月〜金曜日 18時54分〜19時00分


彦根市 

 彦根市から伊吹山山麓にかけては、近畿、東海、北陸の結節点として発展するとともに、歴史を塗りかえた戦場となった。姉川の戦、賤ヶ岳の戦、関ヶ原の戦の古戦場が伊吹山麓に残る。江戸時代に入っても京都や西国の抑えとして、徳川家康の腹心・井伊直政が彦根に配され、明治の廃藩まで井伊家が藩主を務めた。その居城で国宝の彦根城は、その美しい姿を今に伝えており、今回はその城下町を訪ねた。


 
玄宮園の秋  放送 9月29日(月)
 彦根市は彦根藩35万石の城下町。なだらかな彦根山の上に天守閣がそびえる彦根城は藩主・井伊家の居城。彦根藩は関ヶ原の戦で大活躍した徳川四天王のひとり、井伊直政が彦根藩18万石に封ぜられ佐和山城に入った。直政は城を琵琶湖湖岸に移す計画だったが、関ヶ原の戦の戦傷がもとで慶長7年(1602)42歳の若さで没した。
 父の遺志を継いだ嫡子・直継(後に直勝と改名)が、慶長8年(1603)に彦根山に築城を始めた。病弱だった直継に代わって家督を継いだ弟の直孝が、築城を続け20年の歳月を費やし元和8年(1622)に彦根城を完成させた。

彦根城

(写真は 彦根城)

天秤櫓

 彦根城は明治維新後の廃城令もまぬがれ、江戸時代の姿を今日に伝え、天守閣は国宝に指定されている名城。天守閣が国宝に指定されているのは彦根城のほかに姫路城、松本城、犬山城の4城だけ。
 天守閣の基礎部分の石垣は、自然石の大きな面を内にし、小さい面を表面に出して積む「牛蒡積(ごぼうづみ)」と呼ばれる工法。一見すると粗雑に見えるが頑強な石垣として知られる。3層3階の天守閣の屋根は切妻千鳥破風、入母屋千鳥破風、唐破風をバランスよく配し、2階、3階の壁には曲線が美しい花頭窓を取り付けるなど、変化に富んだ美しい姿である。この名建築の彦根城が月明かりに浮かぶ姿は格別で、今も「月明・彦根の古城」として琵琶湖八景のひとつになっている。

(写真は 天秤櫓)

 天守閣の北東に名庭園・玄宮園がある。4代藩主・直興(なおおき)が中国・洞庭湖の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模して造園した池泉回遊式の庭園。玄宮園の池を手前に彦根山にそびえる天守閣を望む眺めは、彦根城内でも屈指の景観とされている。
 また、ライトアップされた天守閣と中秋の名月の眺めは彦根城ならではのものである。この時期に毎年、玄宮園で「虫の音を聞く会」が催されている。2003年も9月1日から30日まで開かれた。天守閣と満月を眺めながらスズムシ、マツムシ、コオロギなどの虫の音が聞ける。名庭園で聞く多彩な虫の音は、決して都会では味わえないもので、このようなひとときが過ごせるのは最高の贅沢と言える。

玄宮園

(写真は 玄宮園)


 
中山道・鳥居本宿  放送 9月30日(火)
 彦根市の北東部の鳥居本は、中山道の江戸から数えて63番目の宿場町で、北国街道との分岐点でもあった所。江戸時代後期の天保14年(1843)の記録によると、鳥居本宿には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠(はたご)35軒があった。旧街道筋には今なお、旅籠の名残をとどめる家屋や街道の面影を残す道標、看板などが残っている。本陣跡には本陣の門が残されており、朝鮮通信使の一行が通った朝鮮人街道(彦根道)との分岐点には、文政10年(1827)に建立された「右彦根道」「左中山道 京いせ」と刻まれた石の道標が立っている。
 鳥居本宿の北、摺針峠は中山道から琵琶湖が見える唯一の場所で、歌川広重もこの峠から琵琶湖を望む景色を描いている。当時、この峠には望湖堂、臨湖堂と言う茶屋があり、広重の絵にも描かれている。

道中合羽(ふるさと烏居本の会蔵)

(写真は 道中合羽(ふるさと烏居本の会蔵))

赤玉神教丸(有川製薬)

 鳥居本に宿には「鳥居本の三赤」と言われ、赤玉神教丸、合羽、スイカの三つの赤い名産があった。昔の旅には雨合羽と腹薬は欠かせないもので、この合羽と赤玉神教丸が宿場町・鳥居本の特産品として旅人たちに売られていた。
 創業が万治元年(1658)と言う有川家の健胃薬「赤玉神教丸」が現在も製造、販売されている。9種類の薬草を原料にして調合された直径3mmほどの丸薬で、腹痛や消化不良、食べ過ぎ、飲み過ぎ、二日酔いなど、おなかの病気全般に効能があり、通称・赤玉・とよばれ家庭薬としても重宝がられている。江戸時代後期の文化11年(1814)に発刊された近江名所図絵にも有川家の店頭販売の様子が紹介され、弥次さん喜多さんで知られている十返一九の「道中膝栗毛」にも登場する。

