月〜金曜日 18時54分〜19時00分


名張市 

 三重県中西部に位置する名張市は、数多くある古墳がその歴史の古さを物語っている。
伊勢参宮街道の宿場町、藤堂家の城下町、近年は住宅団地が開発されベッドタウンとして発展した。市南部の室生赤目青山国定公園内の自然豊かな渓谷美を誇る景勝地・赤目四十八滝や香落渓などが自慢のひとつである。


 
名張藤堂家  放送 9月16日(月)
 名張藤堂家は津藩主藤堂高虎の養子・高吉(1579〜1670)に始まる。寛永7年(1630)高虎が亡くなると家督は実子・高次が津藩主を継ぎ高吉は家臣の格となり、寛永13年(1636)名張に入って屋敷を構えた。高吉は名張の町を城下町として整え、町の発展の基礎を築いた。
 高吉は織田信長の家臣・丹羽秀長の3男として生まれ、羽柴秀吉の弟・秀長の養子となった。その後、子供がなかった高虎の養子となり、伊予国・今治城主となった高虎に従い今治城下に住んだ。高虎は津藩主に国替えになったが高吉は今治に残っていた。名張に入った高吉は“名張の殿様”といわれ、名張藤堂家は明治維新まで11代続いた。現存している屋敷は宝永7年(1710)の大火以後に再建されたもので、当主の居住部を中心にした一部が残っている。

名張絵図(江戸時代)

(写真は 名張絵図(江戸時代))

秘仏 木造不動明王立像

 旧屋敷図によると当初の建物は公務を処理する表向きの部分、当主が私的な日常生活をする中奥部分、当主の夫人らが生活する大奥部分に区分され、畳数は記載されたものだけでも1083畳にもなる。建物は非常に複雑な造りになっており、その屋根は八棟(やつむね)造といわれるもので、これは増築を重ねた結果だと見られている。桃山式枯山水の庭も含め現存しているの藤堂家邸は、上級武家屋敷としては数少ない貴重な建物として注目されている。
 藤堂家から建物を寄託された名張市は、この建物とともに羽柴秀吉・丹羽長秀の書簡、豊臣秀吉の朱印状や朱具足(あかぐそく)、兜(かぶと)などの藤堂家ゆかりの歴史資料ととともに一般公開している。
 名張藤堂家の祈願所となっている無動寺は、弘法大師・空海が開いた寺と伝えられている。天正9年(1581)の伊賀の乱の時、本堂などは兵火で焼失したが、本尊の木造不動明王立像(国・重文)は近くの不動滝に沈めて難を逃れた。この時、彩色がはがれ落ち“白不動”と呼ばれるようになったという。

(写真は 秘仏 木造不動明王立像)


 
乱歩のふるさと  放送 9月17日(火)
 「怪人二十面相」でおなじみの日本の探偵小説の祖・江戸川乱歩(本名・平井太郎)は、明治27年(1894)名張に生まれた。父親が名張の郡役所の書記だったため、乱歩が生まれた翌年に鈴鹿郡役所に転勤になり、乱歩が名張で過ごしたのは生後8カ月の短い期間だった。
 乱歩は自分が生まれた名張の町へ一度立ち寄ったことがあるが、知り合いもなくただ町を歩いただけに終わっていた。昭和27年(1952)世話になった上野市の代議士・川崎克氏の次男が総選挙に立候補したため、その応援演説のため名張市を訪れた。すでに探偵小説家として名が知られていた乱歩は、名張で大歓迎を受け生家跡にも案内された。この帰郷がきっかけになり、生誕地碑の建立が計画され町の有志が浄財を募った。

江戸川乱歩生誕地碑

(写真は 江戸川乱歩生誕地碑)

