月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良市

 藤原京から都が遷された平城京は、仏教美術などの天平文化の花が開いたところである。国の特別史跡に指定されている奈良市西北部に広がる平城宮跡は壮麗な宮殿があった所で、復原された朱雀門から当時をしのぶことができる。平城宮と天平文化を中心にその名残を訪ねてみた。


 
ならのみやこ 放送 12月2日(月)
 和銅3年(710)元明天皇が藤原京から都を遷し74年間栄えた平城京は、東西4.3km、南北4.8kmで、右京の東に東西1.6km、南北2.1kmの外京があり、外京を含めその面積は2500ha、中国の都・長安をモデルにしその約4分の1の規模に造られた。平城京の人口は10万人とも20万人とも言われている。今は「へいじょうきょう」と呼ばれているが、当時は「ならのみやこ」と呼ばれていた。平城京、その宮跡は奈良文化財研究所によって昭和30年(1955)以来発掘調査が続けられており、建物の復原も徐々に進められている。
 平城京の北端に天皇が住み、政治や儀式を行ったり外国からの使節を迎える平城京の中枢の平城宮がある。その規模は東西1.3km、南北1km、120haで甲子園球場の約30倍の広さがあった。

大極殿院

(写真は 大極殿院)

大極殿

 平城宮の南約4kmの所に平城京の正門・羅城門があった。そこから幅74mの朱雀大路が真っ直ぐ北へ延び、その突き当たりに平城宮の正門・朱雀門がそびえていた。奈良文化財研究所はその朱雀門の復原作業を昭和39年(1964)から進めていたが、平成10年(1998)幅25m、奥行10m、高さ10m、古代色の丹土(につち)色の壮麗な朱雀門が完成、大きな話題になり古都奈良の新たな観光スポットになった。
 奈良文化財研究所はさらに第一次大極殿跡の復原作業を始めており、8年後の平成22年(2010)に完成する予定。すでに朱雀門と同時に東院庭園も復原されており、野原のような状態の平城宮跡は、徐々に当時の姿をよみがえらせている。

(写真は 大極殿)


 
世界遺産 放送 12月3日(火)
 古都奈良では平成10年(1998)に東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡、春日山原始林の8つが、「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録された。
 「古都奈良の文化財」と「法隆寺地域の仏教建造物」の両世界遺産をはじめ、社寺や仏像、奈良市内の文化財、平城京の世界、その規模などを模型やパネルなどで紹介しているのが、近鉄奈良駅ビル4、5階にある「なら奈良館」。ちょうど古都の玄関口にあたる近鉄奈良駅にあり、奈良観光を始める前にこの「なら奈良館」に立ち寄って、予備知識を得てから出発すれば古都奈良をより一層理解するのに役立つ。

世界遺産登録認定書「古都奈良の文化財」

(写真は 世界遺産登録認定書「古都奈良の文化財」)

大仏さまの左手(実物大)

 館内の展示物の中で一番人気が高いのが5階にある大仏様の左手の実物大模造。その手のひらの上に乗ることもOKなので記念写真を撮る人たちも多く、改めて大仏の巨大さを実感できる。このフロアーは奈良の世界遺産や平城京を写真、パネル、模型などで紹介している。特に、平城京や薬師寺や法隆寺の五重塔の模型は、日本の木造建築の木組みや構造がよくわかるので人気を集めている。
 4階のフロアーの「仏像の世界」のコーナーでは、新薬師寺の十二神将像や興福寺仏頭の実物大模造が訪れた人たちの目を引いている。また同じフロアーの「アジアと世界の木造世界遺産」のコーナーには、アジアを中心に世界各国の木造世界遺産を紹介し、その保存や修復について説明している。

(写真は 大仏さまの左手(実物大))


 
平城宮の建築物 放送 12月4日(水)
 東西1.3km、南北1kmの平城宮には政治や儀式の場である大極殿や朝堂院、天皇が日常生活を送る内裏のほかに役所があり、約7000人の役人が働いていた。現代の東京に当てはめれば、国会議事堂、皇居、迎賓館、霞が関の官庁街があったことになる。
 これらの宮殿や役所が集まっていた平城宮の中で最も重要な施設が、天皇が儀式を行い、外国の使節を迎えた大極殿である。大極殿の名は大極星(北極星)から取られた。現在、平城宮跡には第二次大極殿の石の基壇が復原されており、その建築の壮麗さをイメージさせる。

内裏正殿

(写真は 内裏正殿)

東院庭園

 平城宮には2つの遺構がある。聖武天皇が都を恭仁(くに)宮、紫香楽宮、難波宮へ移し、再び平城京へ戻ってきた時期を境に奈良時代を前半、後半に分けている。従って大極殿も2つあり第一次大極殿と第二次大極殿があった。
 東大寺大仏殿の屋根も見はるかすこの第二次大極殿基壇の北側に整然と並ぶツゲの木立は、天皇の住まいの内裏の柱跡があったところを示している。これら大極殿や内裏の資料が奈良文化財研究所資料館に展示されている。柱を朱色、窓は緑色に彩色され、白い壁に映えるその鮮やかな美しさがよくわかる。朱雀門と同時に復原された池を中心とした東院庭園に立つと、宮廷人たちが宴を催した様子がしのばれる。

