月〜金曜日 18時54分〜19時00分


大津市・坂本から比叡山への紅葉 

 比叡山の東麓・大津市坂本は日吉大社や延暦寺の里坊などの社寺が多く、その境内や庭園は紅葉の名所となっている所も数多い。比叡山の山並みにも色づいた木々が点在し、大自然の中の紅葉も壮大で美しい。紅葉も散り始め観光シーズンも終わりに近づき、初冬の気配がする静かな坂本と比叡山延暦寺を散策してみた。


 
日吉大社  放送 12月8日(月)
 大津市坂本の日吉大社は古事記にも登場する古社で、全国3800余りの「山王さん」の総本宮。境内の紅葉は湖西随一と言われ、約3000本の紅葉が社殿に彩りを添える。創建は明らかでないが、社伝によると崇神天皇のころに地主神の大山咋命(おおやまくいのみこと)とその妻・鴨玉依姫(かものたまよりひめ)を八王子山に祀ったのが起こりで、この二神を後に山麓の現在地に移したのが東本宮(国宝)とされている。
 天智天皇が大津京遷都に当たり、国家鎮護のために大和・三輪山の大神神社から大己貴命(おおなむちのみこと)勧請したのが西本宮(国宝)である。

東本宮

(写真は 東本宮)

山王鳥居

 平安京遷都後は京の都の表鬼門に当たるので国家鎮護、方除けの神として朝廷の崇敬を受け、天皇の参詣も続いた。最澄が比叡山延暦寺を開いてからは、天台宗の護法神として一山の鎮守となった。神仏習合・本地垂迹説が強まり、延暦寺と一心同体で発展してきた。
 石の大鳥居をくぐり山道を進むと鳥居の上に三角形の屋根の形をした破風を乗せた鳥居がある。山王の山の字を形象したものと言われる山王鳥居で、別名「破風鳥居」とも「合掌鳥居」とも呼ばれ、わが国ではどこにも見られない日吉大社独特のものである。

(写真は 山王鳥居)

 元亀2年(1571)の織田信長の比叡山焼き討ちで社殿は焼失、その後、豊臣秀吉や徳川家康らよって、桃山、江戸時代初期にかけて再建されたのが現在の社殿である。
13万坪(42万平方m)の広大な境内には西本宮、東本宮(いずれも日吉造)の国宝2棟のほかに重要文化財17棟など数多くの社が鎮座している。
 日吉三橋と呼ばれる国の重要文化財に指定されている石橋がある。境内を流れる大宮川に架けられた大宮橋、走井(はしりい)橋、二宮橋で、いずれも豊臣秀吉が寄進したわが国最古のものとされている石橋で、石橋が重要文化財に指定されているのは珍しい。日吉大社の例祭・山王祭は3月第1日曜日から始まり、4月12日から15日にクライマックスを迎え、山王七社の7基の神輿が琵琶湖へ渡御する勇壮な祭として知られている。

西本宮

(写真は 西本宮)


 
西教寺  放送 12月9日(火)
 大津市坂本に大きな寺域を持つ天台真盛宗総本山・西教寺は、飛鳥時代の推古天皇のころ聖徳太子が、朝鮮半島高麗の僧・慧慈(えじ)と慧聡(えそう)のために創建したと伝えられている。後に天智天皇から勅願をもらった。平安時代には延暦寺中興の祖・慈恵大師・良源、延暦寺横川の恵心僧都・源信らが修行の場とした。
 その後、荒廃の時期が続いたが、延暦寺で20年間修行を積んだ真盛上人が文明15年(1483)入寺して諸堂を再興した。真盛は当時の混乱した世相を反映して,宗教界での戒律の厳守を強調、心安らかに暮らすには念仏を唱えることだと称名念仏の励行を唱え、西教寺を戒律、不断念仏の道場として今日にいたっている。

宗祖太師殿唐門

(写真は 宗祖太師殿唐門)

本堂

 念仏と鉦(かね)の音が低く響き渡る独特の雰囲気が漂う幽玄静寂な空気の境内には、赤く色づいた紅葉が彩りを添えている。荘厳な風格の本堂(国・重文)は江戸時代中期に再建されたもので、総ケヤキの欄間の十六羅漢の彫刻は見事である。内陣には高さ2.8mの大きな本尊・阿弥陀如来座像(国・重文)が安置されている。
 「身代わり護猿(ござる)」と呼ばれ、赤いずきんをかぶり鉦をたたいている猿の木像が外陣にある。昔、比叡山の僧兵たちが西教寺を襲撃したことがあり、その時、本堂から鉦の音が響いていた。その鉦をたたいていたのが比叡山の守護とされていた猿だったので、僧兵たちは守護の猿を襲うことができず仕方なく退散したとの伝承がある。

(写真は 本堂)

