月〜金曜日 21時48分〜21時54分


京都・映画の歴史 

 映画が「活動写真」と呼ばれていた時代から京都は日本映画のメッカで、多くの撮影所があり、名優、スターを生み出した。無声映画時代から戦後の映画全盛時代にかけ、活気をあふれていた京都の各映画会社の撮影所は、テレビの普及、レジャーの多様化などで斜陽の一途をたどり、次々に閉鎖されていった。そんな京都の映画の歴史をたどってみた。


 
日本映画の父・牧野省三  放送 10月9日(月)
二条城撮影所跡 「日本映画の父」と言われている牧野省三(1878〜1929)は、京都・北野天満宮近くの千本座と言う芝居小屋の経営者だった。京都・二条城の西南櫓(やぐら)近くに、関西初の撮影所(二条城撮影所、明治43年)を作った映画興業会社横田商会の横田永之助から、映画製作を頼まれたのが映画界へ入るきっかけになった。
 明治41年(1908)に、横田永之助の依頼で「本能寺合戦」を撮影。翌年には岡山県の旅役者・尾上松之助に目をつけ、尾上を主演に「碁盤忠信」を自ら監督し、製作した。二条城撮影所で映画俳優のスタートをきった尾上(大正3年に日活入り)は、大見得をきる時、目をむくことから「目玉の松ちゃん」との異名を取り、スターにのしあがり年間60〜80本の映画に出演した。
(写真は 二条城撮影所跡)

牧野省三銅像(等持院) 牧野はその後、撮影所を北野天満宮近くの法華堂撮影所に移し、さらに京都市北区の大将軍(次に等持院、御室)へと撮影所を移している。マンネリ化しつつあった映画製作にジレンマを感じた牧野は、大将軍撮影所(日活撮影所長)の職を捨てて独立、等持院境内に牧野教育映画製作所を設立した。
 マキノプロ設立(1923)後は、内田吐夢、衣笠貞之助らの名監督、阪東妻三郎、月形竜之介、片岡千恵蔵、市川右太衛門、嵐寛寿郎らのスターを育てた。昭和3年(1928)に牧野終生の大作「実録忠臣蔵」を監督して製作後、第一線を退き、翌年死去した。等持院境内には、日本娯楽映画の基礎を築いた牧野省三の銅像が建っている。
(写真は 牧野省三銅像(等持院))


 
大河内山荘  放送 10月10日(火)
丹下左膳のポスター オールド映画ファンなら「シェイ(姓)は丹下、名はシャ膳」のせりふ口調で、丹下左膳を当たり役にした名優・大河内伝次郎(1898〜1962)を知らない人はいない。無声映画時代から日本映画全盛時代までの大スター大河内伝次郎は、伊藤大輔監督とのコンビで時代劇映画に革命をもたらした俳優である。白塗りの二枚目とは違う、眼光鋭いニヒルな風ぼう、全身をぶつける激しい立ち回りで、斬新でリアルなヒーロー像を描き出した俳優だった。
(写真は 丹下左膳のポスター)

大河内山荘 そんな大河内伝次郎が禅の世界に魅せられ、昭和6年(1931)から京都・嵯峨野の小倉山の南麓に約19800平方m(約6000坪)の土地を求め、34歳から死去するまでの30年間にわたり、映画出演料の大半をつぎ込み、日本伝統の美を求め、命をかけて創作したのが大河内山荘といえる。
 大河内は信仰心の篤い人で、大正12年(1923)の関東大震災以来の念願が、めい想と清寂のひとときを求める山荘の建設だったという。山荘内に念願の持仏堂を建ててから、映画撮影の合間にこの持仏堂にこもり、念仏を唱え、瞑想にふけっていた。
 山荘内には数寄屋造、書院造、寝殿造、そして民家という住宅様式のすべてを網羅した大乗閣を山荘の母屋とした。大乗閣からは比叡山、大文字山、双ヶ丘や京都市内の町並みが望める。また、山荘内には草庵風の茶室・滴水庵や素晴らしい庭園が広がっている。映画スター好みの奢侈(しゃし)な別荘ではなく、大河内伝次郎の命を凝縮した創造の場であった。
(写真は 大河内山荘)


 
映画と共に80年・
       高津(こうづ)商会 
放送 10月11日(水)
高津商会の倉庫内 時代劇映画ファンなら映画のクレジット・タイトルで「装飾・高津商会」という名前に誰しも見覚えがあるはずだ。高津商会は明治時代後期から京都で道具店を営業していた。大正7年(1918)日活京都撮影所から活動写真(後の映画)の小道具の貸し出しを依頼され、手持ちの道具を貸し出したのが映画への関わりのきっかけになった。この時から“貸物専門”の社業がスタートし、映画製作を支え、映画と共に80年の歴史を持つ映画界で唯一の貸物専門の会社となった。
 現在、日本の映画、テレビ業界での貸物専門会社として、独占に近いシェアを持っている高津商会が保有する小道具類は50万点に及ぶともいわれている。しかし、誰も数えた者はおらず、それ以上になるかもしれない。京都府内の2ヵ所の大きな倉庫と東京都下の倉庫だけでは収容しきれず、映画撮影所やテレビ局の倉庫を借用してやっと収まっているほどだ。
(写真は 高津商会の倉庫内)

