月〜金曜日 21時54分〜22時00分


芝居の町大阪

 京の四条河原で生まれた歌舞伎は、名優坂田藤十郎を生んだ京が本場であったが、藤十郎の死をきっかけに京では、かげりを見せはじめる。一方、江戸時代に天下の台所といわれた大坂は、その経済力を背景に町人が実力を蓄え、芸事を身につける余裕も生まれ、芝居小屋に足を運ぶ人々が増加した。天王寺村の百姓であった竹本義太夫は、大坂の播磨のじょうに入門したが、後に京に行き宇治加賀のじょうに入門、脇を勤めた。その後大坂に戻り、道頓堀で一座を結成、竹本座が誕生した。近松はこれを祝って「出世景清」を書いて支援した。能・謡から人形浄瑠璃が生まれ、まず人形浄瑠璃を演じる竹本座、豊竹座が道頓堀にでき、それぞれ座付き作者に近松門左衛門、竹田出雲、紀海音を擁してはりあった。しかし、人形浄瑠璃の人気はあまり長くは続かず、次第に歌舞伎にとって代わられて行く。


 
池田文庫 放送日 10月5日(月)

池田市の池田城跡のある高台に、池田文庫と呼ばれる演劇の資料館がある。これは阪急電鉄の創始者の一人小林一三氏が宝塚歌劇の旗揚げの翌年、大正4年に創設した図書室を発展させたもので、昭和7年に宝塚文芸図書館と改称した。そして、内容も演劇、文芸、美術を主にした図書館として資料を収集、歌舞伎に関するものでは、名優の似顔絵、芝居錦絵、など21、000点、道頓堀の角座などの芝居プログラム(絵本番付け)を8、000点、明治期の中座の絵看板なども多数あり、台本や道具帖などは昔の芝居の町、大坂の姿をいきいきと偲ばせてくれる。

池田文庫

 

芝居錦絵

 また、なによりもこの文庫の特徴は、宝塚歌劇の本家が収集しただけあって、宝塚歌劇の創業時からの台本や観劇のパンフレットが保存され、雑誌も「歌劇」「宝塚グラフ」は創刊号から全部揃う。
 初期の演出者、白井鉄造氏のフランス留学で得た楽譜、美術関係書、服飾史関係の書物なども数多い。この図書館が阪急電鉄創立75周年記念事業として、昭和58年に池田文庫に発展開館した。図書は閲覧無料。コピーサービスあり(有料)。展示室は有料で一年に3−4回公開され、折々にテーマを決めて展示される。ここからは小林一三氏の邸宅あとである逸翁美術館も近い。

  


 
仮名手本忠臣蔵の誕生 放送日 10月6日(火)

 江戸の一角で起こった浅野家と吉良家のいさかいが全国に知られるようになったのは芝居の力が大きい。「仮名手本忠臣蔵」は大坂の道頓堀で1748年に浄瑠璃で初演された。忠臣蔵を扱った芝居は最初近松が竹本座のために書いた「碁盤太平記」からはじまり、多くの赤穂義士ものが登場するが、決定版はなんといっても3大名作の一つ「仮名手本忠臣蔵」である。今日も度々上演される人気出し物で、1748年の初演は人形浄瑠璃であったが、同じ年の内に嵐座(いまの角座)で歌舞伎にして上演された。浄瑠璃は2代竹田出雲をはじめ3人の作者が各段を分担執筆、協力して書きあげたもの。

忠臣蔵芝居錦絵

 

竹田出雲の墓

 竹田出雲の墓は地下鉄 谷町線四天王寺夕陽丘駅の西北すぐの生玉町の清蓮寺にある。また、江戸では四十七士の墓は幕府に遠慮して造れなかったので、切腹を免れた足軽の寺坂吉右衛門が46人の遺髪や爪、鎖帷子(くさりかたびら)等を清蓮寺から谷町線をはさんで東側にある吉祥寺に納めて供養墓を造ってもらった。後に親戚の広島の浅野候が建てた五輪塔が浅野内匠頭のもので、周囲の石碑に46士の戒名と行年が刻まれている。

  


 
初代、中村雁治郎 放送日 10月7日(水)

 初代の中村雁治郎は幕末の1859年、3代中村翫雀の子として大阪市西区新町で生まれた。その生誕地跡(厚生年金会館前の公園の南)に石碑が建てられている。生家は夕霧の抱え主扇屋である。長じて初代実川延若の門に入り、初めは實川雁治郎と名のった。後に父翫雀の後を継ぎ、中村雁治郎となった。活躍期は明治時代末から昭和10年までである。人気が出たのは明治20年頃からで、大阪の近代歌舞伎はこの人に代表されるようになる。雁治郎のしたたるような色気は筆で表現することがむずかしいと言われた。関西歌舞伎の伝統である和事(男女の恋の姿)には色気が不可欠で、種々の工夫を加えた彼の演技は観客を魅了した。また東京の団十郎に私淑して、心理を重視する写実性をとりいれ、東京の歌舞伎に近ずいていった。

初代中村雁治郎生誕地

 

初代中村雁治郎

最高のあたり役は「河庄」の紙屋治兵衛であるが、ここでも雁治郎は工夫を加え、「頬かむりの中に日本一の顔」とうたわれた。また、型を重んずる歌舞伎界にあっても雁治郎は毎回ちがった演技で通し、決して型をつくらなかった。これは上方歌舞伎が和事を演じることが多いので、型にとらわれない演技を要求されたことにもよるが、絶えざる工夫の人であった雁治郎の面目がここにも示されている。この他の当たり役は、「封印切り」の梅川忠兵衛などがある。雁治郎は現在3代目まで続いている。没したのは昭和10年である。彼の眠る墓は、谷町9丁目交差点西北の常国寺にある。
 また、芸の上で彼の後を継いだ役者は2代目實川延若である。彼もまた色気のある役者で工夫のひとであった。もちろん言うまでもなく直接の芸を受け継いだのは2代目雁治郎と林 又一郎であった。

