月〜金曜日 21時48分〜21時54分


兵庫・柏原(かいばら)町 

 柏原(兵庫県氷上郡)は古くは安田郷と呼ばれ、石清水八幡宮の荘園があった所。 山陰、山陽と京を結ぶ内陸部の交通の要所で、江戸時代は織田2万石の陣屋町として栄えた。明治の廃藩置県後は氷上郡の郡行政の中心地となった。町を南北に通る国道176号線沿いには2Kmに渡っており、豊かな自然に囲まれている。1990年には、花と緑の万国博覧会で人気を集めた「山の駅」が移築され、古い街に新しい装いを与えている。


 
柏原藩陣屋跡  放送 8月28日(月)
柏原藩陣屋跡長屋門 慶長3年(1598)、織田信長の弟の信包(のぶかね)が豊臣秀吉の命令で伊勢国安濃津から丹波国柏原に移り、3代続いたが世継ぎの子がなく廃絶。その後、元禄8年(1695)に信長直系子孫の信休(のぶやす)が、大和国宇陀の松山(奈良県大宇陀町)から入封。明治維新まで代々続き、町も陣屋町として栄えた。
 国の史跡に指定されている柏原藩陣屋跡は信休が正徳3年(1713)に建てた 藩邸だったが、後に火災で焼失し、現在残っている建物は文化13年(1816)、 信憑(のぶより)が再建した陣屋。
 明治4年まで織田藩主の居館であったが、その後に陣屋は解体されたり、一部が小学校に転用されたりして、現在残っているのは旧表御殿の一部と焼失をまぬがれ当初に建設された長屋門だけ。
(写真は 柏原藩陣屋跡長屋門)

太鼓やぐら 当時の陣屋の規模は南北160m、東西130mで、ここに藩主が生活する表御 殿、中御殿、奥御殿の主屋と藩政を行う御用所や藩校などがあった。柏原町歴史民俗 資料館に100分の1の復元模型があり、当時の様子がよくわかる。
 町内の石田大歳神社境内にある太鼓やぐらは、藩政時代に時の太鼓として時刻を 知らせたり、藩主の登下城、火事や水害などの非常時に、最上階にある「つつじ太鼓」 が打ち鳴らされた。歴史民俗資料館にある城下地図によると江戸時代には陣屋近くの大手通りにあったが、明治時代に現在地の神社境内に移築された。
(写真は 太鼓やぐら)


 
八幡神社  放送 8月29日(火)
本殿と三重塔 うっそうと木々が生い茂る入船山の頂上にある八幡神社は、平安時代中ごろの万 寿元年(1024)に京都石清水八幡宮の御神体を勧請、柏原別宮として創建された神社。創建当時の建物は南北朝時代の戦乱(1345)で焼失し、その後、再建された社殿も戦国時代の明智光秀の丹波攻めで再び焼失した。
 現在の社殿は天正13年(1585)、豊臣秀吉によって再興されたもので、本殿と拝殿が相の間で接続された複合社殿。細部に極彩色の絵様彫刻を施し、桃山時代初期の神社建築の様式をよく現しているいわれ、国の重要文化財に指定されている。
(写真は 本殿と三重塔)

鐘楼の銅鐘 八幡神社境内には神仏習合時代の名残りといえる鐘楼や朱塗りの三重塔(県・重文)がある。このように現代まで神社に三重塔や鐘楼が残っているのは全国的にも珍しい。
 三重塔は八幡神社の神宮寺だった乗宝寺の塔として、室町時代末期の応仁年間(1467〜69)に建立されたと伝えられている。その後、戦火で焼失し、再建さ れた塔も落雷で焼失、江戸時代末の文化12年(1815)に再建されたのが現在の 塔。
 鐘楼の銅鐘(県・重文)には康応元年(1389)と天文12年(1543)の二つの銘が刻 まれている。天文12年の銘は、この鐘をどこか別の所へ再寄進しようと追銘したも のと考えられる。元は柏原町の隣りの氷上町成松の高山寺にあったものと見られ、明 智光秀が丹波攻めのときに軍鐘に使っていたとか、大砲に作り替えるために集めたな どと伝えられている。
(写真は 鐘楼の銅鐘)


 
新井(にい)神社と石見(いわみ)神社  放送 8月30日(水)
新井神社・猿の木彫り 柏原町の北西部にある新井神社は、6世紀中頃の欽明天皇の時代に創建されたとある。
平安時代中期に編さんされた延喜式(律令法の施行規則を集成した法典)に新井神社が記載されていることから、遅くとも10世紀までに建立されていたことは確かだ。
 当初は現在地より奥の滝ヶ谷にあったが、明智光秀の丹波攻めの兵火で焼失し、 現在地に再建された。江戸時代に比叡山延暦寺の守護神・日吉大社の山王権現の分霊 をまつり「日吉山王鎮護寺」と称していた。山王権現の使者が猿といわれていたこと から、本殿には一対の木造の猿の像が置かれている。明治の神仏分離令で創建当時の 神社名・新井神社になった。
(写真は 新井神社・猿の木彫り)