小道具の刀作り 時代劇の小道具といえば、立ち回りで使う刀が主役。この刀はカシの木で作る。
刀の形にしたものに漆を塗り、さらに研ぎあげて箔を張って本物そっくりにする。このほかに槍、甲冑(かっちゅう)類など時代劇に使う小道具は数え上げればきりがない。
高津商会では、これらの小道具類を使うイベントなどを企画、提供しており、甲府信玄祭(甲府市・毎年4月上旬)、加賀百万石祭(金沢市・毎年6月14日)などの諸行事にも参画している。
 道具類の中で美術品として価値のあるものは、京都市上京区の北野天満宮近くの財団法人・高津古文化会館において、年に2回ほど展示し一般公開している。今年は10月10日から29日まで甲冑類を中心に特別展示(期間外は、要予約)が行われている。
(写真は 小道具の刀作り)


 
映画文化館  放送 10月12日(木)
映画の泉と映画文化館 東映太秦映画村の中にあるアカデミックな外観の明治洋館風の3階建て建物が映画文化館。映画村のシンボル的な存在で、充実した資料をわかりやすく展示し、映画ファンから専門家までが楽しめる。1、2階が展示室になっており、日本映画の変遷や映画作りのあれこれが楽しみながら学べる。
 1階には日本映画史を彩る30作品のハイライト場面が、ボタンを押すだけで1〜2分間楽しめる「名作ミニ映画劇場コーナー」。オジサン族が子供時代に見た「笛吹童子」の一コマもある。「電子映画アルバムコーナー」には、日本映画を代表する監督、男優、女優各50名の代表作スチール写真が連続紹介される。「映画製作工程コーナー」では、複雑な映画製作の工程をビデオと写真パネルなどの資料で解説している。「撮影所ミニチュアコーナー」は、12分の1の精巧なミニセットが並んでいる。
(写真は 映画の泉と映画文化館)

ポスターコーナー 2階展示室では映画の歴史がわかる。日本映画に輝かしい功績を残した個人を顕彰する「映画の殿堂コーナー」には、現在53人が殿堂入りしている。映画村開村と同時に創設されたコーナーで、日本最初の大スター、目玉の松ちゃんこと、尾上松之助から最近殿堂入りしたのは美空ひばり、今井正まで。功績をつづる顕彰文と共に遺影や遺品などが並んでいる。
 他に映画の創造と発展に寄与して表彰された映画人の「牧野省三賞コーナー」。映画館のウインドウや新聞、雑誌などでおなじみのスチール写真の「写真でつづる日本映画史コーナー」。明治末期から大正時代に使われた木製箱型手動式カメラなど、珍しい撮影機など映画機材の進歩がたどれる「映画機材の展示コーナー」。カンヌ映画祭グランプリを受賞した「楢山節考」など、東映が受賞した内外の映画賞のトロフィーや盾などが展示されている「映画賞コーナー」。日本映画各社の代表的なポスター120点を展示している「ポスターコーナー」がある。
(写真は ポスターコーナー)


 
東映太秦映画村  放送 10月13日(金)
芝居小屋 戦後の昭和20〜30年代にかけて日本映画は全盛時代だった。その後、カラーテレビの普及、レジャーの多様化などで映画館からの客離れが始まり、映画界は斜陽化へと向かい始めた。京都・太秦にあった日本映画各社や大小の撮影所は経営が苦しくなり、撮影所を撤退したり閉鎖するところが出始めた。
 そのような沈滞ムードが漂っていた映画の町・太秦に、昭和50年(1975)東映太秦映画村がオープンし、活気を取り戻した。東映の既存施設や資材の有効利用、余剰人員の配置転換などの経営合理化の産物だったが、日本初の映画テーマパークと言うことから人気を集め、京都の新しい観光スポットになった。
(写真は 芝居小屋)

太秦村・江戸の町 映画村の中は時代劇の映画やテレビでおなじみの大小のセットが建ち並んでいる。芝居小屋や大店の商家、吉原の遊廓、寺子屋から庶民の生活の場の長屋、暴れん坊将軍でおなじみの町火消しの「め組」の家、長火鉢が置かれた目明かしの「銭形平次」の家、遠山の金さんや大岡越前守でおなじみの奉行所や武家屋敷、城の大手門など。
 今もこの映画村のセットを使って時代劇の映画やテレビドラマが製作されており、映画村の通りで侍姿やお姫さま姿の俳優に出会うこともある。また時代劇扮装の館では、映画、テレビに出演する俳優さんと同じ本格的な扮装、メイクを東映の専門家がしてくれる。女性ならお姫さま、町娘、舞妓など。男性ならお殿さま、遠山の金さん、水戸黄門などそれぞれ30種類が用意されている。希望の扮装で1時間に限り映画村内を散策できる(有料、要予約)。映画扮装写真館では希望の扮装に合わせた背景を合成した記念写真が撮影でき、その写真でテレホンカードも作れる〔有料)。時代劇ファンならずともこんなに楽しくて、夢のふくらむところはない。
(写真は 太秦村・江戸の町)


◇あ    し◇
等持院
 
京福電鉄北野線等持院駅下車徒歩5分。  
京都市バス等持院南町下車徒歩7分。
   
大河内山荘

 
JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅下車、京福電鉄嵐山線嵐山駅下車徒歩15分。
京都市バス、京都バス野々宮下車徒歩10分。
財団法人高津古文化会館京都市バス北野天満宮前下車徒歩5分。           
映画文化館、東映太秦映画村



JR嵯峨野線花園駅又は太秦駅下車徒歩13分。
京福電鉄嵐山線太秦駅下車徒歩5分。
京都市バス太秦映画村道又は右京区総合庁舎前下車徒歩5分。
京都バス太秦映画映画村前下車徒歩2分。
京都バス常磐中之町下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
等持院075−461−5786 
大河内山荘075−872−2233 
高津商会075−882−7866
高津古文化会館075−461−8700 
映画文化館、東映太秦映画村075−864−7716 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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