月〜金曜日 20時54分〜21時00分


奈良・桜井市 

 飛鳥の北に位置する桜井市は、古代、大和朝廷の中心地として開けたところで各地に宮跡、古墳が残り、古代国家にかかわる社寺が多い。都が奈良に移ってからも大和盆地の東側の山並みの山麓に通じる山の辺の道を万葉歌人たちが往来した。今回は古代の都とのかかわりをしのばせる桜井市を散策してみた。


 
大神神社  放送 11月26日(月)
拝殿(重文) 標高467mの三輪山を御神体とする大神(おおみわ)神社は本殿を持たない。拝殿の奥にある「三ツ鳥居(国・重文)」を通して三輪山を遥拝する原初信仰の形態をとっているわが国最古の神社のひとつである。三輪山は古代から「三諸の神奈備(みもろのかんなび)」と言われ、神の宿る聖なる山として崇められてきた。山は大神神社の御神体で、山中には磐座(いわくら)と呼ばれる巨石群がある。山頂の奥津磐座、中腹の中津磐座、山麓の辺津磐座にはそれぞれに神が鎮座している。
 三ツ鳥居は明神型鳥居三つをひとつに組み合わせたもので、別名「三輪鳥居」とも言われている。現在の三ツ鳥居は明治16年(1883)に再建されたものだが、飾り金具は江戸時代初期のものである。
 拝殿(国・重文)は寛文4年(1664)徳川4代将軍家綱が造営、寄進したもので、平成11年(1999)に修築工事が行われ豪壮な拝殿がよみがえった。
(写真は 拝殿(重文))

しるしの杉玉 大神神社は農・工・商すべてにご神徳があるが、酒の神さまとしても信仰を集めており、毎年11月14日には全国から酒造家が参詣して醸造安全祈願祭の酒まつりが行われる。酒造業のシンボルとして知られているのが大神神社の杉玉。三輪の神杉の杉の葉で作られた新しい「しるしの杉玉」、別名「酒ばやし」が酒まつりの前日に取りかえられる。
 この「しるしの杉玉」は直径1.8m、重さ150kgもあり、取りかえ作業は大変だ。
酒祭りが終わると三輪の神杉で作られた杉玉が、全国の酒造家に授けられ、造り酒屋の玄関先や酒蔵の軒先につり下げられる。
(写真は しるしの杉玉)


 
山の辺の秋  放送 11月27日(火)
金屋の石仏 大和盆地の東側に連なる山並みの麓に続く「山の辺の道」は、桜井市から奈良市まで約26km、日本最古の道と言われている。道筋には万葉の歌碑や石仏などが点在しているほか、古代の古墳や古社寺も多い。山の辺の道は四季を通じて訪ね歩く人びとが絶えないが、赤く色づいた柿の実が彩りを添える秋が、いにしえの風情を味わう季節だと言う人が多い。
 「山の辺の道」を南端の桜井市から北へ向かうと、金屋の町並みの北のはずれで金屋の石仏(国・重文)に出会う。高さ2.2m、幅約80cm、厚さ21cmの2枚の石に釈迦如来像と弥勒菩薩像が浮き彫りにされている。平安時代の造立と見られ、わが国で最も優れた石仏のひとつである。
(写真は 金屋の石仏)

薬井戸(狭井神社) この石仏は元は三輪山の中腹にあったが、明治初めの排仏毀釈(はいぶつきしゃく)の時に壊されるのを逃れるため、現在地へおろし地元民らが昭和初めにお堂を建て安置した。この石仏は庶民の願いをかなえてくれそうな親しみを感じさせる表情で道行く人を見つめている。お堂の前にはいつもお菓子や花が供えられ、この地域の人びとの信仰の篤さがうかがえる。
 さらに北に進むと大神神社の摂社の狭井(さい)神社が、三輪山から流れ出る狭井川のほとりにある。拝殿の左に「薬井戸」と呼ばれる井戸があり、御神水がこんこんとわき出ている。この御神水は万病に効くと言われ、遠方からわざわざこの水をくみに来る人が多い。
(写真は 薬井戸(狭井神社))


 
三輪山麓の刀匠  放送 11月28日(水)
出羽笹川村住人 月山貞吉 山の辺の道を狭井神社から北に歩くと月山記念館が左に見えてくる。山形県の月山に源を発する刀工・月山派の歴史をさかのぼり、古刀月山から人間国宝・二代目月山貞一氏、貞利氏親子までの日本刀を展示している。
 刀は古今東西を問わず武器であった。古代はもっぱら突く武器で直刀だった。平安時代には馬上から振り下ろすのに適した、長くてゆるやかに湾曲したものに変化した。この刀は「断ち切る」と言う意味から太刀と呼ばれるようになった。室町時代にはいると戦法は地上戦に変わり刀身は短い方が有利となり、長い太刀から短い刀へと変化した。戦国の世は去り江戸時代の泰平の世になると、刀は武器よりも武士のシンボルとして、装飾品の意味合いが強まってきた。
 刀工たちが武器としての機能を追求し、技術上の工夫を凝らしてきた結果、日本刀はその形、地肌の美しさに崇高ささえ感じさせるわが国が誇るべき“鉄の芸術品”として、鑑賞する人に深い感銘を与えている。
(写真は 出羽笹川村住人 月山貞吉)

