月〜金曜日 21時48分〜21時54分


京都市・東福寺 

 東福寺は鎌倉時代の摂政・九条道家の発願によって、嘉禎2年(1236)から建長7年(1255)まで、19年間の歳月を費やして建立された京都で最大の伽藍を誇る禅刹で京都五山のひとつ。寺名は奈良で最大の東大寺と奈良で最も隆盛な興福寺の一字ずつを取ってつけられた。当時、学徳では日本一と讚えられていた円爾弁円(えんにべんえん)・聖一国師を開山に迎えて開かれた寺で、堂塔はたび重なる火災で焼失しているが、室町時代の建築物のほか、仏像、絵画、文書、典籍など国宝、重要文化財が390余点もあり、紅葉の名所としても知られている。


 
最古最大の三門  放送 9月17日(月)
三門(国宝・室町時代) 東福寺の堂塔は開山後、鎌倉時代の元応元年(1319)建武元年(1334)延元元年(1336)と相次ぐ火災で堂塔の大部分が焼失した。創建当時の三門も焼失しており、現在の三門は、室町時代初期の応永32(1425)に再建されたもので国宝。高さは22m、横幅25.5mの二階二重門は、壮大でどっしりとした感じで禅宗の三門としては最古、最大である。
(写真は 三門(国宝・室町時代))

迦陵頻伽(かりょうびんが) 三門の楼上には宝冠釈迦如来像をはじめ十六羅漢像が並んでいる。天井には兆殿司、寒殿司の筆によると伝えれる飛竜や極楽に住み人面鳥身で美声の持ち主と言われる迦陵頻伽(かりょうびんが)の極彩色の絵が描かれており、カラフルな空間を形作っている。楼上の「妙雲閣」の扁額は室町幕府四代将軍・足利義持の筆によるもの。
昭和44年(1969)から8年9ヶ月の歳月と5億円の費用をかけ、再建以来、600年ぶりに全面解体修理が行われ、昭和53年(1978)に完成、その荘厳な姿がよみがえった。
(写真は 迦陵頻伽(かりょうびんが))


 
本堂  放送 9月18日(火)
本堂 本堂もたび重なる火災で焼失している。明治14年(1881)にも仏殿、法堂、方丈、庫裏が焼失、現在の仏殿兼法堂の本堂は、大正6年(1917)から昭和9年(1934)まで17年かけて再建されたもので、重層入母屋造、瓦ぶきで高さ25.5m、間口41.4m、奥行33mで、昭和の木造建築としては最大である。本堂内陣正面の須弥壇には、本尊・釈迦如来立像、その脇には観音、弥勒両菩薩像、更に左右には地蔵菩薩像、仁王像が安置されている。ほかに聖一国師像や東北隅には2mもある左手がまつられているが、これは明治14年まで本尊であった大仏・薬師如来像のもの。
 天井には堂本印象の筆による力作の雲龍が描かれている。また、毎年3月14、15、16日の涅槃会(ねはんえ)には、兆殿司が描いたわが国最大の「涅槃図」が本堂に掲げられる。
(写真は 本堂)

本尊・釈迦立像 本堂の再建には明治41年(1908)から再建のための募金が始められ、多くの浄財が集まった。建築用材は台湾ヒノキを使っており、この巨材を台湾から大阪まで運ぶのに船会社が6万5000円の費用がかかると見積もった。寺ではそのような巨額な運賃は支払えないので困り果てていたところ、海軍が軍艦で無料で運んでくれ、大阪から京都までは信者が運んだと伝えられている。
 本堂の柱の一部には、日蓮宗信者の寄進によるものがある。日蓮上人が他宗の迫害を受けた時、東福寺の開山僧・聖一国師の庇護を受けたことがあり、その恩に報いるため、日蓮上人が東福寺に寄進したことがあると言う。この前例にならいこの時も信者が柱の一部を寄進した。
(写真は 本尊・釈迦立像)


 
修行の場  放送 9月19日(水)
東司(重文・室町時代) 本堂に向かって左に建つ禅堂(重文・南北朝時代)は選仏場、僧堂などとも呼ばれる座禅修行の根本道場。貞和3年(1347)の再建で、その規模の大きさは往時の東福寺の盛大さをしのばせる。
 参禅道場としては京都市に現存する建物の中では最古、最大のものである。選仏場と呼ばれるのは、仏祖を選出する道場の意味で、禅堂に掲げられる「選仏場」の額は、中国・宋の径山仏鑑禅師の筆と伝えられている。堂内には禅僧が坐禅修行する坐床が並んでおり、ピンと張りつめた雰囲気が感じられる。
(写真は 東司(重文・室町時代))

