月〜金曜日 18時54分〜19時00分


橿原市 

 記紀神話の神武天皇の即位の地として知られる橿原市には、藤原宮跡を筆頭に多くの宮跡や天皇陵、古墳が点在し、隣接する明日香村と並ぶ古代国家成立の歴史を秘めた所である。今回はその遺跡や江戸時代の商家が軒を連ねる町並などを訪ねた。


 
藤原宮と大和三山  放送 11月4日(月)
 壬申の乱が治まり国力もつき、絶対的な権力を手中にした天武天皇は飛鳥浄御原(あすかきよみがはら)宮に代わる新都の建設を計画していた。官僚制度の確立で官人の人数が増え、役所の建設が急務であった。また諸外国に対する国力の誇示、地方の豪族、人民に対する威圧の意味もあって、中国の都城を模した天皇制支配の象徴となる都の建設計画を検討していた。だが、天武天皇はその実現を見ないで没し、皇位を継いだ皇后の持統天皇がその遺志を継いで都を造営し、持統天皇8年(694)畝傍山、耳成山、香久山の大和三山に囲まれた藤原京へ遷都した。
 藤原京は中国の都城を模して造られた日本最初の本格的な計画都市で、東西2.1km、南北3.2kmの広大なものだったが、わずか16年間で都は平城京へ遷される。

畝傍山

(写真は 畝傍山)

藤原宮跡

 国の特別史跡に指定されている藤原宮跡は今、大極殿跡の土壇が残るだけで、一面の緑の野原が広がっている。藤原京跡の発掘調査は昭和9年(1934)から始められ、今も奈良国立文化財研究所の手で発掘調査が続けられている。
 藤原京は日本で初めての条坊制を採用、道路が碁盤の目状に建設された本格的な中国風都城である。発掘調査の結果、藤原宮は東西、南北約1kmの中に大極殿、朝堂院、内裏などがあった。朝廷の公の儀式を行う朝堂院は、南北615m、東西236mで平城宮、平安宮の朝堂院より大きかった。
 これらの宮殿を建設するためには大量の木材が必要だった。その建築用材は現在の滋賀県で伐採され、瀬田川、宇治川、木津川を経て、奈良山を越えて陸路を運ばれた。また2万枚以上の瓦が奈良盆地の各地で焼かれるなど、都の建設には多くの人びとが過酷な労働を強いられた。

(写真は 藤原宮跡)


 
今井町散策  放送 11月5日(火)
 藤原宮跡から西北へ20分あまり歩くと、江戸時代の家並みを多く残している今井町がある。この町は戦国時代、浄土真宗の寺内町として興り、元亀元年(1570)本願寺と織田信長との間に戦いが起こり、今井町も織田軍の攻撃に備えて矢倉を築いたり、濠を深くするなど防備を固めて織田信長に抵抗を見せた。
 その後、本願寺の降伏によって今井町も武装を解除、自治権を持つ商業都市として栄え、「海の堺」「陸の今井」と言われるほどになった。江戸時代には大商人がひしめき、大名に金を貸す金融業者、蔵元、両替商のほか、あらゆる商品を扱う商店が軒を連ねていた。また、藩札と同じ価値のある今井札と呼ばれる紙幣を発行するほど信用度が高く「大和の金は今井に七分」と言われほどの繁栄ぶりだった。

民芸品「かな」

(写真は 民芸品「かな」)

今井まちなみ交流センター華甍

 現在、今井町の約700軒の民家の中で国の重要文化財指定されている重厚な町家が8軒、奈良県指定文化財の町家が3軒あり、平成5年(1993)に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
 重要文化財指定の河合家は江戸時代中期の明和9年(1772)に「上品寺屋(じょうぼんじや)」の屋号で酒造業を営んでいた記録がある。今井町で現在も酒造業を続けているのは河合家だけで、玄関には造り酒屋のシンボル・杉玉がぶらさがっている。文化財には指定されていない民家も伝統的な建築様式を継承しており、今井町を訪れる観光客を相手の民芸品店や画廊、土産物店などを営む家もある。
 明治36年(1903)に建てられた和洋折衷の旧今井町役場は「今井まちなみ交流センター華甍(はないらか)」として、平成7年(1995)にオープンした。今井町の歴史や町並をパネル、模型、映像で紹介しており、町のガイド役を果たしている。

(写真は 今井まちなみ交流センター華甍)


 
甘味めぐり  放送 11月6日(水)
 遺跡や古墳、古い寺院を巡る飛鳥、藤原京の散策の疲れをホッと癒してくれるのが、その土地ならではの甘味と一杯のお茶。
 橿原神宮前のまんじゅう屋さん「埴輪(はにわ)まんじゅう本舗」のしおりは、大和朝廷による国家統一から説き起こしている。神武天皇即位の地・橿原にふさわしい歴史めいた名物は、古墳の副葬品を象った埴輪まんじゅう。
 埴輪まんじゅうは昭和15年(1940)に初めて作られ、その後、埴輪まんじゅうの経営者や作り手は交代しながら武人、馬、鈴、壺を形取ったまんじゅうが現代に引き継がれている。橿原の遺跡巡りの疲れを癒してくれたり、古代国家成立の地にふさわしい土産物として観光客らに人気を呼んでいる。

