月〜金曜日 21時54分〜22時00分


 名張は隠(なばり)と言う古語から来た地名で、山々に隠された処という意味をもつ。古来伊勢に通じる初瀬街道が奈良県の山間を抜け出て、盆地に入ったところが名張である。また東海道への脇道として名張から伊賀上野、更に柘植から関、亀山方面に抜ける道も名張から分岐する。この交通の要衝に、伊賀上野の藩主、藤堂高虎の養子として、織田信長の重臣丹羽長秀の三男であった高吉が迎えられた。大坂冬の陣、夏の陣で徳川方について功をたてた為に生き残り、寛永13年(1636年)名張に5千石を与えられた高吉は、筒井家の家臣達の居館跡の高台に屋敷を構え、伊予から連れてきた商人や職人が居を移して城下町を形成した。高吉の死後、1万5千石に加増され、明治を迎えるまで11代続いた。
 名張から南の青蓮寺川の渓谷には柱状節理の安山岩が林立する香落渓と、その西側の谷を流れる丈六川の浅瀬に幾つもの小滝が連続する赤目四十八滝は、共に名張近辺の観光地であり、紅葉の名所として名高い。


 
伊州・名張、城下町 放送日 11月15日(月)

名張藤堂家邸跡

 藤堂家は最初豊臣秀吉の家臣であったが、秀吉の死後は家康に味方し、大坂冬の陣、夏の陣では家康側に立って戦った。その功で藤堂高虎は伊予今治に20万石を拝領した。養子の高吉も功があったので伊予に2万石を拝領したが、それは高虎の領分に含まれた。高虎の死後、実子の高次が高虎の後を継ぎ、高吉は跡目相続から外れ、家臣の身分に甘んじることになった。
 1636年に藤堂家は伊賀に替地が許され、高吉は5千石で名張の高台にある筒井氏の家臣邸あとに居館を構え、商人や職人も伊予から連れて来て城下を形成した。
 当初の屋敷は1710年の名張の大火で類焼して、現在残っているのはこの後の再建であるが、近世上級武士の邸宅として残存する数少ない貴重な遺構である。
 屋敷は公務を処理する部分、調理、厨房の部分、私的な日常生活を送る「中奥」、女中達の生活する「大奥」の部分に分かれていた。
 中奥には茶室、枯れ山水庭園などが設けられ、現存する屋敷の中心になるのは「中奥」「祝間」「囲(茶室)」を中心とする私的生活部分である。屋敷は順次建て増しされて行ったたことが複雑な屋根の構成からもわかる。

固焼(かたやき)



 名張には伊賀忍者や山伏の携帯食であったと言われる「固焼きせんべい」を今も焼いている店がある。現在のは砂糖やごま、青のり等も入れて、菓子風になっているが、昔はもっと素朴な食糧であった。今のせんべいは、大変固くてほろ甘いので噛んでいるうちに忘れられない味わいが得られ、愛好者も多い。
 名張の名所は他に赤目四十八滝の入り口にある延寿院(役の行者開創、赤目不動を祀る)、その近くの竜口にある伊賀忍者、百地三太夫(ももちさんだゆう)の屋敷跡があり、今も大きな屋敷があって、忍びの道具や衣、鎧、手裏剣などが残っており、申し込めば見学もできる。


 
名張・曽爾、香落渓(こうちだに) 放送日 11月16日(火)

香落渓の柱状節理

 香落渓は室生の火山が造りだした岩が色々な姿を見せている、全国でも珍しい安山岩の柱状節理の連なる渓谷である。柱状節理とは溶岩が冷えて固まるときに縮んで割れて、縦に規則的な柱状の割れ目の入った岩の事である。青蓮寺川の両岸に迫る断崖に柱状の岩が連綿と連なり、奇岩怪石の連続である。屏風岩、鹿落岩、鬼面岩、天狗柱岩、雨宿岩、小太郎岩などである。特に小太郎岩は伝説と共に有名である。高さ200m×巾800mの断崖はロッククライミングの練習場ともなっている。途中の落合からは赤目四十八滝に抜けることもできる。
 

小太郎岩


 香落渓は春には若葉とつつじ、秋には紅葉が渓谷を彩り、冬になると時折見られる氷柱など、四季折々に見どころの多いところである。所々に小さな滝も流れて景観に趣を沿えている。渓谷は口香落と呼ばれる香落橋から伊賀見までの8kmと、ここから奥の奥香落と呼ばれるエリアに分かれる。奥香落は倶留尊山(くろそやま)、お亀池などを含めて呼び、奈良県になる。
 小太郎岩の伝説は伊賀の豪族道観長者の息子、小太郎が義母に財産を狙われ、この岩から落とされそうになったが、逆に義母が誤って落ちた、という伝説を持つ岩である。


 
曽爾高原 放送日 11月17日(水)

曽爾高原のすすき

 奥香落高原は一面のすすきの原っぱが広がる高原として極めて特殊な景観を持つことで有名なところである。
 曽爾高原へは名張からバスで香落渓の奥、太良路(西側)から入るか、やはり名張から中太郎生(たろう)までバスで行き、逆に東から入るのと2通りの方法がある。コースは東海自然歩道になっており、道は整備されている。中太郎生からの道は途中から山中に入り、亀山峠に至って急に視界がぱっと開け、奥香落高原が一望できる。西の太良路から入るとだらだら坂の登りがつづく。中心地のお亀池周辺は一面にすすき野が広がって見事である。てっぺんの亀山峠まですすきで埋まっている。