(写真は 東院庭園)


 
平安の宴 放送 12月5日(木)
 平城宮跡の本格的な発掘調査は昭和30年(1946)から奈良文化財研究所の手で行われ、土器や瓦などのほかにおびただしい数の木簡が出土した。その中に食品名を記載したものが千数百点もある。これらは全国各地から税として朝廷に納められた荷物に付けられていたもので、海の幸、山の幸などその種類は驚くほど豊富で、現代人の食生活の食材とあまり変わらない。
 この時代は一日二食でふだんの食事は二汁三菜または二汁四菜程度のかなり質素な食事だった。しかし宮廷の年中行事の節会や外国の使者の接待、氏族間の会合など、年に数回催された宴席にはかなりぜいたくで、美味なメニューが並んだと想像される。

平城京跡資料館

(写真は 平城京跡資料館)

一ノ膳

 奈良市内の奈良パークホテルのシェフが、出土した木簡から判明した食材や文献を調べて平城宮の宮廷料理の再現に挑戦し、「天平の宴」と名付けて賞味してもらっている。
 一の膳には黒米の粥、干したサメやサケの楚割(すやわり)、タイの鱠(なます)、ウナギの羹(あつもの)、醤(ひしお)と言われる塩辛、祝魚、チーズのような蘇(そ)、白酒(しろき)のほかに調味料に玄米酢や天塩がついている。
 二の膳には赤米のご飯、玄米餅、干した鳥獣の肉の脯(ほじし)、二の羹、海藻の天草の心太(こころふと)、漬け物の須々保利漬(すずほりづけ)、唐菓子、果物の木果子(きがし)となっている。
 このメニューを見るかぎりバランスの取れたかなり豪華なもので、現代人も天平の昔にタイムスリップして一度味わってみては…。

(写真は 一ノ膳)


 
奈良晒 放送 12月6日(金)
 奈良晒(ならざらし)は奈良盆地の麻を原料にして生産された麻織物の総称。古くは古事記の時代に源をさかのぼるが、室町時代には僧侶や神官の衣服として需要に応えていたようだ。江戸時代に入り慶長16年(1611)徳川家康は奈良晒を幕府の御用達品として保護した。武士や町人も暮らしが豊になり裃(かみしも)や帷子(かたびら)、礼服、夏の衣類として奈良晒を求めるようになり生産は急激に増大した。
 当時、奈良の町では多くの家が奈良晒で暮らしを立てていたと言われ、ほかにも妻子に麻の織物や麻糸を紡ぐ苧績み(おうみ)作業をさせていた家庭もあったと言う。また大和はもちろん、京都・山城や伊賀地方でも農家の副業として麻織や苧績みが盛んに行われるほどであった。江戸時代の万治から元禄、享保時代にかけてが最盛期で、年間40万疋(1疋は2反)の奈良晒が生産されていた。だが明治維新で武士が没落し、奈良晒は大きな打撃を受け、生産は急激に減っていった。

奈良晒

(写真は 奈良晒)

岡井麻布商店

 大麻の皮を糸に紡ぎ、手織りで丁寧に織り上げれらた麻布は、晒(さら)されて真っ白に仕上げられ、涼やかな感触と風合いが出る。真っ白に仕上げられる奈良晒は、大和の岩走る垂水から生まれると言われている。古くは僧侶や神官、武士など衣類のほかに狂言、能楽衣装などにも使われていた。江戸時代の宝暦4年(1754)に刊行された「日本山海名物図会」にも「麻の最上は南都也。近国よりその品、数々出ずれども、染めて色よく、着て身にまとわず、汗をはじく故に世に奈良晒として重宝する也」と記され、その品質の高さが買われていた。
 衣類としての用途が狭められた現代では、茶巾、小物、ネクタイ、スカーフ、のれん、テーブルセンター、インテリア用品として、麻独特の風合いと感触が好まれ、愛好者や観光客らの人気を集めている。古い町並みが続く奈良町を歩くと、奈良晒の製品が店先に並べられ、観光客や修学旅行の女子生徒たちが手に取って品選びをしている姿が目に入る。

(写真は 岡井麻布商店)


◇あ    し◇
平城宮跡、朱雀門、
平城宮跡資料館
近鉄西大寺駅下車徒歩10分。
近鉄奈良駅、西大寺駅からバス平城宮跡下車。
なら奈良館近鉄奈良駅下車。
奈良パークホテル
(宮廷料理・天平の宴) 
近鉄奈良駅からバス阪奈宝来下車。
岡井麻布商店(奈良晒)近鉄奈良駅からバス田原横田下車徒歩10分。
◇問い合わせ先◇
奈良市役所観光課0742−34−1111
奈良観光センター0742−22−5200
奈良文化財研究所0742−30−6752
なら奈良館0742−22−7070
奈良パークホテル0742−44−5255
岡井麻布商店0742−81−0026

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

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  「新しい余暇ゾーンづくり」
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