埴輪まんじゅう

(写真は 埴輪まんじゅう)

粉だんご

 もうひとつ、橿原市に伝統の名物のだんごがある。明治11年(1878)に旧高野長谷街道の茶店として始まっただんご屋さん「だんご庄」で、昔と変わらないきな粉だんごを口にすると、その素朴さに自然と心が和んでくる。
 この店のだんごは米の粉を使っただんごに、この店特製の蜜で味付けし、きな粉をまぶして5個ずつ串に刺したもの。いりたてのきな粉の香りと、しこしことした口当たりがこのだんご独特の味で、観光客の土産品や贈答品としても根強い人気がある。
 藤原宮跡に腰を下ろし、大和三山を眺め古代に思いをはせながら口にするだんごの味は格別で「和歌のひとつも詠んでみようかなあ」との気持ちにさせられる。

(写真は 粉だんご)


 
万葉の森  放送 11月7日(木)
 大和三山の中でも最もよく万葉集に詠まれ、古代の国見の場所として利用された香久山の麓に、第32回全国植樹祭を記念してレクリエーションの場として整備されているのが12haの奈良県営「万葉の森」である。
 樹木や花の種類別にいくつかの展示園や林に分かれているが、中心になるのはイチイガシ、アセビなど万葉集の歌に詠みこまれた植物73種、700本集めた「万葉植物展示園」。
さらに万葉集に数多く詠まれている白梅、紅梅などを植栽している「梅園」、学校や公園、街路などに利用される緑化樹木約250種を展示する「緑化樹展示園」、ハナショウブ、アヤメ、カキツバタなどの水生植物約20種、5000株を集めた「水生植物展示園」、いろいろなサクラ約20種、300本が植えられている「桜展示園」のほか「ツバキ展示園」「紅葉樹展示園」「野鳥誘致園」などが、自然の山容の中に点在している。

万葉の森

(写真は 万葉の森)

岸上三和園

 持統天皇の詠んだ歌としてよく知られている「春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣ほしたる 天の香久山」や舒明天皇が国見の時に詠んだ「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香久山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は」などの万葉の歌碑もそこここに配され、文学的な趣を味わいながらの自然散策が楽しめる。
 森の中の芝生の上では幼児が親と戯れる姿や広場でバトミントンやボール遊びに興じる家族連れの姿が週末には見られ、市民の憩いの場にもなっている。

(写真は 岸上三和園)


 
橿原市昆虫館  放送 11月8日(金)
 香久山の東南の麓、緑の中に建つ巨大な甲虫を思わせるような建物が、橿原市昆虫館である。内部は生態展示室、標本展示室、放蝶温室の3つのコーナーに分かれている。
 昆虫館の一番の見どころとも言えるのは、ヤシやハイビスカスなど亜熱帯植物が生い茂っている放蝶温室。この温室の中では四季を通じて優雅に舞うオオゴマダラなどの蝶や世界一小さい鳥・ハチドリが蜜を求めて飛び交う美しい姿が見られる常春の国である。
 生態展示室では橿原市周辺の昆虫が生息している環境や自然をそのまま再現し、昆虫の生態を目と肌で感じ取り、生きたままの昆虫を展示している。ほかに世界各地の昆虫をパネルや標本、映像などで学習できる標本展示室がある。

橿原市昆虫館

(写真は 橿原市昆虫館)

バイオリンムシ

 昆虫館は香久山のすぐそばにあり、近くには藤原宮の宮跡、奈良国立文化財研究所の藤原宮跡資料室や飛鳥資料館、山田寺跡などがある。昆虫の生態を目の当たりにしたり、古代の都の跡やその資料の見学、香久山の自然の中でお弁当を広げたり、香久山の麓の万葉の森を散策したりするなど、子供たちと一緒に充実した一日が送れる。
 さらに足を南へ延ばせば飛鳥の里へ通じ、飛鳥の遺跡散策を同時に楽しむこともできる。
また四季を通じて色とりどりの花が咲く周辺の田園地帯の自然を満喫するのもよい。

(写真は バイオリンムシ)


◇あ    し◇
藤原宮跡、奈良国立文化財研究所藤原宮跡資料室近鉄大阪線耳成駅下車徒歩25分。 
畝傍山近鉄橿原線、南大阪線橿原神宮前駅下車徒歩45分。 
耳成山近鉄大阪線耳成駅下車徒歩15分。 
香久山、万葉の森近鉄大阪線耳成駅下車徒歩30分。 
今井町、今井ならまち交流センター花甍近鉄橿原線八木西口駅下車徒歩5分。 
橿原市昆虫館近鉄大阪線、橿原線大和八木駅からバス橿原市昆虫館下車。 
近鉄大阪線大福駅下車徒歩40分。
◇問い合わせ先◇
橿原市役所商工観光課0744−22−4001 
橿原市観光協会0744−28−0201 
藤原宮跡資料室0744−24−1122 
今井まちなみ交流センター華甍0744−24−8719 
埴輪まんじゅう本舗0744−23−2525 
だんご庄0744−25−2922 
万葉の森管理事務所0744−24−1183 
橿原市昆虫館0744−24−7246 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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