月〜金曜日 18時54分〜19時00分


岸和田市 

 南北朝時代初めに岸と言うこの地に楠木正成の一族・和田氏が城を築き「岸の和田氏」と呼ばれていたことが岸和田の地名の由来。市の北西部は海に面し南東部は田園、丘陵地の自然に恵まれた都市で、だんじり祭はあまりにも有名だが、ほかに古い社寺、文化財も多い泉南の文化都市でもある。


 
城とだんじりのまち  放送 11月18日(月)
 岸和田市と言えば、何と言っても毎年9月14、15日、町の通りをだんじりが勇壮に駆け回るだんじり祭が全国的に知られている。岸和田城の近くに今はひっそりとたたずむ、三の丸神社がだんじり祭の発祥の地。
 3代岸和田城主の岡部長泰が、元禄16年(1703)に京都の伏見稲荷を城内三の丸に勧請して五穀豊穰を祈願する稲荷祭を行った。この時、領民が素朴なだんじりをひいて城内に練り込み、殿様に色々な芸を披露したのが始まりで300年の歴史を誇っている。その後、各町が豪華なだんじりを競い合うように作り、今日のような勇壮なだんじり祭に発展した。

岸和田城

(写真は 岸和田城)

明智光秀画像(本徳寺)

 9月のだんじり祭以外はごく物静かな城下町・岸和田市だが、どうしてもだんじりを切り離しては考えられない土地柄である。商店街のアーケードの入り口の看板のほかに、各種の店先の看板やディスプレイにもだんじりの絵やデザインが目につき、市内循環バスの愛称も「だんじりくん」。岸和田市民にとってはだんじりが誇りと生き甲斐である。市民はだんじりに明けだんじりに暮れるとの心意気で毎日を送っているのであろう。
 市内のだんじり会館では、だんじりの実物が展示され、映像でだんじり祭を再現したり、子供たちのだんじりばやしや屋根の上で飛び跳ねる練習風景も見られる。
 岸和田城に近い町の一画には寺町が形成されており、その中の本徳寺は明智光秀の実子と伝えられる南国和尚が開いた寺とされている。主殺しの汚名を着せられた光秀の肖像画と位牌を、南国和尚がこの寺で供養していたもので、戦国時代から残る唯一の肖像画と伝えられている。

(写真は 明智光秀画像(本徳寺))


 
海の幸・野の幸  放送 11月19日(火)
 岸和田市には浜・城下・農村の三つの地域があり、昔から海の幸と野の幸に恵まれた町だった。大阪湾の海の幸を提供するのが漁港。
 江戸時代中期の寛政3年(1791)に開港した岸和田港は、かつては泉州の海の玄関口として栄え、四国、播州地方と交易する帆かけ船が漁船とともに出入りしていた。近年、湾岸道路の建設、大型商業娯楽施設が建設されてすっかり様変わりし、旧港と呼ばれるようになった。漁港は近くの地蔵浜町へ移転したが、今でも毎日多種多様な魚介類が水揚げされにぎわっている。もうひとつの漁港、春木漁港と合わせてイカナゴ、シラス、シャコ、エビ、アナゴ、アジ、サバ、タコ、カレイ、シタ(ヒラメ)など、生きのよい魚が水揚げされ、市内の魚屋さんや飲み屋に大阪湾のうまい魚が豊富に出回っている。

岸和田旧港

(写真は 岸和田旧港)

紀州街道

 岸和田市の中・南部へ行くと農村の田園地帯が広がり、イチゴ、メロン、水ナスなどが栽培され、新鮮な果物、野菜類を岸和田市民の台所へ野の幸として提供している。
 昔から岸和田の家庭料理には海の幸のエビやジャコなどの小魚と、野の幸の野菜、豆類を合わせたものが多く、泉州独特のものと言える。江戸時代の空気を漂わせる町並みが残る旧紀州街道沿いの旧家で、旬の郷土料理をいただいてみると、シラスをあしらった料理、水ナスの料理など、母から娘へと伝えられた泉州特有のもが多い。ほかに旬の海の幸を使ったワタリガニの塩ゆで、ガッチョの唐揚げや煮付け、アナゴのてんぷら、シタの煮付けなどが自慢の料理。岸和田市内の居酒屋や小料理屋で、これらのおいしい料理がいただきながら、だんじり祭の話題に花を咲かせることができる。

(写真は 紀州街道)


 
山の手ハイク  放送 11月20日(水)
 岸和田市は北西部の海辺から南東部の和歌山県境の和泉葛城山系にまで広がる細長い市域。その山手地区には豊かな自然が残り、いくつもの史跡が点在して秋のハイキングには絶好のところが多い。
 岸和田市のほぼ中央部の阿間河滝町に市の天然記念物に指定されている奥家の椋(むく)の木の大樹がある。樹齢はわからないが、木の高さは約5m、幹の周囲は3m余りで枝を周囲に張った見事なもので、地元の人たちが大切の保護している。幹の中は空洞になっているが木の勢いは盛んで、昔は子供たちの遊びの場になったり、夏には大勢の人がこの緑陰でしばしの休憩をした場所でもある。秋には無数の実をつけ野鳥たちにえさを提供している。

奥家の椋の木

(写真は 奥家の椋の木)