煎餅 二銭銅貨

 生家跡に高さ1.9mの「江戸川乱歩生誕地」の碑が完成、昭和30年(1955)に乱歩夫妻が出席して除幕式が行われた。乱歩は随筆の中で「60年もご無沙汰していた私に町の人びとがこういう好意を見せてくださったのは実にありがたい」と書いている。
昔ながらの風情の残る町並み、地元では「ひやわい」と呼ばれる細い路地沿いにその生誕碑がひっそりと立っている。
 名張市立図書館には乱歩コーナーが設けらて、乱歩の作品とともに乱歩関連の資料や彼の愛用品が展示されている。
 乱歩が愛し、こだわった言葉“幻影”をイメージした地酒「幻影城」、処女作「二銭銅貨」にちなんだ「二銭銅貨煎餅」などが名張市内で売り出されている。また伊賀まちかど博物館を開いている文人ゆかりの料亭には乱歩の色紙も残っている。

(写真は 煎餅 二銭銅貨)


 
観阿弥創座の地  放送 9月18日(水)
 名張・小波田の里の福田神社跡は、観阿弥ふるさと公園として整備され「観阿弥創座之地」の碑が立っている。この公園には能舞台があり、毎年8月の薪能、11月の観阿弥祭では能が舞われる。ほかに子ども狂言、児童謡曲仕舞教室など能、狂言のふるさとにふさわしい催しがこの能舞台で行われる。名張市役所の市民広場には能を舞っている観阿弥の像が建っており、ふるさとの偉大な能役者をたたえている。
 観阿弥は元弘3年(1333)伊賀に生まれ、少年のころ大和国・長谷(現桜井市)の猿楽師の家に預けられ、猿楽師の技を身につけた。そして猿楽の盛んだった大和、近江、摂津、丹波方面の田楽座、猿楽座を訪ねて芸の修業をした。30歳のころ能楽一座を結成する決意を固め、名張・小波田の妻の実家を訪ね、領主の家柄の妻の実家に一座結成の資金援助を頼んだ。念願の一座を誕生させ氏神の境内で新しい一座の初めての猿楽を奉納したゆかりの地に「観阿弥創座之地」の碑が立った。

観阿弥創座の地

(写真は 観阿弥創座の地)

宇流冨志禰神社

 まもなく大和・結崎(現川西町)に移った観阿弥は、結崎(観世)座を組織し、金春座、金剛座、宝生座とともに大和猿楽四座の位置を占め、室町幕府・足利将軍の庇護を受けその地位を不動のものにした。文中3年(1347)京都・今熊野神社の祭礼で観阿弥は能を奉納した。そのとき舞った「翁」の優れた芸、その子で12歳の美少年・世阿弥の舞いが足利義満の目にとまった。それ以後、義満の絶大な庇護を受けて能楽はますます盛んになり、この年が“能楽紀元元年”と言われている。
 観阿弥の後に世阿弥が出なかったならば、能楽がどこまで発展したか疑問と言われるほどの才能の持ち主が世阿弥だった。その世阿弥は父親よりも多くの能楽の台本を作り、今日伝えられている謡曲の半分以上は世阿弥の作と言われている。
 観世創座に地にふさわしく、名張の鎮守神として崇敬されていた宇流冨志禰(うるふしね)神社には、名張藤堂家から寄進された能面、狂言面(三重県指定文化財)45面が保存、展示されている。

(写真は 宇流冨志禰神社)


 
香落渓  放送 9月19日(木)
 名張川の支流・青蓮寺川に沿う渓谷・香落渓(こおちだに)は、火山活動によって噴出した溶岩が冷えて固まる時、斧で断ち割ったような柱状の割れ目となった柱状節理と言われる岩肌が、約8kmにわたって続いている。
 九州・大分県の景勝地・耶馬渓(やばけい)にあやかり関西の耶馬渓ともいわれている。
渓谷にそそり立つ奇岩や岩壁の中でひときわ勇壮な天狗柱岩、屏風岩、小太郎岩などは、行楽客に自然が創った雄大な眺めを楽しませてくれる。

天狗柱岩

(写真は 天狗柱岩)