綾杉肌 山形県の出羽三山は修験道の聖地。その月山の麓で作られた刀が月山物と呼ばれ、鎌倉時代からその名が知られている。その技を今に伝えているのが、三輪山麓で日本刀を続ける人間国宝・月山貞一氏と貞利氏の親子。
 月山物には綾杉肌の地肌文様と刀身彫刻の二つの特徴がある。月山の刀身彫刻は彫り師に依頼せず、刀工が自ら彫る自身彫りの技を継承している。自身彫りだけに刀身との釣り合いが絶妙だと言われる。
 日本刀は砂鉄から作られる玉鋼(たまはがね)と呼ばれる良質の鉄を原料にする。玉鋼を主とする刃鉄(はがね)の上に柔らかい心鉄をおき、左右から皮鉄を挟んで鍛練する。
約12〜13kgの鋼を鍛練して不純物をたたき出し約1kgの鋼に仕上げ、幅3cm、長さ約80cmの刀になる。
 刀工が精神を集中するのが焼き入作業れ。粘土、木炭粉、鉄粉、砥粉を練り合わせたものを、刃の部分には薄く、地の部分には厚く塗って真っ赤に焼き、気合いを入れて一気に水の中に入れる。この焼き入れで鍛え割れなどが生ずると刀の価値はなくなり、それまでの作業と苦労は水泡に帰してしまう。
(写真は 綾杉肌)


 
安倍文殊院  放送 11月29日(木)
金閣浮御堂 安倍文殊院は京都府天橋立・切戸の文殊、山形県・亀岡の文殊とともに日本三文殊のひとつで、一般には「安倍の文殊さん」「知恵の文殊さん」として親しまれている。本堂の前には高校、大学の合格祈願や学業成就を願った絵馬が所狭しと掛けられている。入試時期が迫ると受験生のお参りが多く、絵馬の数はさらに増える。境内の500平方mの花壇に8000株のパンジーで来年のえと「午(うま)」を形取ったジャンボ花絵が11月下旬に登場、えとの横に葉ボタンで「合格」の文字も描かれ、訪れる受験生を励ましている。
(写真は 金閣浮御堂)

本尊文殊師利菩薩(重文・鎌倉) 安倍文殊院は大化元年(645)孝徳天皇の勅願によって左大臣・安倍倉橋麻呂が創建した安倍寺がその起こりで、鎌倉時代に現在地に移された。現在の寺の南西300mに法隆寺式伽藍配置だった安倍寺跡があり、国の史跡に指定されている。
 安倍寺から移した堂塔は永禄6年(1563)松永久秀の兵火で焼失。現在の本堂は寛文5年(1665)に再建されたものである。
 巨大な獅子に乗った本尊の木造文殊菩薩騎獅像は高さ7mで日本最大の文殊像。無心に合掌しているあどけない童顔の脇侍の善財童子像(国・重文)や他の脇侍の優填王(うてんおう)像(国・重文)、須菩提(すぼだい)像(国・重文)は快慶の作である。
(写真は 本尊文殊師利菩薩(重文・鎌倉))


 
談山神社  放送 11月30日(金)
『多武峰縁起絵巻』より 高さ600mの多武峯の山頂近くに建つ談山神社は、朱塗りの社殿に紅葉が映え関西を代表する紅葉の名所で“関西の日光”とも言われている。
 藤原鎌足がまつられた談山神社は、皇極4年(645)大化改新を目前にした中臣鎌足と中大兄皇子(後の天智天皇)が、蘇我氏を打倒する談合を行ったことから「談(かたら)い山」「談所が森」と呼ばれ、談山神社の名称となった。この年、蘇我入鹿を飛鳥板蓋宮で誅殺して大化改新を断行された。
(写真は 『多武峰縁起絵巻』より)

十三重塔(重文) 中国・唐に留学していた鎌足の長男・浄慧が帰国、天智6年(669)に没して摂津の阿威山(現茨木市)に葬られていた父・鎌足の遺骨を多武峯に移した。十三重塔を建ててその下に葬り妙楽寺と称し、塔の東には聖霊院を建て鎌足の木造を安置した。平安時代に入り惣社が創建され、神仏習合の形態を取り多武峯寺と呼ばれていた。明治初めの排仏毀釈(はいぶつきしゃく)で仏教色を排除。一山をあげて神社に転じ談山神社となった。旧寺聖霊院が神社本殿(国・重文)、旧寺護国院が拝殿(国・重文)、常行三昧堂が権殿(国・重文)と変わった。
 談山神社の中心、藤原鎌足の墓塔である十三重塔は、享禄5年(1532)に再建されたもので高さ17m、木造十三重塔としてはわが国で唯一のものである。紅葉の名所にふさわしく、壮麗な本殿、木造十三重塔と紅葉がマッチして一幅の絵となり、参詣者の目を楽しませている。
(写真は 十三重塔(重文))


◇あ    し◇
大神神社JR桜井線三輪駅下車徒歩5分。
近鉄大阪線桜井駅からバス三輪明神参道口下車徒歩10分。
 
山の辺の道JR、近鉄大阪線桜井駅下車。 
月山記念館JR桜井線三輪駅下車徒歩15分。 
安倍文殊院JR、近鉄大阪線桜井駅からバス安倍文殊院前下車。 
談山神社JR、近鉄大阪線桜井駅からバス談山神社下車徒歩10分。 
◇問い合わせ先◇
桜井市商工観光課0744−42−9111 
桜井観光案内所0744−44−2377 
大神神社0744−42−6633 
月山記念館0744−42−3230 
安倍文殊院0744−43−0002 
談山神社0744−49−0001

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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