  


 
中寺町界隈 放送日 10月8日(木)

 大阪に寺町は幾つかあるが、中寺町といわれる所は千日筋と谷町筋の交差するところの南、谷町筋の東西にひろがる寺町を言う。谷町9丁目の交差点の西北すぐにある常国寺には、初代中村雁治郎の墓がある。近代関西歌舞伎を代表する歌舞伎役者で、和事の名手とうたわれた。墓には「玉林院成雁日扇居士」と彫られている。(雁治郎と同じ常国寺には小説家、梶井基次郎の墓もある)

2代目実川延若

 

中寺町界隈

斜め向いには雁治郎のライバルであった二代目實川延若を初め河内屋3代の墓がここからすぐ北の円妙寺にある。

  


 
芝居の街・道頓堀 放送日 10月9日(金)

 みなみの戎橋から堺筋の日本橋にかけて道頓堀筋がある。ここは昔、大坂船場の町外れにあたり、大坂のあちこちにあった芝居小屋がここに集められた。1626年に安井道頓の開いた堀の南に20を越す芝居小屋ができたと伝えられる。歌舞伎より少し早く人形浄瑠璃が盛んになった。通りの南側に浄瑠璃を公演する小屋、北側(浜側)には芝居茶屋が並んだ。浄瑠璃の小屋は1685年に竹本座が最初に出来、竹本義太夫の語る浄瑠璃は義太夫節といわれ人気を得た。近松門左衛門は「出世景清」を書いて竹本義太夫を支援した。後年1705年に近松門左衛門は座付き作者として京から竹本座に迎えられ、「曽根崎心中」「冥土の飛脚」「国性爺合戦」「心中宵の庚申」など数々の名作を生んだ。この頃の人形はまだ、一人遣いであった。竹本座の座付き作者には竹本政太夫、竹田出雲が後をついで浄瑠璃を発展させて行く。後に竹本座の東に豊竹座が出来、2座競合の時代をむかえる。豊竹座の座付き作者には紀海音がいた。浄瑠璃が最盛期を迎えるのは1730年頃で、この頃に人形は3人遣いが確立した。18世紀前半には[歌舞伎なきが如し]といわれた位だったが、1770年を過ぎると、浄瑠璃の人気が衰えを見せ、歌舞伎がこれにとって代わる。

道頓堀川

 

中座

1800年代に入ってからは淡路島出身の文楽軒によって浄瑠璃は受け継がれてゆくが、旧作が中心であった。
 歌舞伎の方は元禄期(1688−1703)頃には技芸に磨きをかけた名優が多数輩出したが、その後浄瑠璃の隆盛に押されて一時衰退していた。1700年代半ばに浄瑠璃の衰退と共に人気を盛り返した。小屋は最初、中の芝居、角の芝居、大西の芝居の3つであった。芝居につきものであった芝居茶屋は、1697年に既に46軒あったという。1748年に2代竹田出雲をはじめ3人の合作になる「仮名手本忠臣蔵」が浄瑠璃で大当たりをとると、歌舞伎でもその年に角の芝居で上演された。また、回り舞台も1758年に角の芝居で初めて考案され、芝居の内容に大きな変革をもたらした。これは、世界初の考案であった。19世紀も天保期になると道頓堀5座といわれ、東から竹田の芝居、角丸の芝居(元朝日座、現東映の位置)、角の芝居、中の芝居、大西の芝居があった。明治期になると道頓堀には東から弁天座、朝日座、角座、中座、浪速座があり、向かい側に芝居茶屋が48軒あった。芝居小屋は総て松竹に統合された。

  


あ    し

 池田文庫へは、阪急宝塚線池田から徒歩10分
 吉祥寺へは、地下鉄谷町線四天王子夕陽丘東北3分
 常国寺へは、地下鉄谷町線谷町9丁目西北2分
 円妙寺へは、地下鉄谷町線谷町9丁目西北5分
 青蓮寺へは地下鉄谷町線四天王子夕陽丘西北3分
 雁治郎生誕地へは地下鉄四ツ橋線四ツ橋西北、厚生年金会館前の公園南   西、忠兵衛のビル の一角
 近松門左衛門の墓は地下鉄谷町線谷町9丁目北へ10分、谷町7丁目交差   点東南、郵便局 南にある
 井原西鶴の墓は、地下鉄千日前線谷町9丁目または近鉄上本町の北500    メートル西側の西 誓寺にある 
 道頓堀へは、地下鉄、近鉄の難波、日本橋から徒歩5分


みどころ

 池田市には逸翁美術館、池田市歴史民俗資料館、大広寺、久安寺
 中寺町一帯、近松門左衛門の墓、井原西鶴の墓 


味・土産

 池田市  地酒 呉春、かき料理かき峰(冬期のみ)
 道頓堀には  たこ梅(おでん)、今井本店(うどん)、正弁丹吾亭(小料理)、   イシダタミ(イタリア料理)、ぼてじゅう(お好み焼き)、くいだおれ、夫婦善哉  (ぜんざい)


問い合わせ先

  池田文庫       0727−51−3185
  吉祥寺        06−6771−4451
  青蓮寺        06−6772−0979
  松竹演劇資料部  06−6532−1806
  常国寺        06−6761−3460
  円妙寺        06−6761−3430
  中座(松竹演劇分室)06−6211−3681

 

         [1999.10.04]