 10万平方mと言われる広い境内にあった伽藍は、元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちの際に災禍を被り焼失した。その後、明智光秀が総門、庫裏、梵鐘(国・重文)を寄進した。この梵鐘は平安時代に鋳造され坂本城の陣鐘だったもで、当時は鐘楼に吊り下げられていたが今は宝物庫に保管されている。大谷刑部の母が寄進した客殿(国・重文)は、京都・伏見城の遺構を移したもので、美しい庭園を備え、ふすまや杉戸には狩野派の絵が描かれている。
 西教寺の堂塔の再建に力を尽くした光秀と一族の墓が境内にある。ほかに大津そろばんを広めたとされる長谷川藤広の墓もある。

客殿

(写真は 客殿)


 
石積みの道  放送 12月10日(水)
 大津市坂本の町は延暦寺の台所を預かる町として栄えた。また坂本には延暦寺の高僧たちの隠居所である里坊(さとぼう)が約50カ所ある。坂本には里坊や社寺の石垣、古い民家の石塀など「穴太(あのう)積み」と呼ばれる見事な石積みがいたるところにある。秋には自然石の石積みと色づいた紅葉がマッチした美しい町並の景観が作り出され、穴太積みの石垣沿いの道を心静かに散策が楽しめる町である。
 里坊が建ち並び落ち着いた雰囲気の坂本には、古い建物の老舗のそば屋「鶴喜そば」「日吉そば」などがあり、この日本そばを賞味するのも坂本を訪れる楽しみのひとつである。

里坊(寿量院)

(写真は 里坊(寿量院))

穴太家積み

 「滋賀院門跡の石垣こそ穴太衆の傑作のひとつである」と司馬遼太郎をして言わしめた滋賀院門跡は、延暦寺の本坊で、江戸時代に天台座主となった皇族の代々の居所だった格式の高い寺院。背の高い穴太積みの石垣と白壁に囲まれた堂々とした構えで、2万平方mの境内には内仏殿、宸殿、客殿、書院、庫裏などが建ち並んでいる。
滋賀院の庭園は小堀遠州の作で名園として知られ、庭園内の紅葉も見事でしっとりとした庭園の美しさを見せており、一般公開されている。
 滋賀院門跡以外の里坊にも見事な穴太積みの石垣や庭園などがあり、時期によっては一般公開しているところもあるので里坊を訪ね歩き、落ち着いた庭園の雰囲気を満喫するのも坂本散策のひとつである。

(写真は 穴太積み)

 穴太衆とは坂本の南の穴太を本拠地とした石工集団のことである。延暦寺三塔十六谷の堂塔伽藍(がらん)の石垣工事、石造五輪塔、石仏などの製作に従事して石工としての技術を磨いた。織田信長の安土城築城の際に活躍して名をあげ、江戸幕府によって「穴太頭」の地位が与えられ、伏見城、名古屋城、和歌山城、彦根城など全国各地で多くの城郭建設の石垣工事に関わった。
 穴太積みは大小さまざまな自然石を巧みに配置し、その技の冴えが美しく強固な石垣として現れる。現在、大津市在住で近畿大学土木工学科卒の穴太積みの石匠・栗田純司さんは「石と対話しながら石が最も落ち着くところに積んでやるのが穴太積みの極意」と言う。

滋賀院門跡

(写真は 滋賀院門跡)


 
晩秋宵景色  放送 12月11日(木)
 晩秋の大津市坂本の里は、延暦寺里坊の白壁や穴太積みの石垣が、坂本ならではの情緒を作り出している。各里坊にはそれぞれ自慢の庭園があり、その庭園内には晩秋の紅葉が彩りを添える。穴太積みが続く町内の沿道にも色づいた紅葉が散策を一層楽しい気分にしてくれる。
 広大な境内を持つ日吉神社や西教寺などの社殿や堂塔に映える紅葉も美しい。また、坂本の町は延暦寺の門前町として栄えた古い歴史が町並みの随所に残り、古い商家が往時の面影を今に伝えている。晩秋から初冬にかけての坂本は、最も落ち着いた季節とも言え、町をじっくり散策するには最適と言えそうだ。

旧竹林院

(写真は 旧竹林院)

庭園(旧竹林院)

 旧竹林院は天正20年(1592)の創建で里坊の中でも格式の高い寺院だったといわれている。
主屋の東西に広がる八王子山を借景にした1000坪(3300平方m)の池泉回遊式庭園は、里坊の中の庭園では最も規模が大きい。大宮川の清流を庭内に取り込み築山は起伏に富んでいる。五重の石塔、井筒などの石造物も多く残り、しっとりした風情を漂わせている。
 入母屋造で茅葺きの茶室「天の川席」(大津市指定文化財)は、非常に珍しい間取りになっており、豊臣秀吉や徳川家康もたびたび茶の湯を楽しんだと言われる。文化財的価値が高いこの旧竹林院は、現在は大津市所有となっており一般公開されている

(写真は 庭園(旧竹林院))