亀山峠より見た曽爾高原


 亀山峠からはお亀池周辺のすすき原は勿論、連なる山々の倶留尊山(くろそやま1037m)をはじめ、亀山(851m)、後古光山(うしろここうやま)や、対面する鎧岳(よろいたけ839.9m)、兜岳(かぶとだけ、920m)が一望できる。倶留尊山まで登れば更に見通しが良くなる。この高原のすすきは茅葺屋根の材料として、奈良県は勿論、全国にむけて出荷されている。
 東の中太郎生、または上太郎生から西の太良路まで通り抜けると8kmのコースで、適当なハイキングになるが、バスが少ないので十分調べてからコースを選びたい。どちらかのコースを往復しても通りぬけても距離、所要時間は同じ位である。


 
曽爾・曽爾三山(天然記念物) 放送日 11月18日(木)

兜岳

 曽爾三山とは香落渓の奥、太良路から西にある鎧岳(よろいだけ、839.9m)、兜岳(かぶとだけ、920m)、屏風岩の三山を指し、いずれも柱状節理の露出した山々で、天然記念物に指定されている。これらは室生火山群の形成した特殊な景観を誇るもので、いずれも奈良県曽爾村の範囲に入る。
 兜岳は形が兜に似ているところから名づけられ、鎧岳は柱状節理が露出している処が鎧の胴体に似ているところから名づけられた。兜岳は険しくて登ることがむづかしい。鎧岳はやはり頂上付近が険しい登りで、登ってもあまり展望が利かないので、やはり眺める山であろう。関西の山を殆んど踏破された登山家の故、仲西政一郎氏は近くの楯岡山(745m)にあるNHK中継所から眺める兜、鎧の両山の方を推薦しておられる。

屏風岩


 屏風岩は絶壁に柱状節理が高さ100m、巾2kmにわたって露出しており、圧巻である。柱状節理の下にテラス状の道があり、ここから見上げる屏風岩は見事である。また、屏風岩の下、屏風岩公苑内にはバンガローやキャンプ場も設けられて、春の桜、秋の紅葉と四季の風情を楽しみつつ、キャンプする事ができる。
 


 
曽爾・東海自然歩道 放送日 11月19日(金)

鎧岳

 奈良県内の東海自然歩道は柳生から奈良白豪寺、天理の石上から山之辺の道を通り、長岳寺、金屋から長谷寺、室生寺、奥香落、太良路、亀山峠、池の平、太郎生、桜峠、高尾、青山高原へと抜けるコースが作られている。いづれも、殆んどが車の通らない道で、階段も多いので歩行者専用になっている。
 自然に恵まれた関西の緑豊かな歩行者専用道路として、貴重である。メインルートは大阪府の箕面から京都、滋賀へと通じているので、奈良のルートはサブルートになっている。このあたり奥香落は特に人里離れた別天地で、大阪辺りからは遠いがそれだけの価値はあるといえるコースである。

奥香落山荘の山荘鍋


 曽爾村今井(名張からバス40分)にある奥香落山荘では宿泊、日帰りの入浴と昼食も用意されており、雉、猪、鴨など三種の肉のはいった「山荘鍋」が楽しめる。


あ     し


 名張へは近鉄大阪線で名張下車、藤堂邸跡へは西北へ徒歩5分
 香落渓へは名張からバス30分
 曽爾高原へは名張からバス40分太良路下車、または名張からバス40分中太郎生下車徒歩40分で亀山峠
 曽爾三山へは名張からバス40分の太良路から鎧岳、兜岳へ。バス1時間10分の長野で下車
 屏風岩へ。

曽爾付近の東海自然歩道へは、名張からバスで太良路まで40分、または香落渓途中の落合まで30分、屏風岩付近へは長野までバス1時間5分


みどころ


 名張藤堂家邸跡(県史跡)、酒蔵木屋正(見学可)、栄林寺(伊賀西国33ヶ所6番霊場)、丈六寺五輪塔(赤目口、鎌倉時代後期、市重文)、美旗古墳群(美旗駅前、史跡)、延寿院(赤目不動)、百地三太夫屋敷跡、青蓮寺湖、香落渓、奥香落渓、曽爾三山、赤目四十八滝、日本オオサンショウウオセンター、青蓮寺湖畔にぶどう狩り農園、フルーツ狩農園多数


土産


  名張、固焼せんべい、伊賀組みひも、地酒


問い合わせ先


 名張市観光協会             0595−63−9087
 名張市役所                0595−63−2111
 三重交通名張事業所          0595−63−0687
 曽爾村観光振興公社          07459−6−2888
 曽爾村役場                07459−4−2101
 曽爾高原ファームガーデン(太良路) 07459−6−2888
 藤堂家屋敷跡              0595−63−0451
 奥香落山荘               07459−4−2231
 富夢想野(青蓮寺湖畔)だちょう料理0595−63−2111
 青蓮寺ぶどう組合(ぶどう狩)     0595−63−7000 

    


◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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