月〜金曜日 18時54分〜19時00分


長浜市〜びわ町・竹生島 

 琵琶湖岸の町にはそれぞれ特色があり、どこを訪ねても楽しい。今回は湖北最大の都市で豊臣秀吉の城下町、北国街道の拠点として政治、経済、文化の中心として栄えた長浜市と湖北に浮かぶ信仰の島・竹生島を訪ねた。


 
祈りの島(竹生島)  放送 9月1日(月)
 奥琵琶湖に浮かぶ竹生島は周囲2km、琵琶湖では沖の島に次ぐ大きさで面積は0.14平方km、全島常緑樹に覆われた花崗岩から成る島。古来から「神を斎(いつ)き祀る島」として人びとの信仰の対象となり、神秘的な島となっている。聖武天皇の時代から時の権力者に守られ、中でも長浜城を居城にした豊臣秀吉との関わりが深く、島内には桃山時代の文化財が数多く残っている。また、謡曲「竹生島」や長唄「今様竹生島」などでもうたわれ知名度は高い。
 竹生島へは長浜港、彦根港、今津港からそれぞれ定期船が出ており、25〜40分で渡れ、観光客や西国巡礼の参拝者らの姿が絶えない。

高速船リオグランデ

(写真は 高速船リオグランデ)

竹生島

 竹生島へ船が島に近づくと、竹生島神社=別名・都久夫須麻(つくぶすま)神社=の石の鳥居や拝殿、本殿が見えてくる。船着場から石段の参道を登ると本殿前に出る。竹生島神社は雄略天皇3年(458)の創建と伝わるが定かでない。創建当時の祭神は浅井姫命(あさいひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、宇賀御魂神(うがのみたまかみ)、踏鞴姫命(たたらひめのみこと)などや自然崇拝の神社とか諸説がありはっきりしない。いずれにしても平安時代初期の延喜式に記載されている古い神社で、明治維新までは神仏習合の形態を取り、現在の西国三十三カ所霊場の宝厳寺を別当寺としていた。今も各地からの参拝者が多く篤い信仰を集めている。

(写真は 竹生島)

 竹生島神社の本殿(国宝)は豊臣秀吉がその威信をかけ、伏見桃山城の「日暮らし御殿」を移築、寄進したものである。主屋は総漆塗りでところどころに飾り金具や装飾彫刻を施している。格天井(ごうてんじょう)の60の格間(ごうま)には、四季の草木、花が描かれている。狩野永徳、光信父子筆の天井絵、襖(ふすま)絵と合わせて、豪華絢爛たる桃山様式の社殿である。
 土器に願いごとを書き琵琶湖岸に立つ鳥居に向かって投げると願いがかなえられる言われており、参拝者らは願いを込めた土器を力を込めて投げている。これは 神への献上品を土器(かわらけ)に盛って供え、神事が終わったあと土器とともにその場に鎮めたことに由来している。

竹生島神社

(写真は 竹生島神社)


 
西国三十三カ所第三十番札所・
宝厳寺(竹生島) 
放送 9月2日(火)
竹生島神社の背後の山麓に建つ宝厳寺は、寺伝によると神亀元年(724)「江州湖中に弁才天降臨の小島あり」の神託を受けた聖武天皇が、行基に命じて開基、堂塔を建立したのが始まり。竹生島へ渡った行基は弁才天像を刻み本堂に安置し、翌年には観音堂を建て千手観音菩薩像を安置したと伝っている。
 以来、歴代の天皇をはじめ朝廷、貴族らの信仰を集めた。伝教大師・最澄や弘法大師・空海らも竹生島へ渡り宝厳寺で修行している。竹生島の船着場から165段ある石段の参道を登ると明るく開けた境内に着き、自然林を背景にした朱塗りの弁才天堂や宝物殿、観音堂が建ち並んでいる。

弁才天像(御前立ち)

(写真は 弁才天像(御前立ち))

千手千眼観世音菩薩像

 宝厳寺の本尊・弁才天像は安芸の厳島、相模の江ノ島の弁才天像とともに日本三弁才天像のひとつに数えられている。宝厳寺の弁才天像は秘仏で像高わずか25cm、60年ごとに開扉され拝観することができる。
 観音堂(国・重文)の本尊・千手千眼観世音菩薩像は、西国三十三カ所第三十番札所の観音信仰の巡礼たちが観音さまのご利益を求めて参拝する仏。この観音像も秘仏で60年ごとに開扉され拝観できる。どちらも昭和52年(1977)にご開帳されたので、次のご開帳は2032年になる。西国三十三カ所観音霊場の中で唯一、船を利用しなければ参拝できない札所の宝厳寺は、巡礼者たちが湖上の旅を楽しむ機会でもある。
 御詠歌は「つきもひも なみまにうかぶ ちくぶしま ふねにたからを つむここちして」。

(写真は 千手千眼観世音菩薩像)