青蓮寺湖

 これらの岩肌に春はツツジ、ヤマブキ、初夏は新緑、秋は紅葉が荒々しい岩壁に彩りを添える。この香落渓の勇壮な岩を眺めながらのハイキングコースは、平坦な道が続き誰でも気軽に歩けるコースとして、関西や名古屋方面からのハイカーの人気を集めている。
 香落渓の北の入口に青蓮寺川をせき止めたダムの青蓮寺湖がある。その名の通り青々とした湖面は四季折々に変化する山々のシルエットを映し出す。湖畔の公園ではバードウォッチングやフィッシングを楽しむ人たちの姿が見られる。近くの観光農園では今はブドウ狩りが最盛期を迎えている。初夏にはイチゴ狩りが楽しめ、それぞれのシーズンの週末には家族連れでにぎわい、近くの温泉で行楽の疲れも癒せる自然豊かな行楽地といえる。

(写真は 青蓮寺湖)


 
赤目四十八滝  放送 9月20日(金)
 火山から噴出したマグマが固まる時にできた柱状節理の見上げるような岩がそそり立つ赤目渓谷。約4kmの渓谷に大小さまざまな48の滝が連なるところから赤目四十八滝と呼ばれている。日本の滝100選にも選ばれているこの渓谷には、実際はもっとたくさんの滝がある。また、この渓谷には特別天然記念物のオオサンショウウオが生息しており、赤目四十八滝入り口の日本サンショウウオセンターの水槽でも飼育されている。
 赤目四十八滝には赤目五瀑にあげられている不動滝、布曳滝、千手滝などをはじめ、それぞれの滝には趣の異なりや特徴があり、滝にまつわる伝説が伝えれる滝もある。これらの滝を眺めながらこの渓谷を歩くと、いつの間にか渓谷の終点に着いている。「赤目四十八滝は何度来てもあきない」というハイカーが多いが、それは四季それぞれに滝や周囲の山々が違った表情で迎えてくれるからだ。

延寿院 不動明王像

(写真は 延寿院 不動明王像)

不動滝

 赤目渓谷は岩に砕ける水、勢いよく流れ落ちる滝の水、両岸にそびえる岩壁の荒々しさ、深い森の木々などが神秘な雰囲気をかもし出しており、昔は仏法修行の地だった。役行者が滝で修行していたところ、不動明王が赤い目の牛に乗って現れたという言い伝えが「赤目」の地名の由来とされている。その役行者が開いたと伝えられる延寿院が赤目四十八滝の入り口にある。
 延寿院の本尊・不動明王像は伝教大師・最澄の作と言われており、目が赤いので赤目不動とも呼ばれている。境内の石灯篭(国・重文)は徳治2年(1307)の銘があり、鎌倉時代の石造彫刻の特色をよく伝えているといわれている。また同時代のものとされる石造十三重塔や樹齢300年の枝垂れ桜も有名だ。

(写真は 不動滝)


◇あ    し◇
名張藤堂家邸跡近鉄大阪線名張駅下車徒歩5分。 
無動寺近鉄大阪線名張駅からバス上黒田下車徒歩10分。 
江戸川乱歩生誕地近鉄大阪線名張駅下車徒歩10分。 
観阿弥ふるさと公園近鉄大阪線美旗駅下車徒歩20分。 
近鉄大阪線桔梗が丘駅からバス小波田下車。
宇流冨志禰神社近鉄大阪線名張駅下車徒歩5分。 
香落渓近鉄大阪線名張駅からバス香落橋下車上流へ向かうか落合下車下流へ向かう。 
青蓮寺湖近鉄大阪線名張駅からバス青蓮寺湖前下車。  
赤目四十八滝近鉄大阪線赤目口駅からバス赤目滝下車。 
延寿院近鉄大阪線赤目口駅からバス赤目滝下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
名張市役所商工観光課0595−63−2111 
名張市観光協会0595−63−9087 
名張藤堂家邸跡0595−63−0451 
無動寺0595−63−3173 
名張市観阿弥顕彰会0595−63−2111 
宇流冨志禰神社0595−63−0486 
青蓮寺湖ぶどう組合0595−63−7000 
赤目四十八滝渓谷保勝会0595−63−3004 
延寿院0595−63−3009 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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