(写真は 赤玉神教丸(有川製薬))

 腹薬の方は鳥居本で健在だが、雨合羽の方はさすがに今は姿を消し、街道筋に「本家合羽所」と書かれた古い木製の看板を軒先に見ることはできる。雨合羽は当時、雨の多い中山道の木曽路や北国街道へ向かう旅人には必需品で、柿渋で作った赤色の渋紙の合羽は、旅人を相手に販売され商売は繁盛していた。大正時代までは17軒の合羽屋が農業用合羽や包装用渋紙を作っていた。ふるさと鳥居本資料館には宿場町に伝わった農具や合羽製造の道具などが展示されている。
 彦根の特産品に和蝋燭(わろうそく)がある。昔は53軒の和蝋燭屋がその腕を競い 「彦根蝋燭」として販売されていた。現在、その技は「蝋喜商店」四代目当主・古川五郎さんが引き継いでいる。

蝋喜商店

(写真は 蝋喜商店)


 
天寧寺  放送 10月1日(水)
 JR彦根駅の南東の丘陵を背にして建つ天寧寺は、境内から彦根城やその城下町、琵琶湖を望むことができる眺望のよい寺である。文政2年(1819)建立の禅寺で、本堂前の羅漢堂の五百羅漢が有名な寺として広く知られている。
 彦根藩11代藩主・井伊直中(直弼の父)は、懐妊した腰元の不義をとがめ死罪を命じた。後になって腰元を懐妊させた相手が、自分の長男・直清であることが分かった。直中は罪滅ぼしに寺を建て、500体あまりの羅漢像をまつり、初孫となるはずだった子とその母の追善供養をしたのが天寧寺。

五目羅漢像

(写真は 五目羅漢像)

長野主膳

 手打ちにした母子の追善供養にと造仏した木造羅漢像は、直中が京都の仏師・駒井朝雲に1体1体入念に彫らせ、1体に9両を支払ったと言う。羅漢堂には本尊の釈迦如来像を中心に十大弟子像、その両側に大きな羅漢像16体、ひとまわり小さな羅漢像500体、全部で527体の像が安置されている。
 500羅漢像の中には必ず自分の顔や自分が探し求める顔があると言われる。今は亡き父や母、わが子の顔を探し求める参拝者が多い。井伊家16代当主・井伊直愛氏の文子夫人は、そのエッセイ「五百羅漢と最後の座布団 天寧寺」の中で「羅漢堂にいると仏の道を求める求道者・羅漢のその気迫に圧倒される」と羅漢堂の雰囲気を表現している。

(写真は 長野主膳)

 天寧寺境内には桜田門外の変で暗殺されて大老・井伊直弼の供養塔と直弼の参謀・長野主膳の墓がある。直弼の供養塔は暗殺された桜田門外の血染めの土を運んで建立されたと言われている。
 天寧寺には直弼が桜田門外で暗殺されて時に乗っていた駕籠の中に敷かれていた、緞子(どんす)の座布団が保管されている。中央に虎の皮がはめ込まれた座布団には、ほんのわずかながら直弼の血痕が染みついている。
 天寧寺の庭には秋になると萩の花が咲き乱れ、萩の寺とも呼ばれている。この萩を井伊直弼と長野主膳が詠んだ歌がある。「影写す 池の錦の その上に なお咲きかかる 糸萩の花」(直弼)「君がこの けふの出でまし 待ち得てぞ 萩の錦も 映えまさりける」(主膳)

桜田事変絵巻(彦根博物館蔵)

(写真は 桜田事変絵巻(彦根博物館蔵))


 
金亀城  放送 10月2日(木)
 彦根城が築かれる以前の彦根山には、養老4年(720)元正天皇の勅願によって建立された彦根寺があった。寺を建立したのは、藤原鎌足の孫で近江国の国司だった藤原房前。守護仏としていた高さ1寸8分(約5.45cm)の金の亀に乗った聖観世音菩薩像を本尊として安置したと伝わる。
 当時はこのあたりには彦根村があり、この寺の山号は彦根山彦根寺と称していた。
この観音さまは大変なご利益があり、各地からの参拝者が絶えなかった。金の亀に乗った観音さまから彦根山を金亀山と呼ぶようになり、寺名も金亀山北野寺と称するようになる。こうしたことから彦根城も金亀城の別名を持つようになった。

北野寺

(写真は 北野寺)

聖観世音菩薩像(御前立ち)

 平安時代末期に編さんされた歴史書・扶桑略記に、視力を急に失った摂津国の僧が、彦根寺で3日間祈願したところ目が見えるようになったとの記述がある。また平安時代には耳が不自由になりかけた関白・藤原師道も祈願によってご利益を受けたほか、朝廷や貴族の参拝が多かったと伝えられている。
 現在の彦根城の太鼓門はこの寺の山門だっと言われ、門の柱にある釘の跡は巡礼者が着物の上に羽織る「おいずり」を掛けた釘の跡だと言う。寛政7年(1795)彦根の大火で寺は全焼したが、彦根藩主・井伊直中が再建した。この寺の管理はすべて彦根藩の費用でまかなわれていた。現在も檀家や墓地はなく、近江西国観音霊場第十四番札所として信仰を集めている。