 宝厳寺は竹生島神社とともに朝廷の崇敬が篤かったうえに、長浜に居城を築いた豊臣秀吉の庇護を受け、建物のほかに数多い文化財を有している。観音堂前の唐門(国宝)は、豊臣秀頼が京都の豊国廟の極楽門を移築した。各所に豪華な彫刻が施されたこの唐門は、桃山様式の代表的遺構とされている。
 観音堂も同じく秀頼が豊国廟から移築したもので、天井には極彩色で華麗な菊、桐、牡丹の花が描かれ、須弥壇には本尊で秘仏の千手千眼観世音菩薩像が安置されている。
 急峻な斜面に架けられた観音堂と竹生島本殿を結ぶ渡り廊下(国・重文)は、秀吉の御座船の船櫓の用材を利用したため、船廊下とも呼ばれ廊下両側の連子窓が美しい。

唐門

(写真は 唐門)


 
湖北に響く汽笛一声(長浜市)  放送 9月3日(水)
 長浜に鉄道が開通したのは早く、新橋〜横浜間にわが国初の列車が走ってから10年後の明治15年(1882)だった。北陸と京阪神を結ぶため、福井県敦賀から長浜までを鉄道、長浜から大津まで湖上船を利用した京阪神への近代交通路が開かれ、長浜は鉄道と船の乗り換え地となった 長浜は古くから北国街道の要衝の地として繁栄し、豊臣秀吉が長浜城を築いてからは、北国街道の政治、経済、軍事上の拠点としてその重要度が増し、近代交通の鉄道時代になっても長浜は、北陸への拠点として栄えた。

旧長浜駅舎

(写真は 旧長浜駅舎)

ED70形交流電気機関車

 JR長浜駅の南300m、線路沿いに建つレンガ造り2階建ての洋風建築は旧長浜駅舎。現在は「旧長浜駅舎鉄道資料館」として活用されており、現存する日本最古の駅舎である。この駅舎は鉄道開通後の明治21年(1888)年に、イギリス人技師の設計で建てられた近代的駅舎。外観は洋風になっており、内部は鹿鳴館調の様式、デザインが取り入れられ、完成当時はこのハイカラな駅舎に地元の人たちは驚いた。
 資料館内には古い運賃表や列車時刻表、木製の切符、タブレット、長浜駅名札、列車行先標、合図灯、鉄道日誌などが展示されている。駅長室や待合室などが復元され、列車を待つ人たちの様子を人形を使って再現しており、明治時代の鉄道の駅の面影をしのぶことができる。

(写真は ED70形交流電気機関車)

 「旧長浜駅舎鉄道資料館」のそばには平成12年(2000)の鉄道の日に、鉄道史を紹介する「長浜鉄道文化館」がオープン、さらに今年7月、この一角に「北陸線電化記念館」がオープンした。この鉄道3施設を総称して「長浜鉄道スクエア」と呼ぶようになった。
 北陸線電化記念館には北陸線で活躍した「ED70形1号機交流電気機関車」や デコイチ の愛称で知られる「D51形793蒸気機関車」が展示されている。展示されているデコイチは27年間、東北線、東海道線、中央線、北陸線を走り続け、その距離は地球を44周、178万4234kmを走った働き者。他に交流電化と直流電化の違いや交流電車の資料などが展示されており、長浜鉄道スクエアは鉄道ファンが楽しく過ごせるスポットである。

D51形793号機蒸気機関車

(写真は D51形793号機蒸気機関車)


 
舎那院(長浜市)  放送 9月4日(木)
 豊臣秀吉の馬印は瓢箪(ひょうたん)。長浜では秀吉の馬印に由来して瓢箪六つで「むびょうたん」と言い、無病に通じるとして多くの人たちに愛されてきた。また秀吉ゆかりの六つの古社寺(豊国神社、知善院、神照寺、総持寺、舎那院、長浜八幡宮)を回る「六瓢箪(むびょうたん)めぐり」があり、長浜市内観光と無病息災の祈願が一緒にできるとお年寄りたちには人気のコースである。
 六瓢箪めぐりのそれぞれの社寺で無病息災と開運招福を祈祷した瓢箪を買い求め、6個そろった瓢箪を瓢箪飾台に飾る人もいる。市内の土産物店などでは「太閤ひょうたん」と銘打ったいろいろな瓢箪を売っている。

本堂

(写真は 本堂)

秘佛愛染明王像

 六瓢箪めぐりの社寺のひとつに入っている舎那院は、弘仁5年(814)弘法大師・空海が開基したとされている。平安時代後期の永承年間(1046〜53)に源義家が、前九年の役の陸奥国安倍宗任・貞任征討をこの寺でした。義家がこの戦いに勝って凱旋したので、後三条天皇から勝軍山の勅号をもらったと寺伝にある。
 その後、朝廷の崇敬も篤くなり、一時は社坊300を超えるほど寺運は隆盛となったが、戦国時代の兵火で堂塔が焼失した。天正19年(1591)豊臣秀吉によって再興され、明治維新の神仏分離令が出るまでは長浜八幡宮の別当寺を努めていた。