石見神社の大碁盤 新井神社のすぐそばにある石見神社は、祭神の谷垣石見守が、隣村との領地争い を囲碁の勝負で解決を図り、見事に勝って村人に平和な暮らしをもたらしたと伝えられ ている。今日まで語り継がれたこの古事を広く知ってもらおうと、平成4年(199 3)に、社殿の前に日本一大きな石の碁盤が奉納された。
(写真は 石見神社の大碁盤)


 
おさんとステ女  放送 8月31日(木)
おさんの祠 柏原に由縁の深い江戸時代の2人の女性「おさん」「ステ女」。
 おさんは浮世草子、歌舞伎、浄瑠璃などに登場する女性。近松門左衛門の人形浄瑠璃 「大経師昔暦(だいきょうしむかしごよみ)」では、大経師(暦屋)の美しい妻・おさんが手代の茂兵衛と密通し、駆け落ちして茂兵衛の実家のあった柏原まで逃げ延びたが、森に隠れていたがおさんが 咳(せき)をしたため見つかって捕らえられ、京都・粟田口で処刑された事件を脚色した物語。おさん・茂兵衛が捕らえられたと伝えられる森(下町沖田の野道)に小さな祠(ほこら)がある。
(写真は おさんの祠)

ステ女の像 「雪の朝 二のじ二のじの 下駄のあと」の俳句で有名な田(でん)ステ女は、 江戸時代初めの寛永11年(1634)、後に代官も務めた名家で風流を好んだ田家 に生まれた。「雪の朝」の句は6歳の時に詠んだといわれている。夫と死別(1675)し、出家(1681)して妙融と号し京都に庵を持ち仏道修行のかたわら和歌、俳諧の道に精進した。
その後、播州網干(現姫路市)竜門寺近くに庵(不徹庵)を結び、号を貞閑とし、ここで没した。元禄四俳女、江戸時代の六俳仙のひとりにあげられている。
 柏原町歴史民俗資料館内に田ステ女記念館があり、田家に保存されていたステ女 自筆の句集や発句懐紙などの資料が展示されている。また、柏原藩陣屋跡に柏原の彫 刻家・磯尾柏里が制作した田ステ女のあどけない童女の石像が立っている。
(写真は ステ女の像)


 
自然と名工  放送 9月1日(金)
木の根橋 柏原町のシンボルは、樹齢1000年以上と推定される大ケヤキの根が、幅8m の奥村川をまたいで橋のようになっている「木の根橋」。兵庫県の天然記念物に指定 されているこの大ケヤキは、幹の回り6m、樹高21m、幹を中心に枝がそれぞれ2 5mも張っている巨木。
 「木の根橋」は柏原町役場前のメイン通りにあり、町民は自慢のひとつにしてお り、町を訪れる観光客らはケヤキの生命力のすごさに驚いている。最近、自動車の排 気ガスや舗装された路面などのために樹勢が衰えてきた。町では路面を水を通しやすい舗装にしたり、木のすぐそばに建っていた役場庁舎の一部を撤去するなどして樹勢の回復に努めている。
(写真は 木の根橋)

八幡神社・狛犬 柏原町は彫刻の名工を生んでいる。八幡神社にある一対の石像の狛犬(こまい ぬ)は、同町の石工・難波金兵衛の養子になって石工の修行し、後に大阪ヘ出て一人 前の石工になった丹波佐吉が彫った。俗に浪花狛犬と言われているもので、力強く精 かんな作風の狛犬だ。
 八幡神社の摂社・厄除神社の前にある石造の狛犬は、同町の彫刻家・磯尾柏里が 彫ったもので、厄除神社社殿内にも同じく磯尾が彫った木造の狛犬がある。磯尾は彫 刻家になるのを親に反対されて大工になったが、彫刻家の道をあきらめきれず、苦労の 末やっと念願をはたした在野の彫刻家で、一刀彫りの作品を数多く残している。柏原 町出身の俳人・田ステ女の石像も彫っており、磯尾が石像を彫ったのは田ステ女像と 狛犬の2点だけだと言う。
(写真は 八幡神社・狛犬)


◇あ    し◇
柏原藩陣屋跡、八幡神社、
    柏原町歴史民俗資料館
いずれもJR福知山線・柏原駅下車徒歩10分。
新井神社、石見神社JR福知山線・柏原駅下車、
     バスの便はなくタクシーで10分。徒歩約1時間。
木の根橋JR福知山線・柏原駅下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
柏原町観光協会0795−72−0544 
柏原町観光案内所0795−73−0303 
柏原町歴史民俗資料館
   (柏原藩陣屋跡・田ステ女記念館)
0795−73−0177  
八幡神社0795−72−0156 
新井神社0795−72−0950

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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歴史街道推進協議会