 旧里坊が料亭や料理旅館にに変身しているものもある。料亭・芙蓉園もそのひとつで元は旧白毫院だった。坂本伝統的建造物群保存地区内にあり、穴太積みの石垣に囲まれた池泉回遊式の庭園が有名で国の名勝に指定されている。
 紅葉シーズンの庭園は美しい。坂本の町の歴史散策を終え、江戸時代初期に造られた芙蓉園の名庭園を眺めながらいただく料理はまた格別で、ちょっと贅沢をするのもよい。三段重箱に生ゆばのお造り、煮物、焼物、胡麻豆腐などが詰め合わされた石積み御膳(2800円)のほかに山麓御膳(2300円)、湯どうふ(2200円)など、手ごろな値段でいただける料理もある。

石積御膳(芙蓉園)

(写真は 石積み御膳(芙蓉園))


 
冬の訪れ  放送 12月12日(金)
 紅葉のシーズンも終わり、初冬を迎えようとしている比叡山は、避暑をかねた参詣者でにぎわう夏に比べると深山の静けさが戻り、この季節から冬にかけての比叡山の静寂が好きだと言う人も多い。
 大津市坂本から坂本ケーブルを利用して比叡山へ登る参詣者が最も多い。ケーブル坂本駅と山上のケーブル延暦寺駅間の2025mを結ぶ坂本ケーブルは、昭和2年(1927)に開通したわが国で最も長いケーブル。駅間の高低差484m、最も急な所で18度ある斜面を11分、速時11.2kmのスピードで登る。晩秋には紅葉した比叡山の自然や眼下に広がる琵琶湖の眺めが車窓から堪能できる。昭和初期に建てられたモダンな洋風建築のケーブル坂本駅と延暦寺駅の両駅舎は、国の登録有形文化財に指定されている。

根本中堂

(写真は 根本中堂)

釈迦堂

 深山幽谷の中の約150の延暦寺の堂塔は、東塔、西塔、横川の3地域に分かれて建ち並んでおり、比叡山は山全体が延暦寺と言ってよい。その中心と言えるのが延暦寺の総本堂・根本中堂(国宝)がある東塔。伝教大師・最澄が比叡山に登って小堂を建て、自ら刻んだ本尊・薬師如来像を安置した一乗止観院が根本中堂となった。最澄が本尊の前にかかげた「不滅の法灯」が、開山以来1200年間輝き続けている。
 根本中堂内は外陣、中陣、内陣に分かれ、内陣は中陣より3mあまり低くなっているため、内陣の仏さまが参詣者の目の高さにあり、仏も人間もひとつと言う仏教の教えを示している。

(写真は 釈迦堂)

 根本中堂のある東塔地域から西塔、横川を結ぶ奥比叡ドライブウエイには、一日何度でも乗降自由のシャトルバスがある。このバスを利用して延暦寺参詣と新緑の季節、深山での夏の避暑、秋の紅葉など、比叡山の自然がたっぷり楽しめる。
 釈迦堂の呼び名で知られる西塔の本堂・転法輪堂(国・重文)は、織田信長の焼き討ち後に園城寺(三井寺)の弥勒堂が移されたもので、現在の比叡山で最も古い建物。
釈迦堂の南に建つにない堂と呼ばれる法華堂と常行堂(いずれも国・重文)は、同じ形の堂が渡り廊下で結ばれている。弁慶がこの廊下を天秤棒にして山の下から担ってあがったとの伝説から、にない堂と呼ばれるようになった。

にない堂(常行堂)

(写真は にない堂(常行堂))


◇あ    し◇
日吉大社JR湖西線比叡山坂本駅下車徒歩20分。 
京阪電鉄石山坂本線坂本駅下車10分。
西教寺JR湖西線比叡山坂本駅からバスで西教寺下車。 
京阪電鉄石山坂本線坂本駅からバス西教寺下車。
滋賀院門跡、旧竹林院、
芙蓉園
京阪電鉄石山坂本線坂本駅下車7分。
JR湖西線比叡山坂本駅下車徒歩15分。
比叡山延暦寺JR湖西線比叡山坂本駅、京阪電鉄石山坂本線坂本駅から
バスでケーブル坂本駅へ。
坂本ケーブルで延暦寺駅下車、山内シャトルバスで東塔、
西塔、横川で下車して目的の堂塔へ。
叡山電鉄叡山線八瀬遊園駅下車、京福電鉄ケーブル、
ロープウエイを乗り継ぎ比叡山頂駅下車、山内シャトルバスで
東塔、西塔、横川で下車して目的の堂塔へ。
◇問い合わせ先◇
大津市役所観光物産課077−523−1234 
坂本観光協会077−578−6565 
日吉大社077−578−0009 
西教寺077−578−0013 
滋賀院門跡077−578−0130 
旧竹林院庭園077−578−0955 
芙蓉園077−578−0567 
坂本ケーブル077−578−0531 
比叡山延暦寺077−578−0001 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

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                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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