(写真は 秘佛愛染明王像)

 本尊の愛染明王座像(国・重文)は鎌倉時代の作で秘仏。髪を逆立て眉間にしわを寄せて目をつりあげた恐ろしい形相をした躍動感あふれた彩色像。この愛染明王像とは対照的なのが、豊麗でおだやかな表情の阿弥陀如来座像(国・重文・平安時代)である。
 また、舎那院は「芙蓉の寺」としても知られている。8月中旬から9月にかけて、美人の例えに使われる芙蓉の花が境内一面をピンクに彩り、奥ゆかしいつつましやかな雰囲気を境内に漂わせる。

芙蓉

(写真は 芙蓉)


 
湖北の散歩道(長浜市)  放送 9月5日(金)
 北国街道の要衝だった湖北最大の都市・長浜市は魅力的な町だ。豊臣秀吉の城下町の風情、点在する古社古刹、街道沿いに建ち並ぶ古い商家や民家、伝統を守り続ける職人の手技の冴え、豊かな自然と湖北の四季を生かした味どころ、早春を彩る盆梅展、陽春の長浜曳山まつりなど。数え上げればきりがないほどの観光スポットが、新旧織りまぜて数多く点在している。
 こんな長浜に2003年7月から土、日、祝日に運行するガイド付きの観光レトロバスが登場した。JR長浜駅を起点に市内の主な観光スポットを1日8回循環する。料金は一日乗り放題で500円、1回のみの乗車は200円。割安で市内観光ができると人気を集めている。

長浜観光レトロバス

(写真は 長浜観光レトロバス)

焼鯖そうめん(翼果楼)

 長浜市に新しい地場産業として興ったのがガラス工芸品。このガラス工芸品を長浜の産業として定着させたひとつの原動力が黒壁スクエア。黒い壁から 黒壁銀行 の愛称で呼ばれていた北国街道沿いの建物を、ガラス工芸品の店として生まれ変わらせた「黒壁ガラス館」を中心に、街道沿いの古い商家などをレストラン、ギャラリー、土産物店などにしたゾーンが黒壁スクエア。
 黒壁スクエアの中心的存在は明治時代に建てられ「黒壁銀行」として親しまれたを活用した「黒壁ガラス館」。店には普段の生活で使うグラスや花器、素朴なガラス工芸品から高級なガラス工芸品までが所狭しと並んでいる。1階に国内ガラス製品、2階に海外からの輸入ガラス製品を約3万点展示、販売している。

(写真は 焼鯖そうめん(翼果楼))

 黒壁スクエアにはこのほか、ガラス製品やステンドグラスを作ったり、加工したりする店や工房がある。また、ガラス製品にオリジナルな絵を描き入れたり、アクセサリーやキーホルダーなどのガラス工芸品やステンドグラスなどが作れる「ガラス工芸教室」もあり、予約をすれば体験できる。
 城下町・長浜の伝統の技と湖北の味を生かした料理や菓子なども多い。焼サバとそうめんを炊き合わせた「焼鯖そうめん」が名物の「翼果楼(よかろう)」もそのひとつ。この店ではほかに古い陶器やガラス器を使い、琵琶湖の魚、エビを使った料理も味わえる。伊吹山のよもぎを生麸(なまふ)に練り込み、こしあんを包んでゆであげ、伊吹山から湧き出る名水で冷やした「かどや」の「麸まんじゅう」は土産物に最適と人気が高い。

麸まんじゅう(菓冨庵かどや)

(写真は 麸まんじゅう(菓冨庵かどや))


◇あ    し◇
竹生島長浜港(JR北陸線長浜駅下車徒歩10分)から
琵琶湖汽船で25分。
彦根港(JR東海道線彦根駅下車バス20分)から
琵琶湖汽船で35分。
今津港(JR湖西線今津駅下車徒歩5分)から
琵琶湖汽船で40分。
長浜鉄道スクエアJR北陸線長浜駅下車徒歩5分。 
舎那院JR北陸線長浜駅下車徒歩15分。 
黒壁ガラス館、翼果楼(焼鯖そうめん)、
菓冨庵かどや(麸まんじゅう)
JR北陸線長浜駅下車徒歩5分。
◇問い合わせ先◇
びわ町観光協会0794−72−5252 
琵琶湖汽船長浜営業所0749−62−3390 
琵琶湖汽船彦根営業所0749−22−3390 
琵琶湖汽船今津営業所0740−22−1747 
竹生島神社0749−72−2073 
宝厳寺0749−63−4410 
長浜市役所商工観光課・長浜観光協会0749−62−4111
舎那院0749−62−3298 
黒壁ガラス館0749−62−2330 
翼果楼0749−63−3663 
菓冨庵かどや0749−63−8000 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会