雨降りの滝

 奥家の椋の木の近くにある意賀美(おがみ)神社は、約1300年の歴史を有する古社と言われている。元慶8年(884)の大干ばつの時、陽成天皇が菅原道真に降雨を祈らせたことから「雨降り大明神」とも呼ばれている。境内を流れる津田川の上流に高さ10m余りの滝があり、日照りの時にこの水を神前に供えて祈ると、必ず雨が降ったことから「雨降りの滝」と名付けられている。
 意賀美神社の南東の神於山(こうのやま)の北阪八幡神社からの眺望は見事で、南の和泉葛城山系の山並みから海辺に至るまでの岸和田市街、さらに西の淡路島まで見渡せる。
神於山の山腹の秋はカエデが色づき、ハイカーたちを楽しませてくれ、この山頂の展望台からの眺めもすばらしい。

(写真は 雨降りの滝)


 
泉州一の大池  放送 11月21日(木)
 久米田池は聖武天皇の時代に干ばつに悩む農民を救うため、神亀2年(725)から天平10年(738)まで14年の歳月をかけて、行基が近隣の住民を組織して造った農業用ため池。周囲が約2.7km、面積は甲子園球場の約31倍にあたる45.6haある泉州一の大池である。池が完成したときには聖武天皇は光明皇后とともに百官を率いて行幸したと伝えられている。
 池のほとりは春の桜の名所として名高いが、このほど大阪府のオアシス構想にもとづく整備が終わり、池のほとりを散策しながら野鳥の観察、夕焼けを眺望したり春のサクラを楽しむことができる。冬には数多くのカモ類が飛来して越冬する。

久米田池

(写真は 久米田池)

久米田寺・開山堂

 久米田寺は行基が建立した49院のひとつで、久米田池を維持管理するための隆池院が始まりと伝えられている。永禄年間(1558〜70)の三好氏と畠山氏の戦の兵火で諸堂塔はことごとく焼失し、現在の建物は江戸時代中期に再建されたものである。
 毎年4月21日が久米田寺の縁日で、地元の人たちは「21日のおだいっさん(お大師)」と言って楽しみにしていた。秋祭りは「行基参り」と言われ10基余りのだんじりが境内へ練り込みにぎわう。寺宝として星曼荼羅(ほしまんだら)図、楠木家文書など7点が国の重要文化財に指定されている。

(写真は 久米田寺・開山堂)


 
紅葉の山里  放送 11月22日(金)
 南北に長い岸和田市域の南端に近い牛滝山は古くから京都の高雄と肩を並べる紅葉の名所として知られ、秋には全山が燃えるように紅葉する。
 牛滝山を山号とする大威徳寺は役行者の開創と言われ、弘法大師も修行した古刹。牛滝山には48の滝があると言われ、比叡山の恵亮和尚が第三の滝で修行していたとき、大威徳明王が青牛に乗って現れた。感激した恵亮が彫った大威徳明王像が大威徳寺の今の本尊と言われている。
 牛滝山は古くは牛との関わりが深く、春と秋に牛祭り行われていた。泉南地方や泉北、和歌山市などから農家が牛を連れて大威徳寺へ参り、元気に働いてくれるようにお守りをもらって帰った。かつては着飾った牛でいっぱいだったと言われたが、耕耘機やトラクターの普及で農耕用の牛が姿を消してしまった。

大威徳寺

(写真は 大威徳寺)

多宝塔

 牛滝温泉「いよやかの郷」は敷地1万2000坪(約4ha)の広大な公営リゾート施設。「いよやか」とは「森」の中世時代の読み方で、施設内には宿泊施設「せせらぎ荘」、コテージ、キャンプ場、バーベキュー広場、ピクニック広場などが自然の中に広がっている。
 「せせらぎ荘」には昼は緑と紅葉に包まれ、夜は満天の星を眺めながら湯につかれると言う露天風呂があり人気が高い。またドライサウナ付大浴場、スチームサウナ付大浴場があり、毎日男女の浴場を入れ替えるので宿泊客は両方の浴場に入れる。
 館内には正式な契約のもとで複製されたゴッホやルノワール、ミレーなど一流画家たちの絵が展示されている。大自然の緑の中で汗をかき、その疲れを温泉で癒し、湯上がりに一流画家の絵を観賞すると言うぜいたくが味わえるというのが「せせらぎ荘」の自慢。

(写真は 多宝塔)


◇あ    し◇
岸和田城、だんじり会館南海電鉄岸和田駅下車徒歩15分。 
本徳寺南海電鉄岸和田駅下車徒歩10分。 
奥家の椋の木南海電鉄岸和田駅、JR東岸和田駅からバス土生滝下車
徒歩10分。 
意賀美神社南海電鉄岸和田駅、JR東岸和田駅からバス宮の台下車。 
北阪八幡神社南海電鉄岸和田駅、JR東岸和田駅からバス白原下車
徒歩5分。 
久米田池、久米田寺JR紀勢線久米田駅下車徒歩15分。 
大威徳寺南海電鉄岸和田駅からバス牛滝山下車徒歩5分。 
牛滝温泉「いよやかの郷」南海電鉄岸和田駅からバスせせらぎ荘前下車。 
◇問い合わせ先◇
岸和田市役所商工観光課0724−23−2121 
岸和田市観光振興協会0724−36−0914 
岸和田城0724−31−3251 
だんじり会館0724−36−0914 
本徳寺0724−22−1083 
意賀美神社0724−26−1995 
北阪八幡神社問い合わせは商工観光課又は観光振興協会へ。 
久米田寺0724−45−0316 
大威徳寺問い合わせは商工観光課又は観光振興協会へ。 
牛滝温泉「いよやかの郷」0724−79−2641 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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