信仰を集めている。
翁に水先案内を頼んだ船団は、東征に向かう神武天皇との見方もある。

(写真は 監館眺望)

 家島本島は家島群島の中心で、官公庁や商店もそろっており、旅館も5軒ある。
だが、島内には公共の交通機関やタクシーはなく、観光客や外来の人は貸バイクか貸自転車、もしくは自分の足を頼りに歩くしかない。人が生活している他の3島も同じである。
 家島本島で最高の眺望が楽しめるのが監館眺望(かんかんちょうぼう)。徳川幕府が寛永16年(1639)海上警備のために番所(見張所)をこのあたりに設けた。
ここから眺める入江の風景が素晴らしいことから監館眺望の名がついた。この近くの山上にある万体地蔵苑には無数の地蔵尊が奉納されている。ここからの眺望も素晴らしく、家島港内はもとより男鹿島や瀬戸内海が一望でき、春は桜の名所として親しまれている。

万体地蔵苑

(写真は 万体地蔵苑)


 
         家島神社(家島町)                放送 8月21日(木)
 家島本島の宮港の東方に突き出たような天神鼻に鎮座する家島神社は鳥居が海に面している。神武天皇が武運長久と航海安全を祈願して、天神(あまつかみ)を祭ったのが始まりとされている古社で、地元の人たちは「天神さん」と呼んで信仰している。家島神社のある山は神功皇后が戦勝祈願した際、全山鳴動したことから「ゆするの山」とも呼ばれている。
 境内入口の鳥居のそばに万葉集にある「家島は 名にこそありけれ 海原を あが恋ひ来つる 妹もあらなくに」の歌碑が立っている。この歌は新羅への使節団が帰途、故郷の恋しい妻をしのんで詠んだ歌である。

家島神社

(写真は 家島神社)

万葉の歌碑

 家島神社の境内一帯は家島本島で唯一、原生林に覆われた自然が残っている。この森を「天神の森」とか「家島霊樹」と呼んでいる。ここに原生林が残ったのは、島民がこの地を神の聖地として人の手を入れず、木や植物を切ったり採取せずに守り続けたからだ。この森のウバメガシやシイ、トベラ、モチなどの温帯照葉樹が、見事な植生を成しており、この緑深い森が古社の雰囲気をいっそう深淵なものにしている。
 左遷されて太宰府に向かう途中の菅原道真がこの神社に詣で、境内入口の岩場で詩を書いたとされ、そこが「詩を書き場」として伝えられている。後に道真はこの神社に合祀されている。

(写真は 万葉の歌碑)

 家島神社は家島群島の総鎮守であり、島民からは航海、漁業の守り神として敬われていた。また国家鎮護の神として平安時代初期に官社に列せられており、同時期に編さんされた延喜式では「明神大社」として記録されている格の高い神社だった。祭神は大己貴命(おおむなじのみこと)、小名彦命(すくなひこのみこと)、天満天神の三柱。7月24、25日の家島神社の夏祭りは有名で、特に絢爛豪華な飾りつけをして海上を航行するだんじり船は、勇壮な海の民の祭のクライマックスにふさわしい圧巻である。
 神社の鳥居から岬方面へ進むと砲台場跡がある。幕末に諸外国からの開国要求が高まった時、姫路藩がここに砲台を築き、外国船の進入に備えた。

砲台場跡

(写真は 砲台場跡)


 
      夏の海の恵み(家島町)                放送 8月22日(金)
 家島群島は瀬戸内海国立公園内にあり、島々が織りなす素晴らしい景色、夏の海水浴やマリンスポーツ、キャンプ、四季を通じて豊富な魚種に恵まれた釣り、そして海の幸をふんだんに生かした料理の味は格別である。関西の各都市からわずかな時間で行けるこの島は、海上の最高の行楽地と言える。
 家島群島の中心・家島本島をはじめ男鹿(たんが)島、西島、坊勢(ぼうぜ)島には、それぞれの特有の島の様子や景観があり、訪ね歩くのも楽しい。この4島以外は無人島で、それぞれの所有者の許しがなければ上陸はできない。

清水の浜

(写真は 清水の浜)

シーカヤック

 家島のマリンスポーツのメッカとも言えるのが家島本島・真浦にある「家島町B&G海洋センター」。B&Gとはブルーシー&グリーンアイランド。ヨット、ウインドサーフィン、カヌー、ボートなどがレンタルでき、インストラクターがちゃんと指導してくれるので、初心者も安心してチャレンジできる。また、体育館や温水プール、テニスコートもあり、マリンスポーツ以外も楽しめる家島群島最大のスポーツ施設である。
 海洋センターの温水プールは、ソーラシステムによる太陽エネルギーを活用した環境にやさしい施設で、年間を通じて利用することができる。

(写真は シーカヤック)

 西島にはロッジとテント施設の「兵庫県立母と子の島」がある。恵まれた自然の中で親子や青少年グループが自給自足の生活体験をしながら語り合い、汗を流して自然に親しみ、勤労や遊びを通じて心のふれあいを深める。都会の日常生活から隔絶された自然の中での生活は、子供たちにとって貴重な体験になる。
 家島の自慢は海の幸。家島本島に6軒、男鹿島に5軒、坊勢島に3軒の旅館や民宿がある。これらの旅館や民宿では、捕れたばかりの魚や貝などをふんだんに使った海鮮料理が用意されている。鯛そーめん、生のよい魚の姿造りや盛り合わせ、タコ、エビ、サザエの磯焼きなど、都会ではなかなか味わえないものばかり。グルメたちにとってはこの海の幸を味わうだけでも家島を訪れる価値はありそうだ。

鯛そうめん<br>(アイランドハウス いえしま荘)

(写真は 鯛そうめん
(アイランドハウス いえしま荘))


◇あ    し◇
英賀神社 JR山陽線英賀保駅下車徒歩15分。 
山陽電鉄網干線西飾磨駅下車徒歩15分。
不徹寺 山陽電鉄網干線網干駅下車徒歩15分。 
家島本島 JR山陽線姫路駅、山陽電鉄姫路駅からバスで
姫路港下車、姫路港から船で家島真浦港又は宮港へ。
家島神社 宮港より徒歩15分。  
家島町B&G海洋センター 真浦港より徒歩20分。 
監館眺望 宮港より徒歩15分。 
万体地蔵苑 宮港より徒歩20分。  
◇問い合わせ先◇
英賀神社 0792−39−6921 
不徹寺 0792−72−0823 
家島町役場産業振興課 07932−5−3007 
家島町観光協会
(島内の案内、旅館の問い合わせ)
07932−5−1001
家島神社 07932−5−0365 
家島町B&G海洋センター 07932−5−1000 
アイランドハウス いえしま荘 07932−5−2882

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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