(写真は 聖観世音菩薩像(御前立ち))

 幕末の安政元年(1854)井伊家から酒造りを命じられて創業、今も清酒「金亀(きんかめ)」を造り続けているのが彦根市の南隣、豊郷町の酒造会社・岡村本家。
酒銘の金亀は言うまでもなく彦根城の別名・金亀城に由来している。
 岡本本家には昔ながらの酒蔵や家屋が今も残っている。酒蔵を改装した「蔵しっく1号館」は金亀の試飲や創業以来の酒造道具や昔の看板、酒瓶など酒造関係の資料を展示している。「蔵しっく2号館」も酒蔵を250人が入れるホールに開放、コンサートや展示会などのイベント会場として提供している。酒蔵の近くに田舎の食材を使った酒蔵料理の店・遊亀亭があり、近江ならではの料理が楽しめる。

岡村本家

(写真は 岡村本家)


 
大洞弁財天  放送 10月3日(金)
 JR彦根駅北のJR線の東側、佐和山に連なる大洞(おおぼら)山の中腹にある長寿院は、荘厳華麗な弁財天像をまつり「大洞の弁天さん」と呼び親しまれ、商売繁盛を祈願する参詣者が多い。
 この地は彦根城の北東の鬼門にあたり、元禄8年(1695)4代藩主・井伊直興(なおおき)が城の鬼門除けと領内の安泰を願うとともに、近江国内代々の旧領主らの霊を弔うために創建した。建立に当たって領内の老若男女を問わずすべて領民25万9526人から一文ずつの奉加金を募り、これに多額の藩の金を加えて建立した。
こうすることによって領民に自分たちも寺を建てたひとりであり、等しくご利益を授かるとの意識を持たせた。奉加金を寄進した領民の氏名を記した奉加帳67冊が今も寺に残っている。

大洞弁財天

(写真は 大洞弁財天)

彫刻(弁財天堂)

 創建当時はこのあたりまで琵琶湖の内湖が広がり、藩主らは舟で参詣しており今も船着場跡が残っている。竹林内の道から急な石段の参道を登り、楼門をくぐり抜けて振り返ると、楼門が額縁となって彦根城が真正面に美しく収まり一幅の絵を見るようである。
 本尊の弁財天像をまつっている弁財天堂(国・重文)は、本堂と礼堂に分かれ、これを石の間でつないでいる神社建築の権現造になっている。日光東照宮の修営奉行を務めた直興が、東照宮を建立した甲良大工を使って弁財天堂を建てた。建物の内外に漆塗り、極彩色を施し、彫刻や絵など絢爛たる装飾技法が取り入れられており、ここから・彦根日光・と呼ばれるようになった。

(写真は 彫刻(弁財天堂))

 本尊・弁財天座像は像高約6尺(1.8m)で、両脇に15童子像、四天王像を従えた荘厳華麗な姿であり、参拝者の心次第で弁天さまの顔が変わるとも言われている。
 弁天堂の右にある阿弥陀堂は弁天堂と同じ年に建立され、本尊・阿弥陀如来像を中心に大日如来像、釈迦如来像が脇侍としてまつられている。堂内の近江国内の旧領主237人の霊を弔うために戒名、俗名が金文字で書かれ奉納されている。
 弁天堂と阿弥陀堂前の踏石の下には、創建の時に西国、秩父、坂東各観音霊場やその他の諸国の霊仏、霊社281カ所の砂が埋められており、一度参詣すればこれらの霊地を参拝したことになると言われている。

本尊弁財天

(写真は 本尊弁財天)


◇あ    し◇
彦根城、玄宮園JR東海道線彦根駅下車徒歩15分。 
JR東海道線彦根駅からバスで彦根城下車徒歩。
有川製薬(赤玉神教丸)近江鉄道鳥居本駅下車徒歩5分。 
天寧寺JR東海道線彦根駅からバスで天寧寺口下車3分。 
北野寺JR東海道線彦根駅からバスで長曾根口下車。 
岡村本家(清酒・金亀)JR東海道線稲枝駅からタクシーで10分。 
近江鉄道豊郷駅下車徒歩20分。
大洞弁財天(長寿院)JR東海道線彦根駅下車徒歩30分。 
◇問い合わせ先◇
彦根市役所観光課0749−22−1411 
彦根市観光協会0749−23−0001 
彦根市観光案内所0749−22−2954 
彦根城0749−22−2742 
有川製薬(赤玉神教丸)0749−22−2201 
蝋喜商店(和ろうそく)0749−22−6725 
天寧寺0749−22−5313 
北野寺0749−22−5630 
岡村本家(清酒・金亀)0749−35−2538 
大洞弁財天(長寿院)0749−22−2617 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会