浴室(重文・室町時代) 東司(重文・室町時代)と言うのは、禅堂内で修行する僧たちが使用する便所のこと。
内部は土間で、中央の通路をはさんでその両側に各一列に便壺が埋められている。禅僧は用便の時も修行であり、厳しい作法が定められていた。禅宗寺院の便所の古い様式を伝える珍しい建物で、この東司も京都市で現存する中では最古、最大のものである。
 浴室(重文・室町時代)は、三門の東にある建物で、京都市では最古の浴室建築。内部は中央が板敷きの蒸風呂式の洗い場で、左右に腰掛けが設けてある。入浴も用便と同じように修行のひとつで、いろいろな心得が必要で、浴室内の木額にその心得が刻まれている。
(写真は 浴室(重文・室町時代))


 
方丈庭園  放送 9月20日(木)
南庭 禅宗寺院のどこの方丈にも、古くからそれぞれ名庭園がある。東福寺・方丈のまわりの東西南北にあるそれぞれ趣の異なった庭は、昭和14年(1939)造園家・重森三玲氏の作庭。
 南庭(方丈正面)は東西に細長い庭で、巨石を四つの仙島に見立て砂紋で荒海を表現し、五山にちなんだ築山を配した枯山水庭園。
(写真は 南庭)

北庭 西庭(井田市松の庭)は、石を方形に組んで井田(せいでん)の意図を表し、サツキの刈り込みと白砂で市松模様を描き、色彩の変化をねらっており、南庭とは対照的に色彩感あふれる空間を作り出している。
 北庭(市松の庭)は、半円形の地を敷き石と苔地で市松模様にした庭。サツキの刈り込みを隔てた背後の通天橋のカエデが土塀代わりをしている。
 東庭(北斗の庭)は、柱石と古材を使った北斗七星の石組となっている。東福寺方丈をぐるりと回り、変化に富んだ庭を鑑賞すると、都会の雑踏にまみれた心が洗われる。
(写真は 北庭)


 
通天橋から開山堂へ  放送 9月21日(金)
開山堂 東福寺は秋の紅葉が京都随一の名所として名高い。渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)にかけられた橋廊「通天橋」の中央部分の張り出しから見下ろす眺めはえもいわれぬもので、錦の雲の上を渡る思いがするようだと言われている。洗玉澗一帯の紅葉は俗に「通天のもみじ」と言われ、葉が三つに分かれ黄金色に色づくのが特徴で、聖一国師が中国・宋から持ってきたと言われている。
 通天橋は仏殿から開山堂へ通じる渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊。この橋廊は天授6年(1380)春屋妙葩(しゅんおくみょうは)・普明国師が、法堂から渓谷をへだてた開山堂へ通う僧の苦労を救うために架けたと伝えれている。現在の通天橋は、昭和34年(1959)の伊勢湾台風で倒壊した後、再建されたもので橋脚が鉄筋コンクリートで補強されている。
(写真は 開山堂)

愛染堂(重文・室町時代) 開山堂(常楽庵)は通天橋を渡った山内で最も高い所にある。楼閣風の落ち着いた建物で、階下内部には開山僧・聖一国師像などが安置されている。上層は伝衣閣(でんねかく)と言い、内部には阿弥陀如来像、薬師如来像、布袋像が安置されている。聖一国師が死去したところを塔所と言い、開山堂の背後にその塔所がある。
 愛染堂(重文・室町時代)は、丹塗りの八角小円堂で、昭和12年(1937)に塔頭の万寿寺から移したものである。堂内の須弥壇には愛染明王像をまつっている。愛染堂のような八角円堂は奈良時代からあり、奈良の法隆寺夢殿、興福寺北円堂や京都の広隆寺桂宮院本堂と東福寺の愛染堂などが貴重な八角円堂の建物とされている。
(写真は 愛染堂(重文・室町時代))


◇あ    し◇
東福寺JR奈良線、京阪電鉄本線、京都市バス東福寺下車。 
◇問い合わせ先◇
東福寺